94:長い夜①
ジョイ・ダスマン改め、ルドルフ・ワイズマンは暫く一人にして欲しいと言われ、俺とアリシアはその部屋を後にする。
理由は大した事では無い。
ああ、本当に大した事では無いんだ。
悪気があって黙っていたわけではない。
…俺ですら思いがけなかった蘇生魔術だ。
まさか身体が全裸のまま現れるなんて思ってもいなかったし、その時の俺はそんな事を気にする余裕もなかったのだ。
さらに言うと、この屋敷には彼ほどの背丈の男が着れる服が限られているのだ。
ネルケはきっと懸命に屋敷中のクローゼットから執事らが生前に使っていた服を探し求めていたのだろう。
あったのは、誰のかわからぬが少し大きめでゆるゆるの星型パジャマ―
ここまで言えばわかるだろうよ…
いや、俺たちもきっとある程度の緊張がほぐれたから気づけたのだろうよ。それはいい事だ。
しかしルドルフはそれに気づくと「お、おうふ」とバツの悪そうな声を漏らしていた。
一応新しい服を頼む所まで話をしたが、それまでどうするのか…彼は気持ちを整理したかったのだ。
『許せ…ルドルフ』
「なんて無慈悲な始まりなのかしら」
『元々、教会の神父をしてたって話だよな…修道服みたいのどこに売ってるんだろうか』
「シアに聞いてみるといいんじゃない?」
『ああ、丁度いい。リンドの様子も見なければならないしな』
と、そのまま廊下を歩き
リンドとシアの居る部屋まで直接向かおうとする矢先。
「すまない、ジロ。少し良いか?」
どうやら俺たちが話終えるのを待っていたのか、道中の壁に寄りかかっていたマリアがこちらに近づいてそう言ってきた。
『一体どうしたんだよ』
「ついぞ前の話になる。あの蛇男の話だ」
『ヴィクトルの事か?ああ、お前もああいうタイプは好きじゃないだろ。みんなは知らないと思うが、俺はお前さんが割と黙って聞いてて肝を冷やしていたぞ』
「あいつに関しては確かに気に入らない部類だ。話していても、気づけば気づくほど、自分の立場を有利にもってこうと進める感じがいけ好かない。殺したい」
『いや、物騒だわその発言』
「だが、その話では無い。もう一つ重要な事だ」
『なんだ?』
「単刀直入に聞く。お前は私の一連の記憶を見たのだろ?」
『あ、ああ。そうなるな。…なんだ?まさかプライバシーの話を今更するのか??法的な処置みたいな話するのか?弁護士呼ぶのか?』
「お前が何を言っているのかは一切を理解出来てないが、見たのだな?ならば、ならばだ。気づきはしないか?」
『どういう事だ?』
「王都エレオス。お前は知っている筈だ…私の記憶知っているのならばな」
『…………………まて、』
そうだ。俺は知っていた。
王都エレオス。それは、かつてマリアが征伐しに赴いたという国。
古の渦より現れた魔神レメゲトンが魔物の軍勢を率いて、人びとを蹂躙し
それこそは伏魔殿と化したあの場所だ。
「滅んだ国の跡地と奴は言っていた。確かにそうだ。あの場所はかつてレメゲトンによって滅ぼされた筈の国なのだからな」
『…何が言いたい』
「私たちは征伐を終えた後、魔物に殺された死者らの魂を弔う。国民は当然ながら、王国の王や臣下も含めてだ。…しかし、その中で私たちは未だに見つける事の出来なかった者が居たのだ。その後も数日暫くは“彼女”の捜索をしていた」
『“彼女”の…って、マリア。まさかその彼女ってのは』
「ああ、王都エレオスで王の唯一のご息女。彼女の名もまた、イヴフェミアだった」
『どういう事だ…滅んだ国で行方不明になっていたお姫様がいまでも雲隠れする国で生きていると言いたいのか?』
「確証は無い。あるいは同名の存在である可能性もある。…だが、私にはその存在が同一人物である気がするのだ」
『どうして、そう思う?』
「…ま、単なる勘というやつだよ」
しかし、あの場所での歪んだ空間。
それを作っているのが闇属性の魔力となるならば、…一体それが魔業商とどう関わっているというのだろうか。
「パパ。今考えても仕方のない事だわ。どうせ全て、目的の場所に着けばわかる事。一先ずはリンドの様子を見に行きましょう」
『ああ、そうだな』
マリアは少し疲れたから寝ると自室に戻った。
俺とアリシアがリンドの眠る部屋に入ると、シアがベッドに眠るリンドの手を両手で強く握りしめながら
それを祈るように自身の額に当てていた。
『シア。リンドは―』
「…ダメです。確かに呼吸もしていて、生きてるのは確かなのですが…一向に目覚めようとしないのです。肉体面の損傷も既に回復されていてるのですが、精神面での負担が異様に大きいようなのです。まるで、心を閉じ込めているようです」
顔を横に振るシアの目端には涙が溜められている
どうやら、思っていた以上に状況は芳しくないようだ。
彼女から聞き出したい内容がある筈なのに、未だに口が開ける状況ではない。
一体リンドの心を何がここまでさせてしまっているのか…
俺はふとニーズヘッグの存在を思い出す。
『リンドは、ニーズヘッグを追うと言ってそのままアルヴガルズに残っていった。あいつは、奴に対して異様に執着していた。シアは知っているか?ニーズヘッグ、魔王竜と言われた男の存在を』
「…ニーズヘッグ様は、他の知恵持ちの竜と違い、人への愛が歪んでいるのです。人という生命は理不尽な状況にこそ、生存本能を発揮し、その身を幾度となく進化させていく。それを求めすぎるあまりに、人の個というものに対しての認識が排斥されているのです。ただただ人は強く成れ。強く在れ。まるで植物に水を注ぐように、理不尽な試練を人に与え続ける。それによってより強靭な人が生まれると信じているのです。だからこそ、リンドヴルム様はそんなニーズヘッグ様を毛嫌いしていた。人の個、その個が織り成す魂の育みを、“運命”と呼び愛する彼女にとってそれは到底受け入れ難い思想だったのでしょう」
『魂の育み…ねぇ』
魂は情報を糧にして魔力へと変換させる。なる程、魔力の流れを見極められる彼女にとっては、当初のコンプレックスだった視界を人と共に愛する事が出来ていた筈だったんだ。だからこそ…個という存在を尊重する。
『同じ知恵持ちの竜でもこんなに求めるものが違うものなんだな。いや、求め方というべきか』
そして、マリアの記憶でみた手紙。ドラゴマイト鉱石の管理をニーズヘッグがしているという事実は確かに確信犯だと思わざる追えないのだろうよ。
今のところ、そこで引っかかっているんだがな。
「リンドは、まだ暫く目覚めないのかしら」
「…はい。今は、静かに見守るしか無いようです」
そうなる以上は仕方がない。ひとまずは今回の依頼を受けて次に進むしか無い。
俺たちは、まだ残ると言うシアを後にして…
『ああ、そうだ。シア』
「あ、はい。なんでしょうか?」
『実はさっき、ルドルフと話をしてきたんだよ』
「ネルケ様から話は聞いております。化物が人に成り代わったと」
『お、おう。そうそれ。それでだなぁ。まぁ色んな経緯を割愛させていただくんだが、俺らと共に行動する事になったんだ』
「はい」
『それでだな…あの、そういう服って、お店とかで売ってるようなもんなの?』
「はい。…え?」
―売ってません。
結論からいうとそういう事になる。
信徒に与えられる服というのは特別なものになるそうで。
材質にこだわり…というか、なんか元々素材に祈りを捧げたりと色々な過程を通したものでないと信徒が袖を通す代物としてのライセンスに関わってしまうらしい。つまり全てが非売品、全力特許の特注品になる。
しかし、シアはすぐに羊皮紙を取り出すとすらすらとペンで内容を書き、それを窓に寄ってきた小さな鳥に掴ませて運ばせる。
「明日の夕暮れ時にもなれば小包みが届くはずです。教会自慢の特急伝書鳩。通称ポロポッピちゃんがすぐさま届けてくれる筈なので」
『すんげぇ名前(アマ○ンプラ○ムかよ)』
子供笑しに来る名前だわ
その名前を聞いてチラっとアリシアの方を見る。
「…え、何?どうしたのパパ」
どうやらこの子のツボでは無いらしい。
色々と達観している部分もあるし。
きっと気難しい年頃なんだろうよ
「ねぇ、ちょっと。なんか失礼な事思ってない?なんかその視線腹立つんだけど」
「内容としては男性の教会の制服を手配させて頂きましたが、それでよろしかったですね?サイズも“ガリオーク”でいいんですね?」
この世界の服のサイズの呼び方基準がイマイチわからないし、突っ込むつもりも、これ以上知る機会も必要もないが
どうやら“ガリオーク”というのは背丈の高い男性用サイズの表現らしい。申し訳ないが俺はちょっと笑った(鼻で)。
一先ず服の件はこれで解決するだろうと安心したので、ルドルフにはその旨の一報を伝えた。
そして俺は、一先ず皆を待たせている食堂へと向かう…と
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!いだいいだいいだいいだいいだいだいだいだいだいっ」
「おいおい、辛抱しろよ。あんた軍人なんだろ?こんなんで痛がってんじゃねぇよ。自分の脚ふっとんだ時もこんな生まれたての赤ん坊みてぇな声で喚いてたのか?ああん?」
「ガーネット。頑張って」
「ネルケ、ご飯おかわり頂戴」
「あ、はい。すぐ持ってきますね」
「あんた、そんな細身で結構食べるのね。キヨネ」
――案外、混沌ってのはすぐ身近にあるものなのかもしれない
アンジェラとヘイゼルに押さえつけられて、それに対し藻掻くガーネット
食べ方の行儀が悪い…というか汚いキヨネにいそいそとオカワリを持ってくるネルケ
それを遠巻きに杖を磨きながら見守るリアナ
―あっ。あれだ。
これ、なんか既視感あると思ったら、学校の運動部の部室だわ。
アリシアがあまりの様子に俺を抱きしめながら外野である事を主張するように少し離れた距離で眺めながらカニ歩きし
リアナに近づいていく。
「ねぇリアナ、あれ何してるの?」
「ああ、あれはね。ガーネットの新しい“脚”を取り付けているところのなの」
『新しい脚?』
「ほら、アンジェラの本職って絡繰機構を使った義肢の提供じゃない。彼女、こんなままでいつまでも前線に立てないのはもどかしいって」
『ああ、だからヘイゼルもあんな懸命に抑えてるんだな』
「責任感じているのよ。あの子も」
ガーネットは結構な表情で泣きながら喚いている。確かにアンジェラの言うとおり。
軍人ならその痛みぐらい大した事はないんじゃないかなとは思うが
「本人も、すぐに終わらしてやるって気合入れてたんだけどね。あれ、実際には相当痛いらしいわよ。初めての時は
義肢が身体の神経に馴染むまでは意識飛ぶ直前まで電流を流れ続けるから、ジワジワと痛みが来るんですって」
『うへぇ』
「聞いてるだけじゃ実感はわかないが、とりあえず声に出してみる」
『いや、まるで俺の心の声が漏れたみたいに言わないでくれ。アリシア』
「マジ!やめて!もうお願い!許して!!ヘイゼル!!離してくれ!!もう、痛いのっ!苦しいのっ!!」
ガーネットが背後で自身を押さえつけているヘイゼルに懇願してわめく。
「…ごめんなさい…ガーネット」
ヘイゼルはそんな彼女を見ながら片目から一縷の涙を頬に伝わせる
「あっ、がんばる。がんばるから。そんな泣くなって…がんばるよ私。ねぇ?あだだだだだだっだだだだだだだだだだだだだだっだだ」
ここまで来て、“大丈夫”と応えずに“がんばる”というあたりガーネットの受ける痛みのやばさを痛感している。
もう荒々しい呼吸が、なんか怨霊のそれなんだ。文字に表したらきっと全部濁点がついてるだろうよ。
―暫く待っていると
「ほら、これで終いだよっ!」
バチンと弾く音が響く。
「でぇっ!!」
ガーネットの高めのダミ声も響く。
「いや、終わったからって別に叩かなくてもいいだろうが!」
「ああん?お前はご飯食い終わったら両手合わせて“ごちそうさま”も言えないのか?それと一緒だよ」
「それとこれがどうなりゃ比べられる話になるんだよ!!」
「物事の起結はしっかりと鳴く。そして鳴らす。それが長生き健康の秘訣なんだよ」
「はぁあああ??じゃあ鳴いた!鳴きましたァ!『でぇっ!!』ってさっき鳴きましたァ!」
大人気ねえ。
「そうかい、じゃあお前は今日も長生きで健康だなよかったなホイホイ」
『ホイホイってお前…』
「おう、来てたのか。魔剣」
『ああ、ひと段落はついたさ。そういや、メイはどうした?』
「んあ?ああ…あいつなら少し夜風にでも当たってるんじゃねぇか?」
『えらくノスタルジックじゃねぇか。あいつ、あの襲撃依頼えらく静かなんだよなぁ』
その言葉にアンジェラは珍しく下を向いた態度を示す。
「ああ、あいつにも色々あってな。一通り話は聞いている」
『話って?』
「―あいつが思いつめるようになった原因は、サツキが関係している」
サツキ。サツキ・スミス…メイの父親であり同じ鍛冶師を営んでいたという男か
「元々あいつが私の所に弟子入りしたのも、親父を追っているからなんだよ」
『追っている?それは、技術面で追い抜きたいとかそういう意味か?』
「いんや、物理的にだ」
『サツキを探しているのか?』
「あの男はよぉ。ある日を境に家族にも目を向けず、ずっとカタナを打ち続けるようになっちまった。
そんで、自身が打ったカタナを色んな場所に捨て置いて行方をくらました。あいつが父を知る手がかりは、そのカタナだけなんだよ」
カタナ…そういえば、魔業商の一人に中年の男。ゼタと呼ばれた男がカタナを一つ持っていた。
「けど、もう結局手がかりのカタナを見つける事がないまま、あいつは数年を経てスミスの称号を得た。
あいつはそれを節目にサツキの影を追うことをやめて鍛冶師としての道一本で生きる事に決めていたんだよ。そのカタナを見つけちまうまではな」
父親への執着。その思いを一度は捨てた彼女が今になってその手がかりを、それも魔業商の連中から見つけてしまった。
そこから生まれる葛藤はきっと―…
『ありがとうアンジェラ。俺は少し用事ができたよ。アリシア、いいか?』
「ええ、かまわいわ」
「へぇ。後の話は直接本人に聞くってか?ああ、それがいいさ。あいつならきっと庭にいる。少し話し相手になってやれ。私はもう少しこいつの“あふたーけあ”もしてやらないとなぁ」
ガーネットを前に指をコキコキと鳴らすアンジェラ
「え?まだ他にやるの?」
『ああ、頼む』
俺とアリシアはすぐさま食堂を後にして再び庭の方へと赴く。
その道中でアリシアは少し寂しそうに言う
「メイも、メイのパパの事が好きだったのかな…」
『ああ』
「ずっと目の前に居るはずなのに自分の事を見てくれないパパがどんなものなのか私にはわからない。そう思うと、私はまだ幸せだったのかしら」
『…いいや。幸せは他人と比べるもんじゃねえ。不幸も一緒だ。自分が感じたものの一切は自分しか知りえない。共に感じる事が出来た人が居たとしても、その気持ちと向き合うのはけっきょく自分だけなんだ。だが、そんな孤独な分だけ周りがなんとかしてあげなくちゃいけねぇのかもしれない』
だから、俺たちはメイにとってそうであるべきだと思った。
『俺にはわかるよ、好きじゃない奴の事なんかいつまでも引きずるわけがねぇんだ』
「…それもそうね」
ああ、扉を開くと夜空には大きな月が映える。
『よぉ、メイ』
「その声は、ジロケンか―」
その下で、月の光に当てられて、こちらに見向きもせず空を仰ぐメイの横顔は
いつもとくらべてやはり寂しそうな表情をみせていたのだ。