逃避行 〜黒い翼〜
どうしてこうなったんだろう。
ハンガーで組み直して貰って、試射を済ませて、軽く試験飛行してたら全力で追われる立場になっちゃった。
紅蘭さんは助けてくれたけど、詳しく説明してくれないし、青蘭さんは・・・期待しちゃダメっぽい。
「瑞穂はん、管制が連中をリラバウルの南東海域に誘き出してくれたさかい、速度と高度そのままで進路290に変更してや」
「了解しました、速度高度維持で新進路290」
高度が低過ぎるからラダーを使って慎重に進路を変える、制御器の衝突防止機能が働くから海面衝突は無いんだけど、やっぱり怖いモノは怖い。
「そのままグルーっとリラバウル港を回り込む形で帰還して貰うで、次の旋回でこの滑走路の延長線上に乗せて、そのまま滑走路に滑り込むんや」
「なにからなにまですいません」
本来の整備士の仕事からは大きく逸脱した行為のはず、ここまで親身になって貰って本当に頭の下がる思いです。
「かまへんかまへん、半分はウチらの蒔いた種みたいなもんやし」
「せやでせやで、紅蘭が蒔いた種なんやし」
「せーいーらーんー、元は言うたらアンタが『桜の一一型整備したったー』とか言うたからやろがっ」
「あいたっ、そないポコポコ叩かんといてぇな。アホになったらどないすんのん」
今頃ケッテンクラートの荷台では伝統芸能『どつき漫才』と言うのが繰り広げられているのだろうか?
「桜の一一型ってなにか問題あるんですか?」
この機体は地球で『師匠』から受け継いだモノ、機体マークの桜も気に入ったからそのままにしてたんだけど、なんかマズかったのかしら?
「あ〜、知らんかったんか・・・まぁ、その辺の話はおいおいや。とにかく今は連中に見つからんと帰って来るんやで」
あら?この機体には私の知らない因縁でもあるのかな?
師匠、貴女この機体で一体なにしでかしたんですか?
「敵機は見てないトコから襲ってくるで〜、しっかり前見ながら周囲警戒怠りなや」
「は、はい」
紅蘭さんのアドバイスは師匠にも言われていた、
曰く『見えない敵機が貴女を墜とすわ』
ハイ、ついつい周囲警戒が疎かになっていた。
味方は無し、周囲は全部敵状態。
『簡単なものよ、照準に入るのは全部敵なんだから』
師匠はVRで稽古をつけてくれた時に、一対多数になった時の心構えをこう教えてくれた。
全然簡単じゃありません、師匠。
「アホの連中は、大方が南東海域に釣られて行ったみたいやで〜」
多分青蘭さんの声、
「せやな、けど油断は禁物やで。何処にでもへそ曲がりの天邪鬼はおるからな」
酷い言われようですね、リラバウルの戦空士さん達。
「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ・・・あかん、一機足りん。紅蘭の言う通りやへそ曲りの天邪鬼がおった」
青蘭さんの焦った声、
「青蘭、誰の機体かわかるか?」
「・・・あかん、ごちゃ混ぜで飛んで行ったから機体数以外はわからんで」
一対多数は避けられたけど、その一機に捕捉されるとマズイ。
他の人達を呼び寄せたら、あっという間に大ピンチだよ。
「どっち飛んで行った?」
「それもわからん」
最悪に備えた方が良さそうね。
「ありがとうございます、その一機はこちらに向かっていると考えます。こうなったら叩き落してでも滑走路に帰りますよ」
ヘッドホンの向こうで「ふふん」と微かに聞こえた。
「えぇ根性してるやんか、好きやでそういうの」
なかなかどうして、いざとなったら覚悟が決まっちゃった。
初飛行で初被撃墜なんて不名誉貰ってたまるもんですか!
なにが原因か知らないけど、いきなり大勢で取り囲んで寄ってたかって!
あ~~・・・なんか考えたらムカムカしてきた!
「さぁ、旋回点やで〜。方位180まで旋回や」
慎重に進路を変更・・・ん?今、視界の端に光るモノが。
「紅蘭さん、八時方向高度差約2000に双発機。距離は・・・距離は3000ってとこかな?」
新方位を指示通り180度に合わせて、機体を傾けない様に慎重に八時方向を睨む。
そこには変わったシルエットの機体が飛んでいた、幸いにも機首は私の方を向いていない、双発機の機首は私から見て五時方向を向いていた。
「双発?誰の機体やろ?青蘭、飛んで行った連中で双発機って誰がおった?」
「えーっとなぁ、サイモンの97式重爆に藤原んトコの一式陸攻やろ、あとは服部兄弟の月光ぐらいちゃうか?」
「どれもこれも零戦より遅いな、まぁ大丈夫やろ」
紅蘭さんの安心した声が聞こえる。
「誰やろな、へそ曲りの天邪鬼は。瑞穂はん、その機体なんか特徴あるか?」
離れて行きつつある機体をジーっと見てみるけど、特徴といってもねぇ。
「双発機だけど凄くスマート、真っ黒で全体的にのっぺりしてる感じね」
「ん?そんな機体あったか?月光は夜戦やから真っ黒けやけど、スマートとは言えんやろ」
そんなこと言われても・・・
「あ・・・」
不意にその機体がぐらりと揺れた。
「どないしたん?」
あれは・・・多分見つかった、確証はないけど多分発見された。
「見つかったと思います、挙動が少し変でした」
ここは我慢比べ、ここで焦って動いたら風防に日光が反射して、余計に目立ってしまう。
『空戦前には不用意に機体を傾けちゃダメ、敵に居場所を教えることになるわ』
師匠の言葉が脳裏に浮かぶ。
そっと、そーっと相手の動きを伺う。
ヤバい、視界から消えた。
私の左後方上空を飛んでいた双発機が死角に入った。
このまま右後方に抜けてくれるか?
五秒、十秒、
私の機体の死角に入った双発機が出てこない、出来ることなら今すぐ右に機体を傾けたいけど、必死に堪える。
『空戦は焦れた方が負ける、覚悟のない方が負ける、諦めなかった者だけが勝つのよ』
はい、師匠。
堪える、必死に堪える。
十五秒・・・
そーっと左後方をみるけど、そこに双発機の姿はない。
それどころか背中にざわつく様な気持ち悪さがまとわりつく。
「紅蘭さん、これ絶対捕捉されてる。背中がぞわぞわするの」
「戦空士らしいセリフやんか、良いねそういうの。ウチ大好きやで」
心なしか紅蘭さんの声が弾んでいる。
そうこうしている間にも『嫌な感覚』はジリジリと接近してくる。
「紅蘭さん、なんだか近付かれてる気がするんだけど?」
「月光やったら最高速で500キロチョイやからそう簡単に接近出来るとは思えんのやけど、降下して増速したんかな?」
そんな程度じゃない、グングン迫ってくる。
「違うと思う、この高度でも接近してきてる」
高度が低い程大気密度は高い、その中で接近してくるには相応の馬力と高速対応の機体じゃないと無理なはず。
「なんにせよ、敵の正体確かめんと話にならんな。ちょっと博打やけど機首振って確認しよか」
自然に見える様、まだ追尾されている事に気付いてない様に見せる為に、ちょっとだけ機首を振ってゆっくりと後ろを見る。
「いたっ、いましたっ、後方1000、高度差ほぼなし!」
「機体は?月光やったら機首にアンテナがにょきにょき出てるはずや」
見えていた双発機がスーッとまた真後ろの死角に入る、でもわかっていた事なので充分観察出来た。
「アンテナはありません、むしろ機首から風防まで滑らかな流線型でした」
余計な出っ張りなんて一切無い、艶消しの漆黒を纏った滑らかで美しい機体だった。
「そいつは・・・あ、あかん!そいつは零戦より優速や!」
え?戦闘機より速い爆撃機?確かに速そうだったけど。
「青蘭のアホォ、どこ見とったんや!」
「そんなこと言われても、ウチの目玉は二個しか無いんや!全部見とれるかい」
青蘭さん、素直に逆ギレ。
「瑞穂はん、そいつは厄介やで」
ゴクリと息を飲む私、紅蘭さんの声にも緊張の色が見える。
「そいつの正体は・・・」
紅蘭さんの言葉を聞く前に相手が動いた。
一気に増速して距離を詰めてきた、もう隠す気は無いらしい。
黒い機体が迫る。
逃げ込める雲は無い、リラバウルの陸地はまだまだ先。
優速の相手に上は無い。
右か、左か?
リトライは無い、一発勝負だ。