81:その意志は誰のものでもなく
―唐突だった。
いつの間にか近くにいるマリアの腕にアルメンの鎖が絡みついた瞬間。
俺の中で多くの情報がマリアの視点で映像となって流れていく。
時間を置き去りにして、長い長い記憶の全てを飲まされるような感覚。
俺はマリアの受けた日々の痛烈を魂に刻まれていく。
魔剣の出自、所持者の末路…そして
この収束された結果に至る因果の一つであり、
マリアを殺したとされる原因の正体。
ト、ト、ト、ト。
秒針の音を耳にする感覚。
…俺は不思議と冷静さを保っていた。
否、保っていないといけない。
気を確かにしなければならないのだ。
言うなれば時限爆弾―
俺の隣で、
同じように記憶を共有した自分の娘が“なにをしでかすか”解らない。
「マ、ママ…?まま…?」
アリシアはシンと静まり返りながら目を見開き。
マリアの知る限りの全てを知ってしまったようだ
「ま―」
『うぐっ…ぐぅ…』
ひどい頭痛にうなされる。
ドクンドクンと脈打つ感情。熱い。
目が焼ける。
心が焼ける。
魂が、焼ける。
「マァあごおおおおおおおおおおおおおしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおう!!!!!!」
その怒号は大きく響き渡る。
このエインズ一帯の空気をビリビリと大きく震わせ、大地を揺らした。
一人の人間、一人の女の子が出す大きさの声じゃない。
「まて…アリシア!!」
「うぇああああああ!!!!!」
呼び止めるマリアの声など耳にもせず
獣の如き衝動で脚を前に出し、地を砕くと
そのまま対峙する人喰らいの道化師をそのまま魔剣を大きく振って真横に吹き飛ばした。
何度も壁を貫く音を響かせ、そいつは遠く遠くへと解き放たれた。
そして、そんなものに構う事なく
魔導図書館へとゆっくりと歩く魔業商の筆頭『スフィリタス』へと轟轟と一歩一歩で地を穿ちながら押し迫り
振り上げた凶刃を彼女目掛け断罪する。
「お前だけは、赦さない―」
「赦されようなんて思っちゃいないよ」
娘の激情にただ一言。スフィリタスはそう答えた
―ズルァ。
そんな生々しい“肉”の練り出されるような音を漏らしながら
スフィリタスは振り返りざまに“人の左腕だったと思わしき巨大な腕”をそのローブの下から吐き出し
襲いかかるアリシアを文字通り掌握した。
「ダメじゃないか、僕の邪魔をしちゃ」
ドクドクと脈打つそれは、先述した通り人のもののそれではなく
獣、竜、魔物…そんな代替えの効く例えでは至る事の出来ない異色の物質。
端的に言えば得体の知れない肉質。
ミミズのような大きな血管が所々を這いなぞらせ、
筋肉の塊が樹木のように大きく成長したかのようなおどろおどろしい三本指の腕
化物の腕とはこの事だろう。
掴まれたアリシアはそのままメキメキと強く締め付けられたまま持ち上げられて
強く地面に叩きつけられる。
「おっと、ほらほら。君が<コロス>そうやって襲いかかるから<キョウイ>『反応』しちゃったじゃないか<クチク>」
スフィリタスの言葉に入り混じって何かが語りかけている。
一方的な暴力の言葉。
「君の<テキイ>事が随分と気に入らない<ハカイ>ようだね<タイショウ>これ以上やるっていうのなら僕でも手がつけられなくなっちゃうんだよ?。<センメツ>せーっかくの素材なのに。だから、今は黙っててジットしててよ」
「ふ…ざ、け…る…なぁ!!」
アリシアは大きく叫ぶとその手に握っていたリリョウを使い、締め付ける三本指を根元から切り裂いた。
「はは、面白いね!その小太刀。<キョウイ>高濃縮の闇魔力を感じるよ。<ノウリョクキョウカ>そして…そのダガーも…実に興味深い」
『アリシア!!』
スフィリタスの言葉など耳にもせず、一度距離を置いて離れ、その怒りを体現させるかのように天へと“魔剣”を突き上げると刀身から黒い魔力が冥き稲妻を這わせ噴射するように伸びていった。
これは…プリテンダーの時に使った漆黒の剣
“漆黒の黎刃”
寄り代は当然…リリョウ(こいつか)!
あの時使った際は場所が暗いという事もあり
そこまで気にする事は無かったが、改めて再認識する。
その闇魔力の刃はまるで空間すらも飲み込もうとする程に隔絶された黒。
それに触れたもの全てを否定し納得するまで染め上げる闇
「ぐううううううううううううううううううううううう」
歯を強く食いしばりながら目前の仇に目を凝らし睨みつけるアリシア。
その足がズンと地に沈みゆく様子は
その魔力がどれほどまでに重い質量を持っているのかを感じざるおえない。
「素晴らしい!“解析”君たちのその力…一体どこで手に入れたんだ?“黒”もっと…“適正抗体生成”もっと見せておくれ!」
「消えろ―」
大きく振り下ろされる黎き刃はそのままスフィリタスを裁く鉄槌の如く
それは大きさで言えば圧倒的。
しかし、俺はなんら抵抗をしない彼女に対して不安を覚えるしかなかった。
その予感は的中した。
「あっはは!!」
衝突。そう言うにはあまりにもあっけないくらいに
黒き刃はスフィリタスの全身を飲み込む。
それと同時に、地に叩きつけられた刃は滝が逆流するような勢いで遥か上空へと吹き上がる。
その様子はまるで黒竜が空に舞い上がるような美しくも恐ろしい瞬間。
「いい、いいねぇ。こんな間近でこんなにも綺麗な漆黒を目にする事が出来るなんて
…やはり、この世界に生まれた僕は幸せものだ」
しかし、そのあどけない声はその畏怖すべき力のすべてを否定するものだった。
一身に高密度の魔力攻撃を受けたはずのスフィリタスは
大きく両手を広げながら、耽美の表情で空を仰いだ。
その足元は闇魔力によって染め上げられた漆黒の大地が彼女を中心に縦一線に刻まれている。
しかし、彼女に対しては特になんでもなかった。
アリシアの激昂たる一撃を、単なる観測者として“みた”だけにすぎない。
…俺は気づく、大きく広げられたスフィリタスの両腕。
化物の左腕に対をなした大きな右腕。
それは光る機械的な造形。秩序を体現したかのような透き通ったクリスタルの表面。
その内側で整列された紋様は、混沌とした左腕に並べられて一層の神々しさを放つ。
彼女の言葉に入り混じる“声”…
『“そいつら”は何なんだ?』
俺の問いにスフィリタスは目をぱちくりと瞬く。
するとすぐに喜んだ表情を俺にむけた
「君は、聞こえているの?」
『は?』
「これを“誰か”として認識してくれるの?そうなの?」
『おまえ…なにを』
彼女は心底喜んで笑う。
「いい、いいね君!僕は君みたいな認識ができる存在に対して心より敬意を表するよ。
そうだね…この左手は『エド』、そしてこの右手は『アルカディア』と呼んでいるよ」
エド・アルカディア
それらが名をつけるほどに別物
彼女の意識外から働く防衛機能というわけか。
その力の起源が一体なんなのかは知る由もないが、天使と魔神の血を持つ者と言っていた。
…俺は、共有したマリアの記憶の中で紡がれ、至ろうとしている答えに思考が巡る。しかし
「…パパ、もうおしゃべりはやめて」
その言葉を遮るようにアリシアの重い声が俺の思考を上書きする。
『…アリシア』
その感情は、ニーズヘッグの時にみせたそれとは違う。
もっと、もっと以前から燻っていた怒り。
見つけることの出来なかった彼女の深層意識の中にある復讐心。
狂気を淘汰するまっすぐな意志。
だがそれは今、この子が持つにはあまりにも脆い攻撃性。そんなに強い魔力で攻撃を繰り返してもいずれは足元を掬われるだろう…
俺がこの子に掛ける言葉はとうに決まっていた。
『もう、気は済んだか?』
今の俺がするべき事は、気づき気づかせるための今の俺の冷静さだ。
アリシアはその言葉に恐ろしい形相で俺を見つめ、俺はそれに対して怯むことなく真っ直ぐアリシアを見つめ返した。
「………………………………………………………………………………………………………………………………」
長い沈黙の中、アリシアは瞬きを繰り返し
スフィリタス、俺へと視線を何度も往復させ、下を向く
…アリシアは瞑目して「ふう」と一つため息をつくと
自身の頭をぐしゃぐしゃと掻くと「そう、そうね…そう」と呟いている。
そして目をゆっくりと開き
「ん、ありがと」
『そりゃどうも』
その碧眼には先ほどのように剥きだした怒りは無く。
ただ、じっと目前のスフィリタスへと突き刺す程の視線を送った。
「へぇ…」
スフィリタスは興味深そうにアリシアを見つめる。
「いい、いいなぁ。僕も欲しいなぁ。“魔剣”」
『欲しけりゃ俺の事、パパって言いながら赤ちゃん言葉で甘えてこの刀身に頬ずりして甘えてくれ』
「性癖きんも…」
俺の悪趣味な冗談に悪態をついてべっと舌を出すアリシア。
「それでいいの?いいよ!」
「いいの!?」
『いいの!?』
「だから、二人共、僕の“もの”になってよ」
ズリュリュと肉をこすらせながら、大きな肉塊の腕『エド』を伸ばして再びアリシアを掴もうとする。
意外と早い。けど
アリシアは迫り来る肉塊をそのまま前蹴りでけり飛ばし
そのまま手首の根元から魔剣で断った。
「あれ。<セイサン>」
しかし、スフィリタスの断たれた右手の断面からふたたびブクブクと肉塊が生まれ
再生された三本指の獣の爪で容赦なく切り裂こうとする。
『あっぶね!』
アリシアはそのままエドの攻撃をスライディングして躱すと
その真下にある“影”に向けてリリョウを突き刺した。
「インヴァイト・ソーン!」
すると、その影か漆黒の荊が跳ねるように飛び出され
エドを刺し留め拘束させる。
右腕が動かない隙にスフィリタスの懐まで迫ると
アリシアはそのまま魔剣の柄で彼女の腹部に大きな一撃を食らわせる。
人並み以上の膂力で殴られる一発…いくら人外とはいえ、一人の少女がまともにくらって何も無いはずが―
「ん?<ヨウキュウ>どうしたの?<コウソク>急に近づいて<カイジョ>」
ニコリとした表情でアリシアを見下ろすスフィリタス。
…重い。こいつの身体の中身は一体どうなってやがる?
見た目じゃあ考えられないほどの重さを感じる。
一体、この少女の姿の中に“どれだけのもの”が詰まっているんだ??
「アルカディア」
フォンと高い機械音と共に“解析”“黒”“…適正抗体生成”
と間の空いた声が響き、エドを拘束していた黒い荊棘が一瞬にして霧散する。
それに気づいた俺はとっさにアルメンの杭をすぐに真後ろへ飛ばして一定の離れた距離へと突き刺すと
アリシアを無理矢理引き下げた。そのまま彼女は引っ張られながらも通過点で地に刺さっているリリョウを掴み回収する。
「ちょっと“未取得”どこ行くのさ?“解析不可”」
伸ばされた水晶の腕は空を握り締めている。
「パパ」
『おう』
「パパには、何か聞こえているの?」
遠巻きにスフィリタスを眺めながら構え、アリシアは俺に問う
…状況を整理しよう。
スフィリタスの持つ腕にはどうやらそれぞれに役割があるらしい。
極端な話を言えば、右腕のエドは質量の生産。見る限り再生能力のある物理的な攻撃だと言ってもいい。
その生産の限度に関しては…今のところ底が知れないと見ていいだろう。
問題はもうひとつの腕だ。
左腕のアルカディアは、“解析”“適正抗体生成”と言っていた。
それが成立するだけでアリシアのヴォイド・グラムでさえ、ただそこにあるだけの“色違いの空気”と変わらない
それどころか触れている魔術すらも否定する事ができる。
魔力を寄り代に力を発揮する俺たちにとっては、あの左腕は注意するべきポイントになるか
『逆に聞いていいか。アリシアには、“あれら”が何をしゃべっているのか聞こえないのか?』
「ええ、まったくと言っていいほどね」
…なら、それは魔剣として在る俺だからこそ聞こえる声という事なのだろうか?
『あいつの喋る言葉に混ざって声が聞こえるんだよ。左腕は男、右腕は女だ』
「なんて言っているの?」
『左腕は短調、攻撃的な発現。右腕は…』
俺はそう言いかけて気づく。
確かに、→腕の魔力抗体生成はほぼ魔力に対して無敵に近い状態と言っていい。
だが、それは“解析”という段階を踏んでからになる。
そもそも、その力があるのならば
予めから全ての魔力に対する抗体を生成しておけばいい話だ。
だが それをしない。
『アリシア、どうやら左腕は繰り出される魔力に対しての無敵作用があるらしい』
「…切り離す?」
いや、単純に言えばそれがベストなんだけど
…なんだろう。そんな物騒な発送を娘からしれっと提案されるのがちょっと心苦しい部分あるな。…今更か??
『あいつの身体をいっぱつ殴ってみただろ?あの重さだ。そう簡単に切り離せるとも思えない』
「ならどうやってブチのめすのよ、物理一端の左腕をミンチにすればいいとか?」
『アリシアちゃん!言葉抑えて!!』
「…ならどうやって、お殺すすればいいの。あの小娘ちゃんのお左腕をおミンチに処すればよろしくてよ?」
いや、言い直してるって言わないし言葉メチャクチャだし(小娘?)
『…もう少し試す必要があるな』
左腕はともかくとして、右腕の攻略をしないとどうにも先に進めない。
あるていどの確信を得なければ。
「ねぇねぇ、作戦タイムは終わりかい?…わかった!僕のものになるかどうかのお話をしているのかな?」
『微塵も思ってねぇよ!』
「んなわけあるか!!!」
ニコニコと話しかけて来たスフィリタスに対して唾を吐きすてるように言う。
「だったら、力づくで…もぎ取ろうか」
瞬間、スフィリタスは瞬く間に俺たちの背後に立つ。
「!?」
疾い。これもなにかの能力か?
考える隙も無く
ゆっくりと左腕がアリシアへと伸ばされていく―
まずい!イメージしろ…炎でいい!弾ける模様
『っ、大花火!』
飾り気も無いその言葉が魔術に該当するか否かは俺にとっては問題では無い。
現にその言葉に呼応して、想像した通り花火のような発破がアリシアとスフィリタスの間で解き放たれた。
…即興にしては使い勝手がいいな。これ
「む<解析>」
スフィリタスはそれを右腕のアルカディアで打ち消すのでなく
左腕のエドで肉の盾を咄嗟に作って防いでいる。
発破の勢いに身を任せながら俺たちは後ろに下がり
『雷槍!』
ひと振りの雷槍をスフィリタスへ撃った。
「エド<ジョキョ><解析…>」
彼女は化物の腕を振り回してそれを弾く。
…気づかれるなよ?
「今度はこっちの番だ!」
俺たちは雷槍を防ぐ事に意識を向けたスフィリタスに距離を詰め
そのまま魔剣をエドに突き刺した。
さっきと同じようにイメージしろ
魔剣の切っ先を意識する。そこに感覚で点を置き、破裂させる感覚。
属性は氷…
『ブロウ・アップ!!』
キン―、とエドの内側から破裂するようい飛び出た氷晶の刃が縦横無尽に突き出される。
「…!<解析><銀><適正抗体生成>」
あまりの出来事に驚くだけで、そのまま内側に埋め込まれた氷晶の重さにゴンと鈍い音を立てて大きな右腕を地に伏せる。
イメージしろ、刀身に炎を纏う感覚…
アリシアはそのままエドから魔剣を抜き、二回身体を回転させて剣を大振りに横へ振った
その刀身はスフィリタスの左胴へと入ろうとするがそれを彼女は火花を散らしながらアルカディアで物理的に防ぐ。
<解析><赤><適正抗体生成>―
力押しで弾かれた魔剣。
『おせぇ!!ストーン・エッジ!!』
足元から飛び出された石の剣が、不意をつかれたスフィリタスの腹部へと突き刺さり、そのまま上へ上へと持ち上げられていく。
上空へとなすがまま放り出されたスフィリタス
…確証は得た。
あの右腕が得た魔力解析に対して順を追う毎に単属性の抗体を自身に施している。
確かに、1属性から2属性の魔術をもつ程度が当たり前のこの世界じゃあその力は十分に厄介な能力だろうよ…
―だが、相手が悪かったな。
『狼牙重奏―』
スフィリタスの周囲を緑色の風魔力が囲む。
それらは複数の狼の姿を象り、獲物である対象に向かって風の刃となって喰らいつく。
「成る程…君は…なるほど…<解析><キョウイ><解析…><ケイタイヘンコウ><融和承認>」
攻撃を受けながら彼女はぶつぶつと何かを言っている。
違和感は感じている。聞いた事のない二つの言葉…懸念する必要はあるが…手を止めるな。
アルカディアの解析能力は時間を要する。
抵抗をしていない…この隙なのだ。
空中にいるスフィリタスに視線を凝らし、イメージする。
彼女の身体を貫く一閃の光。
降す衝い、光の槌。
『天罰』
スフィリタスの頭上に光が集い、重々しい閃光となって降り注ぐ。
そして、踏みつけるように彼女を地に叩きつけた。
ドスンを地を穿つ大きな衝撃音。地がぐらりと揺れ
砕けた瓦礫と土煙が舞い上がりスフィリタスを覆う
イメージして引き出す魔術とはいえ、威力を見誤ったか…これじゃあどうなったのかわからねぇ
とりあえず、風魔術で―
「<ステュクス・ラエ>」
「…!?」
囁くように聞こえるエドの声。それを耳にすると同時に、
俺とアリシアの身体を得体の知れない壁が通過したかのような感覚。
同時に、土煙がその場から逃げるように払われる。
『な…んだ?』
俺もアリシアも動けなくなる。意識が“何か”に引かれていく
何か…?
何かってなんだ??
スフィリタスの方へ視線を向けると、その異質な造形が視界に全て入る。
リーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ
耳を劈く大きな悲鳴に似た音。
その音の主である彼女の右腕は先ほどの肉肉しい腕とは打って変わって
肉質の外見はそのままに、腕の形が、大きな長砲身と化していた。
『う…え?』
魂…が、ひっぱられている?
どういう事だ??思考は安定している。
だが、どうにも表面と大きな感覚の差異が生まれている。
精神世界と完全に隔絶された状態。
そこから何も出来ない外側を見せられているような
俺たちに向けられた銃口。その先で大きく溜め込まれた重々しい鈍光が周囲を陽炎のように歪ませている。
そして、それが原因なのだろうか。
…その鈍光に見覚えがあった。
内側に何色もの彩った魔力を練り込ませているもの
それは、俺たちが使う『神域魔術』の発動の際に見える魔力の彩だ。
俺たちのと違うのはただ一つ、透き通らず、鈍い
その境界せしめる輪郭が、色の根の部分が冥き色であてがわれているのだ。
まるで、俺たちという魔力に対になるように
…神の領域を否定するかのように。
「あはっ…そうか…そうなんだね?<ニンシキ>最初に触った時から気になっていたんだ<適合確認>まさかとは思っていた。君たちは―…」
“あちら側の存在”なんだね
と、目を見開き、喜びながらそう言う。
「あ…ちら…側?」
アリシアでさえもこれが精一杯のようだ。
「正確には…うーん…そうだな。なんて言ったらいいのだろう。“真理”が作った世界でいいのかな?」
“真理”―
スフィリタスはそう言った。彼女の言葉にはこの世界を外側から見ているような感じさえあった。
「クラウスが言っていたよ。この世界は結局、真理の記録した情報から練り落とされただけのお下がり。フラスコの中だって。
真理の空想、夢、願い。行き場を失った数多の創世情報を管理する為に試作された不完全な神の世界。或いは、統制の効かない思念をこの世界に流し込み、神の信仰によって調律させるための『ニア・イド』」
こいつは何を言っている?
「神そのもののような魔力。ああ、まさか、外側の存在が意図せずしてこの世界に顕現するなんてね。…欲しい。欲しい!欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい!!ますます欲しいよ!!君たちが!!!!」
興奮するすスフィリタス。
しかし、一方の俺と言えばこいつの齎す情報の全てが意識内を駆け巡り、ただでさえあのわけのわからない鈍光の魔力を前にして
焦燥感相まって思考がぐちゃぐちゃになってしまっていた。
「…随分静かになっていたけど、忘れていたよ。どうだい?“擬似神殺し”の感触は」
―神殺し?
その単語はつい最近聞いたものだ。
賢鎌プリテンダー…偽りの心器。
その他にも、神殺しが存在していたというのか?
「魔神由来であるエドの能力を解放した。この鈍く光る魔力は、元より“混沌”の性質を持っている。
元来、この世界の魔というものの原点は2つあるんだ。神のルールに則り生み出された秩序の魔。信仰によって還元されるエネルギーと言ってもいい。そして、この魔力はそれに対を為す魔。神が不要だと見放した心、その原罪から成る七色の魔力。そして、ジャバウォックの原点―」
『ジャバウォック…』
「君は知っているかい?古の渦が何の為に生み出されたか。神は人々の罪の証、罰としてそれを顕現させた。でも違うのさ。あれは本来神でも制御できない心そのものなのさ。信仰を必要としない意志。己、己、己。物語に遵守しない我という意識。その全てが渦巻き、蔓延る場所。それが古の渦。そして、そこに在る意識が物となって者となる。それが魔物であり、魔神であるんだ。神様はね、信仰を持たない存在には何も出来ない。ただ淘汰されるだけ、故にこれこそが神殺したりえる力なのさ」
対となる二極の魔の原点。
目には目を…毒には…毒をという事か。
プリテンダーのような心による純粋な神の否定ではなく
その根源たりえる感情の集積体。それを媒体にして神殺しを成立させたからこその“擬似神殺し”なのだろう
厄介なのは、それが互いに拮抗するのではなく
どちらかが先制でマウントを取ったかどうかという話になるのだろう…
その為に併用されたのがアルカディアか…あれが何かしら作用して神と断定したのだろう。
『色々…と、情報…ありがと…よ…けど…お前は…これで…どうするつもりだ?』
「ふふ、簡単な話しさ。君らという意識を、魂だけを壊してしまえばいいってだけの話さ。そうすれば、君はただの魔力の塊だ。
あとは…僕がじっくりと作り直してあげるさ」
結局は俺らの魔力目当てかよ…
「なに、難しい事では無いよ。アルカディアの解析で君たちの魂だけを狙い撃ちすればいいだけの話だ。…さて、もうお喋りはおしまいだよ。僕はこの後の予定もあるんだ。だから―」
「つれない事をいうなよ、小娘」
「だがっ…!?」
ゴキンと音がすると同時に、目前のスフィリタスの顔が大きくねじり曲がるのを見る。
その横で、そんな凶行に及んだ女の顔が視界に入ってくる。
『マリア…!』
唐突の出来事であった。
マリアが手に持つ剣の柄で、握る拳で、彼女の頭を強く殴りつけたのだ。
彼女のその一撃は人あらざる衝撃。それを証明するかのように、マリアが踏み込んだ大地が抉られていた。
なすがまま、横に大きく吹き飛ばされるスフィリタス。その攻撃は彼女の意識もろとも吹き飛ばしたのか
何も出来ず動けなかった感覚から俺たちは解放される。
「―かものが」
『マ、リア…?』
「おばあちゃん…??」
「…馬鹿者が!馬鹿者が、馬鹿者が馬鹿者が馬鹿者が馬鹿者がぁあああああ!!」
殴り飛ばした後でもマリアはその昂揚を抑えきれんと大きく叫び散らす。
「どいつもこいつも勝手な事ばかり!!勝手に話を進めおって!!こっちは時間を意識せねば直ぐに置いてかれるのだぞ!
そうやって何度も何度も勝手に結末を持ってくるんじゃない!!!」
ぇえ…
何か怒ってらっしゃる???
「世界?神?魔力?そんな事はどうだっていいんだよ!!!ただ貴様は怒らせた!!私の全てを怒らせた!!勝手に娘を殺し、勝手に幸せを奪い、勝手に孫娘さえも奪おうとしている!!いいか!今のお前はただの駆逐対象だ!お前の全てを!!今度は私が罰を下す!!その役目、神等に譲ってなるものか!!!決して!!決して!!!!」
その言葉に、真っ直ぐな意志を感じた。
そして、その激昂が俺の中で何かが大きく躍動するのを感じた。
世界に、神に与えられた役割ではない。
彼女自身が、マリアとして怒り、裁きを下す。
その思いが俺に気づかせた。
『人として…か』
吹き飛ばされたスフィリタスが起き上がり、曲がった首をゴキゴキと鳴らして元に戻す。
「まさかの外野参戦なんてね。<シュウフクカンリョウ>困ったものだね…<ハカイタイショウツイカ>僕の邪魔を<解析…>そんなにしたいのかな??<ケイタイヘンコウ>僕をそんなにも…<承認>怒らせたいのかな!!!」
スフィリタスの瞳の色が変色する。
それと同時に彼女の姿が陽炎のように歪んで蠢き出す。
最早その姿には少女としての面影は無い。
大きな爪を揃えた掌を模した大きな翼。
化物の右腕、そしてそれに反するかのように輝く水晶の左腕が大きく伸び
その脚は、獣の後ろ脚となり
大男をゆうに超えてしまう程の体躯。
その表面は人を捨て
骸のような顔に、天使の輪を冠している。
虚ろな伽藍堂の眼の奥で大きな紅点が爛々と輝き散らす。
その姿はまさに魔王。それに相応しい姿であった。
「モウ、ドウナッテモシラナイカラ!!!!」
スフィリタスは大きく咆哮すると
その翼を大きく広げ、周囲に鈍光の領域を展開させる。
それが俺にはすぐに解った。
先ほどと同じ“神殺し”の能力なのだろう
アリシアが俺に視線を送る。そして、小さく頷いた。
―ああ、そうだよな。
この力がなんであれ、神から貰って使っているなんて考えがそもそもの間違いだったんだ。
それでも…これが神によって生み出された魔力である事に違わないのならば…
『俺はそれを今だけは放棄する!』
魂の複合乖離の発動
俺は魂を分離し、持ち主であるアリシアの身体を本来の人と同じ状態へと変換する。
「パパ…いくよ」
『ああ……マリア!!!!』
「…!」
『俺たちも、俺たちの意思で戦う。今だけは、一緒に闘ってくれ…頼む』
「…ふん、相変わらず人間の真似事をほざくか」
『当然だろ。ナリがどうであれ、俺は人間なんだよ。娘を守りたいが、傷つかないで済むには、あんただけが頼りだ』
「…いいだろう。アリシアに免じてイチモツは置いといてやる。一先ずは…こいつを斃すぞ」
「ありがとう!おばあちゃん!大好き!!」
「…うむ」
あれ、マリア?ちょっと照れてなかった?
「何か言ったか?」
『いいえ』
斯くして、俺たちは対峙する。
この世界で定められた大きな運命の一つに…