独白
飲みかけの酒が入ったグラス
そこに映る自分の顔を眺める
「なんて、顔してやがんだよ・・・」
弱々しい声でそう呟く
電気もつけず閉じられたカーテンで周囲は暗くなっている。
虚しくテレビの光だけが俺の周りを小さく照らしている。
放送されている内容は頭に入ってくる事は無い。
「―はは」
カラカラとした笑いが口から漏れる。
ようやくこの時が来たのだ。
振り返ってみると俺の人生はクソだった。
自分は若さ故の可能性なんかを鼻にかけて、
やりもしない事全てをなんでも出来るものと思ってた。
だが、実際それは何でもやり切れないことの裏返しだった。
必要な努力という小さな壁にぶつかれば妥協して、辛い現実を器用に避け
明日の自分に任せて生きてきた
…そのせいだろうな
俺には結局何かを最後まで成し遂げる事は無くそれを人生に活かすことは無かった。
とんだ中途半端野郎だ
学ぶことを嫌った傲慢で怠惰な自分へのツケだ
大人になってそれは本格的に思い知らされる。
仕事をするようになって
自分のやる気だけはきっと認めてくれる
そしてそこから自分は強くなっていく今まで探していた本当の自分に出会える
そんな都合の良い自分の未来に期待していようとも。
小さな出来事に躓けば世の中や環境のせいにして前に進む事を止めて。
結局は同じ生き方しかできなかった。
けれど何も無く、何も知らない俺に対して社会というものは優しくなかった。
そして思う以上に俺の心は弱く そんな現実が全て降りかかって初めて自分の小ささというものを知った。
それでも俺にだって運命というものを信じれる出会いはあった。
些細な出会い こんな俺でも好いてくれる女性
最初は余所余所しく嫌われているものだと思っていた
けれど 彼女は知っていたんだ。
俺がずっと見つけることのない本当の俺というものを彼女が見つけてくれていた。
自分のしょうもない人生はこの女性と出会う為にあったんだと本気で思えた。
それからは どうしようもない自分を塗りつぶすように必死に生きてきた。
彼女を愛そうとした。側にいて欲しかった。傲慢で隠してきた自分の弱さを
認めて、受け入れてくれる。彼女の為ならどんなに辛いことでも頑張れる。
本当に愛していたんだ。
晴れて俺たちは結婚し、数年後には子を授かった。
幸せな時間だった。お互いに多少の衝突はあっても頑張って乗り越えてきた。
愛する娘と共に3人で幸せな家庭を築いた。
―でもそれは泡沫の夢だったかのように終わった。
彼女…奈津は病気を患い間もなく死んだ。
二度と動くことのない愛する母に必死にしがみついて娘は泣き喚いていた。
「ママ!ママ!」と呼び戻そうとする我が子を抱きしめて俺だってみっともなく泣いた
二人でいつまでも泣いた。
彼女の死と向き合う事が出来るまでには時間がかかった。
けれど残された俺と娘は過ぎ行く時間を前に立ち止まるわけには行かなかった。
そして、俺は妻が居ない分だけ…いや、それ以上に娘を幸せにすると心に誓った。
向き合わなきゃいけない。
俺は幸せで無くてもいい、でも
娘にだけはいつまでも笑っていて欲しい。
一緒に居る時間も増やして 互いに失ってできた心の穴を塞ぎ合うように寄り添った。
あれから娘は我が儘をあまり言わなくなっていた。
クリスマスにサンタさんが俺だってバレた時だって
あの娘は暫し俯いていたけど、顔を上げて無理して笑ってたな・・・
一つの思い出が顔を覗かせると、そこから溢れるように思い出が脳裏で出しゃばってきやがる
あれ、大好きだったよな・・・おやつに作ってあげたパンケーキ
いつもあればっかおねだりしてた。
それ欲しさに
既に俺が済ましているとも知らずに、窓拭きを必死にして俺の機嫌伺ってたな
…ずる賢しい事思いつきやがって、まるで小さい頃の俺と一緒だ。
そうさ…そんな所も全部含めて自分の送ってきた日々を愛してたんだよ。
妻が残していった唯一の形見…頭を撫でてやると顔を左右に振るクセだってあいつにそっくりだよ
「パパ!」
いつだって俺をそう呼んで欲しかった。
絶対幸せにしてやる 最後まで傍に居てやれなかった妻の分までどんな事があっても。
―そう思ってた矢先だ。そんな俺に世界はどこまでツケを支払わせるつもりなのか。
あの時、目を離してしまった事を今でも死ぬほどに後悔している
いや、死んでも死にきれない
死んだ妻への花を買いに行っただけなんだ。
「先に行っちゃうよ!パパ!!」
無邪気に前へ走る娘を見てただ微笑んで満たされている自分を呪いたい。
―今でもあの鼓膜を破ろうとする爆発音が頭から離れない。
出先で襲った小規模の謎の爆発。
むせる程の粉塵の中で娘の名前を叫びながら駆け寄り
さっきまで娘がいたはずの、崩れた瓦礫の山を必死にかき分けていた。
爪が剥がれることなんて気にもとめなかった
「あ、あああ…ああああああああああああああああああああああああああああああああ」
心の中で崩れて溢れていく何かを必死に掬いとろうと叫んでいた
そして見つけた娘は・・・
いや、正確には
見つけたのは娘の右腕だけだった。
負傷者7名…死者1名の原因不明の爆発。
世間ではテロリストの仕業などと騒いでいた。
誰が?
何故?
目的は?
―そんなこは俺にとって既にどうでもよかった。
もう、無くしてからでは遅い。
結果的に俺は 文字通り全てを失ったのだ。
せめて、あの瞬間に一緒に死ねばよかった。
今でもそう思ってる。
その後の事はもう殆ど覚えていない。
妻の時のような息苦しい重力に堪えながら生きてもがいてみた。
けれど他人の幸せが憎くて眩しくて
そんな呪いたくなるほどの感情を自身で醜く感じ 葛藤にうなされ
寝るときは幸せな夢を見るたびに現実に帰って来た時の苦しみに嘔吐した。
暫くは何も喉を通さなかった。
・・・・だが幸いなことに酒だけは水のように飲めた
「それの何が、幸いな事だというのですか!しっかりしてください。先輩!」
あの事件以来、やけに世話をかけてくれる仕事の後輩にはそう言われた。
身も心もボロボロになった俺に対してよくもまぁあんな厳しい事が言えるもんだ。
色々と細かくて小うるさい後輩…俺も職場では最初軽く邪険にしていたものだ。
けれど彼女の優しさ、本心には気づいていた。どう答えるべきかも考えようとした。
でも、今回ばかりは本当に無理だ。
復讐心を糧に生きる。
大切な者の屍を越えて生きていくなんてものは俺にとっては絵空事だ。
最早、世界は灰色なんだ。
気持ちや感覚による例えではない
俺にしか見えない世界だ。
ここは、この世界はもう
誰が語るモノよりも地獄なんだということ。
痛みが無くても呪いはあるという事を知る。
日常の些細な出来事で幸せを思い出させ
日常の些細な出来事でそれが失われたことを確認させられる。
怒りの矛先さえも見つけられず、ただ植物のようにのうのうと生きていく。
そんな事が出来るほど俺の心は強くもなく
狂ってやり過ごすにはあまりに遅すぎた。
結局このザマだよ。
だからもう選んだんだ。
俺は、死を選んだ。
もう考えていたくない。
死を選ぶ事こそが俺にとっての最大の安楽。
酒を一杯喉に流し込んで目の前のテーブルに目を向ける。
小さな小瓶に幾つも詰め込まれた錠剤。
この時の為に用意した大量の睡眠薬だ。
なぁ
神様見てるかよ
もう、お前を憎む事にも疲れた。
だから最後に一言だけ言わせてくれ。
最後まで何もかも中途半端だった俺の願い。
「せめて、あの世ではあの二人に合わせてくれ・・・・・」
空虚にその願いを呟く
当然返事等は無い。
まぁそりゃあそうだ
端から期待なんてしてないし、まだ死んでもいないんだ。
死んでたって会えるわけもないさ。
神なんてものはそもそも存在しない。
いるわけがない。だって、そうじゃなけりゃこんなクソみたいな当たりクジを二度も引くわけがない。
とんだ狂った世界だよここは…
「とんだ狂った世界だよ!!ここはぁああああ!!!」
瞬間に燃え盛った怒りを原動力にし
砂を掴むように錠剤を握り締め それを口の中に酒と一緒に押し込んだ
瓶の器の中身が空になるまでゴクゴクと酒を飲んだ、口の端から溢れる事など構うものか。
「ハツ…はははははははははっははあははははっははあっはは!!」
久しぶりに大声を出して笑った気がする、
俺は、ようやく…この儀式を以て
ようやく開放されるんだ。
「はぁー…えふ…えふ…」
嘔吐感を振り切りながら徐々に意識が遠のく
優しい子守唄により眠くなるような感覚
―この世の苦しみから開放されようと自殺をする事で男はあろう事か異世界へと旅立つことになる―
子守唄の代わりが興味も沸かないくだらない異世界転生モノのアニメのオープニングとは
実にくだらない。
―この世界で精算できなかった彼の人生に意味を与える物語―
実にくだらない。
もう、眠らせてくれ。
俺は
俺は…
仰いだ先に見える薄暗い天井
そこに、少しずつ光が広がっていた。
―彼がこの世界で請け負った使命は、運命を殺す事―
待っててくれ。俺もすぐそこに…
―彼は真実を探す。自分に与えられた物語の名前を―
やがて光の中からゆっくりと眩しく光を放つ誰かの手が差し伸べられていく。
ああ…これが、死か
そして、俺は不意に口遊んだ。
「いるんじゃねえか。神様。」
俺は意識を全て光に預け もう考えることをやめた。