110:多くを語るオウムのような狼の男
ようやく静けさを取り戻した車両。
だが、俺のマテリアルチェンジで作り替えたものだからとはいえ、どうも風通しの良すぎる。
「ふ…うっ」
「リアナさんっ」
リアナがフラと膝をつき、それをネルケが急いで駆け寄って側に寄り添う。
「リアナさん。…あなたの風精霊術のお陰で感謝こそすれ、それはあなたへの負担も大きいのですよ…こんな事言えたものでは無いですが、どうかご自愛ください。あなたはもう少しで全てを風精霊に攫われるところだったのですから」
『風精霊に攫われるって…どういう事だよ』
「精霊魔術は契約した精霊に自身の魔力を捧げる事で通常の魔術よりもより一層の魔力を精霊から与えられ行使する力です。
ですが、デメリットもあります。精霊と契約できるという事は精霊との融和性が高いという事…つまりは術者は精霊に気に入られているのです。その為、自身の所持している魔力より必要以上の力を要求する事で自身の肉体そのものを魔力に変えられてしまう事があります。風の精霊であれば風に、炎であれば炎に水であれば水へと、自身の肉体を足りない分還元されてしまうのです。それを精霊術師の間では“攫われる”と言われています。」
「別に、そこまで大して使うつもりは無かったんだけどね…どうやらあの男、私以上に風精霊を支配していたみたい。払わされる代償が思う以上に大きかったのだもの。私の風魔術の攻撃を受けていとも容易く帰ってきたのもそのせい」
精霊術のデメリット…こいつはそんな重い誓約の中で精霊にその身を攫われかけるのを承知のうえで魔力を使ったのか。
『リアナ、ありがとうな。けどお前こそ無茶しすぎだ…お前自身がどうにかなるなんて、俺たちは望んでいないんだ。』
「返す言葉もないわね。心配掛けるわね、でも大丈夫…ジロ、アリシア…大丈夫よ…少し休めば」
リアナはゆっくりと目を閉じる。
「ったく、無茶しやがって。おいデカイの、リアナを隣の車両まで運べるか?」
「ああ?俺がお前の命令を聞くとでも?あと、デカイのってなんだお前」
クリカラがガーネットの要求に対して睨みつけてつばを吐くように返す。
しかし、すぐに俺の方へと視線を向けて一瞥すると
「…―まぁ、うちの主人はやれというだろうからな。いいだろう」
クリカラはすぐにリアナを抱き抱えて隣の車両へと運ぶ。
本当に、ものわかりの良い奴で助かるよ。
「おばあちゃん。大丈夫?」
「ああ、心配をかけてすまないな、アリシア。だが、私も大丈夫だ」
とはいうものの、マリアの背中は結構なくらいに丸焦げだった。いや、服がな。
綺麗に丸く焼かれていて、排撃の魔術陣の背中がむき出しになっている。
『…ヘイゼル』
「どうしたの?」
『隣の車両ならまだ無事だろうよ。脇にあるカーテンを適当に持ってきてもらいたい』
「わかった」
ヘイゼルは言われるがまま、隣の車両からカーテンを持ってくる。
「こんなの持ってきてどうするの?パパ」
『ああ、まぁ適当にそこに俺を刺してくれ』
俺がマリアを一瞥して言った事に気づいたのか
「…ああ、そういう事か」
アリシアは納得するように言い、俺の刀身をカーテンへと刺す。
そして、イメージしろ。
彼女の背中を覆える物をカーテンから創り変えるんだ。
魔剣が刺さったカーテンはジリジリとその姿を歪ませてたちまちローブに早変わりする。
「すごい、ジロさんの魔剣としての能力の仕組みは全くわかりませんが、物をつくりかえるなんて事はそう簡単には出来ませんよ」
ネルケが目を見開いて関心している。
『まぁ、これぐらいだよ。俺の特権は…ほれマリア。しばらくはそれでも羽織っていろよ』
長い髪の毛で背中がいくら隠れているからとはいえ、流石に何時までもそのままにはしとく訳にはいかない。一応女性ではあるしな。
「ム…そ、そうか。すまない」
やけに素直に受け入れるマリア。
一応だが、「そんなものは必要ない!私に構うな!!」ぐらいは言われるのかと覚悟はしていた。
「おう、ご主人。隣の車両へあの娘を運ぶついでに奥の先頭車両まで見に行ったぞ。どうやら魔導機関で自動に向かっているようだ。人の手では動かされていないから、あと特に無ければエレオスまで到着を待つだけだ。」
『そうか、ありがとうクリカラ』
「それに、こんな風に殴られるような場所じゃあ夜は寒いだろ。お前らも隣の車両へ入ったらどうだ?おしゃべりはそれからでも構わないだろ」
クリカラの言うとおりだ。折角の気遣いだ。俺たちは隣の車両へと移動し各々が椅子に座る。
「―そういえば、あっちはどうなっているんだ?」
ガーネットはふと振り返り清音達がいるであろう車両側へと目を向けた。
「―お?」
奥から三つの人影がこちらに向かってくる。
覆うもの全部が無くなり、おっぴろげて連なり走る列車の上を桃色の髪をなびかせながら清音が何かを片手に担いでいる。
「おお、間の車両がとんでもねえ事になってたけど、あんたら無事だったのか?」
「よかった。あの男相手に…倒したとは言えなさそうですが上手く退けた様子のようだ」
ルドルフは皆の表情を伺うに全てを察する。
『まぁな。どうにかはなったさ。まさかアンジェラの改良したヘルヘイムがこんなにもクラウスの能力に刺さっちまうとはな』
能力…ヌギルといったか?
あいつの他者の心臓から魔力と魔術を精製する能力。あれはあまりにも危険すぎる。
自身の知り得る魔術技巧を駆使する為に必要なリソースを、代償として全て他者に払わせる力。
まるでこの世界に生きる全ての命を自身の為だと信じて疑わない思考。まさにあいつこそ紛れもない怪物だ。
このままあいつの能力の全容がわからないままでは、きっとこれからもあいつは戦う度に、否
“何か”をする度に生きているかどうかも解らない誰かの心臓を屠り続ける。その心臓が今も生きている人のものであるならなおさらタチが悪い。
『アルメン。あいつの能力について警戒していたな。あの“ヌギル”ってのは一体なんなんだ?魔神の類なのか?』
俺の質問に鎖状態から小さな犬の状態に変化してアルメンは答える。
「あれは魔神でも無く、天使でもなく、ましてや神なんかでも無い存在です。けれども性質上は、神に近しいものだと言えるでしょう。」
『あれが神に等しいものだと?』
「なぜ魔神が神を冠する名で呼ばれているか考えた事がありますか?あれは堕ちた信仰、即ち自己の中に生まれてしまったこの世界の神とは違う信仰が単独で自律してしまった魔力そのものなのです。そしてそれを女神アズィーが人への罰として受け入れ、像をもったもの。ようは女神自身が対比の象徴として生み出した禍属性の精霊そのものなのです。故にそれは魔神と呼ばれていました。けれどもあれは違う。女神の罰とも言える寵愛を持つことも無く、自身の中の魔力の全てを捨て去る事で呼ばれ生まれた存在。女神の信仰に帰依する事なく、その法則から外れた存在。信仰ではなく、己の名実、思考、思想のみを世界そのものとする、棄教と軽侮の象徴。外法の怪物“ゲレティゴ”と呼ばれてます。あのヌギルと呼ばれた存在もあのクラウス自身の棄教の象徴ともいえます。」
『そうか、だからお前はあいつ自身には魔力が無いと言っていたのか。』
「あのヌギルという存在はクラウスとのそういった思想誓約によって生まれた怪物です。自身の魔力を捨て去る代わりに“他者の持ち得るモノ”を利用できる術を得たというわけです。条件はあるでしょうが」
そうなれば、あれと再び戦う事になればヌギルそのものをどうにかするのが重要となるわけだ。
『それにしてもお前はよくそんな事まで知っているな。この世界の仕組み、全容としての有識者に等しいもんだ。マナ・フラタってもんは案外勉強家だったりするのか?』
「え、ええ…まぁ」
「……」
「どっこいせっと」
清音がのっそりと目の前に担いでたものを転がす。
「あれ、パパ こいつって」
『ああ、うまい事捕まえる事が出来たみてーだな。』
それは顔を腫らして動かない男、魔業商のひとりであるゼタだった。
両腕を小さな魔法の結界によって縛られている
随分な一撃をもらったようで、いまだに動くことも無く伸びている。
それをメイが跨ぐと、気絶しているであろうゼタの顔に何度も何度も平手を打った。結構、容赦なく
『うわぁ』
数回のペチンペチンペチンという響きに暫くしてゼタは「う、うぇ」と青痣をつくった目尻をゆっくりと震わせ
その目を開く。
「あ、おはようございます。飯の時間ですか?」
「すっとぼけんな。このすっとこどっこい。」
「おー…怖いこわい。今時の獣人族ってのはこうも“同族”に容赦ないもんなんですかねぇ」
「同族?ぬかせ。いくらテメェが私と同じ同族だったとしても同胞なんて思った事は一度もねぇよ。やっちまってる事の枠がぶっ飛んでるんだよボケナス」
「…へぇ。気づいていたのか?俺が人狼族って」
「んなの匂いでわかる。特にてめぇのは希に見る“悪い方”の匂いだ。魔物に寄った考えが染み付いちまった奴らのな」
「そうかい、そうかい。んで、何から話せばいいんだ?列車の事か?エレオスについてか?それとも魔業商?なんならクラウスの大将の事でも話せるぜ?俺を生かしてくれるんならな」
こいつ、飄々と俺たちに命乞いをしている。
てめぇの身内の事を躊躇う事なくゲロしようとしていやがる。
「話が早くて助かるよ。なら先に教えてくれ。この刀…黎天〆は何処で手に入れたんだ?」
「ああ、それのコト?簡単さ。貰っんだよ。お前の“親父”からさぁ」
「―…なんで私の親父ってわかんだ?」
「え?アレアレアレ?そこは普通親父の事を聞かない?意外だなぁ。」
「そんなんで惑わされねえよ。テメェは私をみたときに見せた下品な表情がどんなもんかもっかい思い返して鏡みてからもっかいそれを言いな」
「クック、怖いねぇ。ま、いいけどさ。…お前は自分の親父が…サツキがどうなってんのかどこまで知ってる?」
ゼタが「サツキ」という言葉を口にした途端にメイは目を細める。
「業を抱えた獣人は人の姿を忘れてしまう呪いを掛けられている。」
「そうだ…サツキは既にもう人としての形を忘れた大狼だ。お前はもう知っているだろ?あいつはアレに魅入られた」
ゼタの言う『アレ』、それはつまりはメイが幼い頃に共に見たと言われる『天〆祓威』の事だろう。
「あいつの狂気は…俺の狂気を簡単に否定しちまいやがった。あいつは紛れもなく、怪物だよ。」
「どういう意味だ?」
「お前が言うように俺は外れた方の人狼だ。殺し、盗み、強姦、裏切り、嘯きも全て娯楽同様にやっていた。けれどあいつは違った。そんな俺の非道を単なる被りもんだと言ってのけるようにただただ黙って俺を見下した。今でも忘れねぇ。あの冷ややかな視線。獣の姿になりながらも畜生ではなく、人として、人故の外道としての在り方をその身で見せつけてくる。そうだなぁ、似た目をした奴が身近にいたよなぁ。そうだ、大将のような眼だった。全部が全部、自身の生み出す刀の糧でしかないって―」
「うるせぇ!そんな事を聞いてねぇ!!」
メイはゼタの言葉を遮るように彼の胸ぐらを掴む。
「親父は…親父は今、何処で何をしているんだよ!!」
「…んだよ。単なるファザコンかぶっっっ!」
ゴッと
メイが一発ゼタの顔に拳を入れる。
ゼタは舌打ちをして口に溜まった血を唾と一緒に吐き
「やめとけ、やめとけ。鍛冶師が拳痛めてまで殴る価値なんかねーぜw?」
「…っ!」
メイはゼタの挑発に歯をギリと食いしばって地面に叩きつける形で胸ぐらを掴んだ手を突き放す。
「少し、頭を冷やしてくる…」
メイは一度その場を離れて奥の椅子に深呼吸して座り俯く。
「あーあー。話終わっちゃったよ。こんなにも俺はお喋りなんだから、ちょっとぐらい付き合えばいいのによぉ。余裕なさすぎか?」
『随分と余計な事まで喋る奴なんだな』
「んー?ああ、この間ぶりじゃないの。“お嬢”がご執心になった魔剣様。」
こいつの俺を見る目。感覚的にだが、その目が薄汚く、意地汚く感じてしまう。
ああ、こいつはそういう風に人を見て生きてきたんだ、と思い知らされる目だ。
だが、こいつの事なんてのは今となってはどうでもいい。
俺は話を切り出す。とても、重要な内容だ。
『お前、お喋りなんだよな?俺もお喋りなんだ。なんせ剣になっても口が出るんだからよぉ。』
「はっ、面白い事いうねぇ。いいねぇ、アンタ。さっきから口よりも手がでるガキよかァいいよ」
『そりゃどうも。ところで、アンタはなんで魔業商なんかに組みしているんだ?』
「はは、そうさな。魔業商はさ、今じゃあ魔力、魔術関連のモノを手に入れる事に手段を選ばないテロリスト紛いの事をやっているけどさ、本来は魔の類に魅入られた連中が連なる場所なんだよ」
『魅入られた?』
「ああ、大抵は血筋や呪われし者、そんな感じで日の下をまとも歩いて生活の出来ない連中全てが寄せ集められた場所。あのガキが言うように俺も人狼の咎人だ。“魔力”との融和性が高い俺ら一族はその血の衝動に赴くままに生きてきた。そのせいで世間からは当然疎まれる存在さ。今でも思うぜ、弱い奴は死ぬ。死ぬ奴は弱いってな。だが、そんな俺らも人間にとっちゃあ生きていちゃあいけない存在に認定された。当然俺らの一族みな皆殺しの対象よ。結局、俺ら一族の生き残りは散り散りになった。ひとりひとりがひとりで血の衝動に従いながら生きていくしかない。そんな中で俺は拾われたのさ。他の連中もそうだ。みんな魔という“運命”に魅入られて生きてきた奴らばかりさ―」
「ふざけるな」
ルドルフが割って入るように重い声で言葉を挟む。
「まるで被害者のように言うではないか。それを打ち明ければ、お前たちはそれを赦されるものだと思っているのか?私の教会でした事を、忘れてないだろ…!あんなにも子供らを惨たらしくしておいて…よく言うっ!」
「…お前。そうか、知らなかったのか?今の今まで…?こりゃあ傑作だ」
ゼタは口角をあげて嘲笑う。
その態度にルドルフは拳を強く握り締めて前のめりになりそうなのをクリカラが抑える。
「おい、少し冷静になれ。こいつはまだ何か“知っている”」
こいつ、情動的なキャラしている癖にやたらこういうところは冷静なんだな。
「俺たちがアンタの教会に訪れた理由は二つある。まずはあんたの知ってる通り、魔眼『ネグァーティオ』。」
不動の魔神の魔眼か。ルドルフの記憶をたどった時に見た。魔業商はひとつを失っていて、ずっと探していたと。
「もう一つは、“吸血鬼”の回収だ。」
「っ!?…どういう事だ??」
「さっき言ったように、俺たち魔業商はそういった連中を集めている。仲間としてだろうが、素体としてだろうがな。…お前らのところに居ただろ?双子の兄妹が。その片方が吸血鬼の呪いに掛かってたんだよ」
「まさか、あの子たちが…?」
「その様子だと、どうやらアンタには黙ってたようだねぇ。そうさ、吸血鬼として拾われていたあいつが、あんたや教会の子供らに呪いをかけたせいで、俺たちは吸血鬼になったあんたらを始末せざる負えなかった、そういう事だぜ?」
偽―
「そんな、では…あの子たちが…」
ルドルフは頭を抱える。下に俯いて、思い当たる節を幾つも探しているのだろう。
「そうだ。俺たちは穏便に済ませようとしていたんだけどねぇ…その魔眼さえあれば俺らは何も―」
偽
偽
偽
偽
偽
偽
偽
偽
偽偽
偽
偽
偽
偽
偽
偽
偽
偽
偽
偽
『ルドルフ、まともに聞くな。そいつのいっている事の後半は嘘だ。』
「ジロ…?しかし」
『俺にはそれを見分ける能力を持っている。ここにいるみんなは常に真っ直ぐで正直だ。だから久しく見なかったが、やっぱりこういう奴を前にすると、こうなるんだな』
「…へぇ」
ゼタが眉をひそめて俺を見る。
『悪いが俺に嘘は通用しない。そういうもんを、俺は初代エルフ王から託されているんだよ』
「エルフ王?…まさか伝説のスタルラ王か??」
クリカラが食いつく。
「どおりで、そいつの匂いがチラつくわけだ。あの傲慢チキンが」
あ、知り合いだったの?
『…まぁ、なんにせよ。お前がいった後半の言葉はデマだ。どうせ最終的には皆、殺していたんだろ?』
「はいはい、どうやら本当の事しか言えないようだな。そうさ、嘘だよ。元々、あんたの豊富な魔力を抱えた肉体も欲しがっていたし、子供からも肉体の“ある一部”を回収しろとのお達しがあったのさ。」
『心臓か』
「ご名答。オーダーが二つ重なってたってわけ。」
『…ルドルフ、すまないがもう少し冷静でいてくれ。もし、難しいなら一度この場を離れてもいい』
「………………………すまない。あとを任せる。どうもこの場の空気は私にとって毒のようだ。」
ルドルフはゼタを侮蔑の目で見下ろす。
「私は少々、最後尾列の囚われた人たちが気になる。そちらの様子を見てこよう―」
『わかった。ありがとう』
「こちらこそ、すまなかった。ジロ」
ルドルフはそのまま最後尾の列車の方向へと歩きだし、この場を後にする。
『…話をもどそうか?お前ら魔業商がそんな連中を集めている?』
「元々魔業商は魔によって魅入られた連中、あるいはそれに連なる、由来するモノを世界中を駆け回って回収する事を主としてきた。魔業商が、そいつらにとっての居場所となるためにな。当初は人間とも折り合いをつける為に、金でそれを買い取ったりしていた。だからこそ魔の業に対して“商い”の名称を添え魔業商と名乗っていた。」
居場所…なるほど、人間として受け入れられなかった彼らがそこを居場所を作るために創られた施設、か。
「…だが、元は魔業商ってのは後に付けられた名で、元々は“人間”がそういう連中を管理していた実験施設の成れの果てなのさ」
『実験施設…?』
俺はその言葉にピクリと反応する。その単語はどうみてもきな臭い。魔業商というものの背景…踏み込む必要があるだろう。
「レメゲトンって魔神を知っているか?」
俺とマリアはその言葉を聞きハッとする。
その魔神はかつて古の渦から唐突に顕れ、王都エレオスを魔物らで蹂躙し、城内を天使降臨の実験場にしたと言われる存在。
しかし、魔神の大願は成就する事無く討伐隊によって無気力なまま葬られた。
そして、俺という魔剣を残した…諸悪の根源だ。
「王都エレオスは、昔から城内の最下層に大きな施設を作っていた。それが魔神研究施設だ。」
ああ、ここまで聞くだけで如何に人は愚かなものなのだろうかと滅入ってしまう。
魔導の研究に心血を注ぎ…
…まて。
『今お前はなんて言った?“『魔神』研究施設”?』
「そうだよ、あそこは古の渦を介して得られる情報から、『禍』という思想、魔力属性を見出し、魔神を呼び起こす実験を繰り返してきた場所さ。」
「なんて事を…まさか、この事を“議会”は知っていて隠蔽していたのか??」
「エニア・メギストスか…ああ、上手く仕上がったもんだよ。あんな事があったもんだから今ではすっかり魔神研究は冒険者ギルドに投げっぱなし。良くもまあいけしゃあしゃあと平和等と嘯いたもんだぜ。」
『なぜ、魔神を研究し始めたんだ』
「さぁな。興味本位だろ。ただ切っ掛けは、ある異端信仰による“外側”から神なる存在を召喚する儀式を知ってからだ。異端信仰の連中はどうも、女神アズィーの信仰ではなく、それら全てを管理、観測する神の存在を信仰していたらしい。そこにヒントを得たのだろうか、古の渦の研究者は渦へと赴く英雄インヴェイドから魔による神の存在を知り、古の渦が自分らの居る世界の模倣では無いのかと考えた。であるならば、先述じていた異端の儀式と同じ過程を応用して、魔神を召喚する事が出来ないのか?という思考にいたった。そして、見事それによって召喚された存在、第一号となる魔神こそが―」
『レメゲトン…』
「そうだ、召喚された当初のレメゲトンはまるで人の子供のような姿をしていて、言葉を介する事も出来ず、ただ暴れまわる魔物と変わりなかった。しかし、連中はめげずにそれを制御し無理矢理にでも知識を叩きこませた。それがあまりにも恐ろしい程の吸収力だったそうだ。幾度となくこの世界の知識を吸収させやがてレメゲトンは人と会話を成すにまで理性を得た。そして、奴もまた魔神の研究に加担したんだ。そして…」
ゼタは目を俺の方に合わせ
「お前が生まれた。魔剣:ゴエティア」
ゼタは語る。俺の元となった忌々しいこの魔剣、本来の名をゴエティア。
魔神レメゲトンが自身の中にある問題を解消する為に生み出したとされるもの。
その問題となるのが、数多の書物によって知識を身につけていくうえで
明確な人格を持たないレメゲトンは、その語り部、物語の登場人物の感情への理解に至る没入があまりにも異常なものであった。
そして、それを抱え込む事で自身の人格が蓄積した知識までも侵食し、曲解と崩壊を起こしかねないと危惧したレメゲトンは
自身の中のそれら全てを72の『人格』として分け、一つのマテリアルへと封じ込めた。
表に出た人格は常に役割として存在し、常に意識を維持させられ、それ故に自身の眠りを欲する。
眠りへと至るには魔剣に組み込まれ、与えられた役割…アルス・マグナの発動を全うする事。
一つの人格がそれを発動すれば次の人格が交代し顕れ、72の人格全てがそれを望みそれを繰り返す事で魔剣の呪いという逸話が生まれた。
それがこの魔剣の本来の正体であった。
『まさか、こんなところでこの魔剣の由来を知る事になるとはな。』
「あんたは…いや、これは純粋な質問だ。あんたはその72の人格のうちのひとつなんじゃないのか?」
『いや、俺はただの人間だ。』
「…あんたがそれを言うのは妙な話だがな。なら、ゴエティアとされる72の人格は何処へ行ったんだ?」
『わからない。』
「嘘を見抜く事が出来るからって、あんたが嘘をつない道理はないんじゃないか?」
「パパはパパだよ。その72の人格ってのはよくわからないけれど…それは本当だっていう確信が私にはある。」
アリシア…。
「アリシアの言うとおりさね。元々その、ゴエティアっつう魔剣の人格は魔力を蓄積させるための案内人に近しいものなのだろ?けど、お前さんが知っているように、こいつは魔力を異常なまでに蓄積させている。アルス・マグナなんてものがいつでも発動させれるくらいにはな。だが、それを進んでしようとものしないし、眠ろうともしない。」
「オーケー解った。眼帯の嬢ちゃんのいう事ももっともだ。…話をもどそうか。そうやってレメゲトンはゴエティアを生み出し、自身の蓄積した情報人格との対話を行った。そこで、奴はある疑問を研究員に申し出たんだ」
『疑問?』
「魔力の属性というものは全てが対を成している。今回、レメゲトンを召喚するにあたり使われたという古の渦の魔力、『禍』属性にも対を成す存在があるのでは無いかと。―奴らは今まで得た情報を元に最初に得たヒントから再びその解を見出した。それが『天』。それが禍と対を成す神域の属性だった。そして、その存在を知った途端からレメゲトンは突如として天という存在の虜となった。天、天使…女神アズィーの神話書物等をさらに集め、レメゲトンは女神アズィーとの対話を求めた。しかし、奴は秘匿された存在だ。当然、極界へ望む事も赦される存在ではなかった。だから奴は考えた。レメゲトンからすれば、女神に限られているわけでは無く、天への対話さえ出来ればいい。そう考えたレメゲトンは幾つもの神官を研究員に集めさせて、天使降臨の儀式を生み出そうとしていた。そしてその結果が、あの様だ。」
天使降臨の儀式。マリアの記憶を辿って見たあの凄惨な光景こそが、レメゲトンの知識欲が生み出した悲劇なのだろう。
俺たちはここまでに、エレオスという王都が抱えていた業に戦慄を感じざる負えなかった。
何故、人はこれほどまでに好奇心を生み出してしまうのか。人だけではない、知恵もつ者は何故
それほどまでにその叡智を求めたがるのか…誰しもが滅びを望んでいるわけではなかった。だが、結果として滅ぶにいたった。
そうであるならば、この叡智というものが何故、奇跡と呼ばれてしまったのだろう。裏を返せばそれは人の齎した業と何も変わりない。
事実として王都エレオスは滅んだ。人々の生み出した魔神、レメゲトンの止まらない知識欲によって。
「―スフィお嬢は、そのレメゲトンが天使と共に産み落とした最初で最後の子だ。」
「馬鹿な!天使の降臨は失敗に終わったでは無いか!どのようにして子を授かったというのだ!」
「―アリア・ハーシェル。執行人。あんたが一番良く知っているだろう?子を孕んだ人間の女に天使が堕とされ、生まれた天使の子。それはひとりだけでは無かったってだけの話だ。そして、面白い事に。エレオスの魔神研究員には魔神と人間の子を作る実験が並行して行われていた。さて、問題だ…例えばそのレメゲトンの子を孕んだ人間の身体に天使を堕とされたらどうなるか?」
『まさか、いや…だから、あいつは…天使と魔神の子』
「正解だ。あいつは、数奇な事にそうやって天使と魔神の血両方をもつ存在として生まれてしまったんだよ。それを、クロニス伯爵が見つけ、育てた。」
清音がゼタを囲う仲間を退けて前のめりになる。
「クロニス伯爵…!お前はやっぱりあいつと繋がってたんだな!どうして!!」
「あの人は少々特殊な思想の持ち主でねぇ。あの実験施設を魔業商して再燃させたのも、あの人が発端だ。」
『クロニス伯爵、そいつは何を望んでそんな事を…』
「言っただろ?俺たちは要は人間に爪弾きにされた存在だ。彼はそれを憂いていた。…いや、それは建前だな。あの人は魔に魅入られた者のその造形が大好きだったんだ。」
『なら、クロニス伯爵と賢者クラウスの関係は』
「関係ないね。大将は元々クロニス伯爵が死んだ後に現れた男だ。大将が、残された魔業商の連中らを活気づける為にお嬢を頭領に持ち上げて様々な計画を持ち出した。」
『様々な計画ね…。』
「その内のひとつが、ジャバウォックの誕生さ。そして、“誓約都市エレオス”としての本懐もそれを望んでいる。」
『本懐?誓約都市?滅んだ王国が何を望んでいたっていうんだよ』
「奴らが、古の渦にて魔神を求めた理由。その一つがエレオスの真の姿としての復活だ。」
「真の姿?」
「クラウスから聞いた話さ。本来、エレオスはもっと大きい国だった。それこそ隣接している国、全ての一族がその一つの王国として在ったのさ。けれどもそれがいつしか各々の小さな国へと袂を分かつ事となった。だが、王都エレオスに残された古の文献にはこう書かれていたのさ」
―いずれは気づく。
全てが同じような顔を持ち、
全てが同じような目を持ち、
全てが同じような魂を宿し、
、やがてそれは未来永劫に続く真のエレオスへと還る運命。
その道は災禍の中に生まれる神のみぞ識る。
「エレオスの当時の王はその為に古の渦の研究をしていた。そしてその意志を唯一の生き残りであるイヴフェミア姫が受け継いで、魔業商と大将と結託しているのさ」
『まて、お前らはジャバウォックの本質を知っているのだろう?だからこそ倫理感も吹っ飛ばして躍起になっている。その行動がエレオスの意志と何が関係しているっていうんだ?』
「さあな。あいつらの考えている事で推し量れる内容を申し訳ないが俺には持ち合わせていない。けど、ま、結局は全員まともじゃねえのさ。俺も含めてさ」
ジャバウォックの顕現
真のエレオス王国へと至る誓約。
魔神と天使の子…悔しいがゼタの言うことは間違っていない。こいつらはまともじゃない。まともじゃないから
きっと、倫理感を捨てた行為も平然とやってのける。
だからこそ解る。
そいつらが目指すものが、普通の人間がまともにいられる場所を作るワケが無い。
『ありがとうよ、色々と喋ってくれて。』
「満足か?んじゃあお題を払ってくれよ」
ゼタは自身を拘束する枷を見せびらかして解放を要求する。
『調子に乗るな。檻に入った狂犬をまともに放つわけがないだろ』
「ごもっともですなぁ。」
『…もうひとつ聞きたい。』
「なんだい?今の俺は狂犬じゃなくてベラベラと喋るオウムだぜ?」
自分で言うか。
『―お前は何処で、アリシアの…いや、アリア・ハーシェルの居所の情報を手に入れたんだ?』
「……ああ?お前、なんでその事を知ってんの?」
『いいから答えろ。』
「……………………。」
『どうした、答えると都合が悪いのか?自分の命が惜しいんだろ?』
「パパ、なんか悪人みたい」
『え、いや…そういうつもりじゃ。う、コホン。命が惜しいと舌を回した奴が急に舌を止めるなんてな。』
「いや、すまねぇ。それだけは言えねえ。言わねえんじゃねえ。“言えねえ”んだ。」
『どういうことだ?』
そう質問する俺の前でゼタは顔を俯き、身体を小刻みに震わせている。
「命が惜しいさ。ああ、惜しいから言う事ができねえんだ。無理にでも言ったら、多分俺は死ぬ―」
プリテンダーの能力が反応しない。どうやらこいつは事実をいっているのは違いない。
だが…命にまでかかわる秘密をこいつは知っているという事になる。
この怯えよう。本当に死にたくは無いのだろう。そして、何か死に連なるトリガーを言い放ってしまうものなら…こいつは
『そうか、答えられないのか。』
「―オーゲルティシュタニア、ルルドカモデウヌキス、オウグトニエステ」
『あ…?なんて?』
「これが俺に応えられる精一杯の回答だ。これ以上は無理だ」
こいつもオーリー言語を知っているのか?
しかし、これが何を意味するかは解らない。
―だが、辿るヒントはありそうだ。俺はこの世界の言語は知らない、知らないがこれに似た事象をついさっき見知った。
『…古代オーリー言語か?』
「…」
ゼタは答えない。
『ネルケ…すまないが』
「は、はい。これは古代オーリー言語で違いありません。…ですが、不思議なんです。」
『何がだ?』
「この言葉…どうにも詩的というか、なぞなぞ?みたいな言葉なんですよね」
『直訳でいい、言ってみてくれ。』
「え、えと。 飽くなき疑問、理解成し得ぬならば、頭のみ捧げよ」
うーんと頭を抱えながらネルケは懐から取り出したペンで卓上に書き記す。意外に遠慮ねえ
「ネルケ、もういい。主、ちょっとこっちに来てくれ。」
「そ、そんなー…」と落ち込むネルケを端目に置いて
クリカラはアリシアの肩に手を置いて皆が居るところより少し離れたところに俺たちを誘導する。
『どうした、クリカラ…急に。』
「ああ、すまないな。正直俺もどうしていいものか解らなくなった。主には抱えてしまう事かもしれないが、どうしても言うべきだと思った。」
『なんだよ急に』
「さっきのオーリー言語の直訳なんだがな、俺は昔に覚えがあるんだよ。古の言葉遊びさ。ネルケの言っていたなぞなぞの類だと言ってもいい」
『お前は解かったのか?』
「ああ…そうだな。偶然かもしれないが」
『それでもいい、教えてくれ。一体ないを知ったんだ?』
「ああ…」
クリカラは一度マリアを一瞥してこちらに視線を戻す。
「飽くなき疑問、理解成し得ぬならば、頭のみ捧げよ。これは昔流行ってた言葉遊びでな。ある文章と添えて置くのが基本なんだよ。」
『ある文章?』
「ああ、それは一見普通の文章なんだ。だが、その中にある真意を込めた内容は隠されていて、そのヒントに良くこれが使われていた。その法則が、文章の頭の縦列を読む方法だ」
なるほど。頭のみを捧げよ…文章の頭のみで読み取ればいいと言う事か。
「だが、このヒントに対して文章が無いと思っていた。けど、あったんだよ。」
『あった?』
「そのヒントの文章そのものにその法則を掛けてみればいいのさ」
オーゲルティシュタニア
ルルドカモデウヌキス
オウグトニエステ
『オ、ル、オ?』
「だが、これだけじゃあ足りない。ここから古代オーリー言語の音の訛りを現在の言葉に修正するんだよ。オはア、ルはリって感じにな」
―ア、リ、ア…?
………俺はそれを言葉に出すことができなかった。偶然であるならばそうであってほしい。
だっておかしいじゃないか、その名前は正しく、
アリシアの母の名前に瓜二つなのだから。