100:その隔たりは傲慢なる境界
「それで、この犬畜生が例のアレなのか?」
眠そうな顔で問うマリア。
おいおい、お前ちょっと前まで「ん~モフモフ」とか言いながら抱きしめてただろ、抱き絞めてただろ
つか、ゆっくりと手を伸ばそうとするんじゃない。犬畜生なんて突き放す言葉言ってるわりにやたら触ろうとするじゃねーか。
「すいません…マリア…さん、ちょっと僕に近寄らないでください…あなた、怖いです」
「えっ…う、うむ」
なぜだろう。今までにないくらいのショックを受けた表情をあの鉄面皮よろしくの彼女から見れるとは思わなかった。なんか背後で稲妻が走った気がしたけどそれは気のせいだろう。
俺たち一行は、再び馬車に乗り、次の目的地である西大陸の入口『マルクト王国』へと向かっている。
馬車に乗っている面々は今回も同じだ。
あの一匹を追加で含めて―
「あなたからは何故か馴染んだ匂いがしますね」
「え?な、なにを?」
「同郷の…獣の匂いが」
未だ犬の姿であるアルメンはネルケの膝の上に乗っかってすやすやと待機している。
そしてそれを恨めしそうにマリアがチラチラと見ていた。
そして一方のネルケはアルメンの言葉に目を見開いて「うそ、うそぉ?」と自身の鼻を自身の体のありとあらゆるところにつけて嗅いでいた。
「それにしても、夜の景色が嘘のようだね。パパ」
『―ああ、そうだな』
カラカラと車輪を回転させる音を聞きながら、朝日が照らす海を馬車の窓からアリシアは頭を出して眺めていた。
「私は、こっちの景色の方が好きだな」
『そうか?』
「そうだよ」
アリシアは外の景色から差し込む光を集めるようにジッと眺めていた。
「暗い場所は…いつも心が止まる。ずっと水を飲まされている気分になる」
風に靡く彼女の髪は、こんなにも光に当てられて輝いている。それなのに、ぽそりと口からこぼれる言葉は時に隣人の心に影を落とす。
「ほら、見て!あそこ!」
話を強引に切り替えるように彼女は窓から身を乗り出して、橋から広がっている青く染められた大海原。
その奥からみえる大きな飛沫を無邪気に指さした。
『あれはなんだ?鯨か?』
この距離からでも見える程の大きな生物はその身をゆったりと動かし
自信を海に叩きつけるようにし再び飛沫を舞い上がらせていた。
「すごいです!あれはグラングフォールです!人気のある場所では滅多に見れないって本に書いてありました!私、実物を見るのは初めてです!」
『そうなのか?なんかあれか?縁起のいい動物的な?』
「グラングフォールは人を目視する前に感知して距離を取る生き物だ。どうしてか魂を見分ける事ができるらしい。それが我々の見える場所に現れるという事は、人に対しての特異な何かに興味を示していると言われている。そんな言い伝えがあるからか、彼らを目にする者は特別な何かを持っているという意味が含まれて縁起の良いものとして扱われるようになったんだ」
『ふーん、マリアにしては割とロマンチックな事を知っているんだな』
「まて、それはどういう意味だ?」
ただでさえ鋭い目線が更に輝くように俺を睨みつける。
『トクニナニモアリマセン。モノシリダッタナーッテ』
「なんか腑に落ちない声色で返すな貴様」
「あー、コホン…それにしても、不思議な事もあるのだな。アクセサリーであるものが自我を持って姿を変える…実に興味深いものだね。」
「僕自身が驚いていますよルドルフさん。僕は生前ではマナ・フラタ。そう呼ばれていたにも関わらず、こんなにも小さな犬畜生として身を晒す事になってしまうのですから」
『お前自身に思い当たりはないのか?』
「んー…」
犬の癖に人みたいに首を傾げてうねる。
『お前、あの時言ってたじゃないか。“また何か取り込んだのか”って』
「ああ、ええ。だってご主人、いっつも誰かの能力をばっかんばっかん飲み込んでるんですもの。その度に説明しているのに…いや、聞こえてなかったのですものね」
項垂れる犬
『まて。お前、おまえはわかるのか!?俺の中にある能力が!』
「え、ええ」
俺はずいずいと視界を司る水晶を戸惑う犬に近づけていく。
『なら…あの時、一体なにがあったんだ?俺は何を使ったんだ?』
「あの時?」
『おれが…その、ルドルフが化物だった時に使った能力だ!』
「…」
アルメンは長い口を俺に寄せて小さく囁く。
「…いまはやめておきましょう。マルクトについてから話させてください…ここで話すにはきっと都合が悪いと思いますから」
『…あ、ああ』
アルメンがそういうならばきっとそれは割と重要な内容なのだ。
例えそれが仲間うちであっても、その真実が弊害になる可能性があるのだろう。
「今話せるのは、ええあの竜人は知ってたから与えたのだと思いますが。ご主人様には、相手の能力を可能な限りトレースする事が出来ます」
『トレース。可能な限りというが、条件があるのか?』
「相手が“与える”という意志を持った時です。例外を除いては」
『例外?』
「ええ、例えば。魔王ニドが最初にあなたに与えた様々な魔術書諸々。その中には他の人でも魔力さえあり、理解すれば使えるモノになってます。それは、その魔術を創造した者が皆が使えるようにという意志で公にその魔術情報を与えているものになります。それに対してはその者の意志に関係なく、あなたの能力として取り込む事が可能です。しかし逆に、個が独自に作り出した魔術やスキルに関しては、その当人が“与える”事を認可するまでは取り込む事は出来ない。あるいは…」
『あるいは?』
「その者を殺す事ですね」
『…なるほど』
フリー素材か、著作権があるかの違いか。違うのは、著作権を殺して奪い取る事が出来る事ぐらいか。
『どうして俺にはそんな能力がある?』
「あなたの膨大な魔力情報は、この世界で形を成す事を意思を持って望んでいるのです。ですが、ご主人様にはそれを成すためのこの世界に対しての情報が全く無かった。だからこそ、あなたの中の魔力が情報というリソースを求めて形を成そうとしている。だけどどうしてかそのリソースが個の権利を持つ者に対しては承認が必要となる誓約が架せられている。そういうところですかね」
『俺の魔力が意思を持って形を持つ事を望んでいる…』
「つまりは、僕がこうやって犬になった原因もそこにあるんです」
…いや、まてよ?
『そこまで知っていてなんでアルメンは自分が犬の姿になった原因が解らないんだ?』
「そこで、話が戻るのですが、実はもう目星はついているんです」
『ほう』
「きっかけは当然ながら、あのナナという娘が渡した神器から取り込んだ中にあるもののひとつ。“イクス:ドミネーター”が関係されているのかと」
『オウム返しになってしまって申し訳無いが、イクス:ドミネーターってなんなんだ?』
「そうですねぇ…原点となるのは魔物を支配、使役する力がそれに該当しますね。ただ、本来魔物を操るという事には非常に条件がシビアで
まず、使役者の魔力の質の良さ、そして同一の属性である事、もう一つは使役する魔物との大きな魔力量の差。その三つが条件となりますね。それによって条件をクリアした存在を魔物使い…テイマーと呼ばれています。」
「私も魔物使いに関しては知識を嗜んだことがある。しかし、非常に厳しい条件だった。たとえ魔力量が多くても、質が悪ければ魔物を手懐ける事は出来ない。そんな事をいちいちするよりも殺してしまう方が簡単ではあるからね。」
『確かに、自分でいうのもなんだが、魔力量に関しては当たりが付く。属性だって手数があるからそうだな。だが質っていうのは?』
「それはマナ・フラタだった僕が保証しますよ。実に美味…いえ、実に良質な魔力ではあります。あなたがその気ならば大抵の魔物は従うかもしれませんね」
『そりゃあ、いよいよ…魔剣らしくはなってきたなぁ』
「魔物一匹を使役するものを、テイマー。二匹であればデュアルテイマー。三匹以上であればエルダーテイマー。ここまでが人ひとりの通過できる範囲になりますね。そして、10匹以上となるともはや魔力量も人の域を超えてしまう。或いは禁忌に触れて人の魂に近しい媒体を使って魔物を使役する者。それを畏怖の念を込めてドミネーターと呼ばれています。実際にいるかどうかはわかりかねますけどね。僕も生前では見た事の無い存在なので」
『つまりは、それが俺に該当すると?』
「多分なのですがそれだけでは無いと思います。僕をこのような姿にできるという事は…ある種の無機物に対して魔物を形成させ使役させる憑依能力があるのだと思います」
『え、ええ』
さっぱりわからん。
「ご主人。もしかして、僕に対して少なからず自身に思い入れがあった犬を重ねて見てませんか?」
『…あ、それは正解だ。昔実家で飼っていた犬が確かにお前みたいな姿をしていた』
「こんな子犬と同等で見られていたのか…僕…」
『そりゃあ、初見じゃあ人懐っこいマテリアルだなって思ったんだよ!以降はそうとしか思わなくなったんだからしょうがねえだろ!』
「あ、ハイ…」
「でもさぁ。もし、パパがそんな能力を持っているって事は、もしかしたら既知している魔物を無機物に憑依させて使役する事も可能って事になるのかしら?」
「そうですね。まぁ、ご主人が魔物の知識を有していればの話になりますが」
「ないな」
「無理でしょうに」
「厳しいと思います」
「だよねぇ」
マリア、ルドルフ、ネルケ、アリシアが息を合わせるようにため息をつく。
『あれ?俺が悪いん?ねぇ…おれが悪いの?』
「良くも悪くも、あなたは本当に外側から来た来訪者なんだと再認識されただけさ」
ルドルフが「ハハ」とフォローしてくれる。
しかし、その優しさが時には俺の胸を痛くしてしまうのだ。つらい
『まぁ、お前が犬になった能力に関してはだいたい理解した。同じくして取り込んだ能力については解るか?』
「はい。先ずはネフィリムアカウント。封印されし聖巨人の力を概念とした強化魔術ですね。位置は天蓋。並みの人間が使えば肉体が弾けます」
『怖いよ』
「次に、ダークプリズム。これは闇の魔力をベースにした対光撃魔術ですね。配合されている属性としては闇と氷になります。光属性の光擊魔術を取り込んで反射させる空間を一定範囲に生み出すものです。位置はこれも天蓋」
『強いのか?』
「えと、それは隣のルドルフさんに聞いたほうが良いかと」
「光属性魔術に対してのカウンター効果がある魔術だね。ただし、本来使用される際には膨大な二種類の魔力を有する為に起動時間にも問題がある。
だから事前に相手が光魔術を使う事を予測して大きなコストを代償に準備する必要があるものだ。効果としては随一の魔力反射ではあるが、光魔術限定である事とカウンターとしては遅すぎるせいで、使われる用途が相手からの超大光魔術による光線への対抗策ぐらいしかないね。条件がピーキーなだけあって人が使うものとしては無用の長物…悪く言えば欠陥的な魔術とも言えるね。ただし、君が使う事となればあるいは…もしもこの魔術を速攻で起動できたなら、控えめに言ってやばいとだけ言っとくよ」
『やばいのか』
「先ほども言ったように光魔術を反射する空間を時間を掛けて起動させるものだ。基本的に外側からのバリアー効果が基本ではある。が、例えばそれを光魔術を発動させる相手の空間へと瞬時に生み出せたならばどうなると思う?」
『なるほど…自分で自分の光線の雨を食らっちまうわけか』
「そういう事だね」
『なるほど、理解はした。そんで、他にはあるのか?』
「レイジングアルカナですね。これも位置は天蓋。能力は…」
『能力は?』
「解りません…と言った方が正しいでしょうか…?」
アルメンの視線はルドルフにそっとズラされる。
ルドルフも何かを察したのかかぶりを振りながら、説明をはじめる。
「起源としては相手の魔術の属性を変更させる効果だね。ただ、使用する人の魔力の質や精度、空気中の魔力の干渉によって繊細に変わってしまう為変更された属性がランダムになってしまう恐れがある。これも無用の長物と呼ばれている。ダークプリズムと同じで、人では持て余してしまうという天蓋たる由縁の魔術だね」
『そりゃあ…使えるのか?』
「君ならば、あるいは」
『ルドルフは俺の事えらく持ち上げるねぇ』
「はは、これでも元々は魔術研究をした者の端くれだ。君のような凄まじい魔力の塊が、多くの魔術を行使した時にこそ、その魔術の本来としての効果を発揮するのではないかと妄想がはかどってしまうのだよ。特に、先ほど言ったように天蓋魔術には設計だけで起動する事すら出来ないものが幾つも眠っている。まさに夢だけを追って現実によって破れた者たちの無念そのものだと言っていい。」
『確かに最初ニドはとても喜んでいたよ。…例えば、その使われなかった天蓋魔術ってのは何処にあるもんなんだ?』
「まぁ、基本魔術研究所などの資料室最奥で眠っているのだろうね。今はそれを集める時間はないと思うが、機会があるなら探して見るといい。そうなれば、叶わなかった者たちも浮かばれるだろうさ。」
『そうか』
「―と、どうやら着いたようだぜ?」
話し込んでいるうちに馬車がギッと揺れる。
それと同時に、外の騒々しい音に気づく。
「ああ、相変わらず賑わっているな。」
マリアが戸を開けて先に降りる。
それと同時に俺も少しばかり気持ちを高ぶらせた。
海沿いの港で、そよそよと吹く風がアリシアの髪をさらおうとする。
その髪が俺の視界を覆うようにする隙間で、その遠くに目を凝らすと魚を片手で持ち上げて叫んでいる漁師がいた。
その周りで人だかりが出来、そいつらは指で数を示している。その主張が互いに競い合うようにし、漁師へと叫び返している。
―少し歩くと、果物を広げた店があった。赤い果実をひとつ布で磨くと、それを寄った客に渡して味を教え込んでいる。
驚くのは、それがひとつふたつだけじゃないと言う事だ。
歩けば歩くほどに、同じ道を通ったのではないかと思う程に幾つもの店が並び、時には物珍しい事に占い師なんかもあった。
ああ、なんだろう。割と久しぶりな感じだな。この活気あふれる感じ。
人と人が交差して、時には話し合う。
ざわざわと色んな声と様々な物が動く音が入り混じってある種ひとつの世界を観測する事ができる。
エインズという既知する街を知りながらも
それ以上の街というものを実感させていく。
『随分と広いな』
「大橋から入ってすぐはマルクト国の港市場だ、西大陸の商人は他の大陸からの貿易品や海でとれた素材を全てここから取り入れている。」
『他には貿易港が無いのか?』
「まぁ、な。このニド・イスラーンでは最大を誇る大陸だ。…あるにはあった。他に二つだ。西大陸のここから更に西、一周回って東大陸側へと直接行ける港、それと中央大陸との貿易があった港。だが、どちらもヤクシャ共のせいで立ち入る事すら出来ん。最西端の港は乖離のヤクシャの審判領域によって立ち入る事が出来ない。中央大陸との港は、今はブラッドフロー財閥の提案による帝国との戦争の為に西の軍が占領している。最早はこの大橋側の貿易だけが頼りというわけだ」
『ヒリついてるなぁ。ヤクシャは相変わらずろくな事をしねえ』
「まぁ、そのお陰もあってか、マルクト王国の経済は劇的に成長しているがな。お前は先ほど、この港が随分と広いと言っただろ。その通りなのだ、ここ数年で港の増築が行われていたらしい。知ったのは私も本当に最近ではあったのだがな」
そうか、マリアも長年、竜の島で眠っていたんだもんなぁ。当人も若干浦島太郎状態だろうて。
「はぁ~、わたし、お父様から空から見してもらっていただけだったので。この位置から見る港町は初めてです!」
目を大きく開いて輝かせるネルケ。
この子は何回、ずっとそうやって人という文化から距離を置きながら、ささやかな夢を望んでいたのだろうか
彼女の小さな喜びに俺は少し切なさを感じてしまう。
「マルクトの港市場はどうかしら?わいわいと騒がしいからね。目を回さないようにしなさいね。さ、王国正門近くの酒場にみんなが先に行ってる。行きましょう」
俺たちはリアナに言われるままに進む。
市場に並べられているものが珍しいのかアリシアとネルケはちょくちょく足を止めて眺めている。
それを後ろからにこやかに眺めるリアナ。その目はとても慈しむものを見ている目立った。
『なんか、最近思うけど、リアナから少しずつママみを感じ始めてくるんだが?』
「ママ、…み?なによそれ」
「大丈夫よ、リアナ。パパのいつもの虚言癖だから」
「ジロ、あなた虚言癖があるの?」
『おいおいやめろアリシア。せめて文化の違いから成る言葉のあやだと言ってくれ』
「おーい!お前たち!何している。いい加減道草食ってないでいくぞ」
先を歩くマリアとルドルフが振り返って俺たちを呼んでいる。
「あっ、はい!」
ネルケが急ぎ気味で先を行く。
「さ、いきましょう」
『俺たちもいくぞアリシア』
「うん」
そうこうして歩いていると、俺は大きな壁が右側にある事に気づく。
港とは反対の方向。エインズを超える壮大な町並みに気持ちを持ってかれているせいで気付かなかった。
その壁は、どこまでも高く、青空ににた色をしていた。多分そのせいで気づくのが遅れたのだろう。
『確かに、他と比べて規模が違いすぎる。あの壁がマルクト王国内の境界になるのか?リアナ』
「そうよ、ここはマルクト領土ではあるにしろ、あくまで多国の連中が赴いて商いをする事が許された市場。マルクト国内へ入るとなると王国正門から更に入国許可証とかが必要になるのよ。内側になれば商いの制限も厳しくなるわね。港がここだけになった以上、王国も港の範囲を増築したんだけどね」
『それはマリアから聞いた話だな』
「そのせいもあってね。この境界の外側と内側の商人で若干カーストみたいなものも出来てるわけ。まあ、現状商人からすれば内側で商いをする方が安全だしね。」
『それは―』
「ええ、魔物よ。今は門外で務める王国の兵がいるから何かあれば動いてくれるけれども。やっぱり商人にとって大事な商品に被害があると厳しいものがあるのよ。それに、王国の外側で務める兵の連中ってのはあまり良い話を聞かないわ。日の当たらない所じゃあろくでもない商売をしている連中から金を貰って目を瞑ってるって話もあるしね」
『ろくでもない商売ねぇ』
「ええ、中央大陸の戦争で身寄りの無い人たちをこぞって集めては人身売買、なんて話を聞くわね。とても気持ちの良い話ではないわ」
海沿いの整理された道。その脇で仕事をしている者の身なり…俺はそれを何人もジッと見つめながら
さらにそいつらの後ろに落とされた影に目を配る。
『そこらへんは本当かどうか解らないあたり、大きな街の深い闇を感じるよ。そこらへんは俺のいた世界となんも変わらない気がする』
「へぇ。魔物も魔術もない世界…だったかしら?いい世界じゃない。きっと世界には約束された明日だってあるものじゃないかしら」
『そんな事はねぇよ。皆がどう思っているかはわからねぇ。けど少なくとも俺は、俺たちに約束されているのは、いつどこで迎えるかわからねえ“死”だけだ。そんな世界でたとえ魔法があったって魔術があったって死ぬ事には代わりねぇ…』
「…皮肉ね。あなたはきっとそうやって死ぬ事を選んで意志を示した。…ええ聞いているわ。妻も病で死に、娘も事故で亡くした。そんな決められたような死という運命だからこそ、あなたは抗おうとして自分で自分の死を選んだ。」
『そうさ…だから俺は…』
そこで俺は言葉を詰まらせる。
死を選んだ自身が一体何を望んで死んだのか。
いや、望みは問題ではない。その意志が死を選ぶと言う俺の中の矛盾的発想。
それが過ちでありながらも、どこか自身には掴み取れない温もりを感じてしまう。
「意味なんて無い」
『…え?』
「本当は人の生き死になんてものに、自身の生きる世界では重要性なんてものは無いのかもしれない」
リアナは鋭く眼を細めて歩く先を見据えている。何をみているのかは俺にはわからない。
「もしかすると、世界が滅んでしまったってきっと天も女神も何も感じていないのかもしれない。そう呼ばれるだけあって憂いの言葉を添えたりはしてもね」
『‥‥そうかもな…それに身勝手だ。だから俺は神が嫌いだ。でも、もしそれが本当だったなら。俺達が死ぬ事に意味が無いのだとしたら…それは悲しい』
「ふふ、そうね。私もそうだったら悲しい。けどね、だからこそ、人は生きようとするんだと思う。世界で起こりうる万物の全てをこの身にその五感をもって取り込む事で人は生きる。生きているだけで、前に進むだけで、きっと何かあるのかもしれないって思える。失う事が多くても失った事実を得た自分はもっと違う何かを得る事が出来るかもしれない。」
『まて、意味が無いと言ったのはリアナ、お前じゃないか』
「違うわ、それは世界に与えられた意味よ。でも、私達にはその意味を作る事が出来る。意味なんてものがないからこそ名を与える事が出来る。だからあなたの示した意志を私は否定しないわ。ここで私が聞いて知ったからという結果論かもしれないけれど。それでもあなたのその意志がこの世界に紡がれている。」
『リアナ…』
「けど、私は思う。あなたの意志の使い道はもっと、きっとより良い意味を生み出せるのかもしれないって…話がそれたわね。なんか色々とドタバタしてたせいか、あなたやアリシアとこうやって話すのが久々で嬉しかったわ。行きましょう」
彼女の言葉。それは曖昧な未来の話で、誰にもわからないものをただ進めば良いとだけ言うだけの掴めないものだった。
けど…この瞬間から俺はきっと、自分の中にある「こうする方が良い」という曖昧な気持ちに形を作る事が出来たのだと思った。
もう少し歩くと、海だった景色が浜辺に変わっていく。
そこで働く人々に目をみやる…こちら側を歩いている人と比べて身なりも、その表情もあまり気持ちのいいものではない。
王国というのは外側になってしまうとこういうものなのだろうか?
『ありゃあ王国の外側の人間なのか?』
「ええ、そうね。移民もいるけど、中には外で済んでいるという理由だけで同じ国民でもこの扱いよ。驚いたでしょ。境界ひとつでこの差。これを外側から見た人間は一層この確執を確実なものとさせてしまうの。金を持つ貴族らが移民する際は金さえあれば選べる。そのせいで外に追いやられる人だって少なくない。まさに人の傲慢さを間近で見たような感じね。」
『金さえあれば、もともと住んでいた奴の権利さえも関係ないのか?馬鹿げてる』
「―マルクト国王はそれを憂えてはいるのだけどね。どうにも直属の臣下の誰かが一枚噛んでるって話よ」
『なんだか、こっちはこっちで魔物以上に厄介な事があるみてぇだなぁ』
「そんなものよ。大きすぎる場所には更に大きくするために外のものをどんどんと取り込む。それによって生み落とされたもの…悪く言えば大きな廃棄物が蔓延っている。これが現実よ。…でも、今の私たちが思いつきで頭を突っ込むものでもない。これは然るべき課題なのだから」
『達観してるねえ』
「そりゃあ100年近く生きていれば見たくないものを何度だって見ることもあるわよ。大抵のエルフってのはそうやって外を見て、80年満たすことも難しい人間の生き様に嫌気がさして故郷のアルヴガルズに帰ってくる連中の方が定番であり、お約束なの。」
『互の価値観の温度差に風邪ひいた感じだな』
「ま、そういうところよ…着いたわ」
リアナと暫くあるいて着いた場所。右側には大きな壁からうってかわって大きな門が構えられている。その入口ではエインズ同様に憲兵が通行所を確認して多く並んでいる人を順番に通していた。
そして、その脇にある建物、人が何人も集って賑わっている。途中にあった旅館以上に大きな建物で営んでいる大きな酒場。…いや、でけぇ
想像していた数倍はでけぇぞ。なんならエインズのギルドぐらいの大きさがある。これで酒場?ホテルかなんかじゃないか?
「ここは正門前の酒場、海側すぐにはさっき見た浜辺もあるから、観光地としては有名なのよ。マルクトの人はよく“ゲート前酒場”と呼んでいるわ」
異様に聞き馴染んだワードだ。
「おお!何やってるんだよ!おっせーぞお前ら」
入口前のテラスで頬いっぱいに肉を頬張るピンク髪のツインテール、清音がこちらに向かって手を振っている。
…こいつ、本当に敵だったやつか??
隣でそれを呆れるように頬杖ついて見ているメイと、ガーネット。
俺たちは皆と落合い、マルクト王国の入口前で一段落ついていた。
しかし、酒場の外側にあるテラスとはいえ、大繁盛だ。
酒場といえば賑やかであるのは当然なのだが、こんな真昼間からでも酒を飲んでわいわいと話す人々の会話が何度も何度も交差している。
しっかし、やはり少しばかり…いや、かなり俺たちは風変わりな集まりなのだろうか
チラホラとすれ違う人や遠巻きに見る人の視線が俺と合う。
『アリシア、念の為に言っておくが』
「わかってるわよ。無用心に鞘から出すなってことでしょ?」
ご明察。いまの所は鞘に収まっている事もあって、魔剣だと気づかれる事はない。
こんなに人の目がある場所だ。なにが起きるかもわからないからな。
「まぁ、こんな場所じゃあパパを抜く理由も無いから大丈夫よ」
そう言ってくれるとたすかる。
それぐらいに、ここはあまりにも賑やかで平和だった。
温度差の凄まじいおれの見た目は、割とここに居る人の目には不安の種でしかないだろうよ。
だが、本当にリアナの話を鵜呑みに出来ないほどに門前は賑やかで平和な場所だった。
気になったのは、この酒場の入口の近くで並んでいる列がある事だ。様々な種族や格好をした者がみな揃って並んでいる。
「ああ、ありゃあここの酒場の名物で持ち帰り用の列だよ。それ目当てでこの酒場に来るやつもいるらしい。気になっちゃあいたんだが、コイツがとにかく腹が減ったってうるせえからよぉ。とりあえず席とってお前らを待ってたんだよ」
座った目で清音を見るガーネット。
「ここのご飯うまいよ。人間よりもおいしい」
『お前は少し黙ろうか』
清音の唐突な問題発言を俺は制す。
「はは…」
『ルドルフ…気にするなよ…』
彼女の言葉に少し顔を青くするルドルフにはそれぐらいしか声をかけられない。気の毒におもう。
『それよかおもり役のアンジェは何処行ったんだよ。あいつの不躾には必ずあいつの制裁が下りるはずなんだが?』
「ああ、アンジェラならついてすぐ自身の工房に戻るっつって先に王国内に入っていったよ。どうにも仕事が溜まってるからって言ってた」
「仕方ねえさ。師匠はあれで王国民の義肢の依頼も請け負っている。この辺で名の知れた有名人なら尚更だ」
『そいやヘイゼルは?』
「ああ、あいつならあそこ」
ガーネットが指さした先、そこは先ほどの列だった。…あっ
列の後方、そこでヘイゼルが静かに並んでいた。
「ここの名物ってのが特盛のクレープでよ、どうせパンケーキにご執心な甘いもの好きのアリシアならバカみたいに並び始める事を見越してあいつが代わりに並んでいるわけ」
『えぇ…』
「うっ」
俺の視線に気づいたのか、ガーネットの言葉に涎を垂らしかけた口をかくして目をそらす。
『完全に使いっぱしりになってるじゃねえか』
あいつ、ああみえて“元”ヤクシャだぞ…
「わ、悪いとは思っているわよ。まさか、ヘイゼルがあんなにも献身的だなんて」
そういってアリシアはヘイゼルが並ぶ列へと俺とアルメンを引き連れて向かう。
「―…全く、緊張感ないわね」
眉間をつまむリアナを横にクレープを満足げに頬張るアリシア。
結局のところ、ヘイゼルと一緒に並んで購入するはめになった。
列の後ろの人は子供二人のする事だからと優しく前を譲ってくれた優しい人だった。本当によかった
「んで、これからどうするんだよリアナ。ジロの奴がいうには国王への謁見が必要になるんだろ?都合の目処は立ってるのか?」
「そうね。入国してからすぐにそのまま王城前へと向かうわ。あとは私がなんとかする。」
「結構強引にいくんだな。」
「なに、私の名前を出せば直ぐよ、前にもいったけど、先代には貸しを作っているの」
『貸し?』
「こう見えて、私も昔はアルヴガルズからの使いで色んな国を転々としながら風に運ばれた祝いの言葉を読む仕事をしてたのよ」
『へぇ』
巫女みたいなものか?
「祝い事があると祝福の祈りを捧げるアルヴガルズ伝統の仕事よ。今ではもう古い行事になってしまったけど。昔はそれはそれは多くの依頼を頂いてたの。その折りに、先代マルクト国王陛下と会ったのよ」
そこで顔見知りになったわけだ。
しかし、貸しってのは一体なんなんだろうか?
―…ズン
そんな風に重く響く地響きを耳にする。
一瞬の大きな揺れにその場にいた人々皆がシンと静まり返り海の方を見る。
一方俺たちの連れは先程まで客連中と同化していたとは思えない程に一瞬で顔を強ばらせる。すごいもんだ、これだけで何かを察したのだろう。
そして次の瞬間、
「あそこ!上っ!」
近くの誰かが指を空に指して叫ぶと同時に聞き覚えのある音を耳にする。
バサバサ、バサバサと。五月蠅い羽音が黒い影と共に空から降って来る。
『ありゃあウオガラシじゃねえか!』
ウオガラシの群れが空から降って来るように正門前を嵐の如く荒らしていく。
くっそ、地響きのせいで下の方に気を取られていたっ
唐突な出来事で慌ただしくなる状況で数々の悲鳴と「正門を閉ざして兵を寄越せ!」という怒号が響き渡る。
「“スクォピレァーレ”!!!!」
門を閉じる怒号を上塗りするような怒号が聞こえると共に
大きな緑色の風が渦を巻いて周囲を乱雑に飛び回るウオガラシを吹き飛ばしていく。
―この風はリアナのっ
『リアナ!』
彼女は俺の叫びに首だけ振り返りながら浜辺の方へと駆ける
「話は後で!あんたたち!そっちで二人ウオガラシを対処して!残りは私に着いてきて!!」
リアナが大きな声で指示を出す。
『一体なにがっ!!』
「本命は“こっち”よ!」
俺は視線をそこへ向ける。
そこには、その浜辺には
風景にそぐわないある種の異物がした。
ドロドロと、表面を黒く溶かしていく異形の存在。ぶくぶくと沸騰したような音をたてて
壊れた機械のようにギリギリと身体を小刻みに揺らしながら動かしている。
はっきりとわかるのは四肢を持ち、長い首と角を持ち、尾を持っている。
こいつは…もしやドラゴンか?なら、それならなんで今ここに―
―か…せ…………お…の…‥‥お、を
『え?』
俺の脳内に何か言葉が入り込んでいく。それもブツブツと壊れたラジオのように
「パパ、いくわよ」
『あ、ああ。でも後ろの鳥共は―』
ズンっ
視界を後ろ側に向けた瞬間、紫色の魔力反応と同時に多くのウオガラシが地に伏せっていく。
これは、重力。…ルドルフか!
「こちらの心配には及ばない。ここは私ひとりでもどうとでもなる。君たちはそちらへ」
『ルドルフ!助かる!』
「くそっ、早々に なんだというのだ!」
「わからねえが、これが私の初陣になる事には変わらねえなあ!」
ガーネットもマリアも剣を抜いて浜辺へと駆け抜ける。それを追うようにアリシアも地を蹴り魔剣を鞘から抜く。
『アルメン!いけるか!』
「はい、僕を元の鎖となるようにイメージしてください」
後ろから走る犬のアルメンは一瞬光となって弾け、俺のイメージに合わせていつもの鎖の姿で魔剣へと連なる。
「グ、オォオオオオ、オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」
二本足で立ち上がり空気を震わせて咆哮する。
その大きく開いた口。
それはやはりドラゴンに違いない。しかし、予兆もなしに何故唐突にドラゴンが。
「近くの人は避難させた、いずれは憲兵が応援にくる。とにかくここは私たちで食い止めるわよ」
「ふん、どうだか、憲兵の仕事なぞ無くなったも同然かもしれんな」
「おお、言うねえ。さすが執行者は出る言葉も磨きが掛かってるてか?」
『ひとまずは様子見だ。何をしてくるかわからねぇから警戒だけはしてくれ』
4人で融解されていく異形のドラゴンを囲む。
『いくぞっ!』
この時、俺は気づかなかった。この竜が何者であって
どういう理由でこの場所に赴いたのか。
それを知っていたのはきっと……“あいつ”だけだ。