116:死霊使いティルフィ戦【後編】
―暗い暗い森の奥で小さな家をまるごと薪にして燃える炎。
「ティル!ネル!離れるんだ!…離れろ!」
ひとりの男が恐ろしい形相で銃を構えて叫んでいる。
「嫌だ!!どうして!どうしてなの!!」
「いやだ…いやだよぉ」
燃え盛る炎の中で、大きな竜が動かず空を見上げている。
その足元にボロボロになった子供が泣きじゃくってその竜に縋り付いている。
「もうダメなんだ!彼女は…もう!!……なんだ!」
「嫌だ!ママを…殺さないでよ!どうして!!」
「ドナは、魅入られてしまった。だから!せめて俺が!!!“兄さん”の為にもっ」
男の怒号と共に大きな銃声がひとつ鳴り響く。
その銃弾は、変わり果てた“彼女”の眉間を撃ち抜いた。
「やめてええええええええええええええええええええええええええええええ!」
割れた花瓶が炎に包まれて溶けていく。
そして、そこに横から静かに寄り添うように血が這い、混ざっていく。
燃える炎の中で、ひとつの氷柱が男の心臓を貫いていた。
「お…と、さん」
「い…ふぃ、…うけ‥‥うあ、ない…に、げ、るお」
口から吹き出す血と共に絞り出す男の声は二人には届かなかった。
だが、彼は今際のきわまで確かに二人を見下ろしながら泣いていた。
何をどう受け止めたらいいか、この現状を理解するのにはあまりにも幼すぎるネルケの伸ばした手。
それをティルフィがゆっくりと掴み取り、優しく握りしめる。
「ネル…」
「お、ねえちゃ…」
二人はどれだけ抱きしめ合っていたのだろう。
炎のなか、焼かれ、崩れていく母の姿を見送りながら―
やがて周囲で揺れていた炎はいつの間にか凍えるような空気で静まり返っていく。
その焔を、自身の胸の内に押し込めたかのように
零度が周囲の炎を支配していく。
「おいおい、話が違うじゃねえか」
暗い森の奥から何人かの男が馬に乗って現れる。
その格好を見るに、冒険者に違いない。
「ニコラスの情報だとここに竜がいるって話じゃ」
(ニコラス?それは…あの男の名前じゃないか)
「おい、見てみろ。あそこに子供が…いや、見てみろっ。こいつらは…竜の子だ!」
「…忌子じゃねえか。」
呆然と見る僕らをよそに話し合う冒険者
「とりあえず殺すか?」
「そうだな。折角、ニコラスから竜の素材が手に入るって聞いたのによ」
その会話を聞いた瞬間に、ティルフィの中で何かがひとつへと繋がり
やがて、自分の中にある何かが切れた。
きづけば冒険者らを皆殺しにしていた。
「僕たちは…もう、誰にも愛されない。」
温もりの抜けた声色がそう呟く。
「僕たちはもう、世界に必要とはされない」
「おねえちゃん」
「だから、僕たちも、こんな世界は要らない。」
立ち上がるティルフィ。
「壊してやる。壊して、壊して、壊して、誰にも愛されない世界をつくってやる!そして、誰にも愛さない世界で、ようやく僕ら化物が必要とされるんだ!そして…ママを…そうだ!」
ティルフィは思い出したように、焼け残った本棚へと走り出す。
まるで急に何かに導かれるように、訪れる運命に誘われるように。
その本棚に残された書物の一つ、この焼けた跡に不思議と傷ひとつない本、それに触れる。
母エキドナが教えてくれた決して開く事を許されなかった禁書。
聖邪の外典を―
ティルフィはそのページを開き、食いつくようにその一文を読み上げた。
“汝の心、記憶は死者を呼び覚ませる”
「必要なリソースは…魔力と、それと記憶…」
そこを見て彼女はひらめく。
肌身離さずもっていた母から貰った日記帳。
「記憶、情報…僕の魂から…そして―…」
その日からティルフィは変わった。
「ネル…!ネルケ!ママは、生き返る!ママは生き返るんだよっ」
その瞳は現実を置いて理想の空を見上げている
「うん、きっと最初はネルケにとって恐いかもしれない。でも、違うんだ。重要なのは見た目なんかじゃない。その中に眠る躍動、魂そのものだ」
「お姉ちゃん…?」
「僕らが一番知っている。理解しているじゃないか!魂との対話、それさえあればいい!誰かにうしろ指をさされる形なんて何一つ必要ないんだ!」
全てを見る目が、変わった。
「そうだ、世界を壊して作り変えればいい。形に囚われない世界を!」―――
「なっ、んだと!!」
聖邪の外典。
それがティルフィにとって魔力を注ぎ込む為の媒体だとアルメンに気づかされた時から狙っていた。
葛藤の中で見出した選択。
そこから魔力を上書きさせる。そうする事で魔力を注げなくすればいい。
杭が本を貫き、
巡る、めぐる…
分厚い本のページをパラパラとめくるように
幾多を含んで全身を駆け巡る血のように
魔道書に刻まれた想いがフィードバックされていく。
聖邪の外典に注ぎ込まれたティルフィの魔力から彼女の記憶。
その情報が魂に流れ、刻まれていく。
―――ああ、ティルフィ。
お前はきっと不幸を味わった。
知っているさ。いや、しってしまった。
“大好きな母親が殺された”
“本当は大好きだったはずの家族に母親を殺された”
“裏切られた”
“その父親を、自分にとって本当に大好きだった家族が殺してしまった”
“それを理解しようとしても刻まれた苦しみがそうさせてくれない”
“たった一人の家族を守る為には自分が強くならなくちゃいけない”
“けど本当は自分が誰かに認めてもらわなければ生きていく勇気が無い”
“ただ、ただ普通に生きていきたかっただけなのに”
だから世界が嫌いなんだ。だから壊したくてしょうがないんだ。
だが俺にはその不幸に苛まれる苦しみをお前の思った通りに共有する事も一緒に苦しんでやる事もができないだろう。
けどさ…
「っ…オマエ」
『辛いよな…苦しいんだよな、訳わかんねぇよな』
「パパ…?」
気付けば泣きそうな声を出している。
涙は無い、だがきっと。それが赦されるのであれば俺は既に止む事のない雫を流していただろう。
『お前がこの世界で、息をする度にどれだけ藻掻いているのかわからねぇ。でもおよぉ、その痛みだけは、解っちまう‥‥わかっちまうんだよ』
「何を…知った風な事を!!」
ティルフィは戸惑いながらも、それを振り払い貫かれた魔書に無理やり魔力をねじ込もうとしている。
「この胸に渦巻く僕だけの感情を誰がわかるもんか!」
『わかるさ』
だが、無駄だ。もう既に俺の魔力がその魔書に一気に注ぎ込まれている。
もう、お前の魔力が入る余地は無い。
「何故!!なぜ!なんで!!!どうして!!!」
『だって悲しみも、辛さも、痛みも、全ては等しく同じなんだ…お前も、俺も』
彼女の足元、そこに滴る雫。
「なんで、涙が止まらない。この感情は一体なんだんだ!?」
ティルフィは涙をぬぐいながら俺をにらむ。
「お前が…お前なのか??これがお前の苦しみなのか??おまえは…なんだんだ!」
『お前と同じニンゲンだよ、ティルフィ』
「―え」
『…イクス・ドミネート。対象は聖邪の外典、その支配領域の骸たち』
骸の兵士たちが次々とティルフィの周囲を囲み、一斉に彼女を拘束した。
『すまねぇ、ティルフィ。でも、少し話をしよう…』
やがて俺たちを拘束していた骸の竜の顎も、アリシアから離れて
本体へと戻り、そのまま沈黙する。
「…なぜだ、何故それ程の力を持っていながら…お前はその憎しみを、蠢くように身体を這いまわる感情を赦せる?」
『…お前も、見たのか?俺の苦しみを』
「そうだ!世界にそこまでされて!何故!」
『わからねぇ。…でもよぉ、孤独でいるのも。孤独にさせてしまうのも…怖くてこわくてたまらねぇんだ。』
「それはお前が言う人間での話か?ハッ粗末なことだ。生憎僕は人間なんかじゃない。人間が言うように化物に違いない、化物に変わりない」
『ちげぇよ。お前は、ニンゲンだ。家族を大切に想っていただけの一人の女の子なんだ』
「な、にが違うものか!今更…いまさらなんだよぉ!!」
骸兵士の拘束に藻掻きながら伏せったティルフィは目前の破れ散ったページを噛むように掴んで目一杯に投げる。
「こんな!なんにも救われない世界!壊れてしまえばいいんだ!!」
『また、見て見ぬフリをするのか?そうやってこの世界を当て馬にしてお前の憎しみだけが払拭されたら満足か?』
「…見て見ぬフリだと?」
『本当は知っていたんだろ?お前たちの父親が自身らを守ろうとしていた事。それを…ネルケが、彼を殺してしまった事。大好きな母親も手遅れだった事。お前は何もかも誰も悪くないのに憎む事しか正気を保てなかった。世界を憎む事しか出来なかった。』
「…お前になにが分かるんだ!僕を人とも思わない人間風情が――」
『人じゃなけりゃ聞くのか?』
「は?」
『神様だったら納得するのか?俺が、全知全能である存在だったら。俺がお前の痛みを全て知る事の出来る都合のいい存在であったならお前は受け入れるのか?この世界を、俺を』
「…っ」
『ちげぇだろ。そういう事じゃねえだろ。だってそれはお前が一番良く知っているじゃねえか。認められない事を知り続けたお前なら』
「―僕は」
『お前が本当に求めているものはそういうのじゃないだろ…お前はただ、受け入れてもらえる場所さえあればよかった。その心の苦しみを受け入れてくれる誰かが必要だったんだ。それを、おまえがあの子を否定してどうするんだよ…』
「…」
『ネルケはお前からのどんな痛みも苦しみさえも受け入れた。それがお前の中で渦巻いている苦しみに違いないからだ。それを取り除きたかったからだ。だから、あの子はお前の傷を癒した。単なる優しさなんかじゃない、たったひとりだけの家族への愛情なんだ。そして、お前が今日までネルケに関わってきた事の全ても、妹への愛情に違いないんだ。』
「ぼ、僕は化物で…人間なんかじゃない!それだけじゃない!なんの役にも立たなくて…必要とされなかったから、ネルにも置いてかれてしまった…僕の居場所はここなんだ!ここしかない!ママと全てが魂だけになる世界こそが!!」
『つくってやるよ』
「……は?」
『お前の居場所は俺が創る。』
「なにを―」
『もうリョウランからの依頼なんてどうでもいい。
後でどうとでも説得してやる。お前に必要なのは居場所だ。
大好きって思える家族が側にいてやれる場所が…だからよぉ、お前が必要とされる場所を俺が作るっていってんだよ!』
「はぁ…パパ。いや、もうこれ以上は言わないわよ…もう好きにすればいいんじゃない」
ため息をつくアリシアはゆっくりと近づいて手を差し伸べる。
「“あんたの世界”は、もう十分これから壊れるわ。このひとは本当にお人好しなの…」
「…おまえ」
「竜に認められない?人間に忌み嫌われる?もう、そんなの関係ない。別にこの世界を壊さなくても、魂はいつだって一つにできるってパパは教えてくれるもの。世話なんてもんは面倒なくらいが丁度いいんだから。」
「――――は、」
「はは、」
「はははははは」
「アハハハハハハハハハハハハ」
ティルフィは呆れたように笑い、そして涙した。
「ネル…。ねぇ、ネル……君が羨ましい、うらやましいよ…君は、こんな素晴らしい人たちに出会えてるんだからね」
ティルフィの表情は不思議と憑き物が取れたように清々しい表情をしていた。
彼女は一度目を伏せて、諦めたように目をゆっくりと開く。
少しばかり躊躇いを見せながらも、ゆっくりと手を伸ばして。
『―駄目なんだよ、そんなの』
そっと…細い、細い隙間からそっと囁くように聞こえた鬱屈とした声。
ピッとアリシアの顔に跳ね付いた異様に熱のこもった血。
「え?」
戸惑うアリシアが目を見開いた先にあったのはティルフィの背中を貫く剣。
「…がはっ」
ティルフィは顔を歪ませて口から血を吐き出した。
俺はその状況を全く理解出来ていない。
「ティル、…フィ?」
刹那、唐突にアリシアの頭ももぎ取られた。
『…あ?』
立て続けに起こる展開に思考が追いつかない。
だが、今起きている事実は明らかに異常事態である事は理解した。
ああ、アリシアは大丈夫だ。
冷静になれ。
冷静になれ…
俺はすぐさま集中して目前の情報を拾う。
剣
ティルフィを刺したのは骸の兵士…何故だ?イクス・ドミネーターの有効範囲のはずだ。
いや、違う。彼女を刺した骸兵士だけ様子が違う。感覚的なものだ。他の奴らと違って一匹だけ、その一匹だけ違う。
アリシアは…すぐさま距離をとっている。
そしてあの子が頭を獲られた位置、そこには大きな骨の腕。これはナガ・シャリーラのものか
さっきまで沈黙していたはずなのに何故。
まさか、イクス・ドミネーターの有効範囲から外れている?
『まさか、こんな風に余計な事をされるとは思わなかったよ。保険って大事だね』
鬱屈とした声。それはアルメンの杭から鎖を伝って響いた。
うずうずと魔力が蠢く感覚…その根源は、杭が貫いた魔道書そのものだった。
『君たちはそうやって死を忘れようとするんだ。ボクはずっと、ずっと覚えているというのに―』
それは人外の声。響くように聞こえる声の感覚に覚えがあった。
『心器っ…!!』
アリシアは超再生で頭を戻し、すぐさまに魔剣を構えて魔道書を斬ろうと走り出す
『魔力解放』
一瞬周囲の色が反転したようだった。だが瞬いたときにはすでに元の色に戻っている。
(時を止められたっ…?)
気づいたときにはすでに状況は一変した。
魔道書:聖邪の外典は開いたページから溢れるように幾つもの蛸のような触手が蠢き溢れていく。
きづけばアルメンの杭から解放されて、得体の知れない何かがそのまま剣に刺されたままのティルフィを捕まえ取り込んでいく。
『ティルフィ!!』
『我が主。半竜の御子よ。もういいよ。あとは僕が…“心器:メメントモリ”が全てを終わらせるから。これからの事は全てみんなが死んだ時に考えようよ』
「ネル…ネ、ル…」
自身の全てを埋め尽くされる直前になるまで彼女は手を伸ばして妹の名を呼んだ。
「ごめん、ね――」
「…お姉ちゃん?」
「あっ、まって。まだ回復が終わりきって―…ってうわぁあああ!?なにこのタコ!!?ねぇ!なに!?ナニコレェ!?!?」
メメントモリと名乗る触手はティルフィを取り込んだまま、側のナガ・シャリーラの大きく開かれた肋骨の内側へと入り込む。
「GUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!」
大きな咆哮。
生まれたばかりの赤子の産声の如く叫びだす凶骨竜。
巨躯の骨がより複雑に、より鋭利な刃となっていく。
内側に秘められた零度の魔力は周囲を溶かすかのような焔へと変貌していく。
そこからは今まで以上にその内側から存在としての息吹を感じる。
『どうだい、我が主、母親と一つになれた瞬間は。…まぁ、返事なんてないんだけどね。“一つ”になったんだからサ』
『…はっ』
随分とわかりやすくなったもんじゃねぇか。
辿った記憶からある可能性を俺は見出していた。
ティルフィの母が殺されなくちゃいけなくなった理由。
その元凶。
メメントモリ。
死を想え…な。
なる程、全ての原因はこいつにあるのか…。
『アリシアっ』
「もう良いってわけね、いつものっ」
魔剣を握り締める彼女の身体に七色の魔力が解き放たれる。
『神域魔術!』
救う、絶対に!!
リョウラン組合の為じゃない
あの子の…ティルフィの為に!