海の猛者達
八人のボツリヌス食中毒患者を乗せた二式大艇『モビーディック』は無事に着水し、病院船・氷川丸のすぐ隣に停止した。
氷川丸には看護婦さんの格好をした女性が三人待ち構えていて、さらに戦海士であろう士官制服の男性、そして三人の巫女さんが大型舟艇で・・・
巫女さん!?
エンジン付きの舟艇、その後部にある操縦席で巫女さんが立って操船している。
「さっさと運ぶぞ、曲者姉妹も手伝え」
「「曲者言うなや!」」
舟艇に乗って来た戦海士のおじさんが叫ぶ、そして曲者呼ばわりされた紅蘭と青蘭が叫び返す。
モビーディックの主翼は20メートル以上ある、だからどうしても一度舟艇に乗せて氷川丸まで運ばなきゃいけない。
麻痺が進んで全く動けなくなった八人を運ぶのは苦労したけど、船霊とか言う人造生命体の巫女さん達が力持ちだったので、すんなり氷川丸の処置室に運び込めた。
「お?もう一人の曲者も来たな」
八人を運び込んだ直後、オレンジ色の塗装のド派手な水上機が着水した。
「うぉぅ、イイなこの機体!」
風防を開け放つと満面の笑みで叫ぶ青年がいた。
「タナトス中佐〜、んな事は後で良いから届けモノを早く出せ〜」
「お?おう!着いたぜ、センセー」
二つある座席のうち前にタナトス中佐とか言う、やたら元気な青年、後ろの席にはクーラーボックスを膝に白衣の男性が見えたんだけど・・・
生きてる?
「う・・・うぅ・・・もうダメです」
クーラーボックスに覆いかぶさって呻いている白衣の男性。
「おい、センセー・・・コトウ先生、吐くなら外にやってくれよ、借り物の機体汚したら後でオヤブンにブン殴られる」
「は、早く陸に戻りたい」
「それより先に患者を頼むぜ、そん為にかなり無茶したんだからな」
そんなやりとりをしている間に、氷川丸から迎えの舟艇がやって来て、白衣の男性と操縦士のタナトス中佐を氷川丸に連れて来た。
不思議なもので、あれだけ盛大に酔っていたコトウ先生は処置室で患者の診察を始めた途端、別人の様にシャッキリして治療を始めた。
「うん、貴女達の見立て通りボツリヌス食中毒で間違いないね」
看護婦さんの格好をした氷川丸の船霊さんに指示を出し、運んで来た血清を投与する準備を進める。
「見た目はヒョロくて頼りなさそうだが、腕の方は一級品の先生だ、後は専門家に任せよう」
これ以上処置室に居ても私達に出来る事はない、タイショーさんとタナトス中佐に促され、私達は医療行為のお手伝いが出来る船霊さん達を残して、処置室を静かに退出した。
「色々あったらしいがお疲れさん、こっちで休んでくれ」
タイショーさんに勧められてラウンジに通され、柔らかなソファーに身体を預ける。
緊張感が一気に身体から抜けてソファーに身体が沈み込む。
「あ〜〜・・・一時はどうなるか思たで〜」
ぐで〜んとだらしなく二人掛けのソファーに横たわる青蘭。
「ホンマにな〜〜、バラムツ食いのアホ供はえぇとして、ミーティアらが助からんかったら、あの金比羅丸の船長沈めに戻らなアカンかったしなぁ」
紅蘭の意見に私も思わず頷く。
「あんだよそれ?」
第二次大戦の日本軍操縦士風パイロットスーツに飛行帽、その上にゴーグルを引っ掛けたタナトス中佐が、タイショーから受け取ったオレンジジュースを飲みならが聞いてきた。
「バラムツ食い?んな馬鹿がこの世に存在するのか?」
タイショーさんも、湯気の立つ大きな湯呑みのお茶を啜りながら尋ねてくる。
「おるんよ、コレが・・・それも80人近くな」
紅蘭はことの顛末を二人に説明する、そして私と通信出来なかった間にあったことも聞かされたけど、それはほぼ予想通りの展開だった。
一部想像以上の部分もあったけど・・・
「それで金比羅丸からおかしな通信が出てたのか・・・」
「タイショーの船でも傍受してたん?」
「あぁ、香椎さんが傍受してな・・・最初はなんかの食中毒毒素が頭に廻って気でも狂ったかと思ったぜ」
「まぁ、気が狂ってるってのは否定せんけどな〜。ありゃバラムツ食う前からやで」
軽空母龍驤の船霊さんだという巫女さんから、アイスティーを受け取った紅蘭は一口飲むと「ふぅ」と小さなため息をついた。
「そう言うたらタナやん、エラい早よ着いたけどあの機体はなんやの?いつもの晴嵐ちゃうやん」
「あぁ、アレな。ありゃ社長んトコの艦隊からの借りモンで、『瑞雲』って水上偵察機だ」
そうしてタナトス中佐は語りだした。
〜〜〜二時間半前、リラバウル水交社のラウンジ〜〜〜
「しかし、スゲェ雨風だな」
窓を叩く風雨に顔を顰めている戦海士は、特務攻撃艦隊(通称:特攻)の総司令官で通称『オヤブン』と呼ばれている男性だった。
「こればかりは、仕方ありませんからねぇ」
対照的に落ち着き払って紅茶を楽しんでいる戦海士は、リラバウル帝国艦隊(通称:帝国)の総司令官で皆んなに『社長』と呼ばれている人物だ。
二人の艦隊は今日の午後から合同演習を行う予定だった、多少の雨天なら決行するつもりだったのだが、さすがに暴風雨ともなると安全を考慮して中止にしたのだった。
他の参加予定者もスケジュールを空けていたのでする事が無くなり、かと言って暴風雨の中、昼酒を呑みに行くわけにもいかず、こうして水交社のラウンジに集まり駄弁っていた訳である。
いつもならこういう時は、帝国艦隊のメンバーがやっている居酒屋で宴会になるのだが、生憎そのメンバーは二週間ほどリラバウルを留守にしているのだった。
「ね〜ね〜、社長、オヤブン!演習やろ〜よ〜」
退屈を極めきって駄々を捏ねているのは特攻艦隊の潜水艦大好き青年の中村・T・乙二中佐。
周囲にはタナトス中佐と呼ばれている戦海士なのに戦空の参加資格も持つ変わり者だ。
「うるせぇ馬鹿、こんな天気で出航出来るかバカ」
「馬鹿って言った!馬鹿っていう方が馬鹿なんだよ〜」
「じゃぁ、オマエも馬鹿って言ったからやっぱり馬鹿じゃねぇか?」
「お?おぉ・・・おぅ?」
またいつもの掛け合い漫才が始まった、と周囲が暖かく見守っていた時だった。
勢い良くドアが開かれ、びしょ濡れの雨合羽を着た男性が飛び込んで来た。
「タナトス中佐!イー402潜のタナトス中佐はいるか⁉︎」
騒々しく叫ぶ男性にみんなの視線が集まる、そしてその雨合羽の背中に描かれたマークを見て、男性の素性を察知した。
「タナトス・・・オマエ、今度はナニしでかした?」
男性はリラバウル港湾局の職員だった、戦海士がお世話になっていて頭の上がらない存在が血相変えて飛び込んで来たのだ、オヤブンに脳裏に数々の『前科』が浮かぶ。
「え〜、今週はまだ何もしてないよ〜」
「毎週毎週、問題起こされてたまるかっ!」
逃げようとするタナトス中佐の襟首を太い腕で掴むオヤブン、ジタバタ逃げようと足掻くが未だかつて成功した試しはない。
「そういったお話では無いようですよ、オヤブン」
ティーカップをテーブルに置くと社長が駆け込んで来た港湾局職員に話をするよう促す。
港湾局職員は金比羅丸のボツリヌス食中毒の事と、モビーディックから送信されて来た救助計画を説明してタナトス中佐に協力を願った。
「ふむ・・・ですが、この計画はオススメ出来ませんねぇ」
モビーディックから立案された計画では、まずタナトス中佐のイー402潜水艦に医師と血清を積み込みリラバウルを出航する。
水上艦では危険な暴風雨と波浪でも、潜航してしまえば問題ない、潜航したまま暴風域を抜け発艦可能な海域まで進出して、そこからイー402潜水艦の搭載機である特殊攻撃機の『晴嵐』でパオパオ環礁まで飛んで行く計画だった。
タナトス中佐が指名されたのも、彼のイー402潜水艦が水上攻撃機を搭載機出来る特殊な潜水艦だった事と、彼自身が戦空士並みの操縦技術がある為だった。
「何が問題だ?社長」
臨時の作戦会議室となったラウンジ、そこに広げられた地図を見ながらオヤブンが問う。
「遅すぎるんですよ、潜航した潜水艦では・・・それに、バッテリー航行では暴風域を抜ける前に電池が尽きてしまいますよ」
確かに潜航してしまえば時化は関係ない、だが潜航中の潜水艦は充電したバッテリーで航行するので、スピードが出ないし、航続距離も短い。
「おい、タナトス。イー402の水中速力は?」
「最高で6.5ノットだよ、オヤブン」
「航続距離は?」
「水中だと、3ノットで60海里だよ」
3ノットに抑えて60海里、最高速力だと10海里も持たないだろう。これは核動力潜水艦になるまでの潜水艦の宿命だった。
一刻を争う事態なのにこれでは到底間に合わない、かといってリラバウルにモビーディックが着水する事も出来ない。
「でも、シュノーケル使えば航続距離も速度も出せるよ」
「この波高では、シュノーケル航行は危険です。万が一に吸気口から海水を吸い込んでしまったらエンジンが壊れて航行不能になります」
シュノーケルと言うのは大戦中に実用化された技術で、潜航したままエンジンを回す装置だ。簡単に言えば吸排気口の付いた棒を海面上まで伸ばして、そこからエンジンに空気を供給する方法だ。
このおかげで潜航したまま充電出来て、潜水艦の隠密性は更に高まり生存率を上げた。
その吸気口には、万が一波を被った時、海水を吸い込まないようにする工夫もされていたが、大荒れの現状では現実的に使用は不可能だった。
「じゃぁ、どうするよ・・・オレんトコの空母・イラストリアス出しても、海上で血清と医者の受け渡しなんて出来ないしなぁ」
空母に搭載されているのは陸上機と呼ばれる機体で、水上機と違って浮き舟を持っていないから海面に着水出来ない。
「そもそも、イラストリアスの艦載機は下手な水上機より遅いでしょう?」
「うるせぇ・・・」
「確かにソードフィッシュって晴嵐より遅いよね」
ソードフィッシュとはイラストリアスの艦載機で鋼管羽布張りの複葉機、晴嵐は全金属製の単葉機で巡航で100キロ以上の差がある。
「艦船だけでは遅過ぎる、航空機はリラバウルから発進出来ない、水偵が積める艦で暴風域を突破して、そこから水偵でパオパオ環礁まで行かなきゃしょうがねぇが・・・」
オヤブンが地図を睨みながらうめく。
「オレのPTボートは?アレなら並の艦艇よりスピード出るよ?」
「心意気は買うが、あの大きさじゃ港出た瞬間に転覆するぜ」
PTボートと言うのは旧米軍が運用していた高速魚雷艇だが、オヤブンの言う通り小型で高速化した為安定性が劣る。
「社長、確か大淀持ってたよな?アレじゃダメか?」
大淀型軽巡は最高で35ノット出せて水偵も搭載している。
「すいません、彼女は今カシオさんのところでオーバーホール中です、今すぐには動けませんねぇ。それに・・・」
紅茶のおかわりを受け取った社長は、浮かべたレモンを眺めながら言葉を続ける。
「海上の風や波を考えると、一万トンクラスでは危険ですよ」
「じゃぁ、どうするよ?」
社長の中では、既に答えは出ていたようだった。
「一万トンで危険なら、三万八千トンを出しましょう」