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ドール=チャリオットの魔剣が語る  作者: ぼうしや
誓約都市エレオス
108/199

始まりの過去⑦


ああ、懐かしい香りがする―





「誰?


ノックも無しに来るなんて


随分と随分な人なのね」














「はっ―」





目を見開く。自分が意識と共に息を止めていた事に気づく。

仰向けになりながら胸を上下に揺らして目尻に貯めていた涙が溢れている。



夢…そう、悪い夢でも見ていたのだろうか?



青々とした空を目に映す中

その顔が端から私の事を除き込む。



「おーい。大丈夫か?」



顔を覗き込んで来た男は心配そうに覗き込んでくる。



「…も、問題ない…」



「はは、強情っ張りなトコだけは一人前だな。…そらっ」



「何をっ」



男は急に顔にバケツいっぱいの水を私の顔に被せてくる。



「しみったれた顔にはこうするのが一番なのさ」



「貴様!私を馬鹿にしているのか!?」



「馬鹿になんかしていない。でも、君の強さには敬意を評したいのさ」



「なっ…!」



「初の魔物狩りデビューでまさかハードルの高いグリフォンを狙ったかと思えば

急に前に出て意識と共に吹っ飛ばされるなんて面白いものを見せてもらったんだ」



「ぐっ」



なんという皮肉さだ。

だが、返す言葉も無い…



父が亡くなって依頼、次のホプキンス家の当主として

私は大きな成果を得る必要があった。


訓練を繰り返し、実力は確かに自分の中にあると確信していた。

だが、心構えという部分で省みると…私はその自身からくる傲慢さ故に気持ちが浮ついていた。



一歩…たったの一歩だ。



考えも無しに足を前に出すだけが、命取りになる可能性…それにすら私は至らなかった。


漠然とした成功のイメージというのは空に放たれた泡沫のそれと同じだ。


父が良く言っていた、「神は細部に宿るものだ」と



「投じた賽に身を委ねるな。そこには必ず混沌が生まれる。混沌には魔が差す事もある。欲しい出目があるなら確実に出るように投げろ、自身の細かい全てに気を配らせろ。お前の心を通じて神がそれを知る。神がそこに意味を与えてくださる」



「…だが、それでも叶わぬ願いが、出来ない事がこの世界には幾らでもある。だから、もしそういう時が来た時、その全てを受け止めれるような器を胸に抱えろ」



ああ、私には何もできていない。

父の言葉を理解していながら未だに望む結果へと有効活用できていない。



「くそっ…」



急く気持ちが私を前に押し出してしまった。

芝に乗っかる手を、拳を握り締めてその場を強く叩き、歯をギリギリとくいしばる。



目の前には既に討伐されていたグリフォンの死骸。

気を失っている間に他の同行者パーティが斃したのだろう。



こんな名も知らない優男たちが…



「あ…」



立ち尽くしたまま、望まぬ結果に私は胸がいっぱいになって目尻に再び涙を溜めてしまった。



「ちが…これはっ」



誤魔化すように俯く



ポン



そんな音を響かせたのかと思うように優しくそっと手が私の頭に乗っかる。



「…」



「まぁ、その…なんだ。次はもっと肩の力を抜いて戦えよ」



「は?」



優男は背を向けてしゃがみ込みながら何かを探し、言う。



「今の君はきっと別の何かが目に映っていて、それと戦っている。それが何なのかは俺にはわからないさ

無責任な事も言えない。だから責任を持って言えるのは、死にたくなければもっと自分の隣に寄り添ってくる死と向き合えって話」



「何が言いたいんだ」



「魔物だって殺される為に現れるんじゃない。俺たちを殺す為に現れるんだ。それをその目に強く焼き付けろ。」



軽薄ながらも優しい態度を見せたかと思えば、一転して最後の言葉に私は胸に小さく楔を打たれた気分になる。

その落差がどうも私には慣れないもので思いつく返しも見当たらず口をもごつかせる。



「…善処する…」



「善処してくれ。…ほら」



男は立ち上がると手に持った狩人帽を私に差し出す

私は少しばかり上から目線で見られた物言いに苛立ちを覚えながらもそれを受け取ると、深く被る。



風がそよぐ…淡く、花の香りが漂う



「んじゃ、帰るか。次はちゃんとやれよー」



今度こそ彼は背を向けて手を振りながらその場を去ろうとする。



「待て…貴様、名前はっ―」




聞く前に再び舞い上がる強い風は、深く被った私の狩人帽を攫おうと吹き飛ばす。

頭から帽子が離れ上に飛んだ瞬間、仰いだ空から小さく一輪の花が降り注ぐ


そのまま、上を向いた私の鼻のあたまにそっと乗っかると

黙ってそれを摘んで眺める。



風がそよいだ際に漂った花の香りが一層強く感じられた。



紫のアネモネ



花言葉は、




あなたを信じてまつ






「くっ…」



ムズ痒い感触を全身に覚えながらも、苦虫を噛んだような表情で私は言う。



「くだらんっ!なんて、なんて青臭い!文字通りだな!なんともつまらん事をするやつだ!!!」





それでも、頭に包まれるように未だ感じる熱はかき消さる事が無い。アネモネの花の香りと共に―



























「はっ―」



懐かしい夢を見てしまったのだろう…。目が醒めた瞬間の喪失感は他に勝るものがない程に虚ろう気にさせてしまう。

だが、違和感はある。


どうしてだ?意識が引き戻されたような感覚。



私は一体何をしていた?



そして、ここは…何処なのだ?



何も無い真っ白な空間―



「そうか、ここがもしかしたら死後の世界…とでも言うのか?」



「死後の世界―」



ぼやいた言葉がオウムのように返ってきたその声は、涼やかに靡く風のようで

虚にそっと囁く鈴の音に似ていた。



「ええ、ええ…そうね。死後、死後の世界はあるわ。必然として存在する」



再び囁く声に私は振り返ると、白髪少女がぽつりと

椅子に座って本を読んでいた。



「誰だ、お前は―…いや、神…ではないな」



「どうして?」



「何がだ?」



本に視線を落としていた紅い瞳をこちらに向けてずらす。気に入らない。その視線は、色のせいなのか

まるで血で意識を撫でられたような感覚に陥ってしまう。



「どうして、私を神だと思ったの?」



「否定はした」



「でもそこに至る考えはあった。どうして?」



「死後の世界だ。そう思うこともあるだろ?だが、お前のような子供に荷は重すぎる」



「そう」



少女は、パタリと静かに本を閉じた。



「死後の世界には神様が居るのが当然のように言うのね。あなたにとっての、あなたの世界にとっての神様は

ちゃんと“存在している”筈なのに。まるで神様は死んだ後の自分自身を迎えに来てくれることを―」




信じてやまないのね



その言葉はまるで、いずれその事に裏切られる真実を私に諭すように皮肉った言葉だった。



「…だが、魂はいずれは神に還る。信仰する者が受ける死後の幸福とはそうでなくてはならない」



「その信仰、思い、その意図、その意識、その全てが魂という生命の根幹に巻かれたラベルでしかないとしても?」



「お前は随分と神を嫌うのだな。神の定めた死後を嫌うのだな。より一層理解した。お前は確かに神では無い」



「なら、神様ってなんなのかしら?大いなる力?大いなる指導者たりえる存在?大いなる奇跡を起こす者?

それとも、死してなお…“貴方たち”の事を忘れないでいる者の事?どの道、都合の良いように出来ているのね。神様」



「…すまないが謎かけは得意では無いのだ。」



神…我々のしる神とは即ち、女神アズィーの事だ。彼女が世界を生み出し、生命を生み出し、試練を生み出した。

その全てが大いなる力ではある。大いなる力と奇跡があるからこそ、信仰が生まれ、我々を導く指導者たりえる存在なのだ。

だが…それが都合の良い物として出来ているものなのだろうか?



「ごめんなさい。ちょっとした意地悪なの。そして、あなたの疑問に対して全て答えてあげる。

ここは死後の世界では無いの」



「なら此処は一体何だというのだ―?」



「ここは死んだ者の物語いしきの集う場所。人という物語じんせい書庫きろくとして管理される場所。

そして、私の牢獄いばしょ



「容量が掴めないが一つだけ矛盾がある事には気づいた。お前は確かに最初、死後の世界はあると言っていた」



「ええ、あるわ。正確にはあなたが死んだ後のあなたが居ない世界…という意味で」



「成る程、頓智の利いた話だ。なら、質問を変えよう。私は、死んだのか?」



その質問を耳にした少女は一度目を瞬くと、閉じた本を開き、悲しそうに答える。



「―真っ白」



ページを捲るたびに、「ない、なにもない」と答えた。



「あなたという物語ほんは確かにこの手元に現れた」



「本だと?」



「この本にはあなたのいままでの過去あやまちが記されている。それこそ、あなたが儚い想いをヴェンに寄せていた事も」



「なっ…?!」



「さっきまで見ていたでしょ?まるで夢のように。だって、私が覗いていたんだもの」



あえて自分から「覗く」などと…人聞きの悪い言い方をするものだ。


しかし、否定しない。それは確かに“あの時”から抱えていた想いであり…

私には似合わない感情だった。



「でもね、あなたが竜の島で彼と…魔剣と対峙してヴェンと自爆したあと…そこからのページが未だ続いているのに真っ白なの。

本来死者の物語は死ぬ瞬間、ページの最後に“終わり”を示すものなの。でもそれが無い…」




「それで」



「あなたは未だ、死んでいない。正確には、死ぬはずだった結果を何者かの力によって“否定”された」



「あの状態でどうやったら生きているんだ?こんな場所にまで連れ出されて、ますます信用がならんな」



「あなたに信用されなくても、私にとっては興味深いものだわ。

死はあくまで知識、経験のひとつ。それは命を代償に得る事の出来るものよ。だけどあなたはそれを生きたまま識る事となった

つまり、死んだあなたという事実と第三者の手によって生きているあなたが同時に存在している」



「なら…私はこれからどうなるんだ?」



「生者がこの場所に赴いたとして、私に出来る事は何も無い。見えない境界で隔たれたこちら側からただ眺めるだけ―」




まるで、飛び出る絵本のようね。と冷淡の声色で言われた。馬鹿にしているのか?




ドクン




一瞬、自分が大きな躍動と共に揺さぶられる感じがした。




「なんだこれは…」




「あら、もう時間なのね。あなたはもうじきこの場所から離れる事になる。…けど、生きたままここに来た代償は大きいわよ」



「代償だと?」



「それは目が覚めれば解るわ」







ほら―






後ろから黒い何かに強く引き込まれていく感覚。

それは目前の景色を小さく凝縮し


頭の中で聞いたことのないような音が川のように流れてくる。


痛い…痛い…なんだこれは!?やめ―




「最後にひとつだけ。折角“この場所”まで来たあなたへの餞別…」



「なに?」



「生きたままこの場所に来たら勝手に“つく”ものなのだけど。そう言っておけば私を思い出してくれるかもでしょ?」



「またわけのわからない事をっ」



「あと、あなた…思った以上にドラゴンの匂いが強いわ。次に会うときはちゃんと“使い切って頂戴”」




終始意味のわからない事ばかりを言わされたんだ。きっとこんな巫山戯た奴の事を忘れるほうが難しいだろう。



…だが、次に会うときはきっと全て解るだろう…私はそのような不思議な感覚に見舞われた。







「っ―」





…ま、ぶしい





「ここは…」



何度目覚めれば気が済むのだろうか?

先ほどのような真っ白な空間とは違う。


大きく呼吸をする。


…生きている…。私は、まだしっかりと生きているのか…?



「目が覚めたかい、ニンゲンの娘よ」



左を向く。

そこにはしわがれた声で囁く老婆がロッキングチェアに揺れながら本を読んでいた。


周囲を見渡す。…暖炉には火が焚かれておりパチパチと程よい暖かさを与えている。


一見してごく普通の一般的な家。そこに住むただ一人の老婆…

だが、私は聞き逃さなかった



ニンゲンの娘



それだけでは無い。この感覚には覚えがある。

魔物と対峙する際にその気配から感じる魔力…



「貴様、人間ではないな?」



「目が覚めた途端にそれかい。恩を知らないとはいえ、礼儀知らずだとは思わなんだ」



「当然だ、魔物狩りを生業にしている私が魔物に差し出す礼儀を持つとでも?」



「ふん、可愛げもありゃしないね」



「お生憎様、私はそのような生娘に成り下がったつもりはない」



「…」



横目に除く老婆の視線。黙ってこちらを見てはいるものの、敵意を感じる事は無い

それに、上体を起こして自信を見下ろすとベッドに寝かせ丁寧に毛布も掛けられていた。


ひとまず、私は相手に対し覚えるわだかまりを黙って飲み込んだ。



「…すまない。無礼を詫びる」



「10年」



「…何?」



「お前さんは10年近くこの場所で眠りについとった」



「…なんだと?」



「このラース・フロウにはかつて大きな事件が起きていた。この竜たちが住まう島に顕れたそやつは天使の娘と魔剣を携えて顕れた。

そして、そやつの目的は単純明快であった。我々同胞を殺すだけ殺す事。復讐であるのは違いないだろう。

だが、怒りに任せる行動にしてはその行為は残虐すぎた」



その内容に覚えがあった。何しろ、それに関わる当事者の一人が私である事に違いないからだ。



「それは正に我々にとっての厄災の嵐に違いなかった。だが、それを食い止める者が居た。そいつは皮肉にも、同じニンゲンだった。それも女の狩人」



老婆は眼鏡をはずし、顔を向ける。横顔ではわからなかったが、その瞳の形状はひし形。

人の姿をして“竜の瞳”を持つ存在に私は覚えがあった。



「お前、まさか『知恵持ちの竜』か?」



「ああ、そうだとも。マリア―」



「何故、私の名を?」



「同胞らがその名を聞いている。そして、お前が死を覚悟してあの魔剣使いを殺した事も」



「殺した…ころした?」



私が、ヴェンを殺した…。

胸中でその言葉を認識させる事で私の心臓の鼓動が早くなる。


そうか…私は、あいつを…殺してしまった。

視界が虚ろになる。ああ魔剣を止めるためには仕方なかったんだ…そうだ…アリアを救う為に―





「そうだっ…アリア…娘は…私の娘のアリアは…!?」



「安心せい。あの後、同胞と共に来た男が迎えに来た後に暫くして共にこの島を去って行った」



「男だと?」



老婆はゆっくりと頷く。



「その男は同胞からリューネスと呼ばれていた。彼はお前さんの事を必死で探していたが

この広大な竜の島で生身一つで探すのには限界があった。彼は名残惜しそうに帰って行ったよ」



「なら、私は一体どうして生きている?」



「それこそついぞ最近の事さ。同胞が異様なまでに竜の魔力を強く感じる場所に気づき、そこで結界を見つけたのさ。

そこに居たのが無傷のまま眠るお前さんと…そしてそれを守るように覆いかぶさった白骨化した男の死体だ」



白骨化した男の死体…まさか、ヴェン…


老婆はゆっくりと立ち上がり、近くに置かれていた小箱を持ち出すと

私の手元にそれを置き、ゆっくりと蓋を開ける。



「大事なものなのだろ?次は手放す事のないようにな」



箱の中に入っていたのは、私がずっと身に着けていた“お守り”、アネモネの押し花を魔力ガラスで加工されたペンダント。



「お前さんがあの厄災の男とどんな関係かは知る由も無い。だが、それを朽ちた身体となってもなお強く握りしめ

我々がお前さんを見つけるまで尚、お前を守り続けていた」





「ぐっ…」





あなたは未だ、死んでいない。正確には、死ぬはずだった結果を何者かの力によって“否定”された




あの少女の言葉を思い出す。



何故だ…ヴェン…何故、お前はその時になって今更私の事なんか…


俯きながら、悔しさに涙が零れ出てしまう。


何故、私のような人間だけが生かされたのだ?



おそらく、彼は私の為に……………





そこで、私は背後に再び大きな不安が悪寒として這い寄って来るのを感じた。


もし、魔剣の力によってヴェンが私にアルス・マグナを発動したというのならば…





「老婆よ…」



「なんだい?」



「魔剣は、一体何処にあるのだ…?」








「―それならば、彼が持ち帰ったよ」



「…彼だと?」



「お前さんの娘を連れて帰ったリューネスさ」



「‥‥急がねばっ」



私はすぐさま立ち上がりその場を後にしようとする。



「待つんじゃ!その姿で島を出るつもりか!?」



今更ながら一糸まとわぬ姿である事に気づくが構うものか



「なら服を寄越せ!今すぐにでも向かわねばならない場所があるのだ!!」



大きな声で叫びながらも、長らく眠ってしまったせいなのだろうか

地に足をついた途端、まるで自身の足ではないかのように感覚がおぼつかなくなる。


よたよたとよろける私の身体を老婆が急いで駆け寄り抱きとめる。



「無理を言うんじゃない!お前さんは10年間も眠っていたんだ。身体を急に動かしてこの状態じゃあ世話ならんよ!」



「ぐっ…しかし…」



10年―



再びその言葉を耳にして、私は自分の掌を見下ろした。

弱弱しく震え、思うように握りしめる事も出来ない…



ようやく実感する。そんなにも日が経ってしまっているのか…




老婆はうまく扱えない私の身体をそのままゆっくりとベッドに座らせて、布一枚を優しくかぶせる。



「…すまない。なにから何まで…」



全てが過ぎ去ってしまった事に対する虚脱感からか、もはや思いつく言葉は私を気遣う老婆への感謝しか無かった。



「あんたはこの島の同胞を救った。たとえ、それがあの時に同胞を多く殺してしまった経緯があったとしても

事実、あの厄災を命懸けで食い止めたのはお前さんだ」



「…憎くは無いのか?」



「権利はあるだろう。しかし、先ほどいった通りさね」



「貴様…名をなんというのだ?」



「そうさね、ババとでもよんでくれよマリア。そちらで呼ばれるようが気が楽さね」



「ババ殿…改めて、今までの無礼を詫びる。すまなかった」



「急にえらくしおらしくなったもんだ。どれ、ひとまず水だけでも飲んでみてくれ」



「ああ」



コップに入る水を渡され、ゆっくりと飲む。


不思議なもんだ。

喉の渇きが癒されるものの、どうしてか身体にとって必要なものだとは感じる事は無い。



「身体がびっくりして吐き出すことはなさそうだね。なら、粥ももってくる」



「ああ」



ババ殿から貰った粥でひとまず胃を満たすが、やはり違和感を感じる。


味はわかる。

食欲が満たされる感覚もある。

だが、やはり身体がそれに必要性があるとは応えないのだ。



「…」



「この島の食べ物は口に合わなかったかの?」



「いや、そうではない…。ただ…私の身体がまるでそうでないような感覚に感じるのだ」



「ふむ…。無理も無いかのう…どういった事情でそのように至ったかは定かではないが…お前さんの身体は

どうも、10年前から変わらぬままのよな」



「っ!?」



ババ様から鏡を受け取ると、自身の姿を久しくその目に映す。


確かに…10年たった頃から何も変わらない。


まるで、時が…時だけが私を置いていったように…




「これが、あの少女が言っていた代償か…」



「あの少女とは?」



ババ殿に聞かれた私自身が口ずさんだ“少女”



………なぜだ?考えれば考える程…思い出そうとすればするほど…その重要な存在に対して霧がかかっていく。




「わからない。私は一体何故、先ほど“少女”と言ったのだろう…」



ババ殿に答えられる返事はそれだけだった。






それから暫くの間、ババ殿に面倒を見てもらいながら身体を持ち直す事に専念した。

そして、私が生きている事を何故アリアたちに伝えなかったか…その理由も聞いた。



「お前さんはここ10年目覚める事が無かった。ひょっとしたら目覚める事が無い…生きているかも確かでは無いお前さんを

娘に合わせるのはちと酷だと思ったお節介さね。それと、本音を言えばあの“魔剣”に関わる事が無いようにしたい。それこそ

お前さんの娘さんを連れ戻しに来た男が魔剣を持って再び現れるかもしれない。我々はそれを今でも恐れているのさね…お前さんには

申し訳ない話だがね」



その監視も含めたうえでリューネスにババ殿と同じ知恵持ちの同胞が同行していると聞いた。

そして、時折こちらに近況を寄越しているのだという。



ある日ババ殿があるものを竜から受け取る。


…不思議なものだ。かつて、暴虐の限りを尽くしたとうたわれるドラゴンが目の前で

伝書バトのように文を渡してくるのだから


竜は私に一度視線を向けるが、それ以上の事は何もしてこなかった。


「安心せい。お前さんには手出ししない。島の外の竜は知らぬがここの竜らはお前さんを認めている」



魔物の中の魔物…厄災の代行とも言われていた竜に認められるという事に背徳感が無いわけではない。

だが、同時にその存在に対しての見解を改める必要がある貴重な体験でもあった。


そして、受け取った文をババ殿は開くと小さく目を見開いて驚いていた。そして…瞑目しながらそれを閉じる



「中にはなんと書かれていたのだ?」



その質問に彼女は口を開くのを躊躇った。

きっと私自身に関わる何かである事はわかる

それ故に私の事を案じているのだろう。



―10年という時間だ。大きな変化が無い方がおかしい

それこそ、アリアが生きているかどうかさえも…




翌日、いつものように鍛錬を行っているとババ殿から話があると言われた。

一つの卓に向き合うように座ると、彼女は私に幾つかの文を差し出す。



それは昨日のものも含めた、魔剣を持って帰ったリューネスを監視していた同行者からの一連の報告内容だった。





一枚目


リューネスは父の形見である灰の入った瓶に導かれてこの竜の地ラース・フロウに至ったという。

かつての魔剣使いの名残が魔剣に反応したのだろうか定かではない。暫くは警戒して監視する。



二枚目



彼と連れ戻した女、アリアはかつての幼馴染だという。アリアはとても美しく

知恵持ちではあるものの、人間に恐れられて離れ小屋で暮らしている竜の私に対しても

分け隔てなく接してくれる心優しい女性だった。



三枚目



リューネスはハーシェル家の当主となった折にアリアを妻に迎える事となった。

魔剣を抱える男には勿体ない女性ではあるが、馴れ初めを聞くと胸が高鳴る。

遠く離れた互いの想いを紡ぐもの、運命はやはり美しいと思った



四枚目


リューネスから魔剣について聞く。彼は、魔剣をセエレと呼び

封印した場所で使う事も無く毎度、魔剣と他愛も無い事を喋っていた。

今では彼自身を警戒する必要も感じない

アリアに必要な夫としても認めているが、やはりそれだけは気味が悪い。



五枚目


アリアは生まれつき魔術が使えないそうだ。

私はそれに関して不自然に感じる事があった。魔術が使えない人間は決まって

魔力を体の内側に生み出す事もなければ、身体の中を巡る事も無い。

だが彼女の内側には確かに魔力を生み出されており、魔力が巡る通り道が確かに存在している。

なのに魔力を魔術として使用する為に成立する事が無い。まるでそのどちらかが規格外だというように…



六枚目



アリアとリューネスは一人の子供を授かった。

女の子。名前はアリシアと名付けた

顔はどちらかと言えばリューネスに似ている。

けれど、笑い方がアリアに似ていた。

小さな手が私を握りしめてくれた。私は彼らと共にいた事を、幸せに感じる。



七枚目



アリアが天使の子である事がわかった。

この事を知るのは、私とニド、そしてリューネスだけだ。

彼女と彼女の娘であるアリシアを大きな魔力に触れさせるわけにはいかない

危険が及ぶ可能性がある。リューネスには魔剣とのやり取りも金輪際しないようにと釘を刺した。

結界を幾つも張り巡らせた。私は私に出来る事をしなければならない。私が守らなければいけない。



八枚目



アリシアが私たちに隠れてリューネスのウロボロスの討伐についていってしまった。

結界を抜け出す方法はそれしか無いからだ。

ウロボロスはアリシアを取り込んでそのまま逃げられた。

失策だ。外の話を娘に語るリューネスの愚か者が。アリアは悲しみに暮れて今も泣き続けている。

だが、何よりも責任を負うべき“あいつ”に言い及ぶ事が出来ない弱い私の方が愚かだ。

どうすれば。



九枚目



リューネスはついにアリシアを救う為だと魔剣を封印から取り出した。

かつてのラース・フロウでの出来事を忘れたわけではない。

このような状況下でそれを決めた彼を私は裁くべきなのだ。

なのに、リューネスの瞳を見た瞬間。私にはそれが出来なかった。

魔剣を持つ彼がアリシアを救う事を願ってしまった。

どうか、赦してほしい



十枚目



ウロボロスを討伐して、アリシアが救出された。

だがあの子の魂は、精神は、既に侵されていた。

ベッドの上で虚ろな瞳のまま眠り続けている。

ニドが様子を見に来たが状況は変わらない。

アリアの笑顔を久しく見ていない。

そして、リューネスはその後暫く家と妻を使用人に任せて魔物殺しを続ける。

狂ったように…狂ったように…

私はそれをただ、見届けるしかない。

私にはもうこの屋敷を守る為に結界を張る事以外に出来ることが無い…彼を救う事も出来ない。




十一枚目



信じられなかった。人格を保ったまま、魔剣と対話し

そのまま魔剣にアルス・マグナの発動を必要とする条件の魔力量を揃えた。

だが、その代償はあまりにも大きかった。

リューネスの身体は既に限界だった。

魔剣の魔力と繋がっていたからその形を保っていただけだった。

ニドの立ち合いの元で、リューネスはアルス・マグナを発動してアリシアの魂を元の状態へと復元に成功した。

リューネスはその後、砂となって消えた。

魔剣は後に再び封印される事となった。



十二枚目



アリアとドラグマイト鉱石を媒体にジャバウォックの詩片を発動して私の結界を破壊した。

そして全てを侵され、奪われ、破壊された。

赦さない。赦さない。もう既に目星はついている。

ジャバウォックに妄執するあの連中ら、ニーズヘッグと魔業商。

アリシアはその関係者に殺され、魔剣と契約して蘇生する事となった。

魔剣の事をパパと呼ぶのは、リューネスの名残を記憶しているからだろうか。

魔剣は人格が更新されるものと聞いているが、今回の魔剣は様子がおかしい。

何より、既に規格外の魔力が貯蔵されている。

私は再び魔剣を監視すると共に、アリシアを守る事に決める。






そこで文は終わっていた。








「…ババ殿、すまない。少し外を出る」



「…わかった」



彼女と私は同時に立ち上がり

外に出ようとする私の肩をすれ違い様にそっと手を置いた。



「下手な事は考えるんじゃないよ。マリア」



「…ああ。わかっている」




小屋の外、日が暮れ夜になった外を焚火が明るくする。

揺れ燃える光に当てて眺める一枚の絵。


そこにはリューネスとアリシアを抱くアリアが描かれていた。

それは監視しゃであったババ殿の同胞が描いたとされるものだろう…



色々と入り混じった感情のせいで情報の整理が追いつかない。

嬉しかった事もあった、でも悲しい事のほうがよっぽど多かった事実


10年間何もできなかった不甲斐なさと喪失感に、また痛みを欲してしまう。



「ヴェン…何故、私なんかを生かしたのだ‥‥。もう、ここには私が守ったものは何一つとして存在しない…」



リューネスも、アリアも。そして愛した男は私を守って、もう居ない



ああ、これが本当の代償なのだ。もはや誰が言ったかさえもわからないその言葉だけが強く、強く私の胸の中で

ナイフとなって心臓を抉り刺し続ける。



「もう、生きる意味なんて無い…無いじゃないか…私には…」









首にぶら下げていたアネモネのペンダントを強く握りしめて私は祈るように暫く泣いた。







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