幕間:運命を愛した竜の泡沫
「大いなる実りは導の奏を叩き鳴らし、千年の産声を吸う、血を逆上せながら狩る絡繰の煉獄は添えられた三石の贖いと天明の冥―…
大きな黒が世界を覆う。
それは丸く、今でも呪詛のように意味のわからない言葉を吐き出している。
その周囲では理解に及ばない事象、大きな歯車が顕れ、ギチギチを悲鳴を上げるように回っている。
災禍の海は大きく荒れ、古の渦が逆流し、渦の塔としてその大きな黒き球体に触れようとしている…いや、吸い込んでいるようにも見えた。
全てが灰色だ。どんなに大きく目を見開いても疎ましく思うほどの魔力が今はこの世界に無い。それら全てもあの球体に食われた。
私は多くを誤ってしまった。
私は全ての罪を背負って生きてしまった。
私は、運命を愛してしまったばかりに、“多くの同胞”を殺してしまった。
その末路がこれだ―
「あら、もう十分満足したのかしら?」
何処で間違えたのだろう。
何処で狂ってしまったのだろうか。
もう、この世界は私の愛した運命によって、示した運命によって
間もなく終を迎える。
一人のヤクシャによって首根を掴まれながら、私は手に持つ一冊の本を手放す。
それはハタリと虚しい音を立てて、向かいの彼…輪廻の竜の背後から迫る突風によってパラパラと頁を何枚もめくり始める。
「運命は巡り、この結末に至った。アナタ、何度も何度も繰り返しひどい事をしていたけれども…今までの中で一番ひどい有様だったわ」
「…っ。こんな事になるなんて…」
「あー、それ。もう、聞き飽きてるの。アナタが思う以上に聞き飽きているのよ。“リンドヴルム”」
彼の言葉には違和感があった。唯一の咎人として在る私を呼ぶその名が、あまりにも軽い。
否、軽いというよりはあまりにも慣れていた。
「その本、どうやって手に入れたのか、誰にこの未来を指し示されたのか…もう、今となってはどうでもいいの。もうこの世界は間もなく終わりを迎えてしまうのだけは事実なのだから。」
「わた…私はただ…」
「この本に従って未来を紡いだと?…それは本当に、アナタの意志なのかしら?」
「あ、あなたに…何が解る!?ウロボロス!!」
「解るわ、だって私。アナタ以上にアナタの事識っちゃったんだもの―」
…彼のいっている言葉が全く理解できないでいる。何を知ったつもりでいるのだろうか?私の何を…私がどんな思いで
「リンドヴルム。運命に魅入られし知恵持ちの竜。目に多くの魔力を読み取る力を持ち、風の加護をもつ。西大陸から逃げ伸びた竜の一族の一人、東亜では父にも母にも見捨てられ、帝国領で死ぬ運命に会いながらもそこで育ての親となるニーズヘッグと出会う。そして、彼の元で育てられた後に、あろう事か虐げられてきた帝国領の人間らを救う偉業をなし得る。そして、極界にて女神アズィーへの祝福を賜り、知恵持ちの竜となる。後に帝国軍の軍師として人間を守る守護竜として名声を頂く。しかし、竜という素性を隠してきた事が仇となって、竜と知れ渡った瞬間に人間から疎まれてしまう事となる。後に、竜の住まう島、ラース・フロウにて隠居していたが、魔剣の監視者としての任を与えられ。ハーシェル家の離れの小屋で新たな隠居生活を始める。好きなものは恋愛小説、嫌いなものは養父。友人にはアリア・ハーシェルと帝国軍で知り合ったガーネット・マイヤーがいる。恋愛には奥手、大食い。人間体のバストは88、思い人は――…」
「やめてっ!!やめてくれ!!」
「あら、ちょっと意地悪だったかしら?」
私は既に咎人だ。この男に返す言葉もない。だからこそ、彼の言葉があまりにも苦しい。悔しい。
まるで私に唾を吐くように言う。
「―あなたが犯した罪は3つ。一つは魔業商と結託してニーズヘッグを依代にジャバウォックを生み出した。」
ああ、そうだ。あの魔王竜の思想は危険すぎる。だからこそ、魔業商にあの竜を差し出す必要があった。アノ本にはそのように描かれていた。
「もう一つはアリア・ハーシェルの意図を読み取る事が出来なかった。」
わからない…アリアの気持ちが何故関わっているのだ?彼女が…一体私の罪と何が関係しているのだ?だって、彼女は既に殺されてしまった。
彼女はすでに死んでいる。
「もう一つは、100万回傍観していても、アナタにはなーんの意志も無かった。」
わからない…わからない…わからない…100万回?…この男は何を…
「だからねぇ。アタシ、もう限界来ちゃった。この世界を維持する為の門番として、傍観者としての誓約に徹しながらも、あなたのその運命の奴隷としての陰鬱な行為の全てが、とてもとても気に入らなかった。」
「私が…一体…何をしたというのだ…こんなにも…人を…愛していたのに…」
―涙が止まらない。
私は人の笑顔が好きだった。人の営みが好きだった。人の描く物語が好きだった。たとえどんなに疎まれようとも、いずれ報われると信じる物語が、それを信じるための物語を生み出した人間が大好きだった。なのに…どうして…どうして
なんでここにはもう人がいないの?私には…もう居場所がないの?…どうして?
あまりに哀れな様だ。そんなものを晒してしまったからだろうか?ウロボロスは大きくため息をつく。
「これからアナタには罰を与えるわ。この先、きっとあなたは自分の運命を見失う事となるでしょう。そして、この場で私が関わってしまった以上…もう二度と私は世界を“戻す”事が出来ない。」
その瞬間のウロボロスの顔はきっと未来永劫忘れる事はないだろう。あまりにも鋭い目つきで睨む顔。それに連なって強く私の首を締め付ける手…。
「いい、今の私から言える言葉はこれで最後よ…アナタはあなたの意志を持ちなさい。その責任を全うしなさい。そして、アリア・ハーシェルには片時も目を離さない事ね。」
「なにを…言って」
「じゃあね。リンドヴルム。次に会うときは、アタシたち、もっと仲良くなれたらいいわね。」
「ウ、ロボロ…ス」
「運命はきっと、従うものじゃない。手繰り寄せるモノよ…今のアタシみたいにね。」
―『竜眼解放』。時空間への魔力侵食度90%に到達、99、100…リバース・エイドによる世界の書き換えを承認。座標をXX日前に指定します。観測者の権利をリンドヴルムに譲渡。
「ごめんなさいね。アズィー、私ってあんたと違ってどうやら堪え性が無いみたい。でも、賭けるわ…もう一つの可能性に」
私とリンドヴルムの間で全ての空間を飲み込むように数多もの魔法陣が生み出される。
「これは、アルス・マグナ…!?ウロボロス!!ウロボロス!!!」
彼の最後の笑顔を見たその瞬間、私以外の全てが真っ黒になり、落下するような感覚。
私はどこまでも堕ちて…堕ちていく…その最中で、ふと不思議な気持ちになってしまう。
もしかしたら、あの結末は夢なのかもしれない、と。
―そう、瞼を閉じれば…きっとこんな悪夢からも簡単に覚めてしまえる。ああ、そうだ…そうなんだ…
「ウロボロス。まさか貴方が、観測者では無く、当事者になるなんて。面白いわね。そんなに、運命に勝ちたかったのかしら?」
眠りにつく最中、ひとりの少女の声が私には聞こえた。