鋼蝎のアンタレス
最早人気も無く、飛沫した鮮血の道
そこをカタカタと忙しそうに走らせる小さな絡繰八つ足が“投げ捨てられた腕”の前で動きを止める。
その紫魂の水晶の如き複眼でそれをジッと眺めると一度首を傾げ
そのまま絡繰蜘蛛はその腕を背負って再びカタカタと走り始める。
カタカタ
カタカタ
向かった先は先程よりもひどく血腥く
かつて人だったものが食い散らかされた場所。
そして、“彼の主”がいる場所。
―荒れに荒れた店の中で、やってきた絡繰蜘蛛を一人の人形師が見下ろす。
「…ほう、随分とがっつりやられたもんじゃねぇか」
仮粧のような隈から覗く瞳は冷静。冷徹。
冷えた声色で、その千切れた弟子の腕の様子を伺っている。
アンジェラは一度瞑目する。
「職人の腕…その価値を解らねえ狼藉者がここには“二人も”いる」
「…勘弁してくれ師匠…」
意識を取り戻したばかりのメイは意識が朦朧としている中で本当に地獄を見ているような表情でアンジェを見上げる。
「いいや、勘弁ならねぇ」
「ぐがっ!」
アンジェラはメイの首根っこを掴むとギリギリと持ち上げてメイを睨みつける。
「てめぇがいっぱしの鍛冶師になったのに時間を掛けたのが誰か解かってねぇようだなぁ。
ああ?お前の手腕がてめぇだけの物だと思えばそら粗末にも扱えるもんだよなぁ」
(こ、殺される―!?)
メイは死の際から戻ってきたにも関わらず本当に地獄を見せられている気分になった。
「“スミス”って称号はてめえが駆け足で何かを守ろうとした時に捨てられるほどに安いモンじゃねぇんだよ」
アンジェは絡繰蜘蛛が投げてくるメイの千切られた腕を受け取ると
「こりゃあ仕置きだ」
「あぎっ…!!!!!いいいぎいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
そのまま、メイの元の腕の断面に千切れた腕を無理矢理捻りつけた。
「いだい、いだだだだだだだっだだだっだだだあああああああああああああ…あでっ!?」
痛みで気がおかしくなりそうになる中でアンジェラはそのままメイを横に投げ捨てた。
「ってぇ。くっそ………あれ?」
投げられた勢いで床に叩きつけられたメイは頭を抑えながら、違和感に気づく。
頭を抑えている腕は、確かに先ほど失ったはずのもの。
「…はは、流石師匠…始めて見るけどあの一瞬の流れで“くっつける”かよ?」
ふん、とアンジェラは唾を吐くようにその指に摘んでいたまち針を投げ捨てる。
「…包帯で固定しとけ。でないと感覚がズレるぞ」
「ほんっと…その面さえなけりゃあ、良い師匠なのになぁ」
「どうやらその口も怪我してるようだなぁ?縫ってやるよ」
「スイマセン、本当にアリガトウゴザイマシタ」
けっ、とアンジェラはメイとのやり取りを程々にして
もう一方の狼藉者に目をやった。
式神によって出された武器によって拘束されたピンク髪の女はぐーすかと寝息をたてている。
「…」
「へぶっ!?」
そこにアンジェラは近づくと、その顔を容赦なく平手打ちした。
「だれが寝て良いっつた?ああ?」
「いったた。ひどいよぉ。こうも動けなくしてさ、あんだけ待たせたらそりゃあ寝ちゃうと思うよ?
あ、初めまして。僕はキオ。キオーネ・マルドゥーへぶっ」
キオーネと名乗りきる前に彼女を再び平手打ちする。
「てめぇ、頭おかしいんじゃねえか?職人の腕ちぎっておいて名を名乗るったぁ弁えてねぇなぁ。このすっとこどっこいがよぉ」
「ちがうもん!あれは僕じゃない!!ジョイがやったことだぶふっ!?」
平手打ち
「餓鬼みてぇな言い訳は聞いてねぇんだよ」
平手打ち
「鍛冶師にとってなぁ」
平手打ち
「腕は命の次に大事なんだよぉ」
平手打ち
「もっと、言えば命よりも大事な場合だってあるんだ」
平手打ち
「なによりよぉ」
平手打ち
「あたしが手塩に掛けて育てた“腕”をよぉ」
平手打ち
「よくもまあ」
「ごめ、ちょ…」
「よくもまぁ」
平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手打ち平手
「ああああああああああああああああああああああああああもうやめろってぇえええええええええええええ!!!!!!!」
堰を切ったように大きな怒号が響く。
鳴り渡るは人のそれでは無く。知恵を素識らぬケモノの如き鋼鉄の咆哮
ビリビリと周囲を薙ぎ倒すような圧。力によって全てを淘汰したものの憤怒という特権。
それはいとも容易くメイの拘束を打ち払い。
その身を解放されたキオーネはぶっきらぼうに手に握る異形の刃を振り回した。
走る歯車の如くギュラギュラと回る複数の刃は、無慈悲にアンシェラに振り下ろされる
「師匠!?」
「狼狽えんな」
ガンッ―と襲いかかる刃を、その細腕でなんなく受け止めるアンジェラ。
「なっ!?」
ガリガリと彼女の腕を削りながらも飛火が華のように舞い散り、力の拮抗を見せつける。
その異様な光景にメイも、キオーネでさえも目を疑った。
一度彼女は武器を大きく下げると、もう一度大振りで胴を切断しようと横に振る。
しかし、それも弾かれたと思えば、先ほどのメイの様に首を掴まれて腕の関節を無視するような挙動で身体を逆さに回転させられて
地に叩きつけられた。
そのまま頭を押さえつけられて動けないキオーネは「くそっ」と言いながら起き上がろうとする、が
どこからその膂力が来ているのか頭を上げる事ができない。
ならばと、一度押さえ込まれている方向と同じ向きに下がり、スルリとアンジェラの抑止から逃れると
すぐさま頭を上げて今一度異形の武器を振り回す。
何度も、何度も何度も何度も
だが、その刃が彼女の細身を断つ事も砕く事も無く
渾身の一撃一撃が、虚しくその細腕に払われ弾かれてしまう
「なんで…だよぉ!!」
叫びながら振り下ろした攻撃
再びガリガリと音を立てて刃と彼女の腕が拮抗するように火花が散る。
「…あんた、あんた“も”人間じゃないの?」
長身で見下ろすキオーネは怒る獣の形相で、周囲よりも熱を帯びた吐息を吐いてアンジェラに問う。
「ぁあ?人間だよバーカ。てめぇみてぇな獣風情、人間辞めなくったってどうにでもなるんだよ」
「ふざけないで!そんな人間…今までみた事ない!!」
「ああ、そうかい。じゃあ初めて見る人間のすごいすごいで人生を見納めしてくれや」
ゴン!っとアンジェラは大きくブーツのヒールで地を鳴らすとキュルキュルと玉のように光る細糸が、キオーネの身体に纏わりつく
そのまま身体の自由を奪われた彼女は、アンジェラの手捌きに合わせて徐々に身体が上に持ち上げられる。
「ぐっ…がはっ…、オマエ、何を…」
アンジェラは細糸によって吊るされてなお藻掻くキオーネに対して、しかめた面を見せつける。
「―てめぇ、本当に何者なんだ??」
糸に繋がる自身の指をまじまじと見つめながら彼女は舌打ちをした。
「普通の獣だって、玉鋼生糸で直ぐにでもバラバラになるってのに。…身体に何を仕込んでやがる?」
「師匠!そいつ、刀でも首が斬れないんだ!」
それを聞いたアンジェラはこめかみに青筋を立てたような音を出し
「あ~あ?てめぇの刀がナマクラなだけなんじゃねぇのか?」
首だけをギリギリと振り返りメイをその三白眼で睨みつける。
(師匠、本当に顔こっわ)
「ったくそがよぉ」
アンジェラは背負ったカバンから飛び出すように出た大きな巻物を手に取って広げると、
『第拾捌版:安慈貞治』と呼びかけ
彼女の目前に天井にまで至る長い剥き身の刀が顕現する。
空気に触れるだけで、キンと鋭く響くその鮮やかなまでに仕上がった刀身をメイは鼻腔を震わせ目を凝らし、圧倒される。
「すごい…これが、師匠の業物―」
安慈貞治という名
作ったものに名を与える事には意味がある。
自分がつくったモノという証として作品に名をつける事は当然の事だ。
だが、これは全く違う。次元が違う。
メイのようにして名をつけられたのではない。
それこそ、生まれ落ちた我が子の如く名を憑けたと言ってもいい。
それ故にだろう…この刀は名を持つ事で…まるで生きているかのように感じてしまう。
意志を持っていると感じてしまう。
「貞治は逆境が好きでよぉ。相手が固く、堅く、硬く、難けりゃ一層やる気を出す」
アンジェラはグリンと目を剥いて吊るされたキオーネを見上げる。
「丁度良いから、お前で“試す”とするかよ。なぁ、化物」
「な…を…」
アンジェラは貞治と呼ばれた刀を握り締め、上段に構える。
「しっかりと歯を食いしばれよぉ?でないとこっちもやり甲斐がねぇからよぉ」
そのまま、キオーネに向かって大きく振り下ろした。
瞬間、彼女は頭上に下ろされた刀をその身で受け止める。
顔を歪ませて、身体を抵抗するかのように大きく震わせていた。
「ぎ・・・ぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ…ギィイイイイイイイイ」
周囲を吹き飛ばすほどの風圧が広がり、メイは飛ばされぬように姿勢を低くして
力のぶつかり合いを見守る。
「いい加減起きろよ、貞治」
刀身に刻まれ『貞治』の文字が“オン”と青い燐光を灯す。それと同時に、その青燐光を刀が一身に纏って
より一層、目前の難き獣を伏そうとする。
「どう、して…僕に…こんな、酷い事するの…ど―して、なノ…いつも…いつもボクの事…化物って…」
刃を受け止めたキオーネの身体に徐々に変化が見えてくる。
その様は、断たれるというよりは“砕かれる”と表現するほうがいい。
頭上に乗る“神威”に征服され、頭から少しずつヒビを入れてくる。
「もう…限界…。ひどい。ひどいよ…みんな…どうして…」
―そして、それはひどく悲しい呻き声の中に生まれた。
「どうして…ボクばっかりを…キズツケルノ!!」
「!?」
「―ギュルレキュキュキュキュキュキュキュキュ!!!!!!!!!!」
大きな稲妻が降ってきたような衝撃。
それと同時に、吐き出されたようなひどく耳障りな鳴き声と共に貞治は仰け反るように弾かれる。
(―貞治が、退いた…?)
初めての状況を見せつけられたのか、アンジェラは珍しく常に眠そうな目を大きく見開いた。
「…てめぇ」
目を向けた先―
そこに居たのは桃髪で長身の女性でも、ましてや人の姿をした獣でも無い。
「化物か―」
正しくそう表現するに相応しい。
先程よりも数倍の体躯は天井を打ち砕き。
大きく長く、畝ねる刃のような尾
口は大きく裂け、荒々しい牙を何本の揃え生暖かい息吹を吐く。
両の腕には飲み込み砕くような無骨なまで大雑把に仕上がったオオバサミ。
ガリガリと床を削るように数本の爪足が不規則に練り歩き
鋼のような甲殻を曝け出す。
その異形は、時折「ドウシテ…ドウシテ…」と声を漏らしながら、反転して「ギュルリリリリリリリリリリリリ」と
異質な鳴き声を交互に呻いていた。
「メイ…ここは、下がれ」
「え…師匠は―」
「てめぇは腕がままならない。足手まといだ…それに―」
メイが見やるアンジェラの背中が大きくざわついているのを感じた。
「お前まで巻き込んで殺すかもしれねぇ」
「だけど―」
「こいつらの狙いは“魔導図書館”にある。こんなのが複数いるって事は他だって危ねぇ。お前は、今お前に出来る仕事をしろ」
「馬鹿弟子」と吐き捨てられた後、メイはふっとひと呼吸置いて
「死なないでくださいね…!師匠」
彼女はそのままその場所を後に走るように去っていった。
「ああ?誰にもの言ってんだよ。このアンジェラ・スミスが死ぬ?んなわけねぇだろボケが」
アンジェラの背負ったカバンから再び複数の巻物が放たれる。
そして、そこから顕現したのは
大きな金槌を持つ大柄の戦士
長い矛を携えた小柄の女戦士
そして、大剣を携えた騎士
それらを模した人形らは各々に鬼、狐、天狗の面を被り其々(それぞれ)に“裏渡”“百合”“判主”と名を刻まれていた。
アンジェラの手さばきによって、カタリと面を上げて動き出す。
「……行くぞ、オマエラ」
アンジェラ・スミス。王国屈指の英雄であり最高峰の人形魔術師。
―かつて英雄と呼ばれた者らの怪異覆滅劇。
それが今、再現されようとしていた。