その言葉は、鋼の牢に潜む他が為に
物心ついた頃から、僕は他の人と違っていた。
他の子よりも大きな身体、そして桃色の髪。
その違いだけで僕は、日常の中で『化物』と呼ばれ
日々の中で石を投げられる毎日にいつも家の隅で「どうして」と縮こまって泣いていた。
昔、母親は当時問題になっていたとされる“ラフレッド”という麻薬に手を出し
そのせいで生まれた私の髪の色はそのような変わり種の桃色になってしまっていたという。
父親もだれか解らず、「ラフレッドを使った人間の子供は髪が桃色」という噂が出た事を折に
母親は麻薬に手を出していた事実を隠匿する為に私をそのまま見世物屋に金を払ってまで明け渡した。
以来、連れてこられた場所で私は石を投げられるよりも酷い仕打ちをうける日々を送る。
普通の人よりも大きな体格をしているだけで、暴行を繰り返し受け、最後には唾や汚物と共に『化物』と吐き捨てられた。
毎回その目的の為だけに来た客に嬲られ、そうじゃない日は獣と同じ牢に閉じ込められながら皿の上に極わずかの“餌”と水
中途半端に生かされながらそんな日々を送っていた。
僕は何か悪い事をしたのだろうか?
最初はいつも殴られるたびに僕は「ごめんなさい」と謝った。何度も謝った。
だけど僕のむせび泣くような懇願を聞いた客は、一瞬だけ手を止めて
生暖かい吐息をより一層温め、再び暴力を振るってくるだけだった。
いつも聞く、「化物が」「化物が」「化物が」「化物が」「化物」「ばけもの」「ばけもの」バケモノバケモノバケモノ
その呪いのような言葉が耳の中でずっと虫の這い回る足音以上にざわめき続けて離れようとしてくれない。
僕は長く伸びた自分の髪を憎たらしく眺め、時には噛み千切ろうとした。
だけど、それは僕の嫌いな“痛い”だから出来なかった。
そして、その様子を見る飼い主がやはり吐き捨てるように「獣だ、獣」と侮蔑の表情で見下ろしてくる。
どうして?どうしてみんなは僕をそうやって平気で傷つける事が出来るの?
なんでも誰も僕を助けてくれないの?
―ある日、僕は牢屋の前に自分の事を見る同じ年の子供がいた。
その子供は僕の髪を見て、物珍しそうに触ろうとした。
その瞬間の眼差し…他の人とは違う温かみを不意に感じた。
あの感覚から生まれる情動を僕は今でも忘れる事は無い。
けれどそんな気持ちでいるのも束の間。
親らしき二人が、その子供を僕から無理矢理引き離しては、気味悪そうに鉄格子を蹴り続けるのだ。
「気持ち悪い、これは化物なのだ」と
抱き寄せた子供につよく強く言う子供の親を眺め、やはりこう言葉を漏らしてしまう。
「どう…して?」
髪が違うから?身体が大きい、少し頑丈にできているから?
毎日暴力を受けて、それでも本当は痛いのは嫌いなんだ
辛いんだよ、苦しいんだよ?
なんで?何が悪いの?何が僕を認めてくれないの?
お母さん?それともお母さんと一緒に僕を捨てた父さん?
なら、化物と忌み嫌う僕を…なんで
生かしているの?
なんで僕は生きているの?
生きていいなんて、誰も言ってくれないのに、なんで僕はこうやって息を吸うたびに今日殴られた腕を
今日蹴られた足を、今日引っ掻かれた背中を痛みながら登る日を見続けなければいけないの?
どうして?
どうして??
「可哀想に―」
それは唐突な言葉だった。
毎日のように客に呼ばれては殴られる日々の中で、その日だけは特別だった。
いつも来る人よりもいい服を来た男が現れ、哀れみの表情で僕を見つめていた。
当たり障りのない距離感に不思議な気持ちを覚えながら
けれど、それが優しさなのかなんて解る事は僕には出来なかった。
“そういう変わった嗜好”を持つ客だって少なくない。
金持ちの人間はみんなそうだ。
憐憫だって、所詮は自分自身を気持ちよくさせるだけの欲望でしかない
その視線だって嘘偽りの無い嘘かもしれない。
意味も解らず気まずそうにする。
…締め付けられた首輪の跡の痒くなった部分を掻いて気持ちを誤魔化す。
「僕が君を解放してあげよう」
その言葉が真意なのかなんてわからない。
だって、そういう嘘をついて殴る客だっている。
だが、その男は殴ることも蹴る事もせず
自分のカバンから小さな小瓶を取り出した。
「これを飲むといい」
「…」
当然僕はそれを黙って拒否した。
どうせいつもの頭がぐるぐるになるクスリなのだろう。
「信じる事が出来ないかい?」
「…」
「それもいいだろう。“いつもどおり”の痛みを再び毎日送りたいのならば」
男は僕に対して挑発するような物言いをした後に差し出した小瓶を仕舞おうとする。
けれど、僕にはその言葉が感覚的に他の人と違う意味を示している事を感じた。
本能なのだろうか?勘なのだろうか?
僕はそれに赴くまま、男が仕舞おうとした小瓶を持つ手を掴んだ。
「…そうだ、いい子だね」
その小瓶の中に入った液体を喉に流し込む時の感触を今でも覚えている
水よりもドロドロと重く、口内の粘膜に触れた瞬間にザラくつ喉越し
そして何よりも気持ちの悪いほどに苦い。
でも吐き出しそうになるのをこらえながら飲み干す。
きっと毒なのかもしれない。
そういう嗜好の人間なのかもしれない。
でも、もうどうでもよかった。
こんな世界に痛い思いをし続けて死ぬよりは、せめて自分の意志で選ぶ死を望んだ。
「―また、来るよ」
男はそう言って何もせずに帰っていく。
僕に何かが起きる事も無く帰っていく。
ただただ舌に残る苦い味だけが…残ってしまった。
次の日の事だった、僕はそこで自分に何が起きたのか理解出来なかった
いつものように客に殴られる時間。
だけどその日は違っていた―
「いでぇっ!?」
僕に馬乗りになった男は目一杯僕の顔を殴ったつもりなのだろう。
けれど、僕には全くと言っていいほど、痛みを感じる事は無く
男の手の方が血に塗れていた。
「なんだぁ!?な、にを…しやがった??なん・・・ああああでででであでええええ」
拳からは骨が飛び出ていた。
「店主っ!?店主ーーーーーーーー!!ど、どういう事だこれは!?」
「一体どうされました…ひっ!?」
呼ばれて飛び込むように現れた店主が客の手を見て引きつった声を漏らす。
「くそっ話が違うじゃねぇか!…一体…」
痛そうに手を抑える男。そこから滴り落ちる血が、不意に僕の頬へと落ちる。
………………躍動
頬からなぞるように鼻の下へと流れる血を僕は、舌を伸ばして舐めた。
瞬間、脳髄に稲妻が走る感覚。
今までにないくらいの食衝動が僕を駆り立てた。
「え…なっ!?」
僕は謝る店主と馬乗りになった男の会話などお構いなしに
起き上がって男を押し倒すと、血塗れになった男の砕けた手を狂ったように齧り付いた。
「もっと…もっと…もっと頂戴…もっと…!美味しい!!もっともっと!!」
「ひうぎぃいいあがっ…なんだこいつ…!!急に俺の手をおおおおおおおおおおおお」
骨に張り付いた肉、皮を引き剥がし、血を啜る。
止まらない、美味しい
男はあまりの痛さに白目を剥き泡を拭いている。
だが、関係ない…僕は、ボクハコレヲタベタイコレヲ―
ガァン
瞬間、僕は頭を強く殴られたような衝撃を覚えて大きくのげぞった。
「いたい」
「…ば、化物…」
店主の方を向くと、彼は猟銃を構えていて
銃口からはすでに煙が吹いていた…まさか…?
「僕は撃たれたの?」
頭をさする。…いたい所がまだ残っている
「僕を撃ったの??」
「ひぃ!?来るな…!!」
何度も銃声が鳴り響く。ガン(いたい)、ガン(いたい)、ガン(いたい)、ガン(いたい)
「ひどい…ひどいよ」
僕は、ただお腹が空いたからご飯を食べていただけなのに…ねぇ
カチカチカチカチと店主の震える歯と、もう弾の無い猟銃の引き金の音だけが交差して聞こえる。
僕は動かない店主にゆっくりと近づく。
「なんで、僕を化物呼ばわりするの?ねぇ」
「来るなっ!!」
店主はついに僕を強く押し倒すと、そのまま背を向けて走り去り「みんな、逃げろ!化物だ!!化物がいるぞーー!」と
大きい声で叫び回っている。
「ばけもの…」
気絶している男に振り返る。
「ばけものってなんだよ?」
男からは返事は無い
「何が化物なんだよ?」
食いかけの男の腕に手を伸ばすと、僕は理不尽な状況に苛立ちを覚え
同時に食衝動に駆られる。
「僕の、何処が化物なんだよ!!」
「こんなに!!美味しいのに!!なにが化物なんだ!!どうして!!僕を化物呼ばわりするんだ!!」
「男の肉をどんどんと貪り食い続けた。
また五月蝿いのが嫌だから頭を潰しておこう
そこら辺に投げ捨てられていたスコップを使いザクザクと切り込みを入れて齧り付く。
すごい!ここが一番美味しい!
でも、この男の人は痛くないのかな?大丈夫なのかな?
でも、ごめんなさいを僕はいつも言っているからいいよね?
もし起きたら後でごめんなさいしようか。
それよりも勿体無いからどんどん食べないと!
本当はもっとバラバラにしやすい刃物があればいいんだけど
それにしても失礼だよ。僕を化物だなんて。
絶対におかしい。
痛い事をしてきたのはみんなじゃないか。
みんなの方がよっぽど化物だ!そうだ痛い事をするやつはみんな化物なんだ。ああ、美味しい
お母さんもどれくらい美味しいのかな?聞いてみたいな。美味しかったらお母さんも一緒に食べようよ
ご馳走。孤独。捨てられた。僕は化物?違うよね。ねぇ、ねぇ、ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ」
ねぇ
僕は、自分がそうやって勝手に喋っているのを
他人事のようにただじっと眺めていた。
―ねぇ、誰か僕を救ってよ…
「―十分に化物じゃねえか」
光に撫でられて、鈍く煌く鋼の甲殻。
その輪郭は尖々と嘶く頂点より威嚇的な刺突の権利を生きたまま放つ程に極刃の成れの果て
無機質なものだからこそ、その内側で生きている確証がより一層君の悪さを彷彿とさせる。
アンジェラは、その巨大な鋼蝎をキッと睨みつけて
前線に立つ三つの人形に指示を出す。
「ギュルレルル!!!」
“裏渡”と名付けられた鬼面は大蝎の頭めがけ大きな鉄槌で殴りつける。
大蝎は大きく仰け反ると、引っ込めていた鋏で裏渡を引っ掴もうとするが、そこから狐面の“百合”が長槍を駆使して
裏渡への攻撃をなぎ払う。
2体の人形を相手に、一匹の獣が苛立ちを覚えたのか
大きく咆哮し数脚をカタカタと鳴らして背を向けると大きく引いていた歪な刃の尾を使って
地を抉る刺突を二体の人形めがけて何度も何度も繰り出した。
それらを裏渡と百合は自身の持つ武器で流れるように捌き、躱し
最後の一撃が裏度に当たる直前で、その手に持った大槌を以て押し返した。
力押しに圧倒され刃尾を持ち上げられたた鋼蝎はその流れに合わせて大きく横に回転して振り
人形二体を一気になぎ払った。獣はそのまま背を向けて壁へと走るとそのまま這うように登って大きくアンジェラに向かって飛びこむ。
「化物にしちゃあ賢いなあ。だが、所詮は賢しいだけってところか?」
アンジェラは吹き飛ばされた裏渡を引き寄せて
降ってくる大蝎をそのまま強く鉄槌で受け止めて弾き飛ばす。
飛ばされた蠍は刃のような多脚で地を穿ち、覆されそうなその身を支えると大鋏を引っ込め、
追撃してくる騎士人形“判主”の大ぶりの剣撃に合わせて繰り出した。
「ギィ…!」
鋼蝎の鋏は判主の大剣を挟み込むと、握り締めたままの判主共々に振り回し強く地面に叩きつける。
そして、そのままもう一方の鋏で地にうっ伏した判主の身体を挟み込んで抑えると
そのまま持ち上げ、刃のような尾で突き刺そうとする。
「ちっ」
アンジェラは舌打ちをすると右手を二度回し中指を上にあげ、もう一方の左手を大きく退いた。
すると、判主の身体は胴から二つに分かれ、空に振り下ろされた刃尾は地面に突き刺さる。
目一杯に振り下ろしたせいか鋼蝎は刺さった己の刃を抜くことが出来ずギリギリと金属が擦れる音を鳴らしながら藻掻く。
そこに裏渡が直ぐさま駆け寄ると、
尾の刃を何度も何度もその大槌で叩いた。
「おーおー、堅ぇなぁおい」
小言を漏らしながらも人形を手繰るアンジェラの手は休まる事なく
綿密な指捌きで鋼蝎に掴まれたままの判主の二つの身体を無理矢理くっつけさせる。
尻尾を叩く裏渡に意識を持ってかれたせいでまるで自身の鋏腕が勝手に動いたのかと錯覚し驚いた鋼蝎は
咄嗟にそれを手離し、自由になった判主はそのまま大剣で目前の尾刃に裏渡と共に叩くように攻撃した。
しかし、鋼蝎の尾刃は相当に堅く
大槌、大剣の二つを以て攻撃をしても砕ける事も切断する事も敵わなかった。
「ギリュルルルルルルルルル」
「うるせぇなぁ!」
耳を劈く化物の咆哮を黙らせようと、その平たい頭に一発。裏渡の槌が轟く。
しかしそれでもビクともせず、アンジェラを丸呑みできる程開かれている口はそのまま動かず
爛々とした光をその前に集わせる
アンジェラはその光に覚えがあった。
「ドウシテ…ドウシテナノ?」
「…っ、そう来たか!“百合”!!」
野太い声で発する悲嘆など気にせず
咄嗟に狐面の百合を自身へと引き寄せ
百合の持つ長槍が瞬時にバラバラに分解される。
それらはアンジェラを囲うように周囲で陣を作り特殊な文字が浮かび上がる。
「守護法陣:冠臥羅不転―」
「カァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」
|拡散閃光射(ディフュ-ジョンレイ)
大きく丸め込まれた白魔光の玉は突如として弾けいくつもの眩い閃光が縦横無尽に放たれる。
それらは、鋼蝎の巨躯にも突き当たるかと思えば、鏡に当てられたかのように反射し
周囲に跳弾した。
然り、踊り狂う光弾はアンジェラにも襲い掛かるが
即座の判断で張られていた守護結界によって寸でのところで防がれていた。
「鋼の甲殻、まさか魔反射装甲まで仕込んでるとはなぁ」
(光魔術に魔反射装甲…その二つを両立した構成を化物風情が独自の進化を経て得るなんて考えられない…“誰かの手によって弄られた?”)
思考を巡らせながらも、守護術式を発動している条件としてアンジェラは動く事が出来ず
他の二体の人形である裏渡と判主はそのまま跳ね踊る光弾の餌食となって所々に風穴を開けてしまう。
「くっそ!濃度の高い光魔力じゃねえか。こうも二人を蜂の巣擬きにすんだからよぉ!」
だが、動けない事はない―そう物語るかのように裏渡と判主はギ…ギ…と関節を鳴らしながら再び動き始める。
しかし、それも束の間
鋼蝎の刃尾はいつのまにか地面から抜けており
そのまま大きく躯を回転させて裏渡と判主を大きく吹き飛ばした。
そして、今度はそのまま刃尾に光を集め
周囲をなぎ払うように高出力の閃光を切っ先から解き放った。
辺りの地形を削るように吐き出される光は、そのまま軌道を変えて
結界に護られているアンジェラへと向けられた。
「裏渡!!」
咄嗟に起き上がった裏渡はそのまま大槌を光線を放つ刃尾に投げつけた。
「ギリリリリリリイィ!?」
尾を叩かれた鋼蝎は痛々しい呻き声を漏らし
光線の軌道をわずかばかりずらす。
ヒィーーーーーーーーーーーーーーーーッ
悲鳴のような高音が耳をかすめる。
それが何を意味するのか言うまでもない
見事に断たれた守護結界と百合の片腕。
驚きからか、冷静さを保っているのか
アンジェラはそれをただジッと黙って見つめている。
「てめぇ―」
重々しい声色を漏らしながら共にアンジェラの手が大きく動く。
それに合わせて、引き寄せられた判主の手が百合の残された手と絡み印を結ぶ
「憑依招来“イフリート”!!」
その呼び名と共に、結ばれた印から両者の腕に掛けてが赤く熱を帯び、空気を焼き始める。
そして徐々に周囲を踊り狂うように荒々しい焔が顕現すると“百合”にその炎が這うようにまとわりつき
その姿を炎の裁定者へと姿を変えた。
そして、イフリートと化した人形は判主との印を解き
炎の腕を両手いっぱいに広げ
日輪の如き業火の球体を生み出した
「焼けろ―」
その一言に合わせて鋼蝎の頭上に、業火が降り注ぐ。
「ギィ!?」
しかし、鋼蝎の甲殻は先のように魔力反射を持っている。
魔力によって生まれた攻撃は返される―
「ギィイあ…イイイああああああぎイイイアアアアアああああアアアアアアアアいがアアアア嫌アアアアアアアア」
鋼の甲殻が無慈悲に落とされた業火により焼かれ、大蝎は悶えながら哭いた。
熱を帯びた鋼は徐々にふつふつと沸騰して形を崩す。
「てめぇが喰らってんのは魔力を寄り代に挿げ替えた炎じゃねぇ。炎の精霊イフリートによって呼び起こされた
“正真正銘の炎”だ。そいつはぁミラーコートじゃあ防げねえよ」
燃える、もえる、モエル
純炎の抱擁の前では難き鋼の魔反射装甲等には意味もなく
ギリギリ、パキパキと音を鳴らす鋼蝎
―そのまま炎に包まれた鋼蝎は抵抗する力も無くよたよたとアンジェラへと近づく
「ドウシテ?ドウシテ―…ドウシテドウシテドウシテ!!!ボクヲ…ボクニイタクスルノ?」
燃え上がる轟轟の旋律の中、そんな声が燃え上がる化物の大口から漏れる。
「ミンナ、ボクヲナグッテイイッテ、イシヲナゲテイイッテ、ボクヲコンナスガタニシテ、ボクガ、ボクガ―」
何をしたっていうの?
やがて炎は役目を終えたのかその場から少しずつ消えていった。
「うるせぇ。てめぇが手にとった失敗のツケを周りのせいにすんじゃねえ
地獄を口にしたんならそれなりの学びを得てようやく人はまともに歩き出せんだ。だが、てめぇは外道に堕ちた
人を喰らう化物さ」
「ダマレ…オマエに…ナニガワカル…」
焦土のような巨躯をギニギニと持ち上げながら、鋼蝎は吐き出す。
「わっかんね。わっかんねぇから仕置きをしたんだよ。てめぇもそうだろ?なぁ。解らねぇまま何もしないから
自分から地獄を抜け出すこともしないで不幸って蜜を貪ってたんだろ?そんで、そのついでに人も食った。
あわよくば、あわよくばだ。そいつの何かを知るわけでもなく、そいつの痛み、苦悩、繋がり…そんなものに耳も傾けやしない。殺すことも躊躇わない。同じ人間だと思ってないからそれが出来る。だが人間はそんな事しねぇ。だからお前は化物なんだよ」
「オマエ…嫌いだ…」
「結構だ。これを見ろ」
アンジェラの指をさした先、そこには黒炭と化して動かなくなった人形“百合”がいた。
「おかげ様で、あたしの愛する仲間が見事にクソ焦げだ。ハンスもウラドも、蜂すら住めねぇ蜂の巣だよ」
「ソンナノ、ボクニハ―」
「関係ないだろ?」
「ッ…」
「だったら関係大アリにしてやるよ、てめぇが暴れまわって、てめぇが今まで散々惨々、人を殺してきた全てのツケを…今、この場で払ってもらう」
高くつくからな。と、アンジェラは両手を大きく二三度巻きながら裏渡と判主を自分に寄せて
鋼蝎へと近づく。
「…馬鹿なやつ―」
鋼蝎は、その焦げた刃尾を大きく地に叩かせ、そのまま弾けるように弧を描きながら大きく正面
そのまま無防備に近づくアンジェラに向けて刺し迫った。
刹那
鈍い音を立てながら、なすがまま
いくら熱で形の崩れた刃だからとて
目一杯に力を込めて送り出された凶刃はアンジェラの胸部へと見事に突き刺さる。
「…ああ、いるんだよなぁ」
「…」
アンジェラはゆっくりと刃を見下ろす
「おま、えみたいな…何を言ってもわかん、わかんわかんわかわかわかわかわかかかかかかかかかかかかかかかかか」
「!?」
カタカタと小刻みに揺れるアンジェラ。
その挙動が理解に及ばず、動揺を隠せない大蝎。
「何を言ってもわかんねぇ奴がさ、いるんだよ」
ト―っと鋼蝎の頭上に小さな足が乗っかる。
その姿はアリシアよりも小さなみなりで、和装を着た少女の姿。
髪が一本の三つ編みに結われ、地に垂れるほど長く、眼鏡の下に映る金色の双眸。
何よりも異彩を放っていたのはその花火玉程の小さな頭に揃えられた二本の大角。
「角…?オマエ…亜薔薇姫…と、同じ…」
(違う…そんなことより…)
「ああ?誰だそりゃあ。知らねぇよ。そんなに百鬼族の角が珍しいかい?狭いせまい知見だぁ」
(そんなのどうでもいい…この子…いや、彼女は…)
鋼蝎の、“キオーネ”の目に映っているのは口に似合わぬ幼子の姿でも
その乗せられた大角でもない
キオーネの瞳に映されているのは、その長い長い髪の“桃色”―
ダン!!!!!と
鬼族の少女は大きく鋼蝎の頭を叩くように踏むと
胸を穿たれたアンジェラの開かれた口から、
隣の判主の口から、裏渡の口から、
特殊な文字が並べられた魔法陣が空に描かれ
「“百合”が壊れたせいで“安慈羅”を使うハメになるなんてな」
「何を…するつもりだ」
「黙って見とけよ、“クソガキ”」
鬼族の娘はそのまま踵を返して目下の大きな蝎の背中に、その拳を
「ピギ…!?」
穿つように突っ込んだ
「ん~?」
突然の暴挙に悲痛を上げる大蝎など気にもせず、蝎の内側をグチグチゴリゴリとまさぐる鬼族の娘。
「ぎ…ぎぴい…!?」
「…ああ、これか」
何かを見つけたのか、彼女はそのまま見つけた“もの”を掴んで、遠慮無く引っ張り出した
「アアアアアアアアアアアアアアアアアヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロオオオオ」
取り出されたのは、鋼蝎になる前の姿 キオーネ・マルドゥークその人姿
自身の忌み嫌う桃髪を掴まれながら引っ張られ
粘液にまとわりつかれながらズリュズリュと生まれる子供のように彼女は引きずり出された
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!?」
往生際悪く、彼女を化物から引き剥がせない。
その原因は鋼蝎に繋がれた大きな大きな鋼玉をキオーネがしがみつくように抱いているせいだった。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!痛い痛い痛い!!」
「喚くなクソガキ」
彼女の髪を掴みながら鬼の娘は小さい身体を後ろに下げながら、駄々をこねるキオーネを容赦なく引き続ける
「もう、手放せ、“それ”はお前には過ぎた代物だよ」
「嫌だ!!いやだいやだ!やめろやめろやめろ!!」
ぐいっと引くも、彼女は未だにそれを手放そうとしない。
「手放せ」
「嫌だ!!」
「手放せ」
「なんでだ!」
「―てめぇを救うためだ」
「え?」
…彼女は今までに聞いたことの無い言葉を耳にする。
「オマエ、何を言っているんだ?…私を救う?意味がわからなへぶっ」
キオーネが言い終える前に鬼の娘はその頬をひっぱたく。
「御託はいいんだよ!さっさと手放して、もうてめぇ自身の化物も一緒に捨て去りやがれってんだ!!」
「…」
―素晴らしいよキオ
僕という化物を好いた女の子がいた。
あの子は、僕という存在を認めてくれた。
魔業商という居場所をくれた。その為なら、何でも殺せた。壊せた。美味しくなくても喰らうこともできた。
それだけでよかった
それだけでよかったんだ…
でも
僕は…彼女がいろいろな“芸術”を作って喜ぶ背中を思い浮かべる―
見上げた先で見下ろす自分よりも背の小さな少女。
未だ真っ直ぐな金色の瞳でキオーネを見続け、手を挙げる。
彼女は乱暴な言葉で彼女を否定して、彼女の嫌う痛い思いをさせている。
(嫌いだ)
なのに
(嫌いだ)
なのに…
(きらいだきらいだきらいだきらいだだいきらいだ)
心臓が小刻みに震えるのを感じる
(…なんで)
なんで僕はこいつのたった一つの言葉にこんなにも心を揺さぶられてしまうんだ!!!
「うっ…ぐっ…」
彼女の鋼玉にしがみつく手は、ゆっくりと…ゆっくりと離されてゆく。
自身を守っていた暴力に、暴壁に、暴喝に、手がゆっくりと離されていく。
「ギィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ」
鋼玉はそれを認めないと言わんばかりに、形を針に変え彼女の手に突き刺し
無理矢理離さないようにさせる。
「い、だい…」
「封鬼術:陰・陽・極」
少女は片手で印を結び、周囲を囲う“判主”“裏渡”“安慈羅”から放たれた魔法陣を解放する。
それらは鋼玉を三角に囲み、鋼玉の意志を奪う。
「これで終いだ」
少女はこの機を逃すまいと
そのままグイとキオーネをめいっぱい引っ張り。
キオーネはそのまま鋼玉から手放した。
静寂。
そのなかで小さくむせび泣く声だけが響いてる。
「人間はよぉ。時として、捨てられない“自分”があるんだよ。それこそ、それを守るために
周囲を傷つけてもいいって思う。やがて捨てられない“自分”は言葉も通じず、何にも耳も傾けない化物になんだよ
今のてめぇみたいによ―」
キオーネ自身もよくわかっていない。
けれども、為す術を失ったまま、みっともなく己よりも小さな少女の膝下に抱きつくキオーネの
「どうして…どうして…」と泣く言葉に
一言だけ、アンジェラ・スミスは答えた。
「ただてめぇが、すくえる人間だったってだけだよ」