102:己が愛されたいならば彼の竜よ、滾る焔にて俺に示せ
視界が開ける。
気づけばその場所はマルクトの正門前の浜辺では無い。
周囲を怨念の如き炎が暴れるように舞っている。
他の皆はいない。
居るのは俺とアリシアだけだ。
いや、もうひとりいる。
俺たちの目の前でひとり佇む大きな体躯の偉丈夫。
魔王竜と呼ばれ、かつて俺たちと戦った敵。
イヴル・バースの四将のひとり
ニーズヘッグ
俺たちは対峙するように向かい合い
暴れ狂う炎が囲っている。
当然逃げ場所など存在しない。
『お前が、どうしてここに居る?』
「…返せ…俺の全てを!!」
『ここは、お前の心象世界という事でいいのか?』
「返せ…返せ…」
駄目だ、聞く耳を持っていない。
それどころか、怒りを顕にして拳を握り締めている。
目の前に居るニーズヘッグの姿は怒りの表情にリンクするように体が炎を凝縮したかの如き赤き姿だった。
魔王竜の人としての姿をそのままに、身に纏う色という色全てが塗りつぶされたように赤く煌き
己の吹き上がる感情そのものと化していた。魂の権化とも捉えられる。
だからこそ察するに―
「かえせえええええええええええええええええええええええええっ!!!!」
やっぱ俺たちを攻撃するだろうなっ!!!
素早い動きで駆け寄ってくるニーズヘッグが拳を繰り出してくる。
『アリシアッ』
俺の言葉に合わせて応と答えるように
拳の下に魔剣を添えるように置いて後ろに下げる
そのまま攻撃の軌道をずらすと同時に下げた方向に勢いを乗せて回転し
ガラ空きになった脇腹へと目掛けて魔剣を斬りつける。
ガァンという金槌を打ち付けられた時のような振動。視界が一瞬ブレる。
『硬っ』
「硬っ」
ニーズヘッグの体は肉体という事を否定するかのような非常なまでの硬さをその身をもって味わされた。
しかし、強くぶつけた物理威力のせいか、流石のニーズヘッグもそのまま動きを硬直させギチギチと刃が火花を散らして拮抗する。
だが、それで終わらなかった。
『あっ、え?あっ…あづ、あづづづづづづづづづ!!?あっぢいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!?』
アリシア!はな、離れてくれ!!!
奴に刀身が触れた瞬間だ。徐々に違和感を感じたと思えば
異様なまでの熱をその刀身へと伝わり。
何故か、俺にその熱さを感じさせた。
「パパ!?どうしたの!?焼き土下座した時みたいな声を出して!!」
焼き土下座なんてした事もないし、お前も見た事ないだろ!!
いや、え?もしかしてあるの?見た事あるのお前!?
『って違う!久しぶりの熱いという感覚に吃驚しただけだよ。な、なんとなくだが…多分、この場所はあいつの心象風景の中だ。』
だからこそ、俺たちもきっと魂という精神体のままこの世界に入り込んだに違いない。
だからこそ、魂にまで響く熱量を俺は真正面から受け負う事が出来てしまう。感じてしまう。
…あいつが俺たちに対して敵意を抱く理由は解らない。
考えられるのは、その衝動が目前の存在に対してただひたすらに攻撃しているか
或いは…自身の“存在そのもの”を奪ったであろうナナと同じ魂をアリシアに感じ取ったか
奪われた…。そうだ
ナナは言っていた。
―いらないと言われたから奪った
それによって奪われたこの男の魂による叫びがこんなにも熱く滾るものなのか。
…似ている。そう、俺が神に全て奪われたと怒ったあの時と一緒だ。
「返せ…カエセ…」
項垂れながらも怒りに震えるニーズヘッグの魂。
どうしようもない事実に悶え、吐き出しきれない怒りに唸り声を上げ
それでも
「それは、女神から賜った…オレの…オレの…」
―神を愛していた。
だからこそ神から賜った自分も愛していた。そして神が生み出したであろうヒトも愛そうとした。
竜という厄災の尺度で。それでも知恵持ちの竜という祝福に恥じぬよう持つべき力の矜持を大切にしながら。
『…アリシア』
「どうしたのパパ」
『あいつの攻撃を魔剣で受けてくれ』
「っ!!そんな事っ………………………………‥…‥‥…――――、わかった」
アリシアは目を伏せた。
この子はやっぱりいい娘だ。
俺に対して憂える事よりも、俺の気持ちを優先してくれている。信じてくれている。
「でも、手加減はしないよ」
『…ありがとう』
「カァアアアエセエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!!!」
『っ!』
火花が散る。
この魔剣を何度も殴られ、その度に受ける熱が刀身を赤くしていく。
何度も殴られ、俺もその熱を、痛みを、苦しみを受け止めていく。
何度も、なんどもなんども何度もナンドモなんどmおなんどもなんども何度も何度も…何度も!!!!!!
鈍い音、空気が焼ける香りすらも分からないこの身体で、その躍動を一身に受け止める。
視界だけが上ずって舞い上がる炎の景色をただただ眺めてしまう。
熱い
なぁ、
熱い
こんなに殴っても足りないんだろ?
熱い…苦しくて、本当に痛くて
とても切ない。
ドクン―
次第に、俺の魂にその熱を打ち付けられる度
躍動と共にこちらに流れてくるものがあった
それは記憶の情景。そう彼の
ニーズヘッグが見てきた風景なのだろうか―
灰色の空の下。死体ばかりが転がっている場所でよたよたと歩き続ける。
その身体に乾いた傷も、生生とした傷も、全て纏っている。
…人より大きいだけの足が血と混ざった泥を踏みながら
どれでもいいかと、
死肉をいそいそと齧り続ける。
美味い事も不味い事も必要の無い舌で
喉の奥を満たそうとするそれだけだった。
だが、己の胸のうちの伽藍堂が埋まる事はない。
見上げるこの空のように。見渡せば見渡すほど遠く、終わりなく
雨が降ろうとも渇く。
“人も、俺も、ただただ弱い”――
それを受け取るたびに彼の姿の輪郭…その端が少しずつ散華していくのを感じる。
そして彼はある時に拳を振るうのを止めた。
「俺を…見たのか?」
気づけば目の前に先程まで拳を混じりあったはずの男はいなく
ただただ小さく項垂れる人より大きいだけの小さな竜。
その放たれる青い炎のような光はそれに相対して弱々しく天の方へと吸い込まれていくようだ。
「神が愛した俺は全て奪われた。俺にはもう…何もない」
ああ、竜にしてはこんなにも小さい。小さかったのだ。
「すまねぇ、そしてありがとうな。俺の怒りを受け止めてくれて…」
ニーズヘッグから出る言葉は本当に意外なものだった。
『おまえ‥』
「知っていたさ。奪ったのがお前らでは無い事ぐらい。それでも尚、お前は俺の怒りを受け入れた。弱さを受け入れた。」
『こんな熱さ…二度とゴメンだがな』
「―私たちじゃないって、ならなんであの場所に顕れたの」
「存在を奪われた奴は誓約で肉体と自我が釣り合わなくなる。すべてを見届けた魂はそのまま器の中で閉じ込められて、感情のままに荒れ狂う。
そして俺はその感情に身を委ねた。お前たちは“あの小娘”と同じ魂をしている、それに匂いでわかった。つい前まで会っていたのだろう。だから…だから本当にただの当てつけだったんだ」
怒るままに。狂うままに。ただ、自分が在ろうとする藻掻き。
「驚いたか?かつての俺がこんなにも小さな竜だったなんて」
『お前みたいな奴は、“生まれながら”に暴虐かとおもってたさ。』
「はっ、そんな事はねぇ。俺は何処よりも見窄らしい根の元で生まれて這いつくばって育っていただけの蜥蜴にすぎない。
生まれながらに強い奴はぁ、力にも強さにも固執しねぇ。おれは結局、そのフリをするのが上手かっただけなのさ」
『…』
「殺せ、俺を」
彼から出た言葉に一瞬思考が停止する。
怒りを全て吐き出したからなのだろうか
「此処は俺という存在の残滓が集合して生まれた核によってつくられた精神世界。お前らを引き入れるために用意した場所だ。
お前らは俺という最後の心を打ち砕く事でこの場所から戻れる。…もう、十分だ。」
『…』
返す言葉が見当たらない。
こんなにも、俺はまた迷っている。
ああ、ルドルフの時と同じだ。あいつの記憶を覗いたせいで、おれはまた進むべき道になにか疑問を持ち始めている。
決定する事に何かの力が働いているように思える。
殺す。
その言葉に俺はよっぽどの嫌悪を感じているらしい。潔癖だといってもいい。
きっとこれは優しさなんて簡単なものじゃない。終わらせる幸せよりも在り続ける地獄を与えたいという欲求。
『――強くなりたかったのか…?』
「…あ?」
『――愛されたかったのか?』
「急になにをワケの解らないことを」
『――愛されていたかったのか?』
「…」
この場所で彼への印象が徐々に変わっていく。
そう、俺が彼に対して見ていたものは炎の如き熱…のはずだった。
でも、違う
いまの彼は、洋灯に込められた灯でしかない。
どうして自分がこんな事を聞いているのか解らない。
自分がどんな感情を示しているのかもわからない。
けど、あの時と同じ感覚だ。
本当かどうかも解らない相手の“弱さ”を知ると、すぐに俺は自分の心を重ねようとしてしまう。
そして彼は、きっとそんな俺の心に何かを察したのだろうか
「さぁな」とだけしか答えてくれなかった。
…おいおい、東端慈郎。
おまえは何を考えている?
おまえは今になって敵であるこいつに自分の何かを押し付けようとしているのじゃないのか?
何も知らないで
ナニモシラナイデ
なにもしらないでなにもしらないでなにもしらないでなにもしらないで
な
に
も
し
ら
な
い
く
せ
に
『るせぇ…』
『―うううるせぇええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!』
「パ、パパ…!?」
「な、なんだお前!?急に怒鳴って」
…それはお前が言えた事か?ニーズヘッグ
『うるせぇってんだよ!!お前の事など知らん!知らない!知ってたまるものか!!心あるものが心を完全に理解する事なんて出来ないんだよ!でも、過去を知ってしまう、知ってしまった!もう一度言う!それでもお前の事など知らん!!お前の考えも!想いも知らない!でも―――』
俺の中で何かが形づくられるのを感じる。それが外から出たいと大きく叫んでいる。
『お前も知らねぇだろ!!!俺が…!!強い奴が、嫌いな奴が、急に惨めになるのは…俺にとって度し難いんだよ!!』
「…パパ?」
これからする事は俺の自己満足だ。きっと何が起きるのか解らない。
だが、もう手をこまねいているつもりは無い。
この世界で俺が俺として求めている先を現実にするために俺は俺が魔剣である事を
東端慈郎という自分を、自分を、自分を、自分を自分を!!ぶつけてやる!!!
魔力が凝縮される感覚。それがどんな結果になるのか解らない。
でも、滾らされた意志はもう、行く末を選ぶ事しか出来ない。
「これって…」
アリシアその手に煌く光珠を握り締めている。
『ニーズヘッグ!お前を殺す!!!ああ、殺してやる!!』
「っ!!パパ!!」
『ああ!アリシア!!容赦はするな!!!そいつを、殺せ!!!』
アリシアは目を細めて、
片手で光を握り締めながら、片手で魔剣を持ち上げて
強く駆け出した。
「ああ、それでいい―」
そして小さな竜は大きく首を持ち上げ、俺たちに
心の蔵であるその位置を差し出した。
「っ―」
血が出される事は無い。どうやら本当にこの場所は彼の精神世界である事は間違いないようだ。
だが、俺たちはニーズヘッグという竜の死を確かに獲得した。
そう、獲得したのだ。
―内側から“あの時”のように…いや、今度は“門”開かれる。
黒く…黒くドロドロとした未知数の闇の世界。
知らないからこそ恐れる、だが、人はそれを存在する場所として認識しようとする。
それ即ち、死。
死者の集いし黄泉の世界。
そこから寄り添う何かが俺たちに確かな力を繋げていく。
「っ!?パパ!!これは!!」
『ああ、やっぱりそうか』
アリシアの体から一気に多くの色の魔力が無尽蔵に開放される。
闇魔力を持っていないのに神域魔術が発動できる理由はこれか。
「…おまえ…お前、何故…それをっ!?それは…その力を使えるのはっ」
『アリシア!!!それを!俺の魂を全て注ぎ込んだその意志をぶつけろ!!!!』
「ほんっっっっっと!パパってひとはっ!!!!!」
「それを使えるのは女神アズへぶっ!?!?」
アリシアはその七色に光る塊を容赦なくニーズヘッグの顔面目掛けて叩きつけた。
『ニーズヘッグ。お前は死ぬ。確実に死ぬ。そして、死を受け入れた後、お前は俺に生を与えられる。
お前にとってどんなに惨めで!屈辱で!愚かな生地獄が待ち受けたとしても俺には関係ない!この瞬間だけが俺の意志だ!
お前が勝手に死んだように!!お前を勝手に生き返らす!!生きて生きて!この世界は地獄だと生きて抗え!!』
尚、身勝手な言葉をべらべらと連ねる。
『今度は俺にてめぇの強さを見せつけろ魔王竜!!!!!!!』
―黄泉の國の承認。
―No.00043854309。個体名ニーズヘッグの現存再生を承諾。
これより、蘇生を開始します。
きっとこれはひとりよがった者の傲慢なのだ。それが、彼の者の黄昏を奪い
再び暁の熱をその身に施す。焔の如き熱を賜るからこそ、かえすべきなのだ。
生きるという地獄を
ニーズヘッグとアリシアの足元に大きな魔法陣が生成され、烈日の如き大きな光を放つ。
次第に視界が真っ白になっていく。大いなる力が俺たちを飲み込んでいくようだ。
「…ああ、この感じ。懐かしいな」
穏やかな声が聞こえる。
「お前の、言うとおりだ」
穏やかな声が聞こえる。
「あの時、おれは知ったんだ。俺が力を欲していたのは…‥……きっと―――」
「―アッハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!実にあなたらしい答えね!フレスヴェルグ!!!」
大きく口を開いて笑うヴィクトルノートンは耐え切れず拍手までしてしまう。
「いいわぁ、重なった理由の中で好き嫌いのついでに彼を奪うなんて中々よ!!」
「では殺すか?私を」
「え?何で??」
「あのグズはもう間もなく死ぬ。貴様が依頼したであろうあの者らへ仕向けてね。俺の謀略によって殺したも同然だ。まぁ、死ぬつもりはないがね」
「あンらぁ~。言うじゃない。もしかしてアタシと本気で殺り合うつもりだったのカシラ?」
「そちらがその気ならな。」
「ンッフ。でも残念。リョウラン組合はアナタを処す事は無いわ。じゃあねん、姫様にヨロシク♪」
ヴィクトルはそのまま背を向けて歩き始める。
彼の歩いた先、そこには短剣を構えていた仮面の少年が居た。
「フフ、命拾いしたわね、ラタちゃん♪」
「…」
「どういうつもりだ?お前はそんなナリでも掟には厳格ではあった印象であるが?」
「ええ?掟を破った覚えはないケド?」
「だからこそもう一度問う。どういうつもりだ??」
「だぁって。あの子、死んでないんだもの」
ヴィクトルにとってこの日、フレスヴェルグという無機質な能面の表情が砕ける様を二度も見ることが出来たとファーヴニルに嬉しそうに語った。