閑話休題・終戦記念日によせて
2017年8月15日、都内某所
「よぅ。綾風、待たせたか?」
白い半袖シャツに黒のネクタイ、そして黒のズボン。ライトグレーのパナマ帽という出で立ちの老紳士が杖をついてやって来た。
「いや、俺も今出て来たところだ」
あの日から72年、俺たちは毎年この日はここに来ている。
「今年も暑いな」
近年の暑さは老体に堪える、いつまでこうしてここに来られるか。
二人して『今年で最後かもな』と言いながら、それでもありがたい事に21世紀に入ってもこうして自分の足で参拝出来ている。
「行こうか?」
参道の木陰とは言え、気温が高いので長話をするには適さない。
二人して杖をつき、スローペースで参道を歩く。
「俺たちも年を喰ったんだな」
若者達がすいすいと隣を追い越して行く。
「そりゃそうさ、もう95だぞ。俺たちも」
95か・・・
「俺たち、よっぽど嫌われてるのかなぁ」
72年前のあの日、研究所の中庭で書類を燃やし、各自の荷物を片付けた。
速攻で逃亡した所長に代わって進駐軍が接収に来るまでの間、俺と御剣は住み込みで研究所を守った。
空襲で住む家を失った俺は両親と、その年の三月に『こんな御時世だから』と見合いした翌週に娶った嫁さんを呼び寄せて一緒に住んでいた。
情け無い事に終戦後、最初の敵はそれまでの味方だった。火事場泥棒よろしく夜な夜な侵入してくる輩を俺と御剣は撃退し続けた。
一度など20人以上の団体客が襲って来て、もうダメだと観念した。
その時の賊は食い詰めた日本人では無かった、金品目当てもあっただろうが、完全に日本憎しで凝り固まった連中だった。
あとで聞けば日本中の彼方此方で民間人や警察署が襲われるという事件が起きていたらしい、後年何故かそういった話は一切報道されなかったが・・・
刃物や、中には拳銃まで持っているヤツらもいた。
対する俺たちはホウキやモップ、一応軍人だったが軍事教練なんてほぼ受けていない、俺たちはあくまで研究職だ。
多勢に無勢で俺たちは研究所の壁際に追い込まれてしまう、背後は壁、前には野盗。
「クソっ、戦争生き延びて野盗に殺されるとかアリかよ」
野盗の顔にはありありと目的が書いてあった。
『殺す・犯す・盗む』
と・・・
俺たちは覚悟した。
俺たちが殺されるのは因果応報なのだろうと。
『人を呪わば穴二つ』
ふと、そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
呪った覚えは無かったが、呪われた兵器を作った覚えなら心当たりが山ほどあった。
目の前の野盗は、もしかしたら特攻で散って往ったヤツらの怨念なのかもしれないと。
俺は良い、だが嫁さんには何の罪もないはずだ。
「鈴音!逃げろ!」
嫁さん、鈴音は俺との子を身籠っているらしかった、腹はまだ目立たないが妊娠初期は流れる危険も大きい。それに俺がダメでも俺の血は残る。
「鈴音!鈴音!」
必死に叫ぶ、まさか別動隊がいて・・・最悪の展開が頭をよぎる。
「は〜い、あなた〜」
気抜けする程に場違いな声。
「鈴音!どこだ?」
「こっこですよ〜」
朗らかな声は頭上から聞こえてきた、研究所の屋上だ。
「鈴音、逃げろ!お前だけでも逃げるんだ!」
何でよりにもよって逃げ場のない屋上なんだ!
研究所は三階建、屋上から飛び降りれば無事では済まない、下手すりゃ死んじまう。
「逃げませんよ〜、旦那様の一大事ですもの〜」
ナニ考えてんだ・・・
「旦那様〜、御剣様〜、目を閉じていて下さいな〜」
なんだかわからんが、反射的に俺も御剣も目を閉じていた。
「それ〜っ」
ボト、ボト、ゴロ。
間の抜けた声に続いて何かが地面に落ちた音がした。
次の瞬間、まぶたを透過する程の強烈な光が周囲に溢れた。
「うぎゃ〜〜っ」
「め、目がぁぁぁぁ」
目を閉じていた俺たちでも一時的に何も見えない状態になった、野盗共その強烈な光をまともに見てしまっていた。
目を押さえて右往左往するヤツ、ゴロゴロとそこらへんを転げ回るヤツと、20人以上の野盗は一瞬で無力化され、流血の無い地獄絵図が広がった。
「大人しくなさ〜い」
鈴音は「よいしょっ」と腰ダメに抱えた留式機関銃を俺たちと野盗共の間に撃ち込んで地面にミシン目を刻んだ。
「ひ、ひぃぃぃぃ」
野盗共は転げまろびつ蜘蛛の子散らすように潰走してゆく。
「もう来ちゃダメですよ〜」
当たらないように、潰走する連中の後方2メートルくらいに銃弾を撃ち込む鈴音。
そんな光景を俺と御剣は眺めていた。
「なぁ、綾風?」
「ん?」
「貴様、奥方にだけは逆らうなよ」
「当たり前だ、お前こそ嫁さんは慎重に選べよ」
「ああ、肝に銘じとくよ」
その後も何度か死にそうな目に遭ったが、俺も御剣もなんとか生き延びていた。
大きな事故に遭った、大病もした。
だが生き残った。その度、
「先に逝ったヤツらが俺たちを嫌って三途の川の船を止めてるんだ」
と言い合った。
気が付けば21世紀を迎え、大正・昭和・平成・そして四つ目の元号まで見えて来た。
「嫌われてるんだろうな、俺たちは」
ヨタヨタと歩き、ようやく本殿の前までやって来た。
「お爺様〜、コッチよ〜」
俺たちを見つけた孫娘が手水場で呼んでいる。
隣で大人しそうな青年が会釈する。
「お〜、急かすな急かすな」
ポニーテールの孫娘は俺のひ孫で綾風瑞穂だ、航空自衛隊に入り今は戦闘機パイロットだ、血は争えんのかな。
隣の青年は御剣大和、御剣のひ孫だ。
海上自衛隊で最大の『ヘリコプター搭載型護衛艦』の士官で将来の艦長候補らしい。
「まさか、あの二人が付き合っていたとはなぁ」
「まさか、お前と親類になるとはなぁ」
終戦後も色々あった、昭和は激動の時代だった。
いい嫁さんを貰って、子宝にも恵まれ幸せな家庭を持ち、今は穏やかな老後を迎えた。
一部の世論では、未だに旧軍を極悪人集団の様に蔑み糾弾する連中がいる。
彼らからすると、俺たちは自殺兵器を作った狂人で戦争犯罪者で極悪人らしい。
戦後、何度か左翼系新聞社の記者が取材に押しかけて来た。最初は取り合わなかったのだが俺には『説明責任』と言う責任があるとかで一度だけ取材を受けた。
俺は当時の事を事細かに説明したが、記者君は日本語に不自由だったらしく記事は俺が話した内容とはかけ離れていて、ほぼ記者君の創作落語になっていたので、それ以来取材は遠慮している。
一番糾弾しているのが、戦前戦時中に散々国民を煽った新聞社だというのには笑ったが、彼らはそういう『不都合な事実』は忘却する技術に長けているらしい。
内政で行き詰まった周辺国からは未だに謝罪と補償を要求され続けている。
この前も10億円支払って手打ちだと言っていたんだが、大統領が変わったので『その話は無かった事に』という事になったらしい。
ここに眠る御霊が心静かに休まる日は来るのだろうか・・・
本殿で手を合わせながら、ポツリと呟いた。
「これで良かったのか?」
「俺たち、幸せになって良かったのかな」
御剣も同じことを思っていたようだ。
『俺たちの分まで幸せになれよ』
『まだ来なくて良いぜ』
『土産話は多い方が良いからな』
空耳か?
懐かしい声が聞こえた。
あたりを見回す。
「聞こえたか?」
御剣も不思議そうな顔をしている。
「俺たちは生かされていたのかもな」
「そうだな、あいつらが生かしてくれたんだろうな」
参拝を終え、それぞれのひ孫に付き添われて家路につく。
そんな幸せな後ろ姿を優しく見送る、かつての仲間達の姿は、しかし誰にも見る事は出来なかった。