堕天使の見る夢
天とは随分と退屈なものだった。
あの場所にいる連中は誰もかれもが、言葉を交わさない。
神が創ったこの世界を見下ろし、今までに観測した記録を抽出し出た予測の結論と観測している事象を照らし合わせる。
違いを見つけてはそこの善悪を記録する。
それが当たり前だという様に、それが与えられた使命だと言うように。
ここでは姿も形も無い。無いからこそ、他が皆、一緒のものだと感じた。違和感さえもなかった。
違うのは、役割だけだった。
私の役割はミカイルと並び特異点の観測であった。
この世界での特異点は様々ではあるが、主たるものは女神アズィーが生み出した人への罰の象徴、古の渦…その情報の観測だった。
最初は自身が管理する末端の天使らに観測をさせて情報の収集をしていた。
だが、その観測から私の全てが変わってしまっていた。
観測した天使らはみな多くの異常性を抱えていた。
天使には元々感情が無い。
そんな無機物に近い我々(てんし)の中で唯一、私の管理していた天使らが多くの感情を持ち帰っていた。
いや、刻まれたといってもいい。
天使にとって普遍である事こそが絶対。感情には観測への偏りが過ぎてしまう。
それは観測者としての最大の欠点であり、処分対象の理由の一つであった。
そう、感情は天使にとって毒なのだ。
だから私はそんな天使らを抹消し、新しい観測者を送り込み、感情が抱いたなら抹消し、再び観測者を送る。
その繰り返しであった。
だが、私は少しずつ自分の中で何かが違うと感じた。
消される前の天使が、泣きながら自身を抱きこう言っていた。
「―私にとってこの場所で居た今までの全てが無駄な事だった…」
私はその天使を抹消する事を一瞬躊躇っていた。
自身が異常だと知れば自から報告しシェア。そして自身の抹消を希望してきた事が当たり前の天使が
古の渦の観測をしただけで、それを覆すような言葉を持ってくる。
何度も命乞いをして泣きながら消されていく天使を見てきた。
何度も反発して憤りながら消されていく天使を見てきた。
私は耳の奥に張り付いた言葉を思い出す。
無駄…
無駄…?
無駄だと? ふざけるな!
「貴様らが過ごしてきたその全てが無駄だというのならば、同じく天に務める私は…」
無駄だとでも言うのか?
否、意思弱き脆弱な天使共が。それは所詮戯言だ。
私は少しずつこの不快な事象に憤りを感じ始めた。
ならば見せてみろ。
この世界の異常性の塊であるその古の渦…それがどれ程のものなのかっ
気付けば私は興味と高揚感を抱いていた。
あの場所では魔物がうじゃうじゃとおり、神の紛い物さえも生まれていると聞く。
私は節制の剣テンパランスを用いて、観測先へと赴いた。
…魔力濃度が濃い
―その場所は、漂う空気でさえも世界を上書きしうる可能性を秘めた潜在的魔力を秘めていた。
これは確かにあまりにも毒気が強い。湧き上がる懸念と同時に
私は未知なる体験に興奮を抑えきれなかった。
異様な魔物の姿。
あれは一体どのような感情によって生まれ形を成したのだろうか?
非効率的、しかしどこ愛着が湧く造形。
意味の無い事と知りながら足掻く執念。
連なった末に辿る末路の集合体。
どれもこれもが魔物と呼ばれながら、私には全てにおいて既視感があった。
ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒト
喪失が、後悔が、絶望が、渇望が、悪意が、殺意が、その全てが野性に委ねられていく。
あまりにも色が鮮やかだった。
嫌悪感を抱きつつもそれを受け入れる自身が愛おしくたまらない。
ああ、こんなもの…あの場所には無い。
あの場所にとって確かにこれは毒でしかない。
だが…だが、それ勝るほどの甘美な夢想がここにあった。
「素晴らしい、素晴らしい…ああ、あああああああっ」
塗りつぶされていく。
自分の常識が塗りつぶされていく。
女神が人に与えた罰というものがこんなにも悍ましいものだなんて。
こんなにも愛おしいだなんて。
気付けば私はいつまでも魅了され、いつまでもこの場所にいた。
天には自信が異常性が無いという嘘を発信した。それほどまでこの場所での得られるもの全てが新鮮だった。
―ああ、女神よ。
次第に私はそれを生み出した偉大な主を崇めた。否、愛した…
愛する程に、その女神の事を知りたかった。否、もっとその先…彼女の意思を塗り替えたかった。
私だけの心を共有したい、たまらなく共有したい!
人の信仰が神に力を与えている事実が妬ましかった。
私の全てを与えたい欲求
「女神はきっと、常に人の慰み者となっているに違いない…ああ、なんて可哀想なっ…ああっ、許せぬ…愚かな人間共…」
快楽感情と欲望が溢れる
そして、見つけた
私を“私”として在る為の出会いを。
そいつは大きな熱を帯びた岩石だった。
―…来い。来い…
岩石は私にそう呼びかけていた。
それは今までに無いほどに濃縮された魔を漏らしながら、“なにか”を誘っていた。
そして、なぜがその魔から来る感情には私と同じ感情を感じた。
それは恋…病に等しいほどの恋慕であった。
その感情は私にあった「そうであろうもの」が「そうであった」と確信させる喜びがあった。
「ああ、素晴らしい…これが…」
孤独を失うほどに私は惹かれていく、導かれていく。
内側でマグマのような血脈が胎動している。
―さぁ、共に「征こう」
私は寄り添い、その熱を飲み込む…飲み込むほどにこの世界と一体化するほどの感覚を持ち合わせてしまう。
ああ、私は変わった。変わってしまった。
だがそれで良い。
そうだ。私には使命がある。この命をもって天に赴く。赴かねば。
だが、私を天が受け入れる事は無かった。
疫病が訪れたかのように全ての天使が離れていく。
「ルシフェル…それはなんだ?」
「私を神に合わせろミカイル」
「目的は何だ?」
「決まっている。私のこの全てを受け入れてもらう。そしてその神の全てを私が受け入れる!」
「…堕ちたか。」
「何?」
「お前は既に天使では無い。もはやその姿さえも変わり果てているではないか」
「馬鹿めが。貴様らが普遍でいるからこそ!神はあの場所で孤独なのだ!常に人の慰み者とされ、貶められる!私には私を生み出した感謝を、神に示さなければならない。」
「その考えの全てが最早天使という枠として破綻しているのだ。愚かな人、それ以下の畜生以下に頭をつけたのが貴様のそれだ」
「何をっ…がっ!?」
私はミカイルを前に奴の存在が遠のくのを感じた。いや、落下している?
「帰れ、貴様の居場所はここでは無い―‥‥堕ちながら、ここに来るに至る道筋を眺めてみろ」
周囲を見回す。
そこら中に破壊された天使の姿があった。
だが、それは仕方の無い事だ。普遍なる天使が力を受け入れられなかっただけにすぎない。
脆弱な存在そのものだ。なのに何故―…
「何故だ!何故私を受け入れない!愚かな者どもがっ!」
「お前の存在は危険すぎる。人の観測さえも脅かす。そのまま魔界へと還るが良い。魔神」
私は憎んだ。
この世界で天使が普遍である基準の全てがヒトなのだ。
それに跪くような愚かな天使どもを
その事すらも解らずのうのうと息を吐き生きているだけの人を
憎んだ。
そうだ、己の全てを奪ったのは人、人なのだ…
「残念だ。ルシフェル」
「がぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
許さん…許さんぞ人間…!
このような事あってはならない!
ならば!全てを焦土と化してでも!!私は神の膝元にたどり着こうでは無いか!!
この身を山とし!焔とし!
絶望という権化に成り代わり!!全てを焼きつくしてくれる!!!!




