86:結末は歩みを止めぬ限り訪れない
「貴様には学んでもらわねばならない事が沢山ある―」
『…!』
「…?」
「………!?」
いや、ヘイゼル。最後にお前が何故に反応した?
ようやく落ち着いた食事の場で(いや、落ち着いてないや、なんかすっげぇパンケーキ貪ってるのいるし)
マリアが突拍子もなくそう言った。
その相手は勿論、俺で間違いはないだろう。
他の連中は皆がみな、ちらと目を移しながらも
流すように聞いて食事を続けている。
マリアは紅茶を一つ口にすると、ティーカップを静かに置いて続ける。
「あのスフィリタスとやらとの戦闘を見せてもらったが。魔術を瞬間的に放つ瞬発性と分析能力、それと奇抜な発想は評価しよう。
しかし、足りない」
『何が足りないってんだ?』
「貴様は魔術に対して知識や理解がイマイチ足りてない。なんというか、拙い想像と発想だけでなんとかやってけてるような感じだ」
『そりゃあそうだ。申し訳ないとは思うが、俺もこの世界に来てそんなに長い訳でもない』
「それだけではない」
『と、いうと?』
「貴様やアリシアの使う魔術。それがあまりにも“誰かから借りた知恵”としか感じれない」
『…っ』
なんというか、やっぱ歴戦を駆け抜けたってだけあって感覚でわかってんのかねぇ
ぐうの音もでないくらいに的確なトコを突いてくる。
どうにもそうだ。
俺が咄嗟に使う魔術はいつも、そんな感じだった。
想像しながら魔力を練って編み出しているにしても
出てくるものは何処か記憶の引き出しからポッとだされたものばかりだ。
ニドから幾つもの魔術書をトレースしながらも、出てくる単語のイメージだけで
形を連想しているにすぎない。刹那に小さなパズルをやっているようなものだ。
問題はそれだけじゃない。
闇属性の魔力が使えるかどうかにも大きな差がでてしまっている。
使おうとした魔術の想像には大抵、真っ黒なシルエットが浮かび上がる。
そこから“どうするものか”“どう使うものか”を連想してようやく現実として使えるようになる。
つまりは、俺はいくら色んな魔術属性を有したとしても、それを全て満足に使えているわけではないのだ。
何より…今、リリョウはこの手には無い。
そう簡単に神域魔術を使う事は出来ないだろう。
「どうやら、貴様自身にも思い当たる節が多くあるようだな」
『…そうだな』
「奴らが何時再び攻め込むか解らない―…ジロ。お前の提案で使ったリリョウ、あれはあの小娘にどれほどまでの効果を期待出来る?」
『わかんねぇ。それこそ、あの時だってリリョウを抜かれてしまったらどうなるかさえ解らなかった。もしかしたらそれを抜かれれば直ぐにでも
くるやもしれない』
咄嗟にスフィリタスに刺したリリョウ。
闇の魔力を直接脳に叩き込む事で、無理矢理魂に闇の情報を刻む。
そうする事で、普通の人間…もとい普通の魔力量を保持する程度の魂であれば
アリシアがウロボロスの胎内に飲み込まれたように内側の意識と外側時間が大きくズレて
動かなくなる事を期待して行った案だ。
しかし、リリョウを抜かれて天使の腕が解析をすればどうなるか解らない。
あれはそのように出来ている。
天―…俯瞰と管理の象徴。
かつてイヴリースが持ち出した天剣も魔力を制御していた。
マリアの記憶にあったマルスの言葉
万物を隷属的に扱う者
成る程合点がいく。
俺たち人間が物質を隷属的に扱い
ものをものとして扱えば、素晴らしい結果が生み出される。
現に俺が生きていた世界でも、材料があるからこそ
銃が作れた
爆弾も作れた
戦争が起きるほどの色んなものが作れた
そうさ…
この世界と俺の世界はなんら変わらない
術が違うという境界が出来ているだけで―
「…ジロ、今は余計な事を考えるな。貴様には本当に覚えなければいけない事がたくさんある。それはアリシアの為でもある」
『わかっているさ』
マリアはふんと鼻を鳴らしてそれ以上は言葉にせず、黙って食事を続けた。
暫くすると彼女は「寝る」と行って誰よりも先に食堂を後にした。
「なんか、その。色々あったようね、ジロ」
食堂で皆が顔を合わせてからというもの
気まずい空気のせいか声を掛ける頃合を逃していたリアナが
ようやく自分の番かといわんばかりに口を開く。
「ああ、あたしが寝ている間にあんな執行者と関係を持つなんてなぁ」
『正直どっと疲れたよ』
マリアの一件だけじゃない。
魔業商との遭遇についても頭を抱えっぱなしだ。
『リアナ。すまないな…その、挨拶に来てくれたってのに。こんなにドタバタしちゃって』
「いいのよ。暫くはここで厄介になるわけだし」
『そうか、それはもうしわ…ん?』
今、なんつった?
「司祭様からの命令よ。あなたの監視をするようにってね」
『へぇ…』
「ってのは、あまりにも聞こえが悪いわね。意地悪だったのは謝るわ。
本当は私が個人的にあなた達の事が気になってしょうがないってだけの我侭を、司祭様に体よくしてもらっただけなの」
『それは心配だからって意味か?』
「そうね、この先。あなた達がどうなるのか…とても興味深いの。心配、とも言えるわね」
『けど、アグやイーズニルは大丈夫なのか?』
「構わないわ。寧ろ、私がいる方が今のあの二人にとってお邪魔虫になるわ。折角互いに胸中を共有できるようになったのだし、
私もせまっ苦しい守り人をやめて知見を広める良い機会よ」
俺は、少し動揺しながらも
こんなにも心強い仲間がいる事に心底安心した。
『ありがとうな、リアナ。改めてよろしく…』
「ええ、よろしく願いたいわね」
『それと…あの、マクパナは?』
「…」
リアナは俺の質問に少し寂しそうな表情で俯いた。
「彼、あの後からアルヴガルズの何処にも姿を見せていないの」
『…そうか』
「彼の家にも向かったわ。でも、中はもぬけの殻。鍵も無用心で掛けずに…でも、気になっている事があったの」
『気になること?』
「彼の書斎には幾つもの本が机に投げ出されていたの。まるで何かを色々と調べていたみたい。
どれもこれも古の渦に関わるものと、魔神の情報ばかりだった。それと、数年前に起きたとされる西の大陸での魔剣による被害の履歴ね」
『なんであいつ、そんな物を…」
「さあね。ただ…次に会うときは、どうか敵では無い事を祈るばかりよ」
『…』
「…」
この場に誰もがそれを耳にしていたのか。急に静かな空気になる。
敵
この言葉以上に俺たちにとって悩ましい事は無い。
直前の出来事でさえも思い出してしまう始末だ
「あ…あの、私…空いた食器を片付けてきますね!」
ネルケがごまかすように立ち上がって各々で空いた皿を粛々とまとめていく。
彼女はそれらを抱えながら小走りで台所へと去っていった。
知らない話で暗い空気になってしまうのだ…仕方のない事だろうよ
話題を変えなきゃ
『そ、そうだ。ガーネットはもう足は大丈夫…なのか?』
「んあ?ああ、まぁ膝より下は残念なことに消し炭になっちまったわけだけど。今は取り敢えず飯も食える程度には元気さね
それに、明日にはあの稀代の人形師様が義足を用意してくれるって言うしな。本当は今日の予定だったんだが、状況を聞いてりゃあ駄々を捏ねるわけにもいかんだろ」
『まぁ、そうだなぁ。でもよかったよ。お前とこうして話せる事だって…もう出来ないと思っていた』
「そりゃあ相当にご心配をかけてしまったようでなぁ」
『ああ、すまない』
「ああ?なんだそりゃあ」
っと…不意になんでそんな言葉を出しちまったんだ俺は
「…お前さぁ、なんかあったか―」
『ん?』
「いや、随分しおらしくなったというか。なんか…」
そこでガーネットはふと押し黙ってしまう
『なんだよ。言葉を濁してよぉ。らしくねぇ』
ガーネットはばつが悪そうに頭を掻いて「んー」とごまかす。
だが、首をひねりながら観念して答える
「なんか…怖がってね?」
『…あ?』
俺が怖がっている。と?一体何にだ?
「わっかんねぇけどよぉ。お前さん、何かを失う事をもの凄く恐れてるんだよなぁ。軍での訓練でもそういうやつよく見るんだよなぁ
今すぐにでも無くしそうなものを抱えてさ、どうやったらそれ全部を守れるかなって。今のお前、そんな感じだ」
『…』
「最初会った時はそらぁぶっきらぼうで、良くも悪くも喋る奴だなって思ってたけどさ。
なんか、今のお前さん。誰かの言葉に対してだけ返すだけに思えてさ。それを誤魔化すように体の良い言葉だけ言っているようでさ」
俺はどう返せば良いか解らなかった。
今までの俺ってどんなだったっけとか
前の自分が他人のように思えたりして。戸惑っていた。
『…すまない』
「なんでまた謝るんだよ?らしくねぇのはお前の方だぞジロ」
『考える事が多すぎてな…』
ガーネットはそんな俺の言葉にぐっと唇を噛み、いつになく怖い表情を見せた
そして、車椅子で俺の所まで近づくと
俺にとっての視界である水晶のとこまで顔を寄せて―
「ふんぐ!」
『ガッ!?』
なぜか自分の額を強く殴りつけるように押し当てた
そのせいもあって、勢いよくぶつけた彼女の額には血が少しばかり滲み出てた
「ガーネット!?」
食事の手を止めて見届けていたアリシアさえも目を見開いて驚いている。
『おまっ…急になにすんだよっ!?』
「ジロ。お前、あたしに何か言いたい事があるんだろ?」
『ああ!?ねーよ!!』
「―嘘つきがよぉ。もうこっちは既に聞いてんだよ。ニドの側近であるヨシウからよぉ」
『っ…!!』
「あのトール・ハンマーの閃光。本当に狙われていたのはお前らだったんだろ?ジロ、アリシア」
『…』
「…」
俺は何も言い出せず。アリシアも俯いて黙ってしまう。
ヘイゼルはそのガーネットの言葉が何を意味しているのか察した。
だからこそ出た言葉なのだろう
「ガーネット、違う。アリシアもジロも悪くはない。あれは私のせい」
「ヘイゼル、すまねぇがお前は黙っててくれ」
ガーネットの言葉はとても低く、重く感じた。ヘイゼルはそれ以上口を挟まず
リアナもそれを黙って見ている。
「どうにも辛気臭い態度だと思ってたけどよ。お前は、そんなにもあたしの事を気にするような奴だとはおもわなんだ」
『…気にするにきまってんだろうが』
「あ~?」
『俺なんかの!せいでっ…!!お前は両足を失ったっ…失ったんだぞ!?よくもまぁそんなに平気な顔していられたもんだ!
そこまで話を知っているなら!お前には叱責を受ける権利があるはずだ!!』
堰を切ったように俺は吐き出す。
自分の不安を、どうしようもない怒りを、何もわからなくてぐちゃぐちゃになった気持ちを
怒りに任せて吐き出した
口にしてはっきりとする。胸中に渦巻いていた不安のひとつはこれだったんだ。
ガーネットの両足を失ったのは俺のせいなんだ。
俺が狙われたから…こんな始末に至った
そう思うと余計な考えが膨らんでしまって、一層恐怖を覚えてしまう。
失ってしまう恐怖が
『怖い?ああ!怖いさ!俺は少し前までアリシアと離れる事になるとこだった。今思えばそれがどんなに俺にとって恐ろしい事か
思い返すだけで身震いするんだよ!アリシアだけじゃねえ!!魔業商なんてわけのわからねぇ奴らが現れていよいよだ!
解らない奴らがどんどんどんどん押し迫ってくる!どいつも…どいつもこいつも!!!俺に対してわからんものばかり要求してくる!奪おうとしてくる!その度に俺は思うんだよ…もし、お前らが…死んでしまったらって…そんなの想像したくねぇ』
はっきりと感じてしまったんだ。
誰かを失う怖さを。
マリアの記憶を見せられて、心が、感情が重なってしまったせいだ。
「甘えてんじゃねえよ」
『甘える?何を言ってるんだよお前は…おれはただ…』
「前に進めない言い訳を人のせいにしてんじゃねぇよ。私は間違った事をしたとは思ってない。そんな選択をお前自身が否定するのか?違うだろ?
お前が私にそう仕向けたのか?そうじゃねぇだろ。少なくとも申し訳ないと本当に思うなら
そんな後ろめたさに苛まれてそんな態度を見せるべきじゃねぇんだ。“あの時”なんてものを考える事はいくらでもあったんだ。それでも、どうしようもない事があった時に、必要なのは、自分の意思に責任を持つ事なんだよ」
『っ…』
「お前は、あたしの意思さえも自分のものにしようとしている。それを認めるのであれば、私は…お前と出会った事を呪わなくちゃいけない。
いいや、もっと…もっと前の自分の決断すらも、否定しなくちゃいけなくなる。
だけど、それは傲慢なんだ。そんな傲慢さに履き違えてうじうじと自分が前に進む事を恐れてる。それを甘えているって言わないでなんて言えばいいんだ?
ジロ、それは運命に縋っている事となんら変わりないんだ」
…最悪だ。
こいつの言っている事は間違ってはいないんだ。
正しいかどうかは別にして。
俺の心の弱さに対してこいつは無遠慮に指摘している。
だが、俺自身がそれを噛み砕いて受け入れるには…まだ時間が欲しかった。
こいつはきっと俺よりも凄惨な現実を目の当たりにしてきたんだろう。
辛い事が常に押し寄せて、死が常に話し相手だったのだろう。
だからこそ、いままで普通で、普通のまま死んでいった俺には、その心持ちが未だ得られていない。
「いいか?私は確かに帝国軍から任を賜ってお前らの監視者としてともにいた。でもよぉ、そんな始まりがどうであれ。今、この場でこんな車椅子で
リアナに引かれながらお前らの顔を身に来たのは間違いなく私の意思だ。それはお前らから学んだ事でもあるんだ」
『…ガーネット』
「運命、大いに結構。川の流れなんてものに逆らうのはそりゃ大変さ。でもよぉ。向かう先ぐらいは自分で責任持って決めねぇとよ」
ガーネットは懐から小さい手紙を取り出し、それをテーブルに投げ出した。
『その手紙はなんだ?』
「帝国軍からだ。どうやら私は命令違反をしたという事で、ハワードとナナイ共々、反逆者扱いにされているらしい。その通達だ」
『待て!おかしいじゃないか。ハワードとナナイは今、帝国の直属によって回収されていると』
「ああ、違和感だからけだよな。こんなの私は認めてない。仰々しくこんな通達が来る事もな」
『…』
「もう、私は軍の使いとしてお前さんの傍に居る理由もない。でも、それでもお前らの傍に居ない理由にはならない。
そもそもそんなだから私は帝国軍へと入隊志願したわけだしな」
『そんなだからって』
「私はもともと、帝国軍の支援で何もせずに普通に暮らして終わる人生もあったんだ。
けどなぁ。私の奪われた弟と左目。その理由を世界から見極めない限り、私はどんな姿になっても進んでやる。
そう考えれば、足の二つなんて安いもんだ。それに、お前さんといる方がよっぽどの近道になる。そんないい訳じゃあダメか?ジロ」
彼女の思惑はたったひとつの単純な理由ではないだろう。
けれども、それを俺に伝えて尚
俺の傍に居ると言っているのだ。
そこまで言わせておいて―
俺は
『ったく。どいつもこいつも面倒な言い回しばっかしやがってよ。俺の傍に居たいのならそう言えばいいじゃねえか』
「パパにだけは言われたくないわね…」
アリシアも俺の戯言に「やれやれ」とため息をついている。
「はっ。そっちのがお前らしいよジロ」
ガーネットが歯を丸出しにして笑う。
「私は例え運命を呪ったとしても、自分の出会いにだけは後悔はしない。お前らは勿論。ヘイゼルと会った事も含めてな」
『…まさか、お前に教えられるとはな』
「へっ、言ってろ」
『ガーネット。ありがとうな…俺はお前に出会えた事を、とても感謝しているよ。運命関わる神なんかじゃない。お前自身と、お前自身の選択にだ』
「…お、おう?」
ガーネットは、少し頬を赤らめて顔を背けている
「あらあら」
「うっせ!リアナ!!やめろ!!それ以上余計な事を言うなよ!?」
「はいはい」
前に進む、か。
運命なんて言葉に踊らされて心が雁字搦めになっていたようだ。
どうにかできる。
立ち上がって前さえ見れば
きっとどこかに進む道は必ずあるんだ。
小さな一歩だったとしても
少しずつ知っていけばいい…
この意思がある限り。“すまない”で終わらせる終わりよりも、よりよい場所がきっとそこにあるはずなんだ。
―夜のエインズの街
いつもであればこんな夜更けに人気はないものだ。
しかし、月の出る夜空の下で未だ多くの人々が騒々しく出歩いている。
無理もない…先の襲撃によって出た被害。
この街全体を管理するギルドとしては、それを早々に埋め合わせる必要があった。
ギルドは魔術師や冒険者らを一斉にかき集め多くの依頼を提供し
ある者らは怪我人の治癒を行い
ある者らは建物の修復を施し
ある者らは続いて来るであろう襲撃に備えて警備に至っていた。
そんな一方で、ギルドの一部の冒険者はそんなエインズの街中での“ある依頼”を受けていた。
「ここに、あれがあるのか?」
「ああ、みたいだな」
いまだ建物の修復が行き届いてない場所。
瓦礫の山に埋もれた場所で、一つの手が覗かれる。
その手には静かに空虚をジッと見つめるだけ動かない禍々しい眼が埋め込まれていた。
「これが、かつての魔神の眼だったモノなのか?」
「ああ、魔眼ネグァーティオ。こいつで間違いないようだな」
「ね…ねぇ…まさか動き出すなんて事はないよね?」
女冒険者が不安そうにそう言う。
しかし、彼女の言葉は「ありえないだろ」と小さく笑う男冒険者の一人が言った。
しかし、その額には微かな冷や汗を浮かべており。
それは、ありえないと言いながらも怖いものみたさの想像力のせいで
彼を不安にさせてしまっているのだ。
「いいから、さっさと回収するぞ」
「だが、どうやって回収すればいいんだ?」
「バカ野郎。こうなってる以上、手首からぶった斬って手ごと持って帰るしかねーだろ」
「な、なら!あんたがやりなさいよ?」
「…言われなくてもわかってるっつーの。あと、いいか?くれぐれも魔術は発動するなよ?こいつが反応しちまうからな」
男はナイフを取り出して手首を切り離そうとする。
その手首にナイフを入れ生々しい音をしながらも、どこかに違和感を感じてしまう。
「―なんだこいつ?」
「どうかしたのか」
「いや、なんつーか…こいつ…骨が無い…?いや、違う。確かに骨はある…あるにはあるが…異様に柔らかいんだ」
「そ、そんな事どうでもいいわよ!早く回収してこっから離れよう?なんか、ここだけ少し…空気が変」
女冒険者の一人が周囲をキョロキョロと見回す。
自分たちしか居ないはずのその場所で、まるで“誰かが居る”ような感覚。
自分らを舐めるように見つめている視線。
「…わかった。とにかく…ここから撤退するぞ―」
魔眼を回収し終えた冒険者の一人が振り返った瞬間
途端に他の二人が倒れ始める。
「なっ!?」
一体何が起きているのだ、と彼は目を見開いて身構える。
…倒れた二人を見下ろす。
これといって目立つ外傷は無い。しかし、その顔は青ざめており
開いたままの目からはまるで生気を感じ取れなかった。
「…まさか、本当に…居るのか?」
彼は懐に魔眼を仕舞い、剣を抜く。
そして、暗闇の中で周囲を見回す。
何処だ?
何処だ?
何処だ…!?
しかし、彼の警戒を裏切るように。魔の手は足元から忍び込んできた。
「な、なに!?」
彼の脚を掴む手。その手の主は、間違いなく
先程まで倒れていた二人のうちの一人。女冒険者の手だった。
「お前…!?なにを…」
彼はそこでハッと気づく。彼女の瞳は赤く爛々と光り。
口元からは長い牙を生やしていた。
彼にはその存在に覚えがあった。
魔物の中でも特に厄介極まりない存在。
血を啜り、眷属を増やし、そして主は不老不死にもなり得る厄災級の魔物。
「吸血鬼―!!!」
(しかし、なんでこんな場所に…!?南大陸での出現例は今までになかったはずだ!?)
「うふふ…。驚いてるのですねぇ」
彼の思考がまとまらないまま、唐突に女性の声が闇夜の中から囁くように聞こえた。
「ええ、珍しいでしょう?“私たち”がこーんな場所にいるなんて…誰も思いもしませんからねぇ」
闇夜の空間で、いくつもの赫い双眸が映り込む。
それらはゆらゆらと揺れながら彼に近づいてくる。
そして、そいつらは月の光の下でその姿を晒す。
…その格好に男は見覚えがあった。
東の大陸、帝国軍の軍旗を方に誂えた軍服。
「…馬鹿なっ…なん、で?帝国軍の連中がっ――…」
刹那、男の首を“誰か”が齧る。
「あっ―」
男は一瞬ビクンと身体を跳ねて動きを止め、そのまま倒れこむ。
「さぁて。わざわざここまで出向いた甲斐があったようですね。このままだと忘れ去られてしまうでしょうしねぇ」
眷属の間から、そっと、声の主が姿をみせる。
長い金髪に赤い瞳を持った女
アシュリー・ブラッドフロー。
帝国軍軍事顧問であり。
No,6『戦争』のヤクシャであるアシュレイ・ブラッドフローの双子の妹
そして、セラによって屠られた帝国軍人の全てを眷属として従えた吸血鬼
「うふふ、お兄様、約束を果たしましたよ。このアシュリーが、あなたの求めている魔眼のもう一つを手に入れました」
既に同じ眷属となってしまった男の懐から魔眼を取り出し
うっとりとした表情でそれを眺める。
「けれども、けれども。どうしてお兄様は一緒に来てくれなかったのでしょうか。それがとても残念―」
そこで、アシュリーは思い出したように瓦礫の山を見下ろすと
唐突にその瓦礫を軽々と持ち上げてどかし“何か”を探し始める。
そしてそこで見つけた“死体”を眺め、目を半月状に歪ませながら微笑む。
「…お久しぶりですねぇ。“先生”」
彼女は今宵、企てる。
それが彼にとっての大きな運命の一つだと理解しないまま―