宝石1
なろうで初めて投稿します。
完結できるよう頑張ります。
更新ペースは週一くらいです。
男は問う
「この世で一番怖いものはなんだと思う。」
少女は答える
「人間だと思う。」
男は問う
「この世で一番優しいものはなんだと思う。」
少女は答える
「人間だと思う。」
男は問う
「この世で一番汚いものはなんだと思う。」
少女は答える
「人間だと思う。」
男は問う
「この世で一番美しいものはなんだと思う。」
少女は強気に答える
「バカね。そんなの宝石に決まってるじゃない。」
ー宝石ー
檻原亜紀は手に持った宝石を眺めながら
「確かにこの宝石は美しい」
そう呟いた。
界面活性剤を水面に垂らした様な儚げな虹色の輝きを放つその宝石は、分類は確かにダイヤモンドだが、この様な輝きを持つものはこの世界に二つと無い。たった一つの輝きだ。
純粋な炭素の立方結合のなかに微量の放射性物質が混ざっているらしいが、それが何故、どの様にしてこの輝きを生み出しているのかわからないし、わからないからこそ世界中の誰にも再現できない。
そもそもこんなものが人の手によって生み出されるはずもないし、自然発生したというならそれはもう奇跡というほかない。
「確かにこの宝石を見たら、世界で一番美しいものはこの宝石だと思うわね。」
親指と中指に挟む様に手に持った宝石を開いている人差し指で回すと、その都度にたった一度その時だけの輝きをいくつも見せてくれる。
テレビでよく見る様なカットを施されているが、元はどんな形だったかはわからない。そも、全く違う形だったかもしれないし、人間に見つかった時からこの形だったかもしれない。
「あの子もこんな気持ちだったのかな。」
檻原はこの宝石の最後のオーナーだった一家と、中でも一際この宝石を大事にしていたその一家の一人娘を思い出す。
「ま、今は私が最後のオーナーな訳ですけどね。私が死ぬまではね。」
そう言った檻原は宝石を小さな箱に入れて、鍵付きの机の引き出しの中にしまった。
「いつか私が嫁ぐ時には指輪につけましょう。」
そう言った檻原は先週29歳の誕生日を迎えたばかりだった。
ー2001年4月10日火曜日
朝
「朝ごはん食べたい。」
そう呟きながら私は、マグカップに注いだコーヒーを片手に、窓から外を見渡す。
歩道を歩く黒いスーツの群れはきっと隣に自社ビルを構える医療機器メーカーの新卒の子たちだろう。
黒いスーツに白いシャツ。ネクタイさえ変えれば即座に葬式にも行けそうな新社会人の子たちを見ていると憐れに思う。
いや、そうではない。優越感を感じる。
去年、美術系の大学を卒業した私は、ベンチャーなアトリエに就職していて普段は創作活動をしているからスーツなんか着る必要がない。フォーマルな格好とは無縁だ。
正社員なのに私服Okな職場って素敵。
医療機器メーカーと違って、お医者さんに媚びなくていいし。
医療機器メーカーと違って、売上にノルマとかないし。
医療機器メーカーと違って、体育会系な社内で自分の立場を守るために必死にならなくていいし。
「ああ、ホントクリエイティブな仕事って素敵。」
いや、そうではない。劣等感とそれを隠そうと必死になっている自分を知っている。
大学で周りの同級生との才能の差を、格の違いを見せつけられた私は、早々にやる気を失い、ただ無難に、本気を出さずに、4年間を過ごした。
卒業するために必要な単位のほとんどを一般教養で埋め尽くした。
絵を描くことしか取り柄が無かった私は、その才能を発揮して大学に入学できたものと思っていた。
しかし、現実は過酷だった。
同級生は私よりも才能と創造性に満ち満ちていて、入学から半年もすると私は自信とやる気をなくし、同じ様な落ちこぼれとグループを作り、敗北感を紛らわすために芸術から逃げ回る様に4年間を過ごした。
だって、芸術と本気で向き合って、自分の本気を振り絞って、周りのみんなに敵わなかったらきっと傷つくから。
そんな4年間を過ごしても芸術に対する未練はあった。いや、4年間芸術から逃げ回っていたからこそ、何もしていないからこそ大好きな芸術に未練があったんだろう。
就職活動を一生懸命頑張ったおかげで私は地元の小さなデザインの会社に就職することができた。
「お、やっときたな。」
そんな自分への言い訳を自分に言い聞かせる様なことを考えていると、眼下の黒服の群れに不釣り合いなピンク色を見つけた。
ピンク色のフリフリフリルがついたワンピースを着て両手にマクドナルドの袋を抱えているのが我が社の新卒である。
「いくら私服OKとはいえ、あれはなくない?」
あの格好で、朝のマクドナルドのレジで、うちの会社の名前で領収書を切ってもらっていると思うとそのマクドナルドには恥ずかしくて行きたくないな。そも、去年は私の仕事だったけれど、アレをやるときはスーツで行っていたし。
ともあれ、これで朝ごはんは来たわけだし、フリフリフリルの渡邊さんの服装については私は気にしないでおこう。
「みなさん、おっはよーございまーす。」
勢いよく事務所のドアが開け放たれると同時に渡邊さんの元気な挨拶が放たれた。
「おはようございます。」
「おう、ナベちゃんおはよう。」
「おはよう渡邊さん。そんな短い丈のワンピースでパンツ見えちゃわない?」
皆が次々に挨拶を返す。それに続き私も挨拶を返す。
「おははよ」
噛んだ。
「どうした檻原。腹が減りすぎて日本語喋れなくなったか?」
「なんのことですか?高木さんの耳が遠くなったんじゃないですか?」
そんなやりとりの横で渡邊さんが手際よく朝マックを配っていく。
「檻原先輩はグリドルのソーセージでしたよね。」
「えっ」
違うよ。ソーセージエッグよ。
「あっ間違えました。グリドルのソーセージエッグでしたね。どうぞ。」
「うん。そう。ありがとう渡邊さん。」
そう。それでいい。エッグの有無で今週のモチベーションが倍違うから。
我が事務所では、運営するアトリエを当番制で対応していることもあって、アトリエが定休日の火曜の朝しか社員が集まらない。その火曜の朝に全員で集まってミーティングをすることになっていて、どうせならクリエイティブな職種らしく事務所で朝マックしながらミーティングをしようと社長が言い出した結果その様になった。
代金は会社持ちというあたり気前がいい。
もちろん買いに行くのは下っ端。去年までは私の仕事。そして今年からは渡邊さんの仕事。
「以上です。」
ミーティングと言っても、各人が先週の業務と今週の予定を報告していくだけのもので、私もそれ に習い先週で完了した仕事の報告を終えた。席について冷めたポテトに齧り付く。渡邊さんは今の所OJT中なので、報告は実質一番下っ端の私で終了だ。
「檻原」
「ふぁい」
ポテトが口の中に残ったまま返事をしてしまった。私を呼んだのは社長の橘さんだ。
「相変わらずよく食うな檻原。ポテト何枚目だ。」
「2枚目です。」
ホントは3枚目です。
「あと何枚食うんだ。」
「これで最後です。」
ホントはもう一枚あります。
「そうか。食べ過ぎて太らんようにな。おっと、これはセクハラになっちゃうか。」
橘さんは続ける。
「檻原はここ3ヶ月くらい調子がいいな。どうだ、実感あるか?」
「はい。」
確かに、ユーザーからの依頼にもほぼリテイクなしでOk貰えているし、先輩のサポートに入るときも褒められることが多い。アイデアもすぐ出てくるし、本当に調子がいい。
「じゃあ、ひと月ぐらいお仕事休もっか。」
「はい。…えっなんでですか?」
橘さんからの突然の提案に驚きしかない。
「この仕事は誰にでもあるんだがな、それはスランプの予兆だ。このまま続けると搾かすみたいになっちまう。だからその調子がいいピークを少しすぎたあたりで休みを取ったほうがいい。この仕事を長くしてればそんなスランプの抜け方もわかってくるんだがな、お前はまだ二年目だ。スランプが続けば精神的に仕事を続けられなくなる可能性があるからな。なら、一気に絞り出すよりもやりたいことができないフラストレーションを溜めたほうがマシだな。フラストレーションはエネルギーになるからな。無理にとは言わんが。休んでいる間も給料は出すし。」
「ではお言葉に甘えて、お休みをいただきたいと思います。」
即答していた。録り溜めしたドラマやらアニメやらいっぱいあったし。
「よく言った。俺は檻原のそういう潔いところは気に入ってるんだ。ところで、ひと月も休むと暇を持て余すよな。良ければ簡単なバイトを引き受けてくれないか。もちろんそれはそれでバイト代は出るよ。」
「私にできることなら…」
「簡単なことだよ。俺の知り合いの娘が今年お前の母校を受験するんだよ。ひと月の間その子の家庭教師をしてやって欲しいんだ。もちろん芸術のな。いいか?」
「そんなことで良ければお引き受けします。私にとってもいい息抜きになるかもしれませんし。」
「そうか。ありがとな。じゃあ、詳細は後でメールするから、ハンバーガーの包み紙に隠した4枚目のポテトを食べ終わったら今日は帰ってよし。」
どっと笑いが起こった。橘さんは抜け目のない人だと思う。
私は4枚目のポテトをお淑やかに食べた後、事務所を後にした。