93:和解
―これから話すことはきっと、俺とアリシア以外には聞かれれば厄介になる可能性を孕んだ内容だ。
幸いにも、リンドとシアが居る部屋はこの部屋のすぐ隣では無い。
この大きな屋敷に感謝する日がくるなんて誰が想像出来ただろうか、
そもそもそんな事を余計に考えるだけ、まだ俺にはどうやら心の余裕があるようだ。
「…初めまして…と、言うべきだったかな?」
弱々しい声を耳にする。
俺とアリシアが来て暫くは、マリアとガーネット、そしてリアナの三人が警戒するように彼を囲んでいたが
後から来てくれたネルケと俺の頼みもあって、しぶしぶこの部屋を後にしてくれた。
今は俺とアリシア。そしてジョイ・ダスマンしかこの部屋には居ない。
その白髪のせいなのだろうか
ベッドから半身を起こして目覚めた割には、あまりにもやつれている表情に少しばかり体調を心配してしまう。
もとより生き返った人間の身体がどのような構造になっているのかも分かりかねてしまう。
『…―ああ、一応。初めましてになるんだろうな。多分、俺とこの子が一方的にお前を知っているだけにすぎないのだと思う』
「…本当に剣が喋っているのだな。そこな少女では無く。…いや、君の魂は確かに感じていた。しかし、まさか、それが魔剣だったとは。あまり慣れない感覚ではある」
『剣が喋るなんざ、驚かない人間もそういねぇだろ。それが正しい人間の反応だ、合ってるよ』
「随分と人間じみた喋り方をするのだな。世界からすれば、君みたいな種は呪いの類だ、或いは魔神…そう呼ばれていても過言では無い。そういう奴らは価値観がとうに我々とはかけ離れた存在だ。きっと普通の人間であれば君のような存在は甘い言葉を囁き、魂を喰らう悪魔と同類で見てしまうだろう。そういう先入観を少しでも持っている。故に慣れないのだよ」
『すまんな。俺は元々人間なんだ。だから価値観が人間と一緒なのは当然だ。俺も不思議に思うぜ。あんたみたいな考えの奴と俺は何度も何度もめぐり合うとは思ってたんだがな。どうも俺が出会った連中はそこらへんがぶっ飛んでて異様に飲み込みが早かったよ』
「そうか。いいや、でも確かに聞こえていたよ。君たちが、私に呼びかけていた事は気づいていた。あの言葉には確かに熱があった、目を開けば実際に熱い槍が胸を貫いてはいたがな」
彼は軽い冗談を嘲笑しながら胸元を抑える。
『…だからあの時、お前は自分で死を選んだのか?』
「ああ、そうだ。だってそうだろ?」
俯くジョイは胸元に当てた手で強く拳を作るように握り締める
「元々、いきる価値も無い私に、“あんな事”をしてまで生きる意味があるかね?…終いには化物の傀儡だ。私としては唯一残された私自身の確かな救済だと思っていたのだよ」
『気持ちを察するよ』
「……………………………………気持ちを察する?」
弱々しい視線が少しばかりの棘をちらつかせるようにこちらへと向けられる。
絞り出した声にはやや間があった。
どうやら俺の言葉が気に入らなかったのだろう。だから俺はこの男が次に出す言葉がどんなものなのかはひしひしと感じていた。
「ならば…いや、すまない。先に言わせてくれ。君たちの気持ちを私も出来うる限り想像したうえであえて聞かせてくれ。薮から棒にこんな事を聞いてしまって申し訳ない…ならば、ならばだ」
彼は一度息を吸う
「…―何故、私を生き返らせたのだ?」
つらづらと前置きを並べて言うのは俺たちに理由があるだろうと理解している事を示しているのだろう。
だが、最後に来る言葉、質問はやはり、想定していたとしても俺の言葉がすぐには出てこない。
こいつは本当は楽になりたかったんだ。
自分の意志でなくとも、積み重ねた罪をその人間の身で抱える事はあまりにも重すぎる。いまでさえ押しつぶされそうな気持ちなのだろう。
決して生き返らせてくれた事が「ありがとう」に必然的に紐づく訳ではない。
それどころか、きっと憎まれる事だって有り得る。
だからこそ、彼は理性的に聞いている。
きっと理由がある、意味がある。
彼は後天的な神の信仰者だ。
神に等しい偉業には神故の崇高な使命、ご意志があるのだと。
期待していなくとも与えられるものならば甘んじて受けたい。
きっとそれが彼にとっての暗黙の免罪符になるのだろう。それを得られるのならば、今は心に嘘をついてでも正気でいられる。
それほどまでに意識がある分だけ欲しがっている。
ああ、簡単だ。神の意志だと嘯く事できっと俺の小さな憐憫にさえも目をそらして互いに騙しあって向き合う事が出来る。
けど、それじゃあ何の意味も無い。
『お前が可哀想だと思った。そう思ったらお前が生き返った。それだけだ、それ以上でもそれ以下でもない』
そんなぶっきらぼうな返答にジョイは唖然として見ている。
眉毛をハの字にしている。
口がぽっかり空いてるという表現はまさにこの事なのだろう。
きっと単純な答えに気持ちに処理が追いついていない。
だが、俺とて嘘は言ったつもりは無い。
少し違うのは、俺が自身の憐憫という感情に向き合ったという話だけだ。
「そんな理由だけで、こんな罪人を生き返らせる必要があったのかね?」
『俺に聞くな。必要だったからというのは正しくない。正確には可能だったから出来たと言っていい』
「馬鹿な。アルス・マグナを理解しているのか?大いなる力には伴って大いなる代償が必要になるものだ。君は、その代償をなんとも思わないのかね?」
『それも俺に聞くな。俺が知りたい。代償を支払ったつもりは無い』
「代償も無しに人が生き返るか?有り得ない」
『ああ、有り得ないよな。だから正直、俺もお前が生き返った時から暫くは庭の景色を眺めて自己嫌悪に陥ってたよ。だってそうだろ?
俺はお前の意志で死を選んだ気持ちに酔いしれるばかりにお前を死なせたくないってきっと心の奥底では確かにあったんだよ。けど、そんな感情だけで蘇った途端にどうだ?俺は両手を上げて喜んだと思ったか?それなら残念だが、上げる両手もなけりゃあ、昂ぶる気持ちもこれっぽっちも無かったよ』
「…」
『むしろ俺は恐れたよ。そうやって誰かにきっと否定される事。生き返らせた本人が戸惑う事、そんな全ての嫌な想像ばかりが溢れ出たよ。同時に、俺はきっと大きな力なんてものを扱うには向いていない、とびっきりの小心者ときた、気づかせられた。最終的に残されたのはあんたが望む崇高な神のご意志もあさっての方に投げ出されて理解不能同士のどうしようも無いこの対話だ』
「…神ですら望まれなかった生だというのか…?こんな罪人が、意味もなく生き返ったというのか?」
『そうだよ。意味があったのだとしたら、さっきも言ったよな?俺が、お前を可哀想だと思ったから、生き返った。ただそれだけだ』
ジョイは、「あまりにも無慈悲だ、こんな罪人を…こんな…」と狼狽しながら両手で顔を覆い尽くす。
『でも、俺はこれでよかったと思ってる』
「…?君は何を言って…」
『俺は、あんたに生き返ってくれてよかったと思ってる』
そう、憐憫を自分のモノにしなくてはいけない。
それを認めて、ようやく自分の伽藍堂だった行いに確かな意志があるのだと確信できる。
「わからない。死ぬべき人間の私に君は何を言っているんだ?」
『死ぬべき人間かどうかなんてどうだっていいだろ?もう、あんたは一度死んでるんだよ。生き返ったんなら、もうチャラだ。
生きてる以上進むしかねぇ。俺は知ってる。あんたがそうやって見えない免罪符を受け取ろうとしている事ぐらい。でも、もう十分だ。別に生き返って幸せになれなんて無理なことは言わねえ。死にたいと思う事だって否定はしねぇ。起きてるのが辛いならここでずっと寝ててもいい。どんだけ寝ても目が覚めて辛い事だってあるさ。視界が灰色になる事だってあるさ。でももう死ぬな。可能な限り生きてくれ。あんたがこの後死ぬ以外の事を何しても俺は言わねぇ。誰がなんて言おうと俺はあんたの生とそれからの行動を認める。それが俺の生き返らせたなりの責任だ』
「…」
『外面がいかに良くったって、いかに鮮明に彩ったものだって、人間の中身ってのは結局のところ本質は闇だ。内側に隠されている以上
、腸だって真っ黒なもんに違いない。でもよ、嘆き、怒り、絶望、そんな全てをあんたがあんた自身の心に与えているものはやっぱり、誰になんて言われても、光に違いないんだ。考え続ける限り、魂は光として在り続ける。だから熱を感じる、その熱を今もどうもせずにいようとするなら、もう人間を止めてしまえ』
「君は私を肯定しているのか?否定しているのか?」
『気になるんなら戸惑うな。もう、罪人ごっこをするな。出来るんなら、あんたにはいい人ごっこをやって欲しいさ』
「なんて無茶苦茶を言っているのか自分でわかっているのかい?」
『自分でだって何を言いたいのかわからねえよ。でも、あんたの死にたい気持ちを溢れ出す姿を見ているとさ、思い出すんだよ。俺が死を選んだ時の自分の影を追ってしまうんだよ。』
「…君も、死を選んだのかね?」
『そうさ、死ぬだけ死んで、神様ってやつにこっちの世界で、魔剣として演じるはめになった。…今でも俺は結局、この姿のままでいる限り、妻の忘れ形見である娘を目の前で死なれて、それでも取り残された自分が苦しくて死んだしょうもないただの人間さ。自分を殺した事が殺人に入るなら、本当に脆弱な人殺しさ』
「娘を…しかし、ならそこに居る子は…いや…そうか」
何かに納得したように彼は俯いて瞑目する。
「君は、前に進むことが出来ているのか」
『…別にそういうわけじゃないさ。ここに来たって苦しい気持ちがどんどん増えているような気もするしな。でも、その分見つけられた小さな幸せにはお釣りを出したい気持ちにもなる時があるさ。俺にはまだ識る事が出来る事がたくさんあるんだってな』
「随分と面白い事をいうものだ。俯瞰…そうだ、あまりにも君の言葉は人間の立ち位置よりは少し上の解釈が見られる。なるほど、ドール=チャリオット…叡智の奇跡の申し子というわけか」
『なぁ、正直俺はこの世界にはあまり事情通ではないんだ。それこそ、この世界の歴史なんてものを知る由もない。だが、皆がみな俺たちの事を、叡智の奇跡なんて呼ぶ。“ドール=チャリオット”。俺はそれがヤクシャと対を成す存在であるとか、十指の戒律に出た物語とか、その程度のふわふわとした事しかしらねぇ。なんなんだよ。ドール=チャリオットってのは』
「何、古の教えさ。」
一は起源、我という存在を持つ事。それは始まりの奇跡。
二は次ぐもの、違うものを指をさして、畏れ、認識する。それは訪れた“名を求める”厄災。
三は紡ぐもの、その畏れを克服し、触れる。それは得ることの出来た繋がりの奇跡。
四は断つもの、繋がりに訪れた差異は更なる畏れと否定。孤独では無い故に、袂を分かつ。それは離れた先、対岸を認識する、“断たれる”厄災。
五は治めるもの、対なる繋がりが寄り添うための頂き。王の証。それは器、そしてそこにおさめる事の出来た調和の奇跡。
六は争うもの、王と王。器と器。国と国。それぞれに生まれる思想の矯正。その根底にある獲得への執着。淘汰を認識する“二律背反”の厄災。
七は識るもの、地の摂理をシンを以て克服する天よりの俯瞰。理解を育み、高きより道を眺め、その外殻を認識する事の出来た叡智の奇跡。
八は繰り返すもの、奇跡と厄災。その一切を理解し、故に強大、巨大。それは、その身…その思考では持て余す無限に等しい虚無。追うものと追われるものの呪い。“永劫なる”厄災。
九は超えゆくもの、奇跡と厄災。そしてそこから生まれる輪廻を理解し、永劫の虚無を打ち砕く黎明の探求者。それは次元を超越した者の至る奇跡。
十は選ぶもの。全ての境地を凌駕する故に手に持つ奇跡と厄災。その表裏を取捨選択する決断、課せられる責。迫られるものをやがて人は厄災と語る。
この起きうる意識の変化とそれに連なる事象を人の手が触れる事が可能な域として、十の指から因んで
十指の戒律と呼ばれている。しかし、大抵の人間は未だに6番目の領域から抜け出せないでいると語る。
故に人の魂が住まう心の臓は思考を司る脳よりも下にあるのだと
ここまで聞くと、なんだか胡散臭い宗教か啓蒙、はたまた話半分で学ぶ神話のようだ。
実感が全くといって無い。
しかし、なる程ヤクシャとは人の受け入れがたい負を羽織る演者の事だと腑に落ちる部分もあった。
それ故に演者は人では無い何か、或いは人であった何か、人に因んだ何か、強いて言えば人である事が伺える。
「―それぞれには物語があり、奇跡には各々の主人公が語られていた。名も無き人から始まり、旅人、王、子、そして英雄。その中で“子”として語られる7番目の物語には少女が描かれていた。それは理解できる限り進み続ける少女、ドール=チャリオットと呼ばれていた。そう、まるで君のようにね」
ジョイはアリシアを優しく見つめる。
「その物語の語り手は、不思議な事に、常に少女が肌身離さず持っていた喋る剣であった。面白い視点で語られ、語り部である剣の飄々とした態度はどこかしら愛嬌がある事で有名でね。まさに、今の君たちのようにさ。そのせいか、七番目の物語だけを異様に執着して信仰する輩もいたものだ。そういう連中はみなお守りのように剣の鞘にドール=チャリオットという文字を彫っていたと聞く」
『いや、7番目の物語だけを信仰するって…それ完全にロリ…』
「ん?」
『いや、なんでもないデスヨ』
俺はそっと目を逸らした。
「だが、そうやって知りたい事を識る事で、自身の進む糧にしようとする事。それは確かに生きる本質である事を…いま、思い知らされた気がするよ」
『生憎だが、俺はそこまで高尚な存在では無いさ。アリシアだって定められたからドール=チャリオットとして在るわけではない。俺たちにそんな偶像を重ねる事は余計に心労を増やすだけだぞ』
「謙虚な判断ではあるだろう。しかし、君たちは他が為にではなく、己の為に、それに習う必要もあるという事は忘れないで欲しい」
『多少は参考にするよ』
「…すこし話が逸れてしまったようだ。すまない。本題はここからになる」
本題。彼はそう言った。
今までの話は多分ここに至る過程の心情を俺たちから伺う事で、その話を持ってくるべきか彼が見極めていたのだろう。
是として受け入れてくれるのならそれはありがたい事だ。
「私は覚えているのだ。魔業商が何を目的としているのか。…この身体に宿す魂が教えてくれた」
『目的?人の魂こそが魔力のリソースとして効率が良いからって話か?』
「それは単なる過程にすぎない。奴らには最終的な目的があるのだよ」
『…ジャバウォックか?』
「そこまで知っているなら話が早い」
それはマリアの記憶から読み取ったニドとの会話に何度か出てきた名前。
そして、アリシアの母であるアリアを寄り代にして強引に発動した極大規模の魔術にある名前でもある。
「あの名を連ねた魔術は大きな魔力を必要とする代わりに、その存在が齎す世界の影響はあまりあるものなのだ」
『そのリソースに人や強大な魔力をかき集めている事は知っている』
「だが、その強大な魔力を一気に放出するためには、それを霧散させないように収束させて放つためのシリンダーが必要になる。それが天使だ。天使は次元のかけ離れた存在であり、その存在を個として認識する事は我らでは非常に難しい。故に天使に由来するこちら側の生命を生み出す必要があるのだ」
『それが、天使の子か』
「そうだ。そして奴らはそれを求めて君たちのいる街、エインズに“アリア”という女性が収容されている事がわかった。それが今回の魔業商の襲撃による一端だ。そして、アリアの聖骸を手に入れた暁には、その器を以て、この世界にジャバウォックという存在を顕現させる。それは世界に大きな爪痕を残す事になるだろう。その大きな事象に対し、何れは神が天の座から天使を寄り代にさせてしまった責を負ってこの世に降りるしか無くなるだろう。そう、極界におられる神を強引に呼び出す事が、魔業商の狙いなのだ」
『なんの為にそんな事を…』
「単なる興味本位だ。その至極単純な理由こそが、スフィリタスという存在の恐ろし本質だ。その為だけに人を殺し、奪い、使役する。観測者として、倫理が壊れているのだよ。やつは」
女神アズィー…神を観測する。そんな単純な理由で多くの人びとが犠牲にされていく。
それを神は知る由が無かったのだろうか?知っているとして、なんとも思わないのだろうか?
もし、今すぐに神に会えるのならばそれを犬のように叫んで耳にねじ込みたい気分だ。
クソ…そのようにするには、どうやら極界へ向かうという本来の目的に臨む必要がある。
『…まて』
俺は違和感を覚えた。
ジャバウォックを理由にアリアを求めて今回のエインズの襲撃を行ったと彼は言った。確かに言った。
『お前たち、魔業商は一体どこからその情報を手に入れたんだ?』
「…それはわからない。だが、その情報を手に入れたのはゼタという男だった。中年の男で、亜人、ライカンスロープの一人だ」
『それまでにお前たちは何をしていたんだ?』
「…?何故そんな事を聞く?」
『いや、だってそうなるとおかしいんだ。だって…』
俺はずっと思い込んでいた。魔業商が元々ジャバウォックの詩篇を試行する為にアリアを殺した。
そして、そのアリアの聖骸となったものを回収し損ねたんだと。
いや、なら何故…あの時、アリシアを刺した連中は俺という魔剣を回収しようとした?
スフィリタスは俺たちの事を全く認知していなかった。
それじゃあ筋が通らない。
『まさか』
…ジャバウォックの詩篇を試行した存在が、別にいた…?
駄目だ。今考えても答えがすぐに出てこない。
これを知るために重要なのは…リンドヴルムと、その情報を得たというゼタから詳しく聞き出すしかない。
「君たちは、奴らの所に向かうのだろう?」
『…ああ』
「なら、これは忠告だ。天使の血筋を持つ存在。それを認知された今、当然この子、もその狙いにされている。」
「…私が…」
アリシアは自身の胸元に手を置く。
「話していくうちに私は気づいた事がある。納得すべき点と言っても良い。その魔剣の内側に秘められた魔力がどの程度なのかは計り知れない。
しかし、人を生き返らせる魔術を行使する規模の魔力を放出可能とするという事は―」
『…アリシアが、天使の血筋であるから…そう言いたいのか?』
ジョイは静かに頷く。
確かに言われて納得出来る内容だ。
ニドもマリアにはそう説明していたし、俺とアリシアがこのような状態であるが故に、ネヴラカナンの末裔…シアがこちらに赴いたとも言っていた。
「君らの存在は君らが思う以上に重要である事を今一度その胸に留めて欲しい」
『ああ、忠告は確かに受け取っておく。しかし、それでも俺たちは奴らが居る国、エレオスへと向かう事だけは変わらない。』
「そうか、もう既に場所は知っているのだな」
『ああ、あんたの語った十指の戒律。そのヤクシャを演じる男の一人にな』
「…不思議な話だな。まるで御伽噺の一文を聞かされている気分にもなる。ヤクシャとはそもそも人に厄災を齎す存在だ。だが、君はその男の言葉を信じている。果たしてそれを浅はかな事と受け入れるべきか…」
『安心しろ、俺は結構この短時間でとんでもねえ連中との一期一会を繰り返してるんだよ。それもこの世界の事情をさほど知らない中でな』
「…それは、気苦労も絶えないだろうに。もう、私が話せる内容はここまでだ。勿論、君らの蘇生させる力に関しては口外しない。」
『…これからあんたはどうするんだ?』
「さぁて、どうするかね」
ジョイは夜の庭を窓から虚ろな目で見つめている。
『…もし、もしもだ。あんたが良いって言うなら、どうか俺に力を貸して欲しい』
「…私の力を…?」
ここからは俺の我が儘になる。そして、この我が儘を言うために
俺は彼に全てを正直に打ち明けた。神を理由に救おうとしなかった。したくなかった。
『俺の、俺自身のお願いだ。あんたのその知識だけでも良い。それは何も知らない俺には非常に必要なものなんだ。だから―』
「…」
ジョイは暫く考えると、きゅうにベッドから足を出して立ち上がる。
…ベッドで横になっているから気付かなかった。
彼の身長は通常の男性の高さを頭一つ抜く程に上回っていた。
そんな彼は見上げるアリシアと俺を静かに見下ろすと。
「すまないが、私からもお願いを一ついいかね?」
『え?お、おう』
あまりの事に俺も狼狽えて返す。
「名前はアリシアと言ったかね?」
「そ、そうだけど?」
アリシアも、急に立ちはだかる彼に戸惑っている
「少しだけでいい。アリシア…君のことを抱きしめてもいいかね?」
そのお願い事に俺とアリシアはひどく驚いた。
しかし、俺たちはすぐに納得はした。彼の中に残された教会の子供たちへの後悔がきっと無性にそうさせてしまうのだろう。
『…ああ』
俺の返事から彼は何も言わずにアリシアの前で膝をついて抱きしめる。
「すまない…。すまない…」
アリシアの小さな身体を、彼の両腕が包み込む。
彼がどのような表情で抱きしめているのか、確かめるつもりも、必要もない。
ジョイ・ダスマンはきっと一人の少女に、守れなかった子供たち全ての姿を重ねているのだろう。
幾度と漏れる同じ言葉は、声は、いろんな色どりを見せながら震えていた。
自分がいままで化物であった事を自覚しながら、人である事を改めて思い出すように、彼女から、人の体温を感じているのだろう。
血の繋がった子がいたわけではない。だが、彼も、確かに子の親であった事を俺は思い知らされた。
アリシアはそんな彼に抱きしめられながら、目を瞑り、小さく「ありがとう」と呟いた。
「―私は君たちに協力をする」
暫くして、彼は立ち上がってそう言った。
「私は、君たちの思いに応える必要がある。これは、神の啓示等ではない。私自身の意志だ。」
『ジョイ…』
「―いいや、ジョイ・ダスマンとしてではない。この全ての苦しみを受け入れても尚歩むと決めた愚かな男。ルドルフ・ワイズマンとしてだ。」
彼は明かす。かつての行い、罪と共に覆い隠した己の名を。
その真っ直ぐな言葉に、俺はひどく心を熱くさせていた。
『ああ、今だから言える。俺はあんたを生き返らせてよかったと。あんたと出会えてよかったと』
彼は…ルドルフは握手の代わりに俺という魔剣の柄を強く握り締める。
強い思いを感じる。俺の言った言葉に全くの嘘はない。
『ありがとうルドルフ。そして改めてよろしく願う。俺は東畑慈郎。魔剣ジロウだ』
「私はアリシア。アリシア・ハーシェルよ」
「ああ、よろしく、ジロ。そして、アリシア」
これは神の意志なんかではない。俺と、アリシア、そしてルドルフの意志で選んだ事象だ。
ヨミテの施した力である事を知りながらも、自身の行いであると強引に語ってみせる。
これがヨミテの筋書き通りであったとしても、至る結末を俺の望む未来にする。
そうする事で、俺たちのこの繋がった意志は確かなものとなって永劫俺は語り続ける。