105:運命の名を借る王の願い
「ここまで貴様からは色々と話を聞いたが、それこそ信じ難い話でもあるのだが?」
―ふと、互いに沈黙していた中でマリアが口を開く。
ああ、たしかにそうだな。
プリテンダーのような能力がある俺意外のみんながそれを言葉だけで判断するならば彼の言う事を鵜呑みには出来ないものだ。
しかし、そう考えるならば本当にすごいものだ。
皆がみな、この能力に反応される事がないまま偽りなく俺たちと接している。
それだけ俺は恵まれているとも思えた。
「なら、どう証明する。疑うままならキリがないぞ」
「…ふむ」
「まってください!!」
そこで唐突にネルケが声をあげた。
「ニーズヘッグのおじさまは確かにこんな正確ではありますが!おじさまはそこまで器用に嘘をつける人じゃありません!
力はあっても、お父様との言い合いでも勝てないくらいには不器用な考えの方なんです!」
「ちょっとまて。ネルケ、もう俺はその名ではないし、それは庇っていってるつもりなのか??」
「おじさまは確かに弱い人間には人権が無いと弱者に対してはひどい事をしているのは確かです!でも、それでも小さかった私に対しては
優しくしてくれる事だってありました!お父様の代わりに時折色々な場所に連れてってくれたりも、寝ている時もなんか変な声で子守唄を歌ってくれた事もありました!!」
「まてって!ネルケ!それ以上はやめろ!!後半のはとくに!!」
「だが、ネルケ。それは贔屓というものだ。平等とは言わずも、すくなくとも人間の目線から見ればそいつは知恵持ちの竜でありながらかつては魔王竜などと言われた存在なのだぞ。」
「それは―…」
『すまない、二人共。落ち着いて聞いてくれ』
マリアとネルケの言い合いに俺はこれ以上ややこしくなる前に割って入る。
『たしかにクリカラの言う事が全て本当かどうかを知り得る術が今は無い。だが、信じてほしい。俺には彼が嘘をついていないと言う事だけは確かにわかる。』
「この竜ではなく、貴様を信じろと?」
『鵜呑みにはしなくてもいい、だが…今収められる話でも無い。だから…ここはひとまずこの話を置いて欲しい。』
「…私が聞きたい事はもうこれ以上無い。後は好きにしろ。だが、この話はこの依頼が終わってからはっきりとさせてはもらうぞ」
『ああ、それがいい。エインズに帰ってきた時にでも、当事者を含めてな』
リンドヴルム、そして“あいつ”からも
「―もう、お話は済みましたか?みなさま」
それは静かに聞こえてきた。
知らない人の声。
俺はその声の主の方向へと視線を向けると、その前にリアナが大きな声で返事をした。
「グロウリアス王!久しぶりね!」
「ああ、君も元気そうでなによりだ。…それで、今日の要件は…残念ながら、どうやら私の希望とは違うようだね」
ふふ、と笑う王。見た目は初老の男性で物腰は柔らかく
それでも豪華な服や装飾、それらを身につけたその姿には威厳が伺える。
それは絵本や漫画で見てきた王そのものに違いなかった。
「ごめんなさいね。私、“そういうの”はまだ早いって思ってるの」
「そうかい。小さな頃から君をこうやって口説き続けてもう40年にもなるが、まだまだ願いは叶いそうにないようだね」
「もう諦めなさいよ。一途になりすぎて後継も作ってないとか、王としてどうなのよ」
「そう言ってはいるものの、こうやって悪戯に顔を出してくれてしまうと諦めも簡単につけないのだよ。それに、もう後継は決めてある。
我が弟の忘れ形見である、甥のキュリオンが居る」
「生涯独身でいるつもり?やめなさいな」
「なら、今度こそ君が我が妻として来て欲しいものだ」
「堂々巡ね」
え…えと…察するに、王は
リアナに、惚れているって事でいいのかね?そうなんかね?
だから直ぐにでも俺たちをこの王城まで迎え入れてくれたって事?
「リアナ、知ってて自分をダシにして来たのね。ちょっとズルいわね」
アリシアが耳打ちしてくる。
返事は声に出さないが、俺は心の中で「うん」って答えた。
「マルクト王、それにリアナ。突然の再開で、募る話に花を咲かせてしまうのは致し方のない事ではあるが、今回は―」
ルドルフが二人の会話に割って入る。
「ああ、すまない。折角来て頂いたのに、大変失礼した。改めまして、私こそがマルクト王国の37代目国王、グロウリアス・ルファ・マルクトだ。君たちがリアナの友人であるならば、すでに私の友人には違いない。その証拠に、今は大臣はおろか騎士らもこの部屋には入れていない。茶を入れる使用人だけだ。」
「ありがとう、グロウリアス」
…いや、まて。アリシア。感謝するのは良い。
でも、王様なんだから呼び捨てはやめような?リアナは例外だし、王様が言っている友人ってのも社交辞令だからな?
「おや、とても可愛らしい娘さんだね。肝も座っている」
はい、僕の愛娘なんです。
「なんでドヤっとした顔しているの?パパ」
グロウリアスはアリシアの横で立て掛けられた「魔剣」を見つけ目を細める
「…随分と懐かしい匂いがするね。…これは、血の匂い…いや、強い魔力、はたまた、願いの匂いかな…いや―」
ゆっくりと、グロウリアス王は額を指ひとつでトントンとさせて「ふむ」と瞑目する。
「ああ、思い出した。それは、魔物狩りの“リューネス”の匂いじゃないか」
「リューネス…だと!?」
「どうして…それを?」
アリシアの目が大きく開かれる。その事実は有識者、当事者であっても解るはずがない。
何故なら、彼は一度闇によって侵食されたアリシアの魂を、アルスマグナによって上書きしたのだから
己の身を塵に変えてまで
「ああ、そうか。お嬢さん…通りで君は“似ている”。彼に―」
「待つのだ、グロウリアス王。説明をして頂きたい。どうして、この場にリューネスが居るなどと言えるのですか?」
「“などと?”違うよ、ミス・マリア。彼は居るんだ。正確には“リューネス”の魂の残滓というべきか…そこで警戒して黙している“彼”の魂の中でね」
王の語る“彼”が、自分である事はすぐにわかった。そうであるならば黙している必要もないであろう。
『…貴方には、何故それがわかるのですか?』
「ふむ、私の能力は魂の匂いを読み取る力でね。一度見た魂であれば覚えてしまう。どのように在り続けたのかもね。ああ、でもあまり公にはしないでくれ、鼻の利く王なんて、獣のようで格好がつかないからねぇ」
彼の言葉の尾を摘む気にはならなかった。いうや、余裕がなかった。
俺はリューネスという言葉だけで、自分の中にある隠れていた劣等感が覗かせてしまう
王グロウリアスの言う事が正しいのであれば、もし、そうであるのならば…
きっと皆が受け入れていた相手は俺なんかじゃなく‥それはきっと―
「ジロ、余計な事を考えるな。今は彼からの情報が先だ」
マリアの鋭い声は俺の後ろを叩くようだった。
『リューネスの残滓が、何故…俺の魂の内側で、有り続けようとしているのですか?』
「…ふむ。それに関してははっきりと解らない。だが二つ、確かなことがある。一つ目は彼、リューネスが望んで在るわけではないという事。」
『どういう事ですか?』
「魂の残滓と言うように、そこには明確な意志が無い。あるのは記憶と方向性だけだ。だから、彼が“居る”といえば嘘になるし本当にもなる。ただ君の中で揺蕩うだけだ」
『…もうひとつというのは?』
「君の中で少しずつそれが大きく成ってきている事だ――」
「それはっ、パパの…パパの魂が戻るって事なの!?」
「アリシア…」
少し前のめりになって声を大きくして王に聞くアリシア。
…―俺は少しばかり気まずそうに視線を下に向ける。
わかっている、いまこの瞬間にこの子が言っている“パパ”というのは決して俺の事では無い。
王に縋るように聞くアリシアの表情を俺は見る事を恐れてしまう。
なんてズルい男だ。アリシアには君こそが一番の娘とも言えない俺が
今のアリシアを見る事が出来ない。
「そこまでは解らない―…そうであれば君は、うれしいのかな?」
「っ」
アリシアはその王の質問にハッと我に返るように体を大きく引いた。
彼女は一度、こちらを見ようとして…それをすぐにやめた。
「―さて、こちらから話をずらしてしまって申し訳ない。本題は、その錫杖についてかな?」
『はい。これが何かはお解りですか?』
グロウリアスはゆっくりと近づき、顎に手を当てながらヘル=ヘイムの錫杖をまじまじと見る。
「―本当に驚きだよ。私の知る限りでは…神器ヘル=ヘイム。神から賜りし器、我がマルクト王国に秘められし神器と瓜二つだ…実に不思議な事に。ただ、どうやら本質的な部分が抜け落ちているみたいだ。それ以外は何一つ違いが無い。秘匿されていた神器をこれほどまでに模倣できるとはね。」
『それは…どうして秘匿を?』
「ふむ」、と瞑目する王は「着いてきてくれるかな?」と俺たちを王城の地下まで案内した。
―“俺たち”とは言ったが、ついてきたのは俺とアリシア。そしてマリアとクリカラの四人だけだった。
他は先ほどの部屋で待機している。
しかし、先ほどの事があったせいだろうか。アリシアには後ろめたさがあるのだろうか?
彼女は俺に対し、目を合わせようとしない。クリカラもマリアも先ほどのやりとりのせいで未だ互いに絆される空気にはなれない。
沈黙だけが寄り添い。俺たちは螺旋状に下る階段を各々でコツコツと足音を鳴らしながら都度、壁に添えられた灯りを頼りに足元を確認して降りる。
「ヘル=ヘイムの能力は知っているだろうか?集積された魔力をあるいは本質である情報、魂さえもをその内側に封印する力。」
『はい、その為には担い手である聖女の力も必要だという事も。』
「ははは、そうだね。だからこそ、“今いる君たち”で良かったとも思っている。」
『それは、何故?』
「もうひとりの黒装束の子、あれは差異のヤクシャだね?」
『っ!?』
「生贄として使われ続けた少女達の末路。死体にまで手を付けた魔導科学者のひとり、モーガン・ロートの最高失敗作。魔女に魅入られた光の怪物」
『グロウリアス王。あなたは何処まですべてを知っているんですか?』
「少なくとも君よりは知っているつもりだ。“異世界の意志”よ」
『―っ、異世界の意志…ですか』
「そのあまりにも緻密で精巧な魔力を携えるその魂はとてもこの世のモノとは思えない。女神信仰を主軸とするこの世界ではあまりにも異端がすぎる。女神の意図しない所に現れた君を呼ぶにはそう相応しい」
『そうですか、ですがその前に訂正頂きたい。俺は異世界の意志という肩書きがあったとしても、俺には慈郎という名前がある。叶うならばそちらで呼んでいただきたい。』
「―そうか。それは失礼した。ジロ…話を戻そうか」
彼はこちらを一瞥してそう言った。
…しばらく沈黙すると再びグロウリアス王は言葉を続ける。
「…遥か昔。かつては港沿いというだけで、大橋も存在しない、貿易国等とは程遠い小国だったマルクトではあったが、当時の西大陸の中では指折りで女神信仰が盛んな国であった。それも全ては、初代マルクト王が女神より賜った神器ヘル=ヘイム神話から紡がれた歴史によるものだ。その中には、今の我々からすれば到底受け入れ難い事実も存在した。その一つが“聖女”だ。」
「聖女…」
「ミス・マリア。君たちの時代では到底及ばない秘匿された歴史だよ。ヘル=ヘイムという神器は我々を外側の魔物から守護する為に存在していた。流石は神の御業といったところだろうか。その能力は規格外。魔物という存在を解放されたヘル=ヘイムによって圧縮し、魔力そのものへと還元させ封じる力。それは当時の幾つかの隣国ですら守る程の大規模な能力であった。…だが女神はそれに相応しい代償を用意していた――…」
たどり着いた先、そこには幾何学的な封印が施されていた大きな扉があった。
両脇の燭台の灯りがゆらゆらと揺れて、微かに見せる刻印の全てが俺たちに立ち入る事を許すかどうか、試すように厳格さを示していた。
『ここは―』
「開けてくれたまえ。」
王の言葉一つでそはゆっくりと地響きを鳴らしながら動き始める。
「秘匿された歴史とはいえ、言葉一つで開くとはあまりに無用心だな。グロウリアス王よ」
「それはただ、君が心配性だというお気持ちとして受け取っておくよ。ミス・マリア」
開かれた扉のムコウは、大きな聖堂になっていた。
真っ直ぐに敷かれた大きな道。そこを歩き続ける事しばらく、両脇には幾つもの女性の像が並んでいる事に気づく。
見て分かる。これは、祈りを捧げる少女の像だ。…それも、ひとりひとりが違う姿、違う表情、違う格好をしていた。
「神器ヘル=ヘイムを解放する代償は聖女の命。女神信仰の強かった我がマルクトは、当時のマルクト王であり、神からヘル=ヘイムを賜りし、担い手である…女王マルタ・ヴィレ・マルクトの遺言のもと、聖女という“仕組み”が生まれた。」
『仕組み?』
「女王マルタがユグドラシル教会で得た儀式のひとつだ。我々人間が本来神器を扱う等という事はまず不可能に近い。だからこそ、神格化された神の代行者、ひとりの少女を神の御使いとして祀り生まれた聖女を利用し、繰り返しその命を代償にマルクト国は幾年も魔物による被害を免れ、隣国を吸収にながら繁栄させた…全く忌むべき歴史さ」
「人を神格化など、有り得ない。そのような業が許されるものなのか?」
「当然、貧しい小国だからこそそれを可能としてきたのだと思うよ。よりよい幸せを願う為に必要な力なんてものは無く、ただただ祈るだけの国に奇跡が現れるのならば…その信仰は女神に接続され、祀られた少女は聖女となって神格化する。それが少女当人の意志に関係なくね。一層の奇跡を見せれば人は祈りを捧げ、聖女を祀る。…だが、女神は並ぶ神威を良しとはしなかった。それ故に、ヘル=ヘイムを解放する条件が聖女であり、代償がその命であった。」
そう…か。彼のいう事が本当なら、このマルクト国こそが、ヘイゼルの
22人の聖女らの犠牲になった場所。そして、彼女たちこそが、このマルクト王国を裏で繁栄へと紡いできた。
『だが、それを知ったところで…どうする事も出来ない。悲しい話だ。ヘイゼルがこの場にいなかった事は本当に良かったと思っているよ。グロウリアス王。』
「ヘイゼル…。そうか。22人目の聖女の名をここで再び聞くことになるとはね。」
『当時のあの子はその名すらも自分のものなのか理解していなかった。』
「…歴史の闇。それこそがヤクシャの担う厄か。本当に悲しい話だ…ジロ。だが、神器を知ってもらうには歴史を知ってもらう必要があった。それだけは理解して欲しい」
歩みを止める。
ここが最奥のようだ。
『それにしてもクリカラ。偉く静かじゃないか』
「すまねえ。とてもじゃねえがそんな気分じゃねえ。ここに来るんじゃなかった。代わりに牧師を連れてくれば良かったと思っている」
アリシアにはあえて触れず、一向に黙るクリカラへと話を振っていくが彼は彼で後悔の呪詛をたらたらと漏らしている。
「俺は、この場所を畏れている。…いや、きっと“こいつ”のせいだ」
『ああ―』
「―どうだね?ジロ。本物の神器を見た感想は」
大きな柩の中、そこにはなんとも度し難い光景が込められていた。
ヒト…?
それは首から上の無い、黒い装束を来たやせ細った小さな身体のミイラ。
幾つもの鎖に巻き付かれ封印されながら“それは”抱き締めるように握られていた。
錫杖としての作りは瓜二つだ。…どの道職人でもない俺らにはそれの見分けがつくわけがない。
だが唯一にして確実、圧倒的な違いはあった。
それは要である魔力が封印されている水晶の存在。
当初俺が港町で暴走したアリシア…ナナの魂を封印した時よりも、その色は黒く、黒く…それ以上に禍々しく濁っていた。
「秘匿され、封印される理由がわかっただろう?この中には多くの魔物によって還元された魔力が魔力が入っている。そして未だに守り人のように神器を抱くこの首のない身体こそが、モーガン・ロートの一人娘であり、最期の聖女である“ヘイゼル・ロート”の身体なのだ」
これが、かつて聖女として祀られていた生前のヘイゼルの肉体。
「彼女は、いや、彼女らは我々マルクト国にとっての影の被害者であり。我々の罪の象徴なのだ。もう二度とあのような信仰を認めてはならないという、ね。」
通りで竜であるクリカラが畏れてしまうわけだ。
いまや、これを起動させる条件が他になかったとしても、この封印された魔力から響く呻きには
彼にはどうしても堪えるものがあるのだろう。
「これでも、リューネスによって一度、魔力を抽出された後なのだ。」
「っ!?リューネスがここに…!?」
「ああ、随分前になる。一度、このヘル=ヘイムは暴走をしかけた事があるのだ。」
「暴走だと??」
「ああ、理由もなく。予兆も無しに突然にね。しかし、ヘル=ヘイムはただでさえ強大な魔力の塊だ。世間に公になればそれを狙う不届きの輩がその混乱に乗じて狼藉を働くかもしれない。だから、少数精鋭の魔道士たちを募ってヘル=ヘイムの暴走を影で抑えていた。」
「そこに、魔力を求めて魔剣使いのリューネスが現れたと」
「そうだ。彼はどこから嗅ぎつけてきたのか、不躾にも混乱に乗じてこの聖堂に忍び込み、しかし見事にヘル=ヘイムの暴走を抑え込んだのだ。漏れ出る魔力を吸い取る形でな」
『だから、王はリューネス…の事を知っていたのですね。』
「ああ、彼とは少しばかり話をしたが。常にうわのそらだったよ。ずっと魔剣と話をしていた。」
当時の彼にはそんな余裕は無かったのだろうよ―。
そして、俺は話を聞いていくうちに段々と腑に落ちてきた事がある。
神器ヘル=ヘイム。
それを複製する魔力があったとして、この世界に来て間もなく知識の少ない俺が
何故そんなものを生み出す事が出来たのか。
グロウリアス王が語る俺の中にあるリューネスの魂の残滓
きっとそれが…彼が俺にその記憶を同期させて生み出したのだ。
いや…彼が語りかけてくれたんだ。
だから、こそ
『アリシア』
「―ん」
『君のパパは、君の事を今でも愛しているんだ。』
俺なんかよりも」とは言えなかった。
少し卑屈になってしまったのだろうか。この時のアリシアはきっとそれを認めたくなくて返事をしなかったのだろう。
ただ俺をその碧い瞳で寂しそうに一瞥するだけだった。
ああ、どうしてこんな事になったのだろう。
俺は俺で、ただの魔剣で…ただそれに巻き込まれたひとりの少女であればよかったんだ。
けど、アリシアはであった俺を早々にパパと呼んだ。父を求めた。そして俺は受け入れた。
それが俺ではなくリューネスだと知りながら。
「パパ、それは…ズルいんだよ」
『え』
「自分のひとりぼっちな気持ちを自分のせいにしちゃうから、私は…わたしの事を悪い子だって思ってしまうんだ」
『っ―』
「ところで、どうするのかね?」
思考を上塗りするように王から質問を投げかけられる。
「私の口からは言い難いのだが、君がその錫杖の複製を持ってきたという事は、このオリジナルに秘めた根源が目的なのだろう?私としてはこのような重いファクターを譲る事に異論は無い。」
一度暴走しかけたこの魔力の塊。神器を譲るのだと王は言っている。
悪い言い方をすれば、厄介なものを俺らに押し付けようとしているのだ。王国からすればそれは願ったり叶ったりだろう。
「都合良く聞こえるかもしれないが、君がリューネスの魂の匂いを残したままそれを持ってきた時点で、私は運命めいたものを感じた。だからこそ、この秘匿された場所に連れてきた。」
『俺は―』
「受け取れ、ジロ。」
マリアが後押しするように言った。
『でも』
「グロウリアス王。ひとつ問おう。」
「なにかな?」
「この秘匿された情報を知った者はどうなるのだ?」
「ふむ、今までそのような者を立ち入らせないようにしてきた場所だからね。でも―」
王は屈託の無い笑顔でこう答える。
「手ぶらで帰るのであれば、それ相応の結果が待ってるよ」
「やはりな」
『どういう事だよ、マリア!!』
「戦力を分散させたのはこいつの狙いだ。私たちがこの頼みを断れば少なくとも上の連中ともども極刑にでもするつもりだったのだろう」
そんなっ…だって彼にはそんな偽りの心は
「いいや、違う。人聞きの悪い話だ。私は単に然るべき状況で、然るべきお願いをしているだけだよ。」
っ…運命に純朴な存在には“偽る”という概念が無いとでもいうのか???
彼には騙すつもりが無い。ただ、純粋にお願いという形に則って俺たちにそのヘル=ヘイムを受け取らせようとしている。
余計にタチが悪いっ
だが、ならナナはこうなる事を予見して俺たちと王を合わせたとでもいうのか?
『…………わかった。受け取らせてくれ。そのヘル=ヘイムを受け取らせてくれ』
「パパ…」
「マジかよ。それを受け取るのかよ」
「ありがとう。魔剣使いの少女。ドール=チャリオットよ」
ほぼ強制で受け取らせておいてよくもまぁ平然とした顔で奇跡の名を呼んだもんだ。
この時の俺は非常に悔しい思いをしていた。
王に謀られたからでは無い。運命という言葉に対して何もせず従ってしまった自分自身の無力さが不甲斐なかったからだ。
俺たちは未だに抱き続ける頭の無い聖女の亡骸から封印を解除したヘル=ヘイムを受け取る。
幾つかの封印術式のお陰で、今のところとくに変わった様子は無い。
グロウリアス王は俺たちが持ってきた方の力を失った神器を首なし聖女の亡骸に抱かせて「いままでご苦労様」とねぎらいの言葉を施す。
「ジロ。」
『…なんでしょうか?』
この聖堂を後にする直前、グロウリアス王は一度俺を呼び止める。
「君たちはもう一つ知りたい事があったね?」
『え?』
「ここから山五つ越えた先のとある国の話さ」
『それって―』
「すまないが、これ以上は私の口から語る事は出来ない。“連中”はその情報ひとつひとつに呪いをかけている。口にすればこちらにも災いを寄越すだろう」
彼はそう言って、幾つかのスクロールを渡してきた。
「リアナに頼まれたものだ。ある程度調べた。どう使うかは君たちに任せる…それと、最後に重要な事をひとつ」
『…なんでしょう』
「なに、リアナに言えばすぐ解る事さ。今晩、6回の鐘、オルバー行き、赤211号とね」
何かの暗号なのか?俺は無い首を傾げながらその言葉を記憶する。
『…グロウリアス王』
「なにかね?」
『―あなたは、立派な王様ですよ』
「…そうかな?“俺”はそうは思わないよ」
その一言で十分理解した。
この男は、やはり王に違いないと。
そして…
「俺は、君が神様なんて思っちゃあいない。それは女神信仰があるからじゃない。…不敬な言い回しだがね。君の匂いはとても、誰よりもとても人間らしい」
―悔しいが彼に好感も持ってしまった。
俺はどうしようもないクズだった。
そう気付くのに何年…いや、何千年かかっただろうか。
誰かを幸せにした所で、彼らはその後に訪れる死から何も学ぶ事はなかった。
命は平等に終わりがあって、世界で生まれていくもの全てはそれまでに幾度となく生命を生産し続けて
繰り返し過ちを冒し、繰り返し学び、繰り返し修正し続け
また俺に何度も感謝と別れを告げていく。
ああ、いつまで続くのだろう。こんな日々は。
いつになったら酒に酔う事が出来るのだろうか。
俺が死ねないのは根本的な使命が果たせてないからなのだろうか?
それを見つければ…俺の役目は見事終え、俺と言う存在もようやく死を迎えられるのだろうか?
だが、その試行を思い至る前に俺の心はもう壊れてしまっていた。
時を重ねて、すり減る正義感。
俺の心は思ってたよりも後ろ向きに違いなかった。
いや、どれもこれもきっとこの国のせいだろう。
神だのなんだのと、嘆き悲しむこの街並みが…あまりにも俺の不幸を後押ししてしまう。
…どうやらまた魔物の軍勢の波が近いうちに来るらしい。
ああ、またいつもみたいに俺が“やれ”ば全ては丸く収まるんだろうよ。
いつもみたいにさ
だが、それを俺はやろうと思わない…やりたくなかった。
それをいつものようにやる事に俺は嫌悪感を感じていたのだ。
「はぁ、何が英雄だ」
小さな川の河川敷の前で座り込み
味すら覚えられない酒瓶の中身を空にして俺は行儀悪く投げ捨てた。
―すると、ポスと瓶の落ち着いたところでビクリと茂みが揺れた。
「ん?」
草っぱの隙間から、目を腫らした少女の顔を覗かせる。
「ごめんなさい」
彼女は俺をみて直ぐに謝りはじめる。
「い、いや」
なんで謝るんだよ。酒瓶投げて驚かせたのは俺のほうだろうよ
彼女は酒瓶を拾って今に泣きそうな表情…いや、もう泣いている。涙をぬぐいながら俺に酒瓶を返した。
「うぇえ…ゴ、ゴミはちゃんと捨ててください…ごめんなさい」
「いや、なんで謝るんだよ。なんで泣くんだよ」
「う、うぇえ…」
彼女はそこでしゃがみ込んで再び泣き始める。
クソ、ぎゃあぎゃあとうるせえガキだ。
「ったく」
俺は泣きじゃくる少女の頭を抱き寄せて頭をなでながら胸の中で泣かせる。
すると、彼女は落ち着いたのか、次第に静かになっていく。
「あ…はなみずが」
「いうな」
…結局、彼女が泣き止んでから暫く。
二人で並んで河川敷に黙ったまま座り込んでいた。
「あの酒瓶…東のですよね」
「ああ、俺はこんな酔いもしねぇクソ酒のみながら船でゆられて東からはるばる来たからなぁ」
「東の人は怖い人ばかりって聞きました」
「そうか?あっちはお前ら西の事殺人鬼の子孫なんていってたぞ」
「言いがかりです」
「はい、ブーメラン」
「…ぷっ」
「何か面白いところあったか?」
「いえ…なんだか急に気持ちが楽になって…その、ありがとうございました。急に泣いてしまって…それにはなみずを」
「いいから」
「…すみません」
「お前、なんで泣いていたんだ?」
「…」
彼女は暫く膝を抱えながら俯いて答えなかったが
「怖いんです」
「怖い?」
「これから来るであろう明日が…とても怖いんです」
「どうして」
「いっつも思うんです。明日が来る事ばっかり考えて明日の為に明日の事を考えると、こんなにも息苦しく感じてしまって。そんな繰り返しの中で、私が本当に望んでいた事が出来なくて。でも、みんなが私を幸せにしようとして頑張ってるのに…私には荷が重すぎて…幸せにならない方がいいって余計に苦しくなって…気づいたら明日が怖くて」
「…なんの話だ?」
「この国で…私は聖女ってもてはやされて、みんなが私を持ち上げるんです…でもそれが怖くて」
ああ、どうりでこんな場所に見合わない神官装束なんか着こんでいたのか。
「聖女ねぇ…くっだらねぇ!」
俺は足元にあった石を拾って川に投げ始めた。
「えっ?えっ!?くだらないって…?」
「折角人様が用意してくれた明日が怖いって?当たり前のように来てくれる明日が怖いって?」
「それは…そうです…よ」
「馬鹿ばかしい。何が、聖女だ。お前みたいな泣き虫な聖女なんかいるもんかよ」
「…」
「お前だって、自分が聖女になんて向いてないからそうやって考えるんだろ、恐がってるんだろ?」
「それは」
「なら、やめちまえよ。聖女なんて。」
「あ、あなたに何が解るんですか!!」
「解るよ。解るから…逃げちまってもいいんだよ。…俺みたいによ」
「あなたも…?」
「信じられるか?俺は英雄だったんだぜ?世界の厄災から人々を救った救世主様なんだぜ?」
「とてもそのようには思えません。」
「あったりめーよ。もう英雄なんてもん…意味なんかねーって解ったんだよ。」
「…意味なら、あります!」
「お前らを救う事が意味なのか?結局、お前らは目先の生存や幸せ欲しさに俺らをもてはやして俺の力を求める。ほら、聖女サマ、お前と俺は一緒だな。結局お前の事なんて誰もみちゃあいない。お前の奇跡だけを欲してるんだよこのクソ国民とクソ世界は」
「…勝手な事を言わないでください!!」
「おおっ」
「私は、貴方を英雄だなんて思いません。だから貴方と私は一緒じゃないですし、あなたの言葉なんてこれっぽっちも解りません!」
「おおっ!」
「私の事を馬鹿にしてもかまわないです!!でも!私を慕ってくれる皆さんの事を見下す事だけはやめてください!!!」
「おおーっ!」
少女は涙目になりながら握りこぶしを作り肩を竦めて叫ぶ。
「そこまで言うんなら、このクズに見せて欲しいね。お前の揺るがない意志を、さ」
「…」
少女は涙を拭って足元の石を拾うと、「えいっ」と言いながら川の方へとへっぴり腰で投げはじめた。
その石は水面でぴょんぴょんと数回跳ねて、ぽちゃりと川の中へ消えていく。
「うまい」
少女はふぅと瞑目して、大きく深呼吸する。
「…その、ありがとうございました」
「ああ?」
「貴方の言葉の真意はまだ読み取れません。…でも、明日を迎えるという嫌な事よりも嫌な事だけは見つけられた気がします」
「そうかよ」
彼女はスッと手を差し出す。
俺はの手をパチンと弾く。
「そういう感じですか?」
「そういう感じだよ」
少女はクスクスと笑いながら「さようなら」と手を振って灯りをつけ始めた街の中へと消えていった。
「…ふぅ」
なんだろう。幾年ぶりに人と話をした気がした。
…不思議だ。
弾き合ったせいだろうか、触れ合った手の、湿った胸元の熱がまだ冷める事はない。
「ああ、また明日あいつが泣き寝入りしたらからかってやろう…ただそれだけだ」
―けど、彼女がこの場所に来ることはもう、二度と来なかった。
そして、次に彼女を見たのは大きな祭りの夜だった。
棺に入って錫杖を大切そうに抱えて眠る彼女を、周囲の連中が泣きながら聖女と祀られている姿だった。
当然、彼女が目を覚ます事はもう無い。
「―ああ、そうか」
俺はやっぱりどうしようもないクズだったんだ。