114:分裂
復活の堕天使、イヴリースとヌギルの戦闘は苛烈を極め
クラウスの研究室の足つく場所の悉くを砕き、崩していった。
その化物同士の潰し合いに紛れ、魔剣ジロの仲間一行らは、咄嗟に見つける扉
そこへと半ば突っ込むようにして間一髪逃げ、皆が壊れたドアから大きな穴を見下ろすのであった。
「おいおい、底が見えねえ。相当な高さだぞここは」
クリカラはネルケを護るように抱き寄せて言う。
「ひぃ…ひぃい」
目尻に涙を溜めて同様に見下ろすネルケをマリアは一瞥し、そのまま振り返る。
…咄嗟に入った扉の先。
そこは質素でありながらも大きな部屋。床には大きな魔法陣が描かれている。
「―転移魔術か」
皆が同じようにその魔法陣の周りへと囲うように集う。
「ぐっ」
リアナは先の列車での戦闘から続く魔力消費の激しさのせいか
長い髪を前に垂らして項垂れている。
ヘイゼルはその傍らで「リアナ、無理しないで」と言いながらゆっくりとリアナに魔力を分けていた。
「ごめんなさいね。ヘイゼル」
「いい、アナタは無茶をしすぎた―――――――――――……っ!?」
――…ヘイゼルとリアナの背後、誰しもが気を許してしまっていた。
否、そうだとしても百戦錬磨のマリアを含めた一行が見落とすほどには“その男”の気配の殺し方はあまりにも秀逸であった。
そして彼にとってはその許された一瞬だけでよかった。
「悪いが、攫ってくぜ…」
振り返り、皆が気づいたときには遅く
ライカン・スロープ“ゼタ”はその僅かな油断を狙い
ヘイゼルの首根っこを掴むとそのまま、転移魔法陣の中心へと連れて行く。
「ヘイゼルっ…!!」
「ッッ!!!」
二人、その動きに反応して動いたのは彼女の側にいたリアナと近づく気配を人工魔眼で察知していたガーネット。
リアナは離される直前にヘイゼルへと手を伸ばし、辛うじて手を掴み
ガーネットもすぐに魔法陣の中央へと走り出した。
そして、ボッ…という瞬く閃光とともに
その場の4人が消えた。
―賭けてもいい、こいつは『嘘つき』だ。
しかし、奴の嘘をつくという行為が明確な偽りとして成立していない…つまり
プリテンダーの能力が発動しない理由が解らない状況ではあるが、
それでもロックという“女”が嘘をついているという事だけは確かに解る。
プリテンダーのロジックの根底は偽りの心。
それは例えば嘘をついている、この場の状況を偽っている…という感情を察知して
ようやく俺の魂へとそれは語りかけてくる。
だが、こいつには偽っている事への意識が全く感じられない。
嘘をついているのにも関わらず、それを屁とも思わない。
嘘をついた言葉が本当にそうであるように信じてやまない様な姿勢。
だが、逆を言えばそれが俺には余計キナ臭く感じていた。
俺には覚えがある。
こいつはきっと、今まで“そうであった”と信じて、
自身の都合に合わない事が起きればすぐに“そうじゃなかった”とその場で嘯くタイプの人間と同じだ。
狂人の類に違いない。
だが、そうする必要があるのは大抵は悪意の意識からではない。
概ね生存戦略のようなものだ。
本音を本物と織り交ぜて同じ側であると言いながら
最終的な結果から互の解釈が違えた瞬間にきっとこいつは決別する。
ひとまずは…その時まで、こいつの言葉を飲み込む。
そしてある程度の情報を聞き出す。
特に気になるのは“魔導協会アガルタ”。
そのような組織を俺はこの世界に来てから一度も聞いていない。
「それで?君たちはこれからどうするのさ?」
ロックは大きく空いた伽藍堂の大穴を見下ろして聞く。
『ああ、元々俺たちはこの国に巣食っている魔業商って組織を潰しに来た。それと並行して依頼を受けているんだ。』
「依頼?」
『その魔業商に組みしている中の一人に半竜の女の子がいる。その彼女を保護して連れ帰ることだ。』
「え?、え?…魔業商??」
『知らないのか?』
「う~ん、僕は何も知らされないまま連れてかれたし、何もしらないままこの場所で解放されて殺されかけたからねぇ…実をいうと今外の世界がどんな状況なのかもわからなくて…」
プリテンダーの反応が無い。外の状況を知らないのも本当らしい。
俺たちは、兎に角周囲を見渡し進める道があるかどうかを調べてみる。
先の大きな衝撃が上から来ているのであればその原因が手がかりにはなるはず。俺は上に行こうと提案するが
「いや、待って欲しい。君のその探しているってその子。僕なら見つけられるかもしれない。」
『は?どうしてだ?』
「言ったでしょ。多少の魔術は使えるんだって。僕の魔術の中には人を探す魔術もある。その索敵に引っかかれば或いは」
『いや、どうやってやるんだよ。外も知らない奴が言っただけの情報だけで解るものかよ。』
「そりゃあ僕だけじゃあ無理な話だよ…そうだね、必要になるのは君がその子を一度でも見ているかどうかによる。」
『そりゃあ見た程度であれば』
魔導図書館の前で連中が集合していたのは見た。
けど、あの大きな骨の竜を扱っている時に見たフードをかぶっっていた奴としか認識していない。
顔が確実にわかるわけでもない。
「顔が見えない…かぁ。困ったなぁ。それじゃあちょっと難しい気もする」
頭を掻いて困るロック。
どうやら振出しに戻っちまったか?
…いや、まてよ?
『ロック、それが例えば肉親の顔と同一であるならばどうだ?そう、例えば妹の顔とかなら俺は知っている』
「あー、なるほどぉ。それはやってみる価値はあるね。僕のその人探しの魔術のリソースはその人の顔から割り当てられるものだし」
そうすればネルケや仲間たちの居場所も一緒に見つけられるかもしれない。
一石二鳥だ。
『で、どうすればいい?』
「そうだねぇ。そしたらその子の表情を思い浮かべてもらっていい?」
『ああ』
ネルケの顔を俺は思い浮かべる。
「そしたら、そうしながら魔力を…どこでもいい自分のどこか一部に集めるイメージをして欲しい」
…なんかふわっとしてんなぁ
だが仕方ねえ。言われたとおりにやってみるか。
「あー、そうそう。見える見える。君、魔剣なのに意外だね。刀身じゃなくて中心の結晶に魔力集めちゃうんだ」
そう言いながらロックは自身が見えているであろう俺が集めた魔力へと指一本伸ばして触れてみる。
「…え?」
偽
偽…偽…
『…!?、アリシア!!』
俺は咄嗟に感じたプリテンダーの反応に反射的に呼びかけ
アリシアも即座に魔剣の柄を握り締めてロックから押しのけるように離れる。
「わっ!?」
驚いたロックは腰を抜かしてこちらを見ている。
『お前、どういうつもりだ?』
「え、ああ??いや…ゴメン。なんか凄いものに触れた気がして驚いちゃった」
『は?』
「き、君たちの方こそ、一体何者なんだい?ただの冒険者や傭兵と違うよね?だってオカシイよ。だって君の魔力、女神様と少しだけ似ているんだ。」
クソ、今言っている言葉にも偽りは無いっ!なんなんだこいつは!?
俺の魔力に触れて何かに思い至ったのか??
『それは…』
魔力が少しだけ女神と似ている…その質問に対して俺は答える事はできる。
だが、先ほどのプリテンダーの反応を見るにそれが奴の考えの分岐点にもなりかねない
俺は返す言葉を思いつかないまま言葉を詰まらせる。
「…まぁ、それは良いとして…一応居場所は特定したよ?」
『何!?』
「一瞬だったけどね!君らが急に暴れだすから!」
『もういい!どこだ!?どこに居る!?』
ものすごい剣幕だったのだろう。俺の責め入るような質問に「お、おひぃ」と小声を漏らしながら
ロックはその指である場所を示す。
「あそこ」
それは先の衝撃で伽藍堂から見える螺旋階段の斜め下すぐの小さな扉。
「多分距離で言えば少し進むけど、どうやらその扉の先を真っ直ぐ。少し歩いた場所に“反応が二つ”あった」
『二つ?』
俺はその意味を瞬時に理解しアリシアと目を合わせる。そして同時に自分の無い背中から追いかけてくる焦燥感。
『他にはっ…!ほかには誰が』
「ちょ、ちょっと!そこまでは解らないって。これは特定の探したい人を見つける魔術なんだから!」
一体どうしてそうなっているのかは解らないが
多分、ネルケとティルフィは今、同じ場所にいる…!!
『急ごう。』
「ええ」
「わっ!まって!まってってば!!」
俺は急ぎロックの示した場所の扉へと走り
二人の居る場所へと向かった。
私は一体どうして此処にいるのだろうか
あの時、瞬時に現れたゼタさんのせいで
一気に3人とはぐれた後
残された私とメイさん、おじさまとマリアさん、ルドルフさんは再び光った転移魔法陣の光に包まれて―
気が付けば私だけがこの場所にいた。
…匂いでわかる。
ああ
これは懐かしい“ママ”の匂いだ。
いつも膝の上で絵本を読んでくれてた。その時によくママの膝に顔をうずめてたからよく覚えている。
甘い花の匂い。そう、そんなにおい
…でも、もうママは居ない。
“あの日”ママは殺された。
私たちはただ、静かに暮らしていただけなのに、
悪い人間たちが私たちの平穏な日常と一緒にママを殺した。
だから私は…ネエサンと――…
「…頭がクラクラする」
思い出せば思い出すほどに
この匂いは私をおかしくする。愛おしさが良くない感情へと持っていく。
そうすればよかった、どうしてそうじゃなかったんだ、そんなありとあらゆる無尽蔵な責が頭の中で駆け巡る。
そして、この匂いに彼女の匂いが入り混じってる事に気づく。
あの時、母を、居場所を奪われた時、かつて共に復讐を誓った。
…大好きだった姉さん。ティルフィの匂いだ。
「思い出したか?ネルケ」
「ティ、ルフィ…?」
昔とは違う、鬱蒼とした空気。冷たい空気。
蒼い焔を揺らす何本もの蝋燭と幾つもの骸がありとあらゆる場所に立ち並んでいる。
そして足元には散乱した様々な魔道書と破り捨てられたいくつもの頁。
それが込められたこの大きな空間の真ん中で
フードで素顔を隠し、彼女が立っていた。
「わかるだろ。所詮、ママも、僕たちも、人間にとって化物なんだ。そして、そうであるが故に…人間は僕たちにとって相容れない存在だ。互いに醜い、みにくい敵でしかない。」
姉さんは奥歯を噛みながらそう言う。
「でも違う。人間の存在が、繁栄が正しいなんて事が確かではないんだよ。ならば、僕たちがするのは僕たち化物が正しく平穏に生きられる世界なんだ。。価値観の再構成。誰もが形に囚われない世界。そして、そんな世界を創ってやっと…ママはその場所で僕たちと一緒に過ごす事ができる。」
ティルフィは懐から一冊の本を取り出す。黒く煤けていて、端に微かな焦げ跡がある。
それはティルフィがいつも大事にしていた。特別な日にママから貰った日記帳。
「あの時から、僕の思い出は止まっている。僕の…僕たちの幸せの日々の記録の続きを―」
「姉さん…それを求めるのは構わないよ。でも…それは人の命を代償に得るべきではない。あの時あの瞬間、姉さんと共に誓った復讐は…きっといつか私たちに返ってくる。きっと今度は私たちが奪った側として…より酷い諍いの渦に飲み込まれるだけ。だからこそ、痛みと苦しみを知る私たちは人とお互いに手を取り合って―」
「おまえは、人間に絆されたのだ。」
冷たい瞳と言葉が私の思いを遮るように返って来る。
「人間はそうやって綺麗な心だけを前に出して、僕たちに夢を望ませる。だが、それは家畜の檻へと誘う餌だ。そうである理由はただひとつだ。結局人間は淘汰される力を恐れている。そこに繋がる不幸を、得体の知れない未来を、それを選んでしまった過ちに責を負ってしまう自分自身を。それは心では解決できないものだ。ありとあらゆる生命は母の胎の中で夢を見、潮流のように紡いできた過去の記録がそうやって是と非、恐怖の対象を生まれ出るであろう胎児に刻ませる。恐怖は覆らない、取り払えない。僕たちがその存在である限り、互いの溝は代を重ねて深くふかくなっていく。」
「違うよ、姉さん。私はリョウラン組合に居る。そこは竜が竜を管理する場所なんだよ。それがあるという事は、人が竜を認めた証拠に違わないと思う。」
「それは人間が竜に忖度で譲渡した権利にすぎない。結局化物はそうやって家畜のように管理されなければ人は化物と居る世界で幸せになれないんだ。それに…お前が一番わかっているだろ!?僕たち半竜はっ!同じ枠にされた竜にでさえ余計な眼でみられる!お前だって!あのリョウランの上層共らに何を言われて来たのかわかるだろ!!」
「それでも…父様はきっとティルフィを受け入れてくれる!」
「父だぁ?僕に父なんか必要ない!要らない!要らない!!!あの時ママを殺されたのだってあのクソ野郎が僕らを竜だと知ったからじゃないか!!人間が!上っ面だけで近づいて!!ママを愛していたなんて嘯いて!!!結局最後は金欲しさに僕らの居場所を冒険者に教えやがった!!!醜い人間めっ!同じ血が流れているだけで僕はこの身を掻きむしりたくなるんだ!!」
「人にも…人間にだっていろんな人がいる!全員がママを殺した人間じゃない!!ひとは―…」
「じゃあどうして!お前はいつも!いっつも石を投げられたんだ!?」
…彼女は知っている。災いの象徴である竜の血を引く存在と知られれば
いくら同じ人の姿であっても、その瞬間から人は遠ざかり、面白見たさに自分たちが石を投げつけられる事を。
きっと、それが狙いで
いつも私を色んな村で…ママの匂いで“呼び寄せていた”んだ。
人間なんてものは所詮化け物を恐れる。
どんなに人と同じ姿をしていても、竜と知れば忌み嫌う。
所詮樽に入った飲み水に、一滴の泥が入ればそれは全て泥。
あの時だってそうだ。
エインズの街の人々の結論はどうであれ、一度その表情に曇りを見せていた。それだけで、私たちが人間たちの住む世界では異物でしかないのだ。
亜人でさえも違う目で見られる。だのに、それならば厄災から生まれた竜…そこから生まれた私たちが本当に受け入れられる日が来るのだろうか?
「あいつらは、助けようとしたお前をいつも疎んでいた。ママを殺したあの連中のように!!僕たちはただ!静かに暮らしたかっただけなのに!!そうだろ!?ネルケ!!」
ああ、そうだ―…
湧き上がる感情を抑え込む。唇が震える。ティルフィの凍えそうな冷たい現実の言葉が
どんどん、私の居場所をこの世界から奪っていくような気がした。
きっと…私は弱くて、恐がりで…肝心な時に何も出来ない子供のままなのだろう。
ジロさんや皆に出会っていない、あの時のままだったなら。
「姉さん、もう帰ろう…?」
信じてる。
あの人たちなら、きっと彼女の心に巣食う病を
…母への…母の死と言う不可逆への執着を
人に対する侮蔑の執着を
孤独との向き合い方を
誰かに手を差し伸べる救い方を
「私は知っているんだ。“お姉ちゃん”が帰っていい居場所を」
「僕にそんなものは無い。あったとしても受け入れない。世界が作った居場所に居るつもりはない…僕が欲しているのは、僕たち化物の意思で作った本当の新世界だ」
「……」
姉さんはその素顔を覆うフードを脱ぐ。
「ネルケ。もう、ママをこれ以上悲しませないで。僕は、何度もお前に教えてきたつもりなんだ。」
彼女の手元に、一冊の本が開かれる。
それは古代オーリー言語による古の書物。死霊呪法の解体真書
“聖邪の外典”
それは、姉さんが魅入られ壊れてしまった理由のひとつ。
“汝の心、記憶は死者を呼び覚ませる”
それは悪魔の囁きのような枕詞から始まる。
死者の媒体へ自身の魔力を供給し、死者の魂をこの世に構築させ、対話をする事で人格や意思を形成させ
あらゆる死の象徴であるモノに憑依させて操作をする死霊操作系の魔術。
死への意識がより一層強ければ強い程にその能力は増幅される。
周囲の数多の骸が蝋燭の頭で揺れる青白い焔に群がるように集まり、カタチを形成していく。
髑髏の兵隊。死霊の群体。
胸にその青い焔を抱えながら、口から吐き出す白い息は この場所のあまりもの冷たさを示す。
それらはまるで、この世に怒りを覚える死者の呪いのようでもあった。
そして、ティルフィの後ろで彼女を守るように顕れた巨躯。
伽藍洞の凶骨、人々はそれを『ナガ・シャリーラ』と呼んでいた。
殺されたママの…亡骸。
その大きな腕がそっと優しくティルフィの頬を撫でる。
「うん…。うん、ママ…ごめんね。そうだね。それしか無いよね…。」
ママの亡骸と会話をする姉さん。
でも、私は知っている。
死霊操作系の魔術…それは、死んだ人を生き返らせたり、あの世から呼び寄せるわけでもない。
結局、意思の鏡写しで生まれた姉さんの望みの産物でしかない。
「ネルケ、お姉ちゃんが何を言っても聞かないなら…もう、“死んで”から言い聞かせるしかないよネ?」
長い二本角に、白銀の髪を揺らしながら、氷のような冷たい瞳が…私の命を覗き込む。
恐い。怖くないなんて思わない訳がない。
でも、私は信じて進む。自分が決めた意志を。きっと何千年と紡がれた生命の恐怖の礎を打ち破る意思を。
恐怖が纏わりつくであろう大きな力を前にしてこそ、進まなければいけない。
それが彼女を救う道であるならば。