85:共に居る幸せ―
視界が開く。
…目前に映る天井には見覚えがなかったが、自身が何処に居るのかすぐにわかった。
雨音―
ハーシェル家の屋敷をマリアとアリシアが出て行った後も同じ音をしていた。
正確には嫌でも記憶に刻まれている。あの時に感じた虚無の中に入り浸った音。
そのせいかどうにも寝覚めはあまり良くないようだ。
ハーシェル家の屋敷内だという事がわかっただけ、思考がままならなくぼーっとしたまま。
この静寂が色々ある出来事を全て置いていってしまったようだ。
…だが、そうも言ってられない。
俺は視界を動かして横にズラす。
すると、そこにはいつも通りアリシアが
「……」
―否、マリアが真横で俺をガン見していた。
『…すいません』
「なぜ謝る?」
いや、なんかその表情怖くって…とは言えない。
『いや、なんかその…すんごい俺の事を見てるなって…怖くって』
言っちゃった。
「…ふん、魔剣が私に対してそんな感情をハナっから抱いてくれたらこうも苦労する事はなかっただろうな」
どうやら、屋敷の一室。それも卓の上に横にして俺は置かれているようだ。
『なぁ、アリシアはどうした?あの後、どうなったんだ?』
「…さあな」
『さあなって、お前―』
「あっ、パパ」
意地の悪い一言しか返ってこなかったマリアを問い詰める前に
その聴き慣れた声が扉の開く音と同時に聞こえた。
『アリシア―』
彼女はスンとすました顔のままで、とと…と俺の方へと駆け寄ってくる。
「パパ、大丈夫だったの?暫く反応なくて、心配してたよ」
『ああ、一先ずは…調子をまずまず取り戻せたよ』
素っ気ない態度。それでも真っ直ぐ見つめる瞳には俺が確かに映っている。
よかった。
アリシアがこうも無事にしているのであれば俺はそれだけで安心だ。
『俺はどれくらい意識を失っていたんだ?』
「ん、丸1日ぐらい?」
『そうか…』
「今、ヘイゼルが下でネルケたちとみんなの分の食事の準備をしているところ」
『ネルケが?』
ネルケの事を知っているのは俺とヘイゼルぐらいのはず
俺が意識を飛ばしている間にもう見知った仲になってたのか
「うん、あのお姉さん面白いよね」
『お、おう?』
面白い―??いや、すんごく気になるんですが…まぁそれは後にしとこう
『アリシア』
「ん?」
『下に行ってみんなの食事の手伝いをしてきてくれ』
「あ、でも―」
『俺はマリアと二人だけで少しだけ話したい事がある。大丈夫だ、そんな長くない』
「―わかった。またね、パパ。おばあちゃん」
アリシアが手を振って去るのをマリアも小さく頷いて見送っていた。
扉が静かに締められると、俺はすぐに口を出す。
『―アリシアじゃなくて、お前が俺につきっきりなのは未だに俺が信用出来ないからか?』
「当然だ。お前は魔剣だ。甘言を吐いては人を惑わす類のタチの悪い魔物連中と同等に見ている」
『…そうかよ』
俺はため息をつきながら、それ以上返ってこない返事に
再び口を開いた。
『でも、まぁ…お前がそう思ってしまうのも無理もないと思っているよ』
「ほう」
『お前は既に気づいているだろうが、あの時…アリシアと共にお前のここに至るまでの記憶を知った』
「…」
『なんていうかさ。あんたはすげぇよ。俺なんかと違ってさ…しっかりと前に進んでるんだ。
色んなものを失って…それでも守るものを見つけて。この場にいる…俺にはそれが、出来なかった』
東畑慈郎は立ち止まって自ら死を選んだ。
一度立ち止まったとしてもマリアのように前に進む事が出来なかった。あの世界を否定しようとした。
俺には何も無かった。
雨音を聞きながら、そのポツポツと振り続ける陰鬱な響きが全て俺自身の罰であるように願った。
「…私も見た。見せられた。お前の記憶をな―」
『え』
「妻を失い、娘を失い、その果てに死を選び…この地へと赴いた事。そして、お前がどんな思いでアリシアを救いたいと願っていたのかも―」
『…』
「なぁ、魔剣。聞かせてくれよ。お前は、どうしたいんだ?」
マリアの唐突な質問に俺は困惑する。
否、答えが直ぐに出せなかった
「お前の魂はいつぞやのそれとは別物だとして、してもだ。お前は、何を求めてアリシアと共に戦うんだ?
契約によってあの子の魂を繋ぎ留めた事に関しては礼を言う。しかし、お前がこの世界で戦い続ける理由を知らなければ、私は収まりがきかないのだよ」
『…わっかんねぇよ』
「…」
俺はあれこれ考えるのをやめて素直にそう答えた。
『正直、今の俺が考えて絞り出した答えは全部半端になっちまう。それぐらい、この世界ではいろんなものを見てきた。見せられちまった―』
マリアは何も言わず黙って聞いている。
『世界がどうとか、神がどうとか…何かを託されて背負わされているにしても…俺にはキツい。重すぎる。重すぎて今も気持ちが押しつぶされそうになってるんだ。けど…目の前で苦しい思いしている奴がいれば何とかしなきゃって思うし、たとえ本当の父親でなくても…娘と共にいるってのは
それだけで俺にとっての幸せが満たされていくんだ。それぐらい普通の事しか求めてねぇんだよ…俺は』
所詮おれは普通の人間なんだ。
『…本当は、アリシアが傷つくとこなんて見たくない。いくら身体が再生するとしても、そんな事関係ないんだ。何処へ行っても巡ってしまう戦いの中で
俺はずっと迫り来る運命に言い訳をしながら、彼女が傷つく度に恐れていた』
だから…本当はホッとしていた部分もわずかにあったんだ。
あとはマリアが幸せにしてくれるって…
『でもさ…無理だ。誰かに任せるなんて出来ない。一緒に居たい。喜ぶなら一緒に喜びたい。悲しむなら一緒に悲しみたいし、傷つくなら一緒に傷つきたい。そんな中でも…俺はアリシアが前に進むなら、戦うなら…共に在りたいと願ってしまった』
「それはお前の“観測者”としての側面から生まれるエゴだ。この世界に神から賜った使命に反しているとは思わないのか?」
『…そうだな。それでも、俺はあの子と出会ったあの時から…血の海で魔剣を抱いたあの瞬間から…あの子の幸せを願わずにはいわれなかった。
偽物の父親だろうと、それがリューネスの魂の残滓から借りたものが始まりであろうと…俺は、もうあの子の事を知ってしまった』
「それは呪いだ、お前の願望が目前の状況にたまたま当てはまっただけの、自己満足にすぎない」
自己満足。そうだろうなぁ。そうかもしれない。
だけど…それでいい
運命に流された事を理由にするよりマシだ。
『…結構だ。ああ!結構さ!俺は魔剣だ!呪いであっても、なんら不都合は無い!みっともない感情を吐露したって、俺はあの子と共に居たい!
傷つくならそうならないように考えたい。傷ついても前に進むならそうなるように考えたい!俺は、俺の選択で前に進みたい!!それをどんなに否定したいというんなら!!いっそ俺を砕いてくれ!!壊してくれよ!!この赫く光る水晶をさぁ!!俺がなんなのか解らなくなるぐらい壊せよ!!!!』
ゴッ
『がっ―』
視界が大きく振動する。目前には拳が降り注いでいる。
何度も、何度も。
その度に、ゴツゴツ、ゴツゴツと音を立てて俺の視界が揺れた。大きく揺らいだ。
「傷つくところは見たくない?幸せを願っている?だがあの子が傷ついても共に居たいと?貴様、滅茶苦茶な事をほざいている自覚はあるのか?」
『…あるさ。俺だって時には我侭になる時だってあるんだ。自分が失いたくないものの前じゃあ大人ぶっているわけにもいかねぇんだよ』
ゴッ
ゴッ
ゴッ
鈍い音がそう何度か響く。
再び拳が降り注ぐ。
だが、正直な話、痛くはない。
だけれども、マリアの拳がそれで何度も傷つくたびに、彼女の思いが、守りたい執念がひしひしと俺に痛く伝わってくる。
「はぁ…はぁ…」
マリアが肩を揺らしながら荒々しい呼吸をしている。白いグローブ越しからでもわかる程に、拳から赤い血が滲んでいる。
それでも、俺の喉から出かける『やめろ』という言葉。
それを絶対に言わない。俺は言わない。言ってたまるか。
マリアも拳を止めようとしない。
彼女の中にあった魔剣に対しての感情。
自身の中に積み重なった重々しい責任。
いっそ、このまま俺の魂が砕けてしまえばいいと思っているだろう。
それを知った上で
何度も、何度も殴られ続けた。その度に心が痛む思いに駆られた。
彼女の記憶の中で見た悲惨な顛末。
そのうえで、立って進むマリアの意思を…アリシアへの守ると決めた誓いを
俺は踏み台にしなければいけない。
それでも
俺は真っ直ぐマリアを見続けて、全てを受け入れる。そして、マリアにそうやって受け入れてもらうしかない。
今の俺にできる事はそれしか無かった。
「…もう―」
『マリア』
「やめだ。もういい…」
彼女は椅子の背もたれに寄りかかると、大きく深呼吸をする。
「もう、お前の意思はわかった。…痛いほどにな…」
だから―、と続けていう。
「もう二度と、容易く自分が壊れてもいいなんて事は言うな。決して…。これは単なる口約束じゃない。誓約だ」
『お前…』
「お前自信を守れずして、どうやってあの子を守れるのだ。誓え」
『…俺は、二度と自分を粗末にはしない。それ故に、あの子の側に居続ける。絶対にだ』
「……………………………………………………………ジロ」
顎をしゃくり上げながら、天井を仰いで。マリアは搾り出すように俺の名を呼んだ。
「あの子を…アリシアをどうか頼む」
『ああ…』
マリアのその一言が、水晶を殴られている時に感じる心の痛みよりも
いたく…痛く思えた。
きっと、本心では認めたくないだろう。
でも認めざるおえない場所まで追い込んだのは俺だ…
俺は、その責任の全てを背負う。
その重みは、世界や神を語るよりも
何よりも重かった。
『マリア…』
「…」
『ありがとう』
食堂―
「ネルケ。これはどうすればいい?」
「ええ、そしたらそれはテーブルの真ん中に置いてください。ヘイゼル」
「わかった」
ヘイゼルはネルケに指さされたこれでもかと言わんばかりに大きな肉を盛り付けられた皿を
長く大きなテーブルの真ん中に置く。
火がパチパチと燃える暖炉の前。テーブルに並べられた料理は色とりどりの賑やかなものだった。
こんなに豪勢な料理を作るのは、ネルケにとって久しく無かった事だった。
いつもは育ての父に振舞うか、来客の方の為にしか作らない。
後者に関しては自身が作ったものだと姿を見せる事も無かった。
竜と人の子が作ったものだと知られればどんなに腕を奮ったご馳走でもひっくり返される事を知っていたからだ。
だからこそ、こんなにも受け入れてくれる人らの前で料理を作る事がとても嬉しく、懐かしかった。
そして口惜しい事もあった。
「―あなたにも…食べて欲しかったな」
「…?」
死体人形であるヘイゼルには食事を必要とする機関を持ち合わせていない。
どんなにおいしいご馳走であっても、彼女が食べる事に意味は無いのだ。
痛みを感じない事と同様に、味を知ることも出来ない
もしも、彼女自身が生きていたなら…
ネルケの小さく呟いた言葉にヘイゼルは首をかしげる。
「…あむ」
「え?ちょっ、ヘイゼル???」
彼女は唐突に皿に盛りつけられた料理に手を伸ばしてはひとつ口の中に含み
頬袋に餌を蓄えたリスのように真顔で咀嚼を繰り返す。…真顔で
(うわぁ…すごい表情)
「…わひゃひにわほれがなにひゃわふぁらない、へど」
「ヘイゼル。行儀が悪いからせめて飲み込んでから喋ってください…」
ゴクン―
「私には、この“食べる”という行為がどれほどまでに必要なのか解らない。でも、ネルケが私にそうして欲しいのなら、そうしてあげたい」
「…うん。ありがとう、ヘイゼル」
ネルケはいくつもの料理を食堂の卓に並べたあと、ヘイゼルの前でしゃがみこんで彼女の頭を優しく撫でた。
「…ふ」
死体人形の光の無い瞳。
継ぎ接ぎの肌。
それでも、懸命に歪めたその表情には、確かな“心”があるのだとネルケは信じていた。
「―もどった」
食堂の扉を開き、小さな声で入ってきたのはアリシアだった。
「おかえりなさい、ア、アリシア」
「ん、ん?んん」
少し照れくさそうに、見知ったばかりの彼女の名を呼ぶネルケ。
その言葉に相づちを返してくれるだけでも、ネルケにとっては背筋にそわそわとアガる感触を味わう程に嬉しい事だった。
「どうしたんですか?目が…」
ネルケはふと彼女が少しばかり目を赤く腫らしている事に気づいた。
「大丈夫ですか?」
「ん、何でもないよ」
言われて隠すように目を擦るアリシア。
確かに彼女はここにくる直前まで泣いていた。
だからといって、なんら悲しい事はなかった。寂しい事はなかった。
ただ
父と名乗る魔剣の本心を、
共に居たいと願ってくれた思いを扉越しに知れた事が嬉しかっただけなのだ。
「ネルケ、お腹すいた」
「ええ。お肉もいっぱい作ってますよ。それに、あなたがパンケーキを病的に好きとヘイゼルから伺ってますから。用意しておきましたよ」
「いや、病的は余計だよ。…ってかデカッ―デカーーーーーーーーーーーッ!!?
ネルケが持ち出したパンケーキ。
それはそれは本当に大きいものだった。
クラン亭でよく食べるゴージャスなパンケーキの凄さを例えるならさしずめ天まで登る数十段重ねの気高きパンケーキ。その上に乗せられたドン盛生クリームはまるで天に佇む雲が如し。その頂上から流れる蜜はまさに天から施されし褒美。報酬。しかし、目前にあるそれはそのパンケーキとしてのアイデンティティを覆す程に!!ふっくらと層が伺える重量感を思わせる厚み!、さながらこのニド・イスラーンそのものを、世界を全てパンケーキにしたような大きな本体。巨大要塞。挟まれたチョコソースからはダーティさと禁忌チックを感じさせ、これに手を出せば私のなかのパンケーキワールドが破壊され、そして再構築されること間違いなし。確かに、チョコソースは少々私にとって邪道な部分もあったが、共に存在するバナナが挟まれている事で、少しだけ背伸びした気持ちになれる大人なパンケーキを再現させていた。…こ、これはなんだ?アイスクリームっ!?側面にアイスクリームが囲うように何個も配置されている!!さてはこやつらは憲兵だな!!パンケーキへたどり着くための試練に違いない!!そうに違いない!!だがっ、馬鹿な!!カットされているイチゴシールドを持っているだと!?くそっ!!一体どうすれば…!どこから食べればいいのだ私はーーーーーーーーーーっ!なによりもこの装飾されている焼き菓子!これはまさしく大都市を表現しているのだろうか…?なんてことだ。クラン亭で食べてきたパンケーキがもしも、天へと手を伸ばす気高き至高の一品であるならば、このパンケーキは幾つもの愛情を重ねてできた極大天蓋領域EX――…」
「おまえが解説してたのかよ」
「ア、アリシアさん…ちょっとそこまで解説されるとなんか小っ恥ずかしいですよ…」
恥ずかしそうにするネルケ。その隣でブツブツ言っているアリシアに、颯爽とツッコミを入れたのは赤髪の眼帯。
いつものようなロールツインテールとは違い。
おとなしめのストレートヘアーになっていた。
「―あら、丁度いい所で帰って来れたようね」
ガーネットは車椅子をリアナにひいてもらいながら食堂に入ってきた。
「ガーネット」
ヘイゼルは、彼女に気づくと抑揚の無い声でてててと近づいていった。
「おー。なんか、久しぶりだなぁ」
「大丈夫?」
「ああ、神官ちゃんが寄り添って癒しの魔術を掛けてくれてたからなぁ。これがすごぶる心地がよくてさ。暫くぐっすり寝ちまってたよ
おかげさまで、今はこのとおりさ。そんなだから、ちょっとお前さんらの顔を見たくてな」
「シアは?」
「ガーネットの為に無理をしちゃってくれてね。今は療養所でゆっくり寝てもらってるわ」
リアナは食堂のテーブルの前にガーネットを持っていくと
ガーネットは目前に並べられた料理に目を右へ左へと走らせる。
「それにしても、今日はなんとも豪勢な料理だなぁ。普通じゃ見られないくらいイイもんばっか並んでやがる。いやぁ~病室じゃあ、栄養だのなんだのって質素なもんしか食べさしてくれなかったからさぁ。リアナに連れてこられた時にゃあそら楽しみにしてたわけ。
だれかシェフでも連れてきたのか?」
「いいえ、あの子が作ってくれたの」
リアナは目線を移して、ネルケの方へと向ける。
「あ…あの―」
「いや、あなた何してるのよ…」
ネルケは大きな皿で必死に顔を隠している。
竜の角がはみ出ないようにしっかりとうまく調整しているあたりが、とても手馴れていた。
「おう、顔を隠そうなんてとんだ恥ずがしがり屋がいたもんだな?ヘイゼル、そいつの皿をわたしに寄越しなっ」
「わかった」
「あ、ちょ…やめ、やめてください…!!」
無表情で言われるがまま顔を隠すネルケの大皿をぐいぐいと引っ張ろうとする。
「気にすんなって。話はリアナから聞いているよ。竜と人の子なんだってな」
「え?」
「結構じゃねえか。こちとら本物の竜との付き合いの方が長ぇ。それがどうだっていうんだよ」
「…ガーネットさん…」
「ぶっ」
ガーネットの言葉に思わず手に持った皿を手放してしまい
さっきまで引っ張っていたヘイゼルがそのまま後ろに吹っ飛んでしまう。
「あ―」
首が180度回転して転んでしまうヘイゼル。
「いや、そうはならないでしょう…普通」
「問題ない」
あわあわと動揺しているネルケを前に起き上がって首の向きを治すヘイゼル。
「他がどうかは知らねぇけどよ。こっちにゃあ元『差異のヤクシャ』様が居るんだ。今更、懐の限界なんか語れねぇよ。ネルケ―」
そう言ってヘイゼルへと視線を向けるガーネットに当人は瞬きをして、首を傾げた。
「は…はい、ありがとうございます!(ヤクシャ??)」
「さて、あたしもご相伴に預かろうかしら。一通り準備は出来ているようだしね」
リアナもガーネットの横に座る。
向かいにはパンケーキだけをずっと眺めているアリシア。そして隣にヘイゼル
「ほら、あんたも座りなさいよ。ネルケ」
「あ、はい…!」
―本当に久しぶりの事だった。
エインズの街での出来事で濡れ衣を着せられそうになった所を助けられて
感謝の意を込めてせめて晩ご飯だけは作らせてほしいと押し付けがましい行為だったのかもしれない。
私の出生を知ればいつも拒絶されていた。受け入れてくれたとしても、腫れもののような扱いを少なくとも受けてきた。
彼女は基本的に料理が好きだった。誰かに食べてもらえる事がものすごく幸せな事だった。
だけども暫くは父に作って父だけの感想しかもらえなかった。
それでも、誰かに料理を作ってあげて、誰かと一緒に食事をするなんて我侭を言えるわけが無かったことは本人も自覚していた。
なのに…この場所は、ネルケにとっては本当に居心地の良い場所であった。
本当に―
「そういえば、あの二人は?」
そんな疑問をリアナが呟くと、それに合わせるかのように扉の向こうからドタドタと騒々しいやりとりが聞こえてくる。
『頼む。頼むからさマリア!もう少し優しく運んでくれないか!?』
「うるさいぞジロ!私の拳をこんなにまでしておいてよくもまぁそんな贅沢が言えるな!!」
『いや、それは確かに俺が悪いけど、あああああっ!また引きずった!床とか傷つくだろうが!こんなに立派な屋敷の床をそんなにして!
怒られたらどうするんだよ!』
「一体誰に怒られるんだ!私はここの家主の親族なんだぞ!?それに貴様は一応、部類としては大剣!両手拳が既にボロボロの私に運ばされている事を少しは胸痛めよ!」
『嘘だね!俺は魔力で一応ボディを軽くしてますーっ!そんな見え見えの嘘は言い訳になりませんーっ』
「そうか、なら自分の魔力で動けるよな?ホラ!あとは自力で来る事だな!!」
『あっ!テメッ!床に深く刺しやがったな!?拳がボロボロとか言いながら容赦なく刺したな!?床の傷の修繕費で金取られたらどうするんだよ!
敷金がなくなっちまうだろ!』
「敷金ってなんなんだ!?」
皆が、扉の外側から聞こえるやりとりに互いに目を合わせて愛想笑いをする。
「…まったく」
アリシアも、一つため息をついて
小さな笑みを浮かべながら頬杖をついていた。
「おばあちゃんも楽しそう―」