9:戯言は虚ろな静けさで舞い踊る
リンドの暮らす小屋を後にし、森を歩く俺とアリシアとリンド
当然ながら俺は自分で自分を動かす事は出来ず、リンドお手製の特殊な布を刀身に巻かれ
視界だけは遮られないようにアリシアに抱かれて歩いていた。
「この布はかつて私の羽織っていたローブで代用した鞘のかわりになる包帯です。曲解の術式が仕込まれています。」
『曲解の術式?』
「あなたが魔剣だと周囲に知られるのは幾分厄介ではあります。故にその布を巻くことであなた自身に対しての
理解を捻じ曲げる事ができます。今の貴方は、知らぬ人から見ればただのナマクラの剣として認識するのですよ。」
『随分と便利だがおまえ、なんでこのローブを作ったんだ?』
「申し訳ありません、詳しい事はあまり話したくないのですが…私自身、当時は知らぬ者に『リンド』としての認識をされたくなかったのです。」
街やアリシアの屋敷で過ごすことを選ばず、森の奥でひっそりと暮らしているんだ。流石に個人的な理由もないわけがない。
詳細は追々聞けばいいか。
にしても、
『アリシア、別に無理して俺を持たなくてもいいんだぞ?』
「ジロの言う通りです。ジロを運ぶのは私にやらせて頂ければ良いのに」
「いいのっ。パパは私が運ぶ!」
んぃー!と歯を見せて頑なに俺を手放さないアリシア。
いや、嬉しいんだけどね。嬉しいよ?
それにリンドが用意してくれた一張羅
フリルが多くとても可愛い
赤いリボンもまるで猫の耳のようで可愛い(語彙力皆無)とてもかわいいね。
俺と一枚写真をとって欲しいものだ。
「シャシン?なにそれ?」
『この世界には写真というものが無いのか、まぁ簡単に言うと一枚の紙に一瞬だけ世界を閉じ込めて残すことのできる代物さ』
「一瞬だけ世界を閉じ込める?時間を操る術式…いやしかしそれは我々では叶うことの無い神域魔術に該当しますね…それとも空間隔離なるモノなのでしょうか?隔離結界なる術はありますが紙を依代にする術は初めて聞きます。東亞諸国では女神アズィー様とは別に独特な信仰を持っている民が『札』などを使った術式を用いることがありますね。なる程、興味深い。シャシンですか。」
たかだか写真一枚でこの試行錯誤だ。たしかに、ちょっと面白半分でポエムっぽく言ってみたけどさ、そういうもんじゃないって・・・
俺は心の中で大きなため息をつく。
…?
そういや聞き間違いか?
『リンド、お前女神って言ったよな?』
「は、はい?」
『いや、アズィーが…「あの気色悪い塊」が女神だっていうのか?』
「ジロ…私が聞く限り、あなたの境遇は確かに神に対しての信仰を失い 主を嫌う理由になる事は否定しません。そして、あなたが不運に苛まれ憎まれるとも、アズィー様の役目であり本望でしょう。」
『お、おう』
「ですが、あの美しき御姿を前に気色悪い塊等という表現はいささか子を持つ父として選んだ言葉にしては罰当たりに思えるのですが?」
う、美しい???
あれがぁ???
あのブニョブニョっとして脈打っててありとあらゆる物を粘土みたいにこねくり回したあとに丸くして出来上がったみたいな塊が?
いや、待てよ…アリシアの記憶を覗き込んだ時は確かに女性の姿をした存在が居た。
どういうことだ?姿を変える事が出来るとか?
『アズィーってのは…人の形をしているのか?』
「ジロ?話が噛み合いませんね・・・神の聖なる領域である極界は女神アズィー様が座する場所。
そして、御目通りが叶うのには、巫女によって執り行われる神降ろしの儀、それひとつなのです。
そして儀式によって降ろされた女神アズィー様により祝福を頂く事ができます。私もその一人なのです。そして私が拝謁した限りでは、それはとてもお美しく。眩い光を纏った絶対存在。ジロの言うとおり人の形をしているのは当然な事です。元より、人とは神が自身を似せて作った存在なのですから。」
『なるほど、その気になれば全ての者が女神を目視できるって事か。』
「そうはいきません、叶う者というのはそれはそれは徳を積み重ね厚き信仰を持つ者が―」
後ろでリンドがぽろぽろと何か喋っているのは置いとこう。
つまり、この世界でのアズィーは人の形をしているという定義がある。
ならば…俺が見た、アズィーと名乗った存在は…一体何なんだ?
問題がまた増えたな…まぁ、今は考えるだけ無駄か。
それにしても、可愛い娘に抱き抱えられて運ばれる日が来るなんてな。
そういうのは老後にとっといておきたかったんだがなぁ
まぁ死んだら元も子もないか…。
『しかし、大丈夫なのか?お前、言ってたじゃねえか 魔剣を狙ってた連中があれだけで済むわけがないって。』
リンドの術式を強大な魔力でこじ開ける力を持つ者。それほどの人物が今でも俺たちを狙っている可能性が非常に高い。
当人が出張ってくる事が無いにしても斥候部隊が俺たちに攻め入る場合だって捨てきれない。
「ご心配なく。それに関しては色々わかった事があります。」
『わかったこと?』
「まず、私の術式を破壊した人物。正直に言えば、私の結界術式を破壊するほどの魔力を持つ存在など限られるのです。常人が使うにしても、自身の生命を魔力に転換する術式を使ってもなお こじ開ける事は困難なのです。」
『てことはこじ開けた奴はすげえ魔力抱えたムッチャクチャ強い奴じゃねえか!!』
「そうとも限らないのです。」
『?・・・・どういうことだ?』
「本当にそれほどまでに強い存在なら、破壊した後に斥候部隊などをいちいち使わず
すぐさま出張ってもおかしくないのです。しかし、それを行わなかった。そして、それほどの魔力保持者であるなら私の眼がそれを見逃すわけが無い。」
『けれど、お前 そう言いながら不覚にも一本取られてるじゃねえか』
「そこなのですよ。」
『え?』
「多大な魔力保持者を見逃すわけがないのに不覚を取られた。しかも一瞬で。そしてその後には、魔力を感知することも出来なかった。」
『・・・・なるほどな、瞬間火力 爆弾みたいなもんか。』
「そういう事ですね。であるならば、強大な魔力を開放した当人は動く事が出来ないか、或いは寄り代として死んでいるかのどちらかになります。」
『しかし、それでも斥候部隊が再び出る可能性は?』
「ありませんよ」
『あ?』
この女、きっぱり言いやがった。どこにそんな自信が…
「すでに私たちの周囲にいたゴミ虫は排除してあります。微塵も残さないまま。」
『い、いつの間に…』
リンドは瞳の伺えぬ細い目でニコリと微笑み
「あなたたちを運び、眠りについている合間に少々ムシャクシャもしておりました。なので、森に潜む不遜な輩からは情報を絞り出すだけ絞って、ついでに文字通りその躰も絞るだけ絞ってひとり残らず殺してさしあげました。ええ、必要以上に苦しんで頂いてから。」
あの、本当に怖いよリンド、さん?
てか小さな娘の前でそんな話しないであげてください?
そうだよね?アリシア?
するとアリシアは俺の視線を感じ取ったのか、ニコリと笑顔を向けて、
「パパは怖がりだぁ」
うん、ナイススマイル!サンキュッ!!狂化仕様!!
『そうじゃねえ、が仕方ねえか…』
「?」
アリシアは首をかしげて俺を透き通るような蒼い瞳で変わらず見つめていた。
「まぁ、そういう事で…森の中での奇襲はほぼ無いと言っていいでしょう」
『んで、絞り出すだけ絞った情報の中には何か解った事は?』
「残念ながら…。解った事は、その輩は皆がみな高い報酬を受け取った名無しのアサシンの類だったというだけ…。他に手がかりが無いか今一度屋敷の方へと赴いてはみましたが、何も見つかりませんでした。」
『なぁ、そういえば…屋敷に行ったって事は』
「そうですね…殺された者たちは私の方で処理…弔わせて頂きました。…私だって皆がそのまま腐肉をぶらさげたアンデットとして彷徨わせる姿を見たくありません…。特に…友人であるアリアは…」
『アンデット…』
「命ある者の死というものは天に導かれる時、これまでの人生が刻まれた魂が清算される瞬間なのです。しかし…天寿を全うせず、清算されなかった魂の残滓はやがて、この世に漂う魔力に導かれるまま…死した肉体に影響を与え動き始める。それがアンデットなのです。」
ほうって置けば、かつての知人らは化物となって襲いかかる…か
『…そうか…お勤めご苦労さん』
「まぁ、結局の所目新しい情報は無かったという訳です。それと…もう一つの可能性もありますが…それは追々話しましょう。」
『そう、か?』
まぁ、それほどまでに強いリンド様がこのパーティに居れば問題ないってか
俺たちは会話にひと呼吸置いて暫くは無言で歩き続けた。
だいぶ歩いただろうか
お生い茂る木々の葉はやがて数を減らし
森の木漏れ日が視界を照らす。
道中は想像していたよりは獣道ではなく。しっかりと道が出来ていた。
脇に並ぶ木々の枝には小鳥が囀り 歌を歌っているようだ。
穏やかな時間。
こんな時間が俺にもあったな…
今朝見た夢のいい部分続きを俺は想起させていた。
奈々美と手を繋いでさ
隣には奈津が歩幅を合わせて歩いてくれた。
折角の休みだからどうしようか とか
奈々美がわがまま言ってあれ食べたいこれ食べたいって言ってたな…
…どうして、あのまま物語のようにフェードアウトしてくれなかったんだろうか。
いつも、思う。幸せな時間はいつまでも幸せな時間のままでいて欲しいって
それなのに、世界は残酷だ。
幸せは泡沫で、結局自分は地獄を歩いてた事を思い出させる。
―人っていうのは常に地獄を歩き、夢を歌う旅人だとでも言いたいのか?』
「すいません、何を言っているのかわかりませんが」
『うおおおぁああああああああああああああああああああ』
口から漏れてるよ俺えええええええええええええええええええ
「詩、というものですか?申し訳ありませんがその手に関しては疎くて…」
リンドが申し訳なさそうに言った。
『いや、忘れてくれ…ください…』
恥ずかしいったらありゃしない…ん?
「パパ」
アリシアが俺を抱き抱える腕が一層強く抱きしめるのを感じた。
「街についたら私、パンケーキが食べたいな」
別に抱きしめられて温もりをその身に感じたわけではない
でも、あったかい
素直にそう思えた。
『ああ、そうだな 着いたら食べにいこうな。いいだろ?リンド』
「ええ、そうですね。着いた頃にはちょうどお昼です。昼時に甘いものだけというのはどうかと思いますが、この際いいでしょう」
『ったく、一言余計だなお前は』
「あはは、リンドはよけーだなぁ」
「ふふ…ええ、余計でしたね」
二人の笑い声が森にこだまし
俺たちは未だ暫く森を歩き続けた。