戦争の日常(入浴編)
社長さんから聞いた師匠の悪行は以下の通りだった。
35ノットで突っ走る駆逐艦の魚雷発射管を狙い撃ちして誘爆撃沈。
水雷戦隊旗艦の艦橋に30キロ爆弾を二発ぶち当てて戦闘不能においやる。
高速戦艦の艦橋と同じ高度まで降りてきて、真正面から20ミリ機関砲をばら撒き、主砲射撃指揮所を破壊する。
誤認着艦のふりして空母の甲板スレスレを飛び去り、焼夷弾を落として火の海にする。
などなど・・・
「貴女のお師匠さんには、色々散々楽しませていただきましたよ。『ソロモンの魔女』『戦場の不確定要素』『空飛ぶ意外性』・・・」
社長さんはどこか懐かしそうに、私を見詰めながらそう言った。
「社長、瑞雲の収容終わりましたよ」
社長さんの背後、航空戦艦伊勢の後部から一人の女性が現れた。
「はい、ご苦労さまでした伊勢さん」
社長さんより少し背の高いその女性が、この航空戦艦伊勢の船霊さんのようだ。
黒髪のロングヘアーに白い将校用の制服、社長さんの制服は第二次世界大戦時の日本海軍用がモデルの様だけど、伊勢さんのは女性が進出してきた日本海軍の末裔である海上国防隊のモノらしかった。
ちなみに日本海軍は、
『大日本帝国海軍』
↓
『海上自衛隊』
↓
『海上国防隊』
と変遷して、第二次世界大戦後は最後まで『軍』を名乗らせて貰えなかったそうだ。
「こちらはこの艦の船霊、伊勢さんです」
社長の紹介に伊勢さんはキチッとした敬礼をする、慌てて私達も答礼を返す。
「紅蘭以下三名、航空戦艦伊勢への乗艦許可願います」
「ようこそ、航空戦艦伊勢へ。乗艦を許可します」
なんだ、やろうと思えば紅蘭も青蘭もちゃんと出来るんじゃない、と心の中で思う。
「みずぽん、なんやえらい失礼な事考えてるやろ?」
相変わらず無駄に鋭いわね、青蘭ったら。
その後、一日中バタバタしただろうかと、伊勢さんの案内でお風呂へと連れて行ってもらった。
お風呂場は結構広かった、脱衣場だけでもウチの六畳間の倍以上ある。
そして脱衣場の壁側には大き目の棚があってそこに籐製の籠が並んでいた。
「水兵服しかありませんが、脱衣場の棚に各サイズが取り揃えてございます。ご自由にお使い下さい」
そう言い残すと伊勢さんは脱衣場のドアを閉めて立ち去った。
「さぁ、今日一日の疲れを落とすで〜」
さっさと飛行服を脱ぎ捨て、篭に放り込んだ二人は扉を開けてお風呂場に飛び込んで行く。私も飛行服を脱ぎ、丁寧に畳んで籠に入れてからお風呂場へと入った。
「うわっ、凄い」
さっきの脱衣場の更に倍以上ありそうなお風呂場がそこにはあった。
「みずぽんはこないに広い風呂初めてやろ?」
青蘭の言う通りだよ、こんなに広いお風呂場は初めてだよ。
地球では一部のスパや歴史遺産以外では、他者と一緒にお風呂場に入る文化はもう残っていない、そもそも個人だとシャワーで済ませちゃうから、お風呂といえば個人用でそんなに広くはない。
舷側には丸窓が並んでいて、反対側の壁側には身体を洗う為の蛇口とシャワーが並んでいた。
そして二つに区切られた大きな湯船の背後の壁には大きな山と海にせり出した松林の絵が描かれている。
そしてその湯舟の片方に紅蘭と青蘭が湯船に浸かっている、頭に濡らしたタオルを乗せて。
「コレが正しい温泉スタイルやで〜」
なるほど、そう言われれば何処かの博物誌で見た事がある様な無い様な、と感心して同じ様にタオルを濡らそうと湯船に浸しかけた時だった。
「ちょい待ち、瑞穂・・・アンタ、風呂の入り方も知らんのかいな」
なんか怒られた、ジト目の紅蘭に怒られた。
でもまぁ、とりあえず隠そう前は隠そう。
「あ〜、ホレ・・・地球って『こういうの』もうないやん?それでやで」
それとなく青蘭にフォローされた。
なんだろう、ありがたいけどなんだか屈辱だわ。
紅蘭曰く、個人用のお風呂と違い公共浴場には色々なマナーとお作法があるらしい。
「まず、浴槽にタオルを浸けへんの」
理由は単純、湯舟のお湯が汚れるから。
「次に、湯船に浸かる前には『かけ湯』をする事」
かけ湯をすることで急激な温度変化から身体を守ることができる、それと湯舟に汚れを持ち込まないためでもあるんだって。
だから、特に下半身を入念に!
理由は・・・まぁ、その・・・各自で考えよう!
「みずぽんって髪長いやろ?せやから髪の毛はまとめてアップにしとかなアカンのよ。他人の髪の毛が泳いどる湯船なんか入りたないやろ?」
確かに、浸かってる自分でも気持ち悪いものね。
紅蘭と青蘭に教えられた通りのお作法に法り、髪をアップにまとめてかけ湯をして、いざ湯船へ。
「ん〜〜っ」
って、ついつい声が漏れる。
慣れない航法に失敗出来ない人命救助、自分で操縦しないストレスと超長距離飛行で強張っていた心と身体が解れてゆく。
「そこで『あ゛〜〜』って言わんあたりがまだまだやな」
「紅蘭は派手に唸ってたもんな、おっさんみたいに」
湯船の縁に頭を乗っけて脱力仕切った青蘭が笑う。
でも、その気持ちも分かるね。
大きな湯船は三人で入ってもまだまだ余裕なんだけど・・・
アレ?なんだかこのお湯って変じゃない?
「ねぇ、このお湯なんだか妙じゃない?」
肌がひり付くというか、ちょっとベタつくというか。
「そらそうや、コッチは海水やからな」
へ?海水?塩水ってこと?
壁際の大きな蛇口から出っ放しになってるお湯を指に付けて舐めてみる・・・
しょっぱい。
確かにこれは海水だよ。
でもなんで?健康の為?それとも迷信か何か?
「あんな、大昔の・・・この艦の原型艦が現役やった頃の地球ではな、みんなこうやったらしいんや」
紅蘭曰く、それはちゃんと図面にも残っていて機関室で温められた海水が浴場まで送られていた送水管がはっきりと記録されていたらしい。
「この頃の軍用艦は通常動力艦、すなわち化石燃料艦や。せやから原子力艦みたいに脱塩して真水を作るなんてこと出来ひんかったんや」
「ついでに逆浸透膜使った真水の生成も出来ん時代やったから、真水は貴重品やったわけ」
なるほど、そうでなくても人間は生きていくために最低でも2リットルの水分が必要になる。
このクラスの艦だと大体1500人以上の乗組員がいるわけで、ご飯を炊いたり味噌汁を作ったりおかずを炊いたりする分を考えると一日で5t近くの真水が必要になる計算だ。
「お風呂に真水をじゃぶじゃぶ使う余裕なんか無かった訳なんよ」
それで海水風呂かぁ・・・
大昔のご先祖様達は相当苦労してたんだね~
「一説にはな、入浴時に三枚の木札を渡されてたそうや」
「木札が三枚?なにそれ?」
「真水の引換券みたいなもんやな、一枚で洗面器一杯分の真水のお湯やったそうな。真水のお湯が出る蛇口には当番兵が立ってて、その木札と引き換えにしかお湯は貰われんかったらしいで」
紅蘭の説明では、かけ湯や身体を洗った後の流し湯は海水湯を使っていたらしい。
だけど、身体を洗うための石鹸は海水だと泡立ちが悪い。
だから一杯目の真水湯で石鹸を泡立て身体や頭を洗う、そして海水湯で頭と身体の泡を流し二杯目の真水湯で髪を綺麗に流す、そして海水湯に浸かる。
海水湯から上がったままだと肌に塩分が残って気持ち悪いし、肌が荒れるので三杯目最後の真水湯で全身を洗い流しお風呂を上る。
といった流れだったらしい。
「そんな状態やから、艦長クラスでも朝起きて使える真水は洗面器一杯が限度、その一杯分で歯を磨いて髭剃って顔洗うんやから『洗顔』は目の周りを洗うだけの『洗眼』やったそうやで」
肩までとっぷりと湯舟に浸かりながら青蘭が補足説明をする。
うはぁ・・・そこまでして戦争してたんだ。
「この艦なんか、戦艦でデカイから真水もようさん積めててまだ恵まれてた方なんやで」
「そうそう、駆逐艦とかの小型艦になったらそんな余裕もないから、南方戦線で暇な時にスコールが来たら、『手すき総員スコール用意』って号令が掛かってな。おっさん達が褌一丁で石鹸持って甲板へ上がって、洗濯とシャワーをやっとったそうやで」
「ほんで、スコールの後には洗濯物がそこら辺中にはためいてたそうや」
な、なんてシュールな・・・
でも、戦争やってても日常はあるわけだし、むしろ戦争中でも戦闘時間よりそういった時間の方が長かったんだもんね。
「今でこそ、そっちの湯舟は真水のお湯やし、蛇口から出るのも真水やけど、大昔は風呂一つとっても大変やったちゅ~こっちゃ」
私たちが浸かっているのとは反対側の湯舟を指差して紅蘭が話す。
「それに、当時の資料言うても図面ぐらいで浴場を写した写真なんか残ってないからなぁ。あのペンキ絵なんかは『銭湯』とかいう当時あった公衆浴場のデザインを参考に描いたモンらしいで」
湯舟の向こうの壁一面に描かれた見事な大きな山と松林のペンキ絵はそういったモノらしい。
確かに、当時の戦艦の重要な部分の写真と言うのは意外と資料として残っているけど、烹炊所や浴場やトイレなどの生活に密着した場所と言うのは資料に乏しいらしい。
その点、私達の戦闘機や爆撃機なんかの軍用機は外見もだけど、組み立て途中のモノや解体される時に撮影された写真、機体によっては旧西暦2050年くらいまでレストアされた現物があったからまだまだオリジナルに近い状態が復元できてるんだよね。
「戦海の連中にとっては、艦は浪漫であり商売道具であり家やったりするわけや」
「え?軍用艦に住んでる人がいるの?」
「何隻も持つようになったら陸に家借りるらしいけどな、最初の一隻だけやったらそのままそこで住んでまうらしいで」
そりゃまぁ、確かに衣食住が揃ってるのが軍用艦な訳だもんね。
「ウチらもえぇ加減。家借りるかぁ・・・」
「せやなぁ・・・そろそろ考えなアカンなぁ」
・・・え?この二人って、やっぱりあのハンガーで寝泊まりしてたんだ!