始まりの過去⑨(終)
「お客さん、お客さん!…ったく…大丈夫なのか?この人」
誰かが私の事をゆすって呼びかけている
お客さん?…ああ、私のことなのだろう…だが、一体どうしたというのだ?
「息はしているから死んではいないと思いたいが、なんかの病にでも掛かっているのか?」
私は目を開く。
すると目前には頭を掻いて困り果ててた女の子の姿。
その子は年端も行かぬのに宿の受付をしている
褐色に碧眼のラフな格好をしている私と同じ金髪の子だ。
…アリシアもこれぐらいの子なのだろうか??
「あ―っと!お客さん!?大丈夫なんですかい!?あんた、ここ数日ずっと寝っぱなしだったんですよ?」
心配する声に私は「ああ、すまない」と起き上がると。その違和感に気づいた
「…まて?今なんと言っていた?」
「へ?」
耳を疑った。そのせいで恐ろしい剣幕で聞いてしまったのだろう。
店の娘は驚いて一度後ろにのけぞって「え?…えと」
と、申し訳なさそうに耳のようなリボンを垂らしていじりはじめる。
「ああ、すまない。怯えさせるつもりはなかった」
冷静に…冷静に…
「お、お客さん。数日前に泊まってからずっと寝っぱなしだったんですよ?そりゃもう死んだように」
「…すまない。失礼する」
私は頭の中でいろいろと思考を駆け巡らせ
すぐさま身支度を始める。
「あ、あ…お客さん!その―」
「私は、何日眠っていたのだ?」
「えと。確か南大陸で空と雲が異様な形をしていた日だったので…あの日からもう今日で17日目の昼頃になります」
なんて事だ。
珍しく夢を見れたかと思えば
17日間も眠りほうけていたとでもいうのか?飲まず食わずで
完全に体内時計がおかしくなっているではないか。
これじゃあ時間にしがみつくように意識していないと
時に見放されてしまう―
まて?
“時に見放された”
飲む事も食べる事も必要もない身体。
眠気を感じず、夢を見る事もあまりない
疲れもしないが、体内時計が狂っている状態…それをそのように表現しないでなんと呼ぶ。
―代償。
誰かが言っていた言葉が脳裏をかすめる。
「ぐっ…」
今は考えている時間も惜しい
悔やむ気持ちを押さえ込みながら身支度を終える。
「お客さん!まって!!」
「―これで間に合うか?」
私は懐から金貨を数十枚入れた袋を取り出してそのまま少女に投げ渡す。
「え…こんなに??って、まって!お釣りは―」
「いらん。起こしてくれた礼だと思ってくれ」
「ええ!?」と驚く声に振り返ることもなく、馬車へと向かう。
私が寝ている数日の間、どうなっていたかと心配していたが
馬は実にしっかりと世話をさせられていた。
それどころか、いつ出発するのかと暇を持て余して座っているほどだ。
この旅館には後日改めて感謝せねばな。
私はすぐさま馬に乗り込むと、再び続く大橋の方へとのり出し
出来うる限りの速さで走り抜く。
よかった、今日は人がそこまで大橋の道で混み入っていない。
さぁ、急ぐぞ。
―出口である大橋の端、関所をようやく抜けると
そのまま目前の空間をやっつけるようにギルドの管理する街エインズへと駆け出した。
暫くして、森を抜けた先に大きな平原が広がっている。
その先で大きな城壁が近づくにつれて下からぬっと姿を見せ始めた。
これが、エインズの街か。ようやく
たどり着く先で、エインズ内へと入る入口の橋を見つける。
私は憲兵の前を行くと、ライオットから渡された巻物を見せる。
「…っ!?」
憲兵は一度奥へと引っ込み、もうひとりの年配の憲兵を呼び出すと。
そいつは一度頭を下げ
「マリア・ホプキンス殿、どうぞこちらへ」と言われるがまま案内される。
―行き着いた先は大きな館。旅館のようにも見受けられるその場所が
冒険者ギルドの受付場だそうだ。
「どうぞ中で少しだけお待ちください。ギルド長をお呼びしますので」
男はそう言うとさっさとその場を後にして階段を登っていく。
「ふむ。ここで、リューネスは魔物狩りを生業としていたのか…」
正式な魔物執行者としてでは無く、冒険者という形であるものの
まさか彼が、我々と同じ道を行くとは。我々の血脈がそうさせてしまうのだろうか…?
なんとも複雑な面持ちだった。
しかし妙だ。
何故だろうか。周囲の空気は重く、ピリピリしている。
なにか大きな討伐を行う際のそれと似ている。
そして、それと同時に私に対する視線もやけに気になる。
右を向けばその視線をそらされ
左を向けば同じように…
そんなにも私の格好が目に付くのだろうか?
とにかくその視線がむず痒い。
「おい」
待つのも一苦労というものだ。
その雰囲気を誤魔化すように私は受付嬢に声を掛けた。
「は…はい!?」
びくりと身を縮こませる受付嬢。
何をそんなに恐れているんだ…
「ここで登録されている者の受注履歴はあるか?」
「え、ええ。何を探してますか?」
「リューネス・ハーシェルの履歴を見せてくれ」
「リューネス、リューネス…」
受付嬢はいそいそと奥に並べられている本棚から同じ名前を指さしながら探す。
そして、暫くすると彼女はそのまま一冊の本を手に取り戻ってきた。
「申し訳ありません。リューネス・ハーシェルという名前の登録名はされておりません…
ですが、同じハーシェルという名前で最近登録されている名前はありました。どうやらこの地域では珍しい名前ですので
関係者ではないかと思われるのですが―」
「なに?」
差し出された一冊の本。
本当に真新しく、最近作成された記録書のようだ。
名前はアリシア・ハーシェル―
「なんだ…これは…??」
その登録されている名に目を疑った。
なぜ…あの子が冒険者として名を登録されているのだ???
「え?あの…?」
「一体どういう事なんだ!?これは!!!!」
段階を踏んでたどり着いた怒りは怒号となって響き渡る。
有り得ない。一体何を考えているんだ??
まさか、年端もいかぬ子供に…魔物狩りをさせているとでも言いたいのか??
ふざけるなよ
私がここまで来たのはあの子を…親二人を失ったアリシアを守るためにだ。
なのに、死と隣り合わせにもなりうる冒険者ギルドだと?
「やぁ、随分と大きな声が響き渡ったね。とても遠くまで響き渡るいい声だ。
もしかして君は指揮をして戦う実力があるようだね。その気迫は長い経験が無いと得られるものだよ」
トコトコと近づき、そのような戯言をぬかしていたのは
小さな兎の形を模した絡繰人形だった。
「世辞など要らぬ。なんだ貴様は」
「私がここのギルド長、ニドだよ。君が私の事を呼んでいたのではないのかい?マリア・ホプキンス」
「ほう、私が誰なのかも知っているのか。なら話が早い―」
「しかし、実にそっくりだな。金髪の髪、その眉間に皺を寄せた睨みつけるような顔…。流石、血縁者というところか」
「…そんな事はどうだっていい。これはどういうつもりだ?」
私は「アリシア・ハーシェル」と書かれている冒険者ギルドの記録書を手に取り、
捻りこませんと言わんばかりにつき出す。
「…成る程。それは、どうやら君にとっては不服なのかい?」
「不服かだと?子供ひとりをギルドに入れる馬鹿な大人が何処にいると?」
「…少し、話をしないかい。マリア」
「話だと?」
「経緯はどうあれ…君はわざわざ西大陸から此処まで来たのだろう?
なら、先ず一番に会わせなくちゃいけない人がいるのだよ」
「アリシアか?」
「彼女は今…そうだね。東の大陸にリンドヴルムと一緒にいてね。暫くすればここに戻る予定さ」
「……アリシアでもなく、リンドヴルムでもなければ私にまず会わせたい人とは一体誰の事を言っているのだ、ニド」
「すまないが、この事は他言無用でね。黙ってついてきて頂けると私としても手間は無いのだが?」
「ほう、それは脅しのつもりか?」
「いいや、私なりのお願いだよ。マリア」
「…いいだろう。なら連れてけ―」
ニドに案内されるがまま連れてこられた場所は大きな魔導図書館であった。
その中で一番人気の無い道へ案内され次第に地下へ降りる階段を降りると大きな扉を前にする。
するとニドはその扉の前に小さな手を置いて
『我は魔、我はその王、その心は反転にして叛逆。そして、それを放棄する者』
その詠唱と共に、扉が一瞬魔力を帯びて赤色になり…収まった頃には先ほどと変わらぬ大扉のままであった。
「ここの扉は特殊でね。本来は私の魔導研究室になっているのだが、こうやって定められた詠唱をする事で『ある部屋』に切り替える
事が出来る。そして、この先に“彼女”は居る」
「ふん、そうまでして隠れている奴が私になんの為に―…」
扉が開かれる。
「……」
「さぁ、奥へ」
扉の先は青い蝋燭が神秘的に灯す儀式場のような場所であった。
その中央に位置する場所に祭壇が置かれ、その上には―
私は反射的に駆け寄った。
そして、巡る思考を全て取り払うようにその名を叫んだ
「―アリア!!!!」
横たわる彼女を強く抱きしめた。
つよく
つよく…
「どうして、お前がここに…」
閉じた瞳。口も開くことなく、抱き返す事の無い冷たい身体。当然…返事は無い。
「愛しき者との再会ではあるだろうが…すまない。彼女はもう」
「皆までいわなくて、いい…」
わかっている。気づいていた
たとえ、肉体がそのままでも生気を感じられないからだ。
「…ニド」
久しく見る娘の顔は眠ったまま。呼吸もせず、そのままで…
本当はこんな再開を望んではいなかった。
「一体…いったい何があったというのだ。リューネスは消え…アリアも殺されたとあの知恵持ちの竜からは文が届いていた」
「ふむ、リンドブルムからの文を確認したというのか。それでは貴殿はずっとラース・フロウに…バファムート殿のおられる
場所に10年も滞在していたと?」
「…私は、本来死ぬ運命の存在だった。しかし、どうやら魔剣ダンタリオンに蓄積された竜の魔力を、ヴェンがアルス・マグナを開放した折にこの世界に引き戻されたようだ。そして、ほんの少し…見た夢の後に覚ました世界は既に10年という年月を隔てていた―」
「成る程、興味深い。竜殺しのヴェン・マッカートニーから始まり、ラース・フロウ。アリシアのウロボロスの一件、リンドブルム、そしてジャバウォックの詩篇。貴殿らの家系はよっぽど竜に縁を持つと見た」
「…貴様のような探求家どもは言葉を選ばないというのだけはわかったよ」
だが、愛する娘の綺麗なままでいる骸を前に怒る気にもなれなかった。それほどまでに悲哀が勝り
その邂逅に想い浸る事だけが、今の私にとって唯一の救いでしかない。
「―ジャバウォックの詩片…いや、ジャバウォックという存在から説明するべきだろうか」
ジャバウォック…。その名の存在は勿論、聞いた記憶すらも無い。そのような絵空事のような名前の存在を元にした魔術によって
我が娘が死ぬ事となった。
「先ず言わせてもらう。ジャバウォック…それは存在しない」
「…なにを」
「どうか、続けさせて欲しい」
私の遮る言葉をニドは制して言う。
「この世界を何百年も生きていた私にとって、知識こそが唯一の道楽だ。知らなかった事を悲しく思い、知った瞬間を嬉しく思う。
その為のこの大図書館と言ってもいい。だが、この世界の多くの文献を、多くの文化を知識として取り入れたにしても…“ジャバウォック”という存在にたどり着く起源が無かった。しかし、ある情報を私は耳にしていた」
ニドは淡々と説明する。存在したという事実を持たない“それ”は、確かに伝承としてのみ人々の記憶へと受け継がれてきた。
“突く”“微塵に砕く”“狂気なる者”あるいは
理解出来ない言葉を発する者…等という二の句には化物と結びつく言葉を継ぎ接ぎにされた
彼の“ジャバウォック”という名。
そして―
「マリア」
「…なんだ」
「彼女の背中をようく見てくれ―」
「…っ!?」
喉が引きつるような声を出してしまう。
わが娘の背中に痛々しく彫られたであろうその文字の羅列は、間違いなく魔術詠唱の媒体となりうるもの…あるいはその起源である詩であった。
―喰らいつくその顎、引き掴む鉤爪。
森を飄々と移ろう畏ろしき者。双眸は炯炯と燃やしたる。“ジャバウォック”
「在るはずも無い存在の詩片が竜由来の魔術として発動された事実…そこで私は試行錯誤を繰り返している内にある一つの答えに辿りついた」
「…」
「竜という存在は元より古の渦からいでし厄災としての役割を担う代名詞であった。それ故に異形、異質、言葉を介さない化物に違いなかった。しかしその定義は女神アズィーによる人間を愛する者に与えられた“知恵持ち”の竜という存在が生まれて以来。
リョウラン組合を筆頭に制御されるに至っている。完全にとはいかないまでもな…」
「竜への憎悪は人から払拭される事は無い…お前はそれとジャバウォックがどう繋がっていると言いたいのだ?」
「厄災は十指の戒律によってヤクシャという存在が生まれた。『差異』『乖離』『戦争』『永劫』『選択』。しかし、実際には
“存在しない”という全ての起源であり帰源になる厄災がある。それは全ての厄災に当てはまりながらも全てを否定する事ができ、
認識という器に入れられて始めて生まれる“存在しない”厄災。そして、破壊と再生に寄る世界終焉思想の信仰が起源にもなりうるもの」
No.0―
『虚無』であり『終焉』であり『破壊』の代名詞である厄災・混沌の起源。
「そこに至る門こそが…『ジャバウォック』なのだと」
それ故に、人の持つ憎悪の対象であり、畏怖の対象であり、破壊の象徴たりうる不定義の者。
「その存在を瞬間的に確立させる試験的な魔術…それがジャバウォックの詩片だと言ってもいい」
「ちょっと、待て…ならば…アリアはそのジャバウォックの存在を生み出すためのダシにされたとでもいうのか」
ニドは静かに頷く。
「果ては、混沌という起源の発見。奴らは…魔業商は非公式につくられた魔術研究集団。奴らは何かしらの方法で天使の子として在るアリアに近づき、竜を魔素とした媒体であるドラゴマイトを使い件の魔術を発動させた。そして、更なるジャバウォックの顕現の為に…魔剣と媒体に使われたアリアの回収さえも狙った」
「なら、リンドブルムの文にあったが、同じ“知恵持ちの竜”であるニーズヘッグが絡んでいると聞いたが」
「ドラゴマイト鉱石は元より竜の山々であるラース・フロウで取れるものだ。在り処を知るものは限られているのだ。彼女なりの消去法であるならば、知恵持ちの竜に限られ…人の強さを真価として求める…あれの危険思想が正に奴らを手引きするには十分すぎる理由ではあるのだ。そして、同じように過去に組みしていた帝国軍に提供していたリンドヴルムも自身で責任を感じている部分があった。…そして、今でも奴らは狙っている」
「…まさか、アリアを―」
「そうだ」
「っっふざけるなぁ!」
全ての感情が爆発するような怒号を放つ。
「この子は未だに利用される未来がこれからも待っているというのか!?それは…本当にあんまりだ…あんまりだぞ!ニド!」
あまりにも非道な行為に巻き込まれた事実。
この子は天寿を全うする事も出来ず、一度その危険思想のおもちゃにされ死んだ。
だのに…彼女の亡骸を未だ狙っているというのか?
「私が、アリシアと魔剣…ジロをギルドに手引きしたのはリンドブルム…彼女の考えを理解しての事だ。
奴らが再び、何時、どのようにして迫ってくるか等を知る由もない。アリシアと魔剣が狙われる可能性も当然ある。
だが、ギルドという人との関わりが多い場所であるならば私を含めた全ての関係者がその同行を監視する事ができる。
今は帝国軍を巻き込んで一人を同行者に置いてある。そして…極界の巫女が信託を受けて神官であるネヴラカナンの末裔までもが、
この場に赴いた。これら全てが次に狙われるであろうアリシアを守る盾となる。その為にギルドという場所で年端もいかない彼女を
登録させる。それがリンドヴルムなりの彼女を守る考えだ。他にもいろいろな意図が張り巡らされているだろうが…それが今回のいきさつの軸となっている」
川が流れるように弁解するニドの言葉。
「ちなみに。この件は、アリシアにも魔剣にも内密にしてある。あの魔剣は今、状況が反転しているのだ」
「…もういい」
「従来の魔剣は、殺した者から魔力を供給すると聞いている。しかし、今回は特異なのだ。もう、すでに十二分と言っていい程に
魔力が充填されている。いま、アリアの存在を彼女たちが知ったならば何よりもこの場所へ赴くだろう。そうなれば…唯一の娘であり、魔剣の所有者であるアリシアがどのような反応、行動を起こすか予知できない。そして、リンドブルムはその葛藤に苛まれながらも偽って彼女と向き合っている。だから―」
「いい加減黙ってくれないか!!!!!!!!」
情報に対して処理しきれない感情が胸いっぱいに溢れ、怒号と化した。
周囲の壁に音音と反響し、祭壇の装飾がカタカタと揺れた。
そして暫しの静寂の中で…ニドは変わらず口を開く。
「…君がリューネすの、アリアの死を悼み、アリシアの身を案じているのは十分理解している。だが、もうそれだけの話では無くなったのだ。マリア」
「…教えてくれ…一体、『魔業商』とはなんなのだ?」
「魔術の研究、収集に非人道的な狼藉を働くもの。その集団…それだけならまだ可愛いほうだ。だが、そうではない
あれは、元より、魔というものを理解せずに魔術に這いよる化物たちの集まりだ。誰ひとりとして人間などいやしない」
「ならば、今この瞬間も、そんな奴らがアリアやアリシアを狙っているかも知れないという事か」
「そうなる」
「…ニド」
「なんだい」
「…話をしてくれて感謝する…アリアの事も、アリシアの事も含めてリンドブルムと共に感謝せねばならない」
「感謝。言葉はそう揃えても、そうは受け取れない様子に見えるがね」
私は今の今まで抱き寄せていたアリアを再び横に戻す。
「…今、アリシアは何処に暮らしているのだ?」
「あの子ならば、屋敷の襲撃もあって今は暫く宿を借りて生活している。この街の、ギルドの設備は万全だ。困る事はないだろう」
「なら、屋敷は一体何処にあるのだ?…申し訳ないが、10年も眠っていたのだ。過ぎ去った時間を取り戻す意味も兼ねて物思いに耽けりたい。見せてはくれないか?」
ニドはそこ言葉に暫く間を置いて
「いいだろう。清掃は終えているがギルドの数名が調査をしているかもしれない。少しばかり気が紛れてしまうかもだが。君が入れるように手引きしよう。それが君の意志だというのならば―」
ニドが私の要求に頷いた後、そのままアリアのいる図書館を後にして
アリシアの屋敷までの地図と文を預かりそのまま屋敷へと向かった。
赴いた屋敷。そこはどうにも見覚えのある景色だった
「リューネス…」
その屋敷はどうみても、先にたどり着いた自身のホプキンスの屋敷と酷似する部分が見られるからだ。
きっと…アリアと共に。私が居なくなった今でも。マルスが生きていた小さき頃“あの日”の思い出を捨てきれないで…否、残そうとし続ける思いに私は胸打たれてしまう。
「お前と…もう一度、しっかりと話せる時間が欲しかった。どうか、許して欲しい…」
屋敷の扉をゆっくりと開き、中に入ると
数人の調査部隊の人がこちらに視線を向け近づく。
「―あなたは?」
「マリア・ホプキンスだ。ニドの文を届けに来た」
「中をあらためさせて頂きます」
手紙を受け取った男は一度会釈すると、渡された文を開いてそれ以上は何も言わずに他の連中らも撤収させた。
あの絡繰兎め。先程は入れるだけの許可証かと思いきや
こうも粋な計らいをするとはな。
ゆっくりと扉が閉まる音がする。
こうして私一人だけが、このリューネスとアリアが居たはずの屋敷に残される。
私はゆっくりと歩き出し、いろいろな場所を見て回った。
襲撃があったと聞いていた手前、想像よりも綺麗に清掃と整理がされて驚く。
灯りの無い食堂。
小さな図書室。
キッチン。
そして、リューネスとアリアがいたであろう一室。
本当に、今にも誰かが帰ってきそうな感じだ―
“マリアさん…おかえりなさい”
「…!」
その声はふわっとそよぐ風のように耳を掠めた。
振り返ってもそこには誰もおらず
ただ
無意識に足がある場所へと誘われるように向けられる。
一階の右…意味深しげに作られた長い廊下。
その奥へ、おくへとゆっくり歩く。コツコツと、コツコツと
「ここは」
大きな扉。中央には頑丈な鍵で閉められるような仕組みになっているが
それも開錠されたままになっている。
「ああ―」
躊躇いながらも、ゆっくりと扉に手を伸ばし 押し開く
「リューネス、お前は…此処に、居るのか?」
大きな術式の跡と石碑の柱が4本おかれたその一室に
私の中の何かが“待っている”と感じ取れる。
「なぁ、リューネス。教えてくれ…」
問いかけに答える返事は当然無い。
だが、聞かずには居られなかった
「魔剣を、何故手放そうとしなかった?何故…お前は此処で消えなくてはならなかったのだ?」
…
「後悔はしてないのか?」
やはり返事は無い。
ああ、そういう事なのだ。
結局、魔剣に触れた者が思いを残す事などない。
魂が残る事もない。
先ほどの声さえも気の迷いだ。
それはきっと…これからも変わらず、魔剣によって全てを奪われる。
本当に迎えるべきだった幸せを全て台無しにしてしまうのだ。
「お前の失策だったな。リューネス」
アリシアがウロボロスに囚われた時、魔剣に頼らずに如何様にしても考えるべきだったのだ。
この世界にはいくらだって可能性はあったのだろう。きっと―
お前の行動に対して、無責任な事を思っているかもしれない。
だが、前が決めた選択に間違いがなかったと感じても
私にとってお前のその選択は、守れなくなった残された者をより不幸に向かわせるだけのものでしかなかった事実。
…それを咎めるつもりもない。
むしろその意思選択を尊重するべきだと思っている。
ただ、『運命』がそれを踏みにじったのだ。
だから…ここから私は学ばせてもらう。
決めた、決めたのだ…。
お前らの忘れ形見であるアリシアを、どんな手を使ってでも魔剣から開放する。もうこんな戦いの場所に関わらせない
そして
アリアの命を奪った『魔業商』を…何ひとつ残らず殺戮する。
それが…私から“お前たち”を奪った『運命』への冒涜とし、
“お前たち”への餞としよう。
「特異点である彼は気づいているのでしょうか」
空虚に見上げる盲目の神官は言う。
「切離した魔剣との契約。それに依存した“意志”ではこの先を進む事が出来ない。あとは…あなたの意志で全てを決め、彼女と共に居るべき道を選ばなければならない」
否、空虚の先には一つの大きな“何か”が存在していた。それは小さく胎動し、眠っている。
「ここに至る道も…読み手の仕組んだ運命シナリオであるならば」
“これ”は、寝覚める為に眠っている。