始まりの過去②
『初めまして、マリア。マリア・ホプキンス』
「お前が、グリム・トーカーか」
『否、グリム・トーカーは貴様らが我に名付けたものだ。真の名は―』
「興味が無い。お前の名前など魔剣で十分だ」
『…ふむ。では、我になんの用があってこの場に赴いたのだ』
「何故、お前はマルスを選んだのだ?剣士を志す者など他にも幾らでもいるであろう」
『マリア。それは大きな誤解だ』
「誤解だと?」
『我が望むものは大いなる力を奮う者では無い。心に宿す、“裁く者”としての意思…即ち正義だ』
「正義…せいぎだと?レメゲトンによって振るわれたナマクラ風情が人の血を啜ってまで正義を語るか?」
『残念ながら、既に前期の者はその役目を終え“一つの周期”を終えた。今の我はお前の知る魔剣とは違う』
「外側から見る我々がそれを鵜呑みにするとでも?」
『我の是非をこの場で論じたところでそれを証明する事は出来ない。だが、これから結果を作り出す事はできる』
「…」
『前期の者が何を行ったかなど、我にとって関心の域を達する事は無い。しかし、もし
我が正義が示される事があったならば、貴様ら人間に対しての贖罪となるであろう』
マルスを選んだという魔剣。
レメゲトンとの一件があった事もあり
私は否定の面持ちでグリム・トーカーの元へと赴いた
しかし、それは言うのだ。
我は魔剣であり、正義の選び手と―
どこか物憂げながらも優しい表情を見せて接してくれていた我が弟。
しかし魔剣を受け入れてからの彼は変わってしまった。
瞳からは感じていた慈愛に満ちたものは最早なく
彼の見るもの全てに対してくれてやる視線は“奪う側”に立つ人間のそれに違いなかった。
魔剣グリム・トーカー
古の研究者からの報告によれば、魔剣は唐突に自身の視界に入ったマルスを持ち主として要求したらしい。
当初のマルスは当然それを断りはしたそうだ。
しかし古の研究者は、神官であるマルスが剣士として魔剣をどう扱うのか
非常に興味を示した。
そして、強制ではないにしても、マルスに魔剣との暫くの対話を求めた。
すると彼は暫しの時間を経て、魔剣を受け入れる事を承諾した。
神官という職を手放し、再び剣士を目指したマルス。
正義という名の元に魔物を伏する意思。
しかし、それを素直に喜ぶ事が出来なかった。
私の前に現れる度ちらつく
マルスの手に持つ禍々しい剣。
刀身をむき出しにしながらも傷つくことを厭わず抱きしめ。
魔剣に触れようとするならば彼は今までに見たことの無い敵意をむき出しにしていた。
しかし、すぐに我に返りいつもこう言っていた。
「姉さん…ああ、姉さん。すまない…俺は、気づいてしまった…見てしまった」
まるで罪人のような面持ちで、目に隈をつくり常に震えていた。
ある日のマルスはこうも言っていた。
「俺は…自身の感情の裏側で、いつも生み出されていく“暗黒”に対して見て見ぬフリをしてきたんだ
きっと、これは…そのツケだ。ああ、でも…なんだか、姉さん。清々しい…心地が良い…正義とはこんなにも気高く崇高だ」
しかし、正義を語る魔剣の力は絶大だった。
神官が持つには持て余す程に吐き出される魔力。
それを一度振ればローレライ級の魔物の首は瞬時に飛び
それを二度振れば厄災であるドラゴンの両翼は断たれ、地に伏し
それで地を叩けば大地は震え
虚を切れば空すらも堕とす
何よりも、自身が受けた傷は何事もなかったかのように再生される。
その異常なまでの剣威。彼は周囲から畏怖の念を込めて魔剣使いと呼ばれるようになった。
グリム・トーカーは正義の魔剣としての確かな結果を残していった。
それは日々振れば振るほど今の“力”という概念が過去になっていく
しかし、私がかつて見てきた弟の面影すらも過去の者と成り果ててしまっていた。
―マルスが魔剣によって魔物狩りを始めてから暫くして
彼は家族の元へ帰る事もせず、日々狩場を転々としていた。
本来、人間であればそのような行為は過労によって死に絶えてしまう。
魔力だって賄えるはずが無いのだ。
私はギルドからの情報を元に彼の跡をたどった。
彼の形跡をギルドの記録から見てみるとオーダーの全てをひとりで受けており
どれもこれもがレートの高い上級向けの討伐依頼であった。
加えて、全てが前代未聞の魔物を斃した後の事後報告後の受注となっており
報告を受けたギルドの監査官はあちらこちらを転々とする羽目になっているようだ。
だが、ギルドに趣いては報酬を受け取る事なく
彼自身も転々としながらそれを繰り返すばかり
「一体、どうしたというのだ…!マルス!!」
報酬を求めず、ただただ狩りに没頭し続ける。
行動が常人の域を遥かに超えていた。
私はその記録を頼りに、最後に討伐された竜が出ると言われる谷付近の村へと駆けつけた。
そして、大きな風車が回る小さな村で…私は目を疑う光景を目の当たりにする事となる。
訪れた村にたどり着き、マルスの情報を聞き込むために周囲を見渡すが誰もいない。
何かの慣習の最中であっただろうか、それにしても
あまりにも静かだった。
特に思い当たる事もなく村の中へと進み
その最奥、先ほどの風車の方向へと近づいていく。
近づく程に異様に鼻に付く匂いが漂ってきた。
「…血の匂い」
異様な状況に私も心を構え、剣を抜く。
そして風車の建物の扉の前まで近づいたところでようやく気づく。
扉の前に幾つもの描かれた血の轍、それも何者かが引きずって扉の中へと入っていく痕。
もしも、私が想像している通りであるならば…扉の向こうに居るのは…この村の住人らに対して“何か”をした
魔物に違いない。
「…化物がっ」
訪れた先で見舞われた唐突な事態。
ましてやマルスの情報を聞き出す手立ては最早無いだろう。
私は握り締める剣を奮わせて
もう一方の手に銃を構える。
「殺す」
瞬間、私は扉を蹴飛ばしその身を投げ込むように風車の建物の中へと入り込む。
「っ…!」
視界に入る光景は凄惨なものだった。
血の海に積まれた幾つもの死体の山。それが、建物の隙間から漏れる光に当てられて劇場的な風景を醸し出され映し出されていた。
今までにも幾つもの死体の山を目にしてきたが、何度繰り返そうとも
それが私にとって日常の光景として受け入れる事は到底かなわない。
どこだっ―
右を見る、左を見る。視界を頼りにしながらも
いずれ来るであろう殺気に対して如何様にしても対応出来るように気を張り詰め
最低限の思考と最大限の反射を以て魔物と相対する。
そして、その時は来た。
上から自身の領域に対して押し寄せてくるような感覚。
降り注いでくる禍々しい剣撃を自身の剣で払い退け、連なった黒い影に対して三発の銃を放った。
“そいつ”はその一発いっぱつを刃で受け流しながら獣のような動きで死体の山へと乗りかかる。
「…あ?」
漏れた光は、死体の山と同様にその影を映し出した。
そして、私は戦うという事の中で一番のネックである思考という行為を犯してしまった―
「何故だ…?」
無理もない。
その姿は魔物でも何でもない。
「何故なのだ…?」
赤い眼光をちらつかせる魔剣を握り締めた変わり果てた
私のたったひとりの弟に違いないのだから。
「何故っ、マ…ルスっ!!!」
身体の中で多くの血が巡ると同時に思考が川のように流れはじめる。言葉がまともに発する事も出来ない。
『マリアか』
―発せられた魔剣の一言、それが引き金となって激昂に身を任せる。
私は地を砕かんとする意志の元で一歩踏みしめ
風を抉りながら魔剣を持つマルスの腕へと斬りかかった。
しかし、その反射に近い判断は魔剣自身もネックである事を知っていたのか
刹那で距離を詰めてくる私の位置を予測してそこに刃を置いた。
刹那で私はそれに気づくと、上体を逸らして掠めた刀身を見下ろし
それを強く蹴り上げた。
『がっ…!!』
しかし、マルスは魔剣を手放さない
否…手放す事ができないのだ。
柄から伸びている蛇のようなものがマルスの手から離れないように雁字搦めに巻きついていた。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
腕と共に上がった魔剣を見上げ、おもちゃを取られた子供のように耳を劈く雄叫びをマルスが上げ
人には到底成し得ない動きで身体を捻らせて魔剣を大きく振った
「ぐうっ」
重い一撃を自身の剣で受け止めるも、その人とは思えない膂力で私は骨を軋ませ
壁を砕きながら風車の建物の外側へと吹き飛ばされた。
「がはっ…けほっ…!」
私は、地を転がりながらしがみつくように立ち上がる。
瓦礫から舞い上がる土煙の向こうから魔剣の、瞳を模した宝石が爛々と瞬く。
ザクザクとこちらに歩み寄る足音
「何故だ!?何故…お前はこうまでして」
幾つも張り巡らされた疑問。それに対して答えたのは魔剣だった。
『こいつは望んだ。我を、力を、正義の名に恥じぬ全てを与えた…こいつが本当に見たかった景色を与えた。
こいつの中で渦巻いていた暗黒は外に吐き出すべきなのだ。貴様たちに出来なかった事だ。それ故に
我はマルス・ホプキンスと契約した』
「黙れ!お前に…マルスの…弟の何がわかるのだ!?こいつの優しさにかこつけて自身の欲を満たしたい
ただそれだけの俗物が!!」
『以前、我に言ったよな?我の中で語る正義を外側から見る貴様らは鵜呑みにはしないと。
なんとも滑稽な話だ。貴様の語るそれはマルスという男を外側でしか理解していないだけだというのに』
「なっ…」
『マルスは思慮深い。彼の中の正義の意思に我は確かに呼応し、そして自身の弱さに対して劣等感も抱いていた。
故に選んだ。それこそが我という魔剣の力に至る門』
「ふざけるな!!こんなにも村の人々を殺しておいてよくもまぁぬけぬけと…!」
『この村の者らは盗賊団に加担していた』
「…は?」
『赴いた先で竜を殺し、そして道中で我を狙う盗賊らに出会った。その悪行をこの耳に聞き入れ盗賊団全てを裁いた。
裁いた盗賊らの罪状には、この村の事も聞かされた。生まれた子供らを、自身が生き残るために盗賊団らに売りつけていた
それはマルスの憂いであり、正義に反する事であり、罪であり、即ち裁かれる必要のある事だ』
必要以上の情報に私は思考が追いつかなくなる。
「なんなんだ…一体なんなんだ貴様は!!!」
『申し遅れた。我は魔剣。そして、悪魔であり、貴様らが言う古の渦から生まれし魔の一つであり“裁く者”
名を“アンドロマリウス”という』
聞いた。
確かに聞いた。
こいつは、古の渦から生まれた魔と言い放った。
かつての魔神であるレメゲトンを想起する。
『そして、お前は正義に対して刃を向けた。即ち、その行為にマルスは憂い…貴様は裁かれるべき者と断定した』
魔剣アンドロマリウスは言っている。私でさえもマルスによる裁きの対象であると
「認めない」
『…』
「認めぬ!貴様の言葉の何一つを受け入れない!!」
私は剣を再び握り締めると、姿勢を低くして地を蹴ると
マルスへと駆け出した
マルスにも、魔剣にすらも目で負えない速さで彼の背後へと回り込む
『む…』
アンドロマリウスは反射的に反応して、マルスの身体を強く捻らせて私の振り下ろした剣撃を魔剣で受け止める。
瞬間、魔剣と私の視線が交じり合う。
私その瞳を模した宝石に対して、片手に携えた銃を向けると
銃口を零距離で密着させて発射した
しかし、異常な硬さの宝石は貫く事も、砕く事も出来ず
銃身が大きく暴発してしまう。
「くそっ!」
私は腕から血を流しながら、我武者羅に変わり果てた銃を宝石に対して殴るように叩き付けるがそれでも砕く事が出来ない。
『邪魔だ』
アンドロマリウスはその宝石を光らせると
足元から地の槍を生み出し、私を穿とうとした。それを咄嗟に避け
連続して私に這うように繰り出される地の槍をマルスから離れるように躱す
そして、その魔術攻撃が止まったと同時に
マルスの方から私のほうへと距離を詰めていき
二度、三度と魔剣を振る。
それをひとつひとつ自身の剣で軌道を変えて受け流し、魔剣の刀身が彼の後ろに大きく流れていった瞬間
マルスは思い切って両手で強く握り締め、目一杯の踏み込みで魔剣を横に振ってきた。
「っ!」
姿勢を低くして躱した剣撃。
大きく空を斬った魔剣ではあるが、その剣圧は私の頭上で大きく空間を歪ませるに至っていた。
このような一撃をまともに受ければ、いくら私でもひとたまりもない。
しかし、力任せに振ったぶっきらぼうな一撃には違いなく
大きく生じた隙を見逃すつもりもなかった。
「やはり、お前には剣は似合わんよ…マルス!!!」
マルスの足元を蹴って払うと彼は体勢を崩してしまうとよろけ
その隙に蜥蜴のように這った体勢で私は指に滴る自身の血を用いてマルスの足元に即座に血文字を書く。
そして、踏み直したマルスが、アンドロマリウスが足元で私が行っている行動に対して理解する事も無く
魔剣を再びふり下ろそうとする。
「無駄だ」
魔剣の剣撃は私の背中を前にして唐突に現れた結界によって弾き返されてしまう。
“背撃の加護”
私の背中に刻まれた術式は背後からの攻撃が通じる事が無い。
そして再び生まれた隙に私はすぐさま立ち上がり、腕から未だに流れ続ける血を
大きく手を振って魔剣へと浴びせた。
『何を―』
「教えてやるよ、魔剣。私が、何故貴様のような魔剣無しに、この身一つで驚異の魔物と相対してきたか」
血文字で書かれた術式。
そして媒体である“私の血”は対象である魔剣に付与された。
準備は整った。
「術式開放!!封魔陣!!」
『―!?』
マルスの手に持つ魔剣が足元に描かれた術式にギリギリと吸い込まれるように突き刺さる。
『これは一体…!?』
封魔陣。描かれた陣の中に発動者の血が付与された魔由来の存在を封じる術式。
本来ならば、魔物に対して大きさを合わせて作らねば入りきらないものだが…
魔剣であれば手で描く程度の大きさで十分であろう。
『してやられたか』
「マルスを返して貰うぞ…魔剣」
描かれた陣のから離れることも出来ず身動きも出来ない魔剣。
それを一心不乱に抜こうと柄を握るマルスの腕を丸ごと
私は容赦なく切断した。