113:“閉じる者”
誓約都市エレオスの中央にある大城。
その地下水が吐き出される裏口からの侵入を試みて成功した俺たちは周囲を警戒しながらも進んでいく。
『しかし、妙な場所だな』
「なにが?」
城内の排水路でありながらこの場所はあまりにも綺麗で、人の手が加えられないとこのまま維持できない程には
綺麗に手入れされている排水路だった。
『にしては人の気配どころかネズミ一匹すらも見当たらねえ。こういう場所ってのは汚くて薄暗い、そのせいで気味悪さを醸し出しているってのが相場なんだけどな』
「さぁ、城の人が几帳面なんじゃない?」
『城の人…ねぇ』
「何、パパ怖いの?ビビってる?どんな気持ち?」
『煽るなって。けど…まぁビビってるよ。いや、びびってないといけないのさ。本来そういうのは思考の中で必要なカードだ。俺はその札を切っただけだ。それこそ勇猛さだって必要な時に使う札だ。人は土壇場でそれを感情によって忘れがちになる。』
「自分はそうじゃないって?立派じゃない」
『うっ…わかってて言うなよ…』
相変わらず手痛い返しだ。毎度思うがこういう時に初めて会った頃のあの“パパすきすき~”のアリシアが恋しくなってしまう。
「言うわよ。私だって感情でこうなったもの。感情でここまで来たもの。そしてパパが側に居てくれるからこうしていられる。」
『…』
「きっかけは小さな好奇心かもしれない。それで色々なものが失われてしまった事に後悔もしている。たらればの話がいつも耳の奥で張り付いて呪われたような気持ちになる。でも、何にせよ…それまでに進んできた後ろの足跡だけは嘘をつかない。それこそ残酷に突きつけてくる」
『だがそれはお前だけの過ちじゃない』
「いいえ、違う。確かに誰かの手を添えられた事実はあるかもしれない。でも、結局選択を選ぶ事はひとりでしかできない。」
「―私は、さ。きっともう本当のパパとママの子じゃないのかもしれない。だってこんなに何度も傷ついてもアナタの魔力で元に戻る。自分の中のものをゴチャゴチャに混ぜて要らないものを吐き出して…よくよく考えれば、もう普通の身体じゃないもの。きっと嫌でしょ?子供がこんな話をするのも気持ち悪いもの。」
『アリシア』
「でも、魔剣がいてくれるからひとりぼっちじゃない。私はこうやって進められる。こうやって何度傷ついても一緒にいられる。勇気をもらえる。あの時、私にしてくれた抱擁、あの時に見せてくれた小さな灯火を私は忘れない。捨てない。だから―…」
アリシアはそれ以上の言葉を口を噤んで止めた。いや…気付いて欲しいんだ。
今になってこんな話をして来た理由…
きっと俺が、“俺の意思”でいつか離れるのでは無いかという不安を否定してくれる意思を示して欲しいんだ。
『安心しろ。お前の幸せだけは今の俺の中では最優先だからな。』
「―そう」
満足いかないのか、アリシアの素っ気ない返しだけが宙に消えていった。
お互いに暫くだまって歩く。
先程までの騒ぎが本当に嘘のような静けさだ。
何もなさすぎて逆に安心するようなこの状況が、妙に不安を駆り立ててしまう。
感覚的な問題だろうか?嵐の前の静けさと言ったら変になるだろうが
似た感覚がそれしか見当たらない。
排水路の道は想像しているよりもシンプルで、水の流れは幾つかの道中で左右に分かれてはいるが
俺たちが歩く道だけはそれを眺められるようにしっかりと真っ直ぐに作られていた。
「もうここには人間がいなかったりして」
『冗談には聞こえないのが困る』
「でも、本当に人の気配が感じられないわね。パパは、この状況どう思うの?」
『事が既に起きているんだ。そろそろ敵さんのお迎えが来てもいいんじゃないかぐらいはある。けどそれが未だに無いって事は、よほど連絡系統か連携がなってないか、或いは…』
「或いは?」
『進んでいるつもりの俺たちが自身が逆にやつらの手中へと入り込んでいるかだな』
「まぁ、皆が捕まってるのも城内だしね―…」
ぞわっ、と悪寒が走る。
至ってシンプルな一本道で人の気配が全くしないくせに
第六感が警戒するような寒気だけが危険信号として俺たちに警鐘を鳴らす。
人の気配が無い?果たしてそうなのか?
薄暗いこの真っ直ぐな道の先で妙に何かが待っている感じがしていた。
『アリシア…』
「ええ」
アリシアは魔剣を構ながらゆっくりと進む…
コツ コツ と、この空洞を跳ね渡るアリシアの足音と無害を主張する水の音だけが交差している。
「…ふーっ、あっ」
『あ?』
薄暗い影から存在を見せてきたのは、しゃがみこんで煙草をふかしている女(?)だった。
互いに目が合うとその女は「おー」といいながら気まずそうにゆるい口でそう言った。
「あんたも逃げた口?」
『逃げた?』
「ほら、例のアイツ。ヤバかったよねー。“我が主”“わがあるじ”って連呼しててさー。こわ、って思うじゃん」
…なんの話だ?
会話をしながら近づいてみる。
ようく見るとその女は顔やら耳にいくつものピアスを付けていた。
綺麗に切り揃えられたおかっぱ前髪に隈のうえにすわった眼をしていて気だるそうにしている。
なんかバンドのスタジオの受付とかやってそうな姉ちゃんだな。
しかし、彼女は逃げたと言っていた。
もしや城の中から逃げてきた人なのだろうか?
この王都にはやたら人を連れ込む事をしている。
ヴィクトルの記録を見るに皆がこの王都での暮らしに急に身を置こうとしてしまっている。
それはある種の洗脳だ。
だが、稀にこういう気づいた人が逃げ出そうとしている事もあるのだろう。
「あれ?でもさっきアンタいたっけ。“ニオイ”は一緒だとは思うんだけどなぁ」
『お前…いや、君は何を言っているんだ?』
「ん?あっ、あー…あー、そう。マジかぁ。もしかしてアイツらの仲間?」
…ここで言うこの女の“アイツら”は、魔業商の連中か、関係者で間違いないだろう。
逃げてきたという事はやはり自身の置かれている状況に気づいて逃げ出したに違いない。
『いや、違う。むしろ君みたいな人を助けに来たんだ』
「へ?そうなの?それってアレ?死の救済とかいう意味で助けるとか言う例のアレって解釈じゃなくて?」
『いや、どこのサイコパスだよ』
「ところで、ヨルってどうなった?」
『夜?ああ、一応今外は明るいから朝か昼だろうさ。』
「…なぁーんだー。よかったー。あんまビビらせないで欲しいなー。僕もいよいよかって思っちゃうじゃん。」
『そこは安心していい。ところでさっき何があったんだ?“逃げた”と言って俺たちの反対方向から来たって事は城の中の様子はある程度わかるんだろ?』
「んー、そうだねぇ。マジ困ったよ。無理矢理拘束させられてたと思ったらサ、眼が醒めた途端他の連中がひとりひとり殺されてくんだもん。」
酷い話だ。
この子もきっとラフレッド等で意識を奪われた後に拉致されて来た人に違いない。
『だが、ひとりひとり殺されていくなんて、何かの儀式か?』
「そうだねぇ、本当に頭のイカれた奴だよ。そいつ、なんか私らと同じように拘束されてたんだけどさー。急によくわからん偉い奴と話をして“我が主よ!”とかいいながら暴れやがったんだ!とんだ狂信者だ。その主の顔が見てみたいもんだね。」
『まさか、クラウスか?』
「うーん、ゴメンネ。名前までは覚えてないや。でもさっきすんごい物音してたでしょ。あれがその時の騒動だよ。そんで私はこれはヤバいって、殺されるって思って隙を見て逃げたんだよネー。そったらさ。でた場所が塔みたいな構造でさ中央が吹き抜けになってて螺旋階段が壁に付いた状態の構造になっててさ、ひとまず下に下にって降りながらその脇に見つけた扉の先がココってわけ。」
なるほど、ならこの上にはその実験かなんやらで騒ぎになってる奴らが居るってわけか。
『アリシア』
「ゴメン、私はパパのところまで来たは良いけどその時何処に居たのかはわからないの。ただみんなとクラウスが一緒にいるのは確か。」
『他の魔業商の連中は居たか?』
「いいえ、クラウスだけだった」
―…現状、スフィリタスは城外の教会。
皆はクラウスと一緒。
消去法で言えば、知る限りの残りの連中は
ゼタ
薙刀の鬼女
目的のティルフィが城内に滞在している可能性がある。
だが、この…
『―えと』
「ん?なんだい?」
『君の名前は?』
「あー、そうだったね。僕の名前は…ロック。よろしくね」
『ああ、よろしく、ロック…ん?』
もしかして、男か?
「あー…はは、よく言われるよ。一人称や名前で誤解されやすいんだけどサ。一応女性ではあるんだよ僕。」
『いや、なんかすまなかったな。偏見は良くないよなロック。俺はジロだ』
「ああ、ジロね。よろしくよろしく。そちらの子は?」
「…アリシア」
「へぇ~。いい名前だね。よろしくね~」
「ねぇ」
「え?」
唐突にアリシアは魔剣の刀身、その切っ先をロックへと向けた。
「あ…あの~。な、何か??」
おびえるような表情を向けるロック。
『おい!アリシア!?』
「パパはおかしいと思わないの?コイツ、魔剣を見ても何とも思わないんだよ??普通、こんなの変だって思う。でも、この人の視線は真っ先にパパの方へ向けた。持ち主だと考える私じゃなくて、パパに。」
『ッッ!』
「……」
「答えて。あなたは何者?パパに対して“同じニオイ”って言ってたわよね。」
仲間たちと当たり前の会話をしているせいか、失念していた。
雰囲気に飲まれるところだった。
そもそも俺はこの世界では異端の存在だ。特にこの姿では。
アリシアの言うとおり、こいつは確かに嫌悪感の違和感も驚きもないまま俺と会話していた。魔剣の俺と。
『ロック…お前』
「…隠してすまない。君の疑問はもっともだ。僕は…少し君の持つ魔剣に懐かしさを持っていたのかもしれない。」
『懐かしさ?』
「僕は元々…魔導協会アガルタって場所で魔力の研究をしていた一員なんだ。だから君みたいな存在は初めてじゃない。そのせいでついいつものように話かけてしまった事に困惑しているなら謝罪するよ。」
魔導協会アガルタ。聞いた事の無い名前だ。
「大抵の人は皆、魔術の研究に対して研鑽を重ねていくのだが、僕らは違った。魔の本質にこそこの世界の構造たりえる何かがあるのじゃないかと、その魔力の流れや効果、解析を部門としてきた。その中の実験のひとつにあったのが魔力に人格を取り入れるものだった。僕はそこで幾つもの君のような存在と話をしてきたんだ。だからかもしれないね。違和感無く話してしまったのは。そして、そのせいで多分僕はここの組織に目を付けられて連れてかれたのかもしれない。先の場所ではエライ騒ぎになっていたけどサ」
「……」
未だ見定めるようにロックを睨みつけるアリシア。
「そりゃあ多少は魔術も使えるよ?でも、僕の場合はあんまり攻撃的なモノじゃないんだ。それこそ、前衛者ありきの魔術ばかりさ。情けない話だけどね。そりゃあ逃げるしかないよねぇ。僕なんかそれじゃあひとたまりもないもの」
「……」
「ど、どう?信じてくれた?」
ロックは震えながら目の前の切っ先に両目を寄せる。
『…アリシア。そこまでだ』
俺はこれ以上の事は不毛だと感じてアリシアを諌める。
確かに、見るからにロックの見た目はほぼ無傷だ…
『…彼女はそこまでの事ができる人間じゃないと思う。きっと魔業商ならもっと手の込んだ事をするし、スフィリタスが来るまでの時間稼ぎをする筈だ。だが今はそれが無い…それでいいじゃねぇか。』
「……わかった」
アリシアは瞑目して魔剣をしまう。
「あ、あ…ありがとうね。ふぅ~心臓に来るなぁ、怖かったなぁ」
ジジ―
「ッッ!?」
ロック背後から稲妻の槍がひと振り、飛んでくる。
それをロックは「ひぃ」と躱した。
「な…なにをっ!?」
いや、正確には俺が当たらないギリギリのところを狙って放った。
『…いや、“ネズミ”だ。』
俺とアリシアは雷槍の衝突した床の焦げ跡を眺める。
『…綺麗に管理されてる道だと思ったんだがな。いやはや一匹ぐらいは居るみたいだ』
アリシアは俺に目配せをしてため息をつく。
「はいはい、わかりました。パパは本当に潔癖症だってことがね」
「な、なんだよもー。君らと一緒にいてもこれじゃあ寿命が幾つあっても足りない」
『悪かったよ。もうしねえさ。“ネズミ”が出てこなけりゃな』
「そう、そりゃあ怖い話だよ。ネズミさんがもうこれ以上出てこない事を祈るよ―」
その一言に一瞬。ロックの表情に違和感を感じた。
似ている。
なんともチグハグで、恐れている感情を顔に貼り付けているが、眼がマリアの虎視眈々としているそれと同じだった。
「で、これからどうするの?君たちがそっち側から来たって事はもうここは完全にハズレって事でいいのかな?」
『いや、城から出られはするぞ。化物が来ない保証は無いがな』
「はぁ、それなら一緒にいるのが正解と見たよ。おいで、ある程度の城の道は解る。君たちはここの城の中に用があるんだろ?」
『…ああ』
大きく話がそれてしまった。
一度戻そう。
『結局、ロックは逃げているうちにはこの城内で誰にも遭遇しなかったのか?』
「まぁ、そうなるねぇ。変な話、人の気配はしていた。だけど僕が逃げている道にはだれひとりとして人が居なかったんだ」
となると、無人では無いが城内の管理をする人間こそまず居ないわけか。
衛兵すらも居ないとなると、ここは丸々城というよりは完全に大きな誰かの家の中に等しい。
裏口からこの螺旋階段までロックに案内され、中央の吹き抜けをアリシアと見下ろす。
上を見上げると奥の奥…一番上の部分が天井になっている。
あそこがロックの言っていた逃げた場所か…ん?
ドン、ドンと上から叩くような衝撃と揺れ。
共にミシミシと天井に大きなヒビが這う。
「ねぇパパ…あれ、ヤバくない?」
「いや、やばいでしょ!!絶対に“アイツ”だよ!!」
『アイツ?』
どんどんと揺れが大きくなってく。
「ほら!言っただろ!あの頭がイカれた奴!顔を赤らめて“我が主”って連呼する変態だ!!」
『いや、顔を赤らめてるって情報は初耳だが―!?』
ドギャン
天井がそんな謎の轟音を響かせると瓦礫を降らして崩れていった。
「く…くるぞ!?あぶない!」
俺たちは急いで降り注ぐ瓦礫らに巻き込まれないように、壁側にへばりついて状況を見守る。
『なんだ、なんだってんだ!?』
「フンハハハハハハ
ハハハハハ
ハハハハハ
ハハハハハ
ハハハハハ
ハハハハハ
ハハハハハハ
ハハハハ
ハハハハ
ハハ
ハハ
ハハ
ハハ
ハ……
ワガアルジィ~」
突如目の前の吹き抜けから瓦礫と共に落下しながら通り過ぎていた二つの“影”。
一瞬すぎてそれが何かは解らなかったが、たしかにそう聞こえた。
『ロッ、ロック…』
「そう、あれ…あれだよ」
『たしかにヤベぇやつだな』
「だろ!?だろぉ!!」
「でもパパ。あの声、何か聞き覚えのある声…ウッ頭がっ」
『大丈夫か?!アリシア』
「え、ええ…なんか嫌なことを思い出しそうだったけど…忘れる事にしたわ」
俺たちはそのまま静かになった吹き抜けの底を暫く戦々恐々としながら見下ろしていた。