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ドール=チャリオットの魔剣が語る  作者: ぼうしや
誓約都市エレオス
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始まりの過去③

―やはり、正義とは難しいものだ。

主の理念、思想、合理によって線を引く事で、その外側を悪として裁く

それこそが正義だと考えていた。そう思っていた。


しかし、それを遂行する事の出来なかった我は、果たして正義だと言えるのだろうか?


正義とはなんだ


心に灯された意志なのだろうか


それとも名付けられた結論の事なのだろうか


はたまた、単なる業にすぎないのだろうか?



人の心に対して未だそれらの枠に当てはまる事が出来ない。


わかるのは、どのような正義が形づくられたとしても


万物の都合がそれを混沌へと誘っていく。


ならば何を罰する事で正義は成立するのであろうか?



『ふむ…』



空は既に暗くなっており、誰も居なくなってしまった村の真ん中で

未だに柄を握り締めたまま離す事の無い、切り離されたマルスの腕を水晶越しから見上げる。


すると、その腕に青い羽の蝶が止まった。


小さく羽を閉じたり開いたりする様子をジッと見つめて半ば諦めたように溜息をつく。



…暫くはずっとこのままだろう。



あの女…マリアの魔封陣で動かす事もままならず、村人は既に全て罰した後にある…

この状況から開放されるには、“また”新たな主が必要となるであろう。



―だが、いずれは巡るであろう。



我が魔剣を振うに相応しい者が、やがて此処に導かれていくのだ…そう



世界はそのように出来ている。



マルスの腕に止まった蝶は静かにその場を離れはたはたと飛び去っていった。




『ああ、そして…我が本懐を…果たしてもらうぞ、ニンゲン』



急げ…!急げ…!!!


馬の駆ける蹄音に秒針を被せ、自身も焦燥に駆られる。

ぐたりとして動かないマルスを抱きしめながら

近隣の町へと向かう。



「あ…姉さん…」



マルスはしわがれた声を漏らした



「黙ってろ…もうすぐ町に着く。すぐに医者と神官を呼ぶからもう少し辛抱してくれ」



「…ああ」



沈む夕日が、黄昏の景色が今日はやたらと煩わしく感じる。

すれ違う木々の影が何度も私たちを覆った。


そして、その度に…迫り来る実体の無い“何か”が近寄っている気になってしまう。



―駄目だ、やめろ、やめてくれ



その感覚には覚えがある。

何度も死を目の当たりにした私だからこそ知っている瞬間。


“ああ、こいつはもう助からない”


何度も悟ってきた死ぬ人間の感覚。



「…ふざ…けるな!」



何故…私の弟が…!!



あの時…神官として全うしていればこうなる事は無かった!

こいつには…マルスには妻も子供もいるんだぞ!!


そんな大切な者が側に居る中で…何故、お前はそこまで自身を粗末にした!

なぜ魔剣の手を取った!





ひたり、と



歯を食いしばり顔を歪ませていた私の頬に冷たい手が添えられる。



「マ―」



「それでも…マリアを守れるぐらい強くなりたかった…」



…その時聞いたマルスの言葉を聞くまで、私は忘れていた。

小さな頃、

いつもよたよたと後ろをついてくる弟が言っていた

私が森の中で怪我をして泣いていた時、私の血を見て泣きながらも言っていた

次期ホプキンス家の当主としての自覚を持たなくてはいけない葛藤の中でも言っていた


彼は言っていた



“マリアよりも強くなって、守ってみせるから”



正義によって選ばれた?思慮深い?アンドロマリウスはそう言っていたな…馬鹿めが

お前はやっぱりマルスの事など何一つ分かっていない。

こいつは大馬鹿で、とんだシスコンを患っていただけの単なる優しい弟でしかない。



町へと近づいた事を示す並木道の大道り。

そこに入る事で、夕日によってつくられた影が私たちを暗く覆う。



「おまえは本当に大馬鹿野郎だ…大馬鹿野郎!!」



影に覆われた道で大きく叫びながらマルスを叱責した。



「ばかやろうが!強くなりたい?守りたい?私を、自分をキズつけてまで成るなど本末転倒ではないか!!

私を守って見せるのなら!ずっと側に居れば良かったのだ!」



「…」



「強く無くたっていい!辛抱しなくたっていい!」



最早自分が何を言っているのかも解らない。だが、堰を切ったように溢れ出る胸の内が今だけは抑えきれない


きっと困った顔をしているだろうか?

こんな事今までに言ったことがあるだろうか?



「バカ野郎!ばかやろう!お前が私の弟として、いてくれただけで、私は、私の、心は、いつだって、守られて、きた」







「…………………………ああ」






―目を見開く、頬に添えられたマルスの感触が無い。

もうじき影に覆われた並木道の大通りを抜ける。


眩む程の橙の光が差込み、視界が開けた先。

抱きしめていた筈のマルスの姿は無かった。

残っていたのは風に攫われて舞い上がる砂だけ。



…聞いたことはある。

魔力を限界まで絞り尽くされ、吐き出された肉体はいずれ形を崩して砂と化してしまう。


そう、既に…間に合わなかったのだ。

私はそれを知っていて尚、抗っていたのだ。


手に残る砂を強く握り締めてその胸に抱いた。



―姉さん


縋り付くように呼んでいた鬱陶しいあいつの声が…今はとても恋しかった。



「…う、くっ…」



…焦燥は既に投げ出され。私は暫くその場を動く事が出来なかった。





私は、虚ろな面持ちのまま地元の領地へと帰還すると

静かにマルスの家族へ彼の訃報を伝え、ある小瓶を渡した。


それはマルスが消えた際に残った砂粒が入れられている小瓶。

マルスの妻は、この受け入れ難い現実に泣き崩れると、

後ろにいた彼の息子と、共に居た娘のアリアが

その状況を理解する事が出来ないまま、私達を静かにジッと見つめていた。




その後、私は失意のまま屋敷に戻ると

執務室の椅子にもたれかかるように座り、引き出しから取り出した“祝い用”の酒を遠慮もなく開けた

…だが、縋り付こうとしていた酔いには未だ至る事が出来ず


灯りに当てられた小瓶を見つめながら弱々しく呟いた。



「まさか…お前がこんな姿になるなんてな…」



胸中は虚ろなままで、しかし少しずつ身体が温まっていく感覚が今までに無い感触であり、不快だった。


私は暫し、外の空気を吸いに屋敷を出ると

爛々と星星の光る夜空を眺めていた。

…もう、アリアは寝ているだろうか?


私は踵を返してそっと娘の部屋まで向かい、小さな寝息を立てるアリアの寝顔に近づく。


優しく頬をさするとくすぐったそうに悶えて寝返りをうっている



「ふ…」



今、この子はどんな夢をみているだろうか?

そんな他愛もない事を思い始める。



「…ママ?」



「おっと」



どうやら起こしてしまっただろうか。

寝ぼけ眼のアリアは、頬に触れていた私の手を握って大事そうに引き寄せる。



「すまない。夢の邪魔をしてしまったみたいだ」



「いいの、ママこそお仕事お疲れ様」



「ああ、ありがとう。さぁ、もう寝るんだ。朝になったらまた美味しいパンケーキを焼いてやろう」



「ふふ、ありがとう」



私はアリアの額に優しくキスすると

その場を離れる



「…おじさんは…」



「っ」



「マルスおじさんは、いつになった帰ってくるのかな…」



「…」



「ママ…」



「ああ、きっと戻ってくるさ。いずれは…」



「うん」



「おやすみ、アリア」



「おやすみなさい、ママ」



―そっと扉を閉める。



私はひとりになってようやく気づく。

この胸中に渦巻く熱は…酒によるものではない



ああ、ようやく気づいた。



怒り



―これは怒りだ。



どす黒い炎を内側で暴れさせている復讐の心だ。魔剣、アンドロマリウス



「…認めない。」



始めて虚ろだった意識が満たされていく感覚。

そこから掴み取るように認識した決意…


ああ、ようやく見つけた。

寧ろ私にしては遅すぎた激情でもある。


それほどまでに、私はただひとりの弟を愛し、その喪失にひどく胸を穿たれていたのだ。



ああ、ああそうだ



「あの魔剣は破壊せねばならない。なんとしてでも…」




―そして数日後に、多くの準備を整えてマルスを奪った魔剣が残された場所である

先の村へと再びひとりで赴いた。



封魔陣の延長機構、魔力を枯渇させる霊花、物理的に押しつぶして砕く為に用意した起爆式の地属性魔術のアイテム

いくつもの魔鉱石を打ち砕いたとされる実績を持った弾丸、起動するだけで瞬時に周囲を溶岩にするほどの熱が凝縮された

イフリートの息吹と呼ばれる魔術加工の魔鉱石。


魔剣を破壊する為の手立てを可能な限り用意した。

全て、事の元凶にある古の研究者共へマルスの死への叱責を与えた後に強引に用意させたものだった。



きっとあのままにしておけば、あれは再び持ち主を経て再び私と同じ惨劇を生み出すだろう。

そうなる前に、破壊せねばならない。

そんな建前で魔剣への復讐心を隠しながら、研究者共にも自責の念という呪いを感じさせるのは当然の報いであろう。



そして奴が封印されているだろう村へとたどり着く。

そこは今でも人気が無く、あの時から時が止まったかのようなそんな静けさが漂っている。

あれから私以外に誰も訪れていないのだろうか?



それはそれで好都合な話ではあるが




「―くそっ」



そんな都合のいい話はなかったどうやら遅かったようだ。


記憶にあった場所。そこに魔剣の…アンドロマリウスの姿は何処にも無かった。

奴が突き刺さっていたであろう封魔の陣には既に剣が抜かれた痕があった。



どこに消えた!?

私は周囲を見渡し、できる限りの痕跡を辿ろうとした。

そして躍起になって村の外側へと捜索範囲を広げた。


もし、魔剣を持ち歩いたまま動いているのであれば…魔物の一匹程度は何処かで殺されているはずだ

馬を走らせて藪の中でさえも目を凝らしながら探し続けた。だが、無い…どこにも魔剣がいない。



「まずい…このままでは…」



あの日の狂人と化したマルスの姿を想起させる。

私は強く歯を食いしばり自責の念を感じる。

結局…復讐の対象である魔剣を、持ち去ったであろう所有者を見つける事はかなわなかった。

この憤りをどこに当てる事も出来ず、醜い程に燃え盛る感情の炎はただ静かに燻らせるだけで、数日程度で魔剣の捜索を断念した。




再び失意のまま屋敷へと帰ったある日。

我がホプキンス家へとある手紙が届けられていた。


その手紙の内容に言葉を失った。

弟のマルス・ホプキンスの妻であるイアンナがとこに伏せ、夫の後を追うように数日もせず亡くなった旨の訃報であった。

それと共に、マルスイアンナを同時に失った息子は

イアンナ方の祖父母にあたるハーシェル家へと預けられるとの事だった。


その手紙を見た後すぐ、私はアリアと共にハーシェル家へと顔を出しに訪れた。

せめて、マルスの忘れ形見であるあの子に会うために…


しかし、ハーシェル家で私たちはあまりにも歓迎されるような立場では無かったらしい。

祖父母は自身の娘であるイアンナが床に伏せたにも関わらず、

なぜ彼女の側にいてくれなかったのかと厳しい叱責を受ける事となった。


元より魔物狩りを生業としていたホプキンス家に対してハーシェル家は多少なりにも懸念の感情を抱いていたようだ。

その抱えていた不安と疑念がマルスの死、そしてイアンナの死から堰を切ったように吐き出されてしまったようだ。


無理も無い。

私にだって返す言葉も無い。


寧ろ、このような運命に対してどうする事も出来ない無力な自分には受けるべき妥当な罰であるとも感じていた。




結果的に祖父母は私に対してそれ以上の言及はなかった。

最後にただ一言だけ、


「もうほうっておいてくれ、きっとそれが、私らにとってもあの子にとってもそれが幸せなのだ」…と




だが…だが、あまりにも理不尽だ…



運命に淘汰され押しつぶされそうな感情を無理矢理制御するように屋敷から出てすぐに立ち尽くしていると



「ママ」



「アリア…」



「お話は終わった?」



「…ああ」



ハーシェル家の屋敷の庭で遊んでいるようにアリアが両手にいくつもの花を抱き抱えながら近寄ってきた。



「…その花は?」



ハーシェル家のメイドか庭師からもらったのだろうか?

色とりどりのガーベラが幾つも集まって束になっていた。



「貰ったの」



「誰にだ?」



「リューネスが―」



「っ!」



その名は、最後に人目見たかったマルスの息子の名。

小さな頃からアリアの遊び相手をしてくれたリューネス…あの子が…



「リューネスが、また必ず会いにいくからって…」



「…そうか」



「ねぇ、ママ」



「なんだ?」



「苦しい?悲しい?」



娘の唐突な質問は、自分の心の中に出来た何度も重く積み重なった歪な積み木に触れたような気がした。

「あ…」と出しかけた言葉をぐっと口を締めて堪える。

震える視界をどうにかしようと誤魔化すように…


―否、今だけは娘の温もりを感じて世界に許されたい


ただそれだけの理由でアリアの事を抱き寄せた…強く…強く…



そしてようやく気づく。

久しく泣くことを忘れていた私の瞳から、つどつどと涙を零していたことに

しゃくり上げながら女々しい声を漏らしていたことに…


なんとみっともない姿なのであろうか。

ホプキンス家の当主が


このようなザマを、こんな場所で…



ああ、少し疲れたな。


私は魔物狩りの職務を一時的に止め。暫くは娘との時間を今以上に大切にしようと決めた。

この子の母として…少しでも自分の人生に甘い幸せが少しだけでも欲しくなってしまっていた。



「アリア、リューネスとの約束…絶対に忘れないでくれ…きっと、また会える。会えるさ」



私の言葉にアリアは真っ直ぐな瞳で静かに頷いた。



―そして、常に携えていた剣と執行者としての責務の象徴であるホプキンス家の狩人帽を執務室に置き

アリアの母として日々を過ごしてから数年がたったある日の事である。

近くの村へと訪れた際にある話を耳にした。


我々の住まう広大な西の大陸。多くの国々が連立するその辺境ホプキンス家にて管理している領土の村…その隣国にあるシグムントが、一夜にして滅びたというのだ。





それも…極大な魔術爆発…アルス・マグナによって。

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