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ミニトマトの恋

作者: 名紗すいか



 空からミニトマトが、恋の音色を響かせ降ってきた−−−−。




「蓬ぃー?また花壇?」


 弁当箱をそそくさと片付けると、麻凛が意味ありげな含み笑いで、わたしへと問いかけてきた。

 いつもいつも同じからかいをしてくる麻凛も麻凛だが、それに顔を赤らめるわたしもわたしだ。

 これはもう、仕方ない。

 なぜならわたしは、恋をしているからだ。

 かなり不毛で、幼稚な恋を。


「……わたしは緑化委員として、仕事を全うするだけだもの」


「はいはい。そーゆうことにしておきますよー」


 棒読みでそう言いながら、麻凛は椅子に掛けたままで窓枠に肘を置いた。

 窓から顔を出すと、目線を上げる。

 三階のこの教室の上は−−−−屋上。


「青春ですなー」


「もうっ……!」

 

 わたしは席を立ち上がると、机の脇に掛かった鞄についている、手のひらサイズのくまのぬいぐるみが揺れた。

 わたしは、かぁっと赤面して、椅子もそのままに教室を後にした。

 麻凛のけらけら笑いを背に。



 ローファーに履き替えて、昇降口から前庭へと飛び出したわたしはまず、水道に水色のホースを繋いだ。

 それから蛇口を捻り、花壇の花や樹木へと水を撒く。

 潰したホースの口から勢いよく水滴が飛び散り、虹を映した。

 日差しの厳しくなった最近では、この清涼感がちょうどいい。

 花壇の隅々まで水を行き渡らせた頃、わたしは屋上を仰ぎ見た。

 あそこは柵の高さが低く、危険なので立ち入り禁止になっている。

 鍵の壊れていた、あの日以外は。




            ◇




 校庭のソメイヨシノが、葉桜へと装いを変えた頃だった。


 委員会を決めるじゃんけんに負けたわたしは、残りものの緑化委員にあてがわれ、さらに委員会内でのじゃんけんにも負けて、花壇への水遣り係に任命された。

 初めの内は不服だった仕事も、今では欠かせない日課になっている。

 春先に種を蒔いたワイルドフラワーが、わたしの手で着実に成長しているのを見るのは、なかなか楽しい。

 その日も普段通りに、花壇にホースで水を撒いていた。

 そんなわたしの頭で、ふいに何かが、てんっと跳ねたのだ。

 大きめの虫でもぶつかって来たのかと思い、わたしは短く悲鳴を上げた。

 虫はあまり好きではない。

 もちろん花壇の手入れをしていれば、虫が出てくるときもある。

 前以て心構えをしていれば、幾分か余裕を持って対処出来るのだけれど、急に来られたら誰だってびっくりするはず。

 だけどわたしの頭から落ちたのは虫ではなく、赤くて丸い、スーパーボールのような物体だった。

 よく屋台とかで、水面をぐるぐる回っているそれに、よく似ている。

 その赤い物体は、わたしの頭から真っ直ぐ花壇の中へと着地すると、そのまま若葉に埋もれていった。

 その段になってようやく、わたしはそれが何であったのかに気づいた。

 あれはたぶん、ーーーーミニトマトだ。

 わたしはホースの水を出しっぱなしにしたまま、頭頂へと手を伸ばした。

 髪はとくにべたついていない。

 ミニトマトは割れることなく綺麗に通過したんだな、と妙に可笑しくなって、小さく笑った。

 そのときだった。わたしの笑みとは比べ物にならない、弾ける笑い声が轟いたのは。


「「−−−−あはははっ……!!」」


 わたしは思わずそちらを振り仰いだ。

 立ち入り禁止のはずの屋上に、数人の男子生徒がいた。

 柵に手をつき、上半身を乗せて、わたしを見下ろしている。

 逆光で顔はわからないが、声もクラスの男子たちとは違う気がした。


「もしかしてーー!当たりましたかーー!?」


 箸を片手にした男子生徒が、わたしへと大声で問いかけた。

 わたしが頭に手を遣っていたのを、目にしたからだと思う。

 ここは素直に当たったと言うべきなのかどうか、わたしが逡巡していると、


「ごめんねーー!」


 先んじて彼が謝ってきた。

 わたしの頭に当たったのは、一目瞭然だったらしい。

 周りの友人たちに笑われ、小突かれている彼にわたしは口元に両手を添えて言った。


「大丈夫ですー!」


「何だってーー?」


「大丈夫ですーー!!」


 腹から叫んで何とか通じたのか、彼は了解というように箸を掲げた。

 しかしその箸からミニトマトが滑り落ちたのかと思うと、どうしたって笑いが込み上げてくる。

 屋上から落下したミニトマトが、わたしの脳天に直撃する確率は一体どのくらいなのだろう。

 わたしは人目を憚らずに大笑いをした。

 だばだば水が溢れるホースが手からこぼれて、腹を抱える。


「ねぇー!大丈夫ー?」


 屋上から彼が尋ねてきたので、わたしは指で涙を拭いながら、うんうんとうなづいて返事をした。


「……ちょっと待ってて!」


 彼は慌てて一度柵の奥へと消えて、戻ってきたときには何かを手にしていた。


「これお詫びー!」


 ふわっと宙に投げ出された影が何かはまるでわからなかったけれど、わたしはおたおたしながらそれを両手で受け止めた。


「ナイスキャッチ!」


 褒められ少々照れたわたしは肩を竦めた。

 そしてそっと手のひらを開いて、ふわふわした感触のそれが何かを確めた。

 そこにいたのは、茶色いくまのぬいぐるみ。背中にチェーンがついていて、まだ新しい。


「あ、ありがとうございますーー!」


「うん、毎日がんばってるからご褒美−−−−って、うわっ、関口が来る!!」


 突然彼は驚愕した声を上げた。

 校庭のグラウンドを、肩を怒らせ走る関口先生の姿が、わたしの目の端に映った。

 先生は遠くから、屋上の彼らへと雷を落とす。


「こらーー!!お前たち!屋上は立ち入り禁止だぞ!!」


 あわてふためく彼らは、先生が昇降口へと辿り着いたときにはもう、わたしの視界から消えてしまっていた。

 残されたのはくまのぬいぐるみと、最後に言った言葉だけ。


「毎日、がんばってるって……」


 わたしの顔は、トマト並みに真っ赤になった。

 こんな地味な仕事を、見ている人がいたのか。

 それがこんなにも、心臓が早鐘を打つほど嬉しいものだったなんて。

 お詫びなのかご褒美なのか、どっちつかずのくまが、わたしをつぶらな瞳で見上げている。

 茫とするわたしの足元に、ホースから漏れた水が広大な水溜まりを作り続けていた。




 わたしはきっと、恋をした。

 顔も名前も知らない彼に。

 かなり不毛で、幼稚な恋だ。

 だからって、一度始まってしまったものは終わるまで次に進むことすら出来ない。

 わたしは声だけを頼りに、彼を探した−−−−。




            ♢




「麻凛」


「ん?なーに?」


「何でうちの高校、全校生徒が千人以上もいるの?」


 教室の机で頬を冷やし喋るわたしに、前の席で麻凛があくび混じりに答えた。


「半分は女子だけどねぇー。……ふわぁ、眠い」


「…………」


「探す探す言ってるけどさ、蓬、何にもしてなくない?」


「……毎日花壇に水あげてるもの」


「向こうから話しかけてくれると思ってるのが甘いよね。人生そんなに、あまーくないのっ」


 頭に手刀を落とされ、わたしは押し黙った。

 悔しいが、麻凛の言う通りだ。

 昼休みのたった数分、花壇にいたところで何も変わらない。

 他にわたしが出来ることは、廊下で擦れ違う人たちの会話を盗み聞きして、あの声を探すことくらいだった。



 放課後、わたしは花壇にしゃがんで、そよ風に揺らぐワイルドフラワーたちをぼんやりと眺めていた。


「はぁ……」


「いい若いもんが、ため息なんかついて」


 振り向くと、傍で関口先生が眉間に皺を寄せて立っていた。


「先生……。先生があのとき取り逃がすから……」


「何の話だ?」


「屋上鍵破損侵入事件の犯人たちのことです」


 わたしが言うと、先生は沈黙した。

 彼らにみすみす逃げられた例の失態を悔いているらしい。


「背格好とかで、何とかわかりませんか?」


「お前な……。わかってたらとっくに生徒指導室にしょっぴいてる」


「それでも教師ですか」


「いや、年のせいか目が悪くなってな」


 先生の言い訳に、わたしは嘆息をもらす。

 その吐息で、花が靡いた。

 リナリアの赤い花から舞い上がった蝶が、まだ蜜を吸い足りないのかうろうろとしている。

 まだ蕾をつけていない若苗を素通りして、スイート・アリッサムへと降りた。


「……うん?」


 蝶が無視した緑の葉をつけた植物を、わたしは訝しんで見つめた。

 あんなもの、他のワイルドフラワーの中にあっただろうか。

 わたしは、明らかに周りの花から浮いているそれに手を伸ばして、一枚葉を摘んだ。

 そして葉の匂いを嗅ぎ、はっと息を飲んだ。


「これ……、トマトの匂いがする」


 わたしのつぶやきを耳にした先生が、ひょいと身を屈めて覗き込んできた。


「トマト?−−−−ああ、確かにミニトマトの苗だな、あれは」


 わたしもミニトマトの苗ぐらいわかる。

 昔栽培キットで育てていた。

 ワイルドフラワーの種の中に、ミニトマトの種なんてなかったはず。

 ということは−−−−。


「えっ!?もしかして……」


 これは、あのときのミニトマトから芽を出したものかもしれない。


「ここは畑ではないぞ」


 先生がミニトマトの苗へと伸ばしかけた腕を、わたしは慌てて止めた。


「先生、待って待って!これは抜かないで!」


「畑の方に移すだけだ」


「それはだめ!先生、これはここで育てさせてください!」


「しかし、花壇にトマトはな……」


 渋る先生に、わたしは瞬時に閃いたことを告げた。


「先生っ!このミニトマトで屋上事件の犯人がわかるかもって言ったら、……移動させませんか?」


 わたしはうかがうように共闘案を持ちかけた。

 先生は動きを止めて思案顔をしているので、もう一押しだ。


「このミニトマト、実はあの犯人たちと深い関わりがあります。だから、わたしの言う通りにしてください」


「……どういうことだ?」


「ここでもっと育って実をつけたら、きっと犯人たちは興味を持つはずです。屋上に侵入したことには固く口を閉ざしていても、このミニトマトのことはぽろっと口にするかもしれません」


「何故このミニトマトに?」


 わたしは関口先生を味方につけるため、事の顛末を語った−−−−。




 七月に入り、すくすくと成長したミニトマトの苗は、幾つかの実をつけた。

 緑色の透き通った実は、きっともうすぐ色づくはずだ。

 果たしてわたしの恋は、このミニトマトのように実を結ぶのだろうか。




            ♢




「暑いな……」


 関口先生が帽子を脱いで、団扇がわりに汗のにじむ顔を扇いでいる。

 その隣で花壇を囲う煉瓦に座り、頭にハンドタオルを乗せた麻凛が同意した。


「あっついですよねー。だけど、せんせーも物好きですね。蓬の恋を応援するなんて」


「そっちはついでだぞ。俺は犯人が名乗り出てくるのを、生徒指導室をぴかぴかに磨いて今か今かと心待にしているんだからな」


「うへぇ。嬉しくない」


 麻凛が顔をしかめるのを横目に、わたしはミニトマトの苗に水をかけながら口を挟んだ。


「何で今日は二人ともここに?」


「教師の勘だ」


「じゃあ、あたしは親友の勘ー」


 挙手した麻凛に、わたしは呆れながら言った。

 

「勘じゃなくて、ミニトマトが赤くなったからでしょ」


 わたしの視線の先にあるミニトマトの苗には、緑の実の中に一つだけ、赤い実が生っている。

 それに気がついた今朝から、わたしも内心浮き足立っていた。

 だけどもしかしたら、現れないかもしれない。

 ミニトマトのことなんて、覚えていない可能性だってある。

 わたしは蛇口の水を止めて、校舎沿いに伸びたホースを巻き直しながら肩を落とした。

 

「−−−−なぁ、あれってトマトじゃないか?」


 わたしの頭上にある窓から、そんな声が聞こえてきた。

 実をつけ始めた頃から、気づく人は気づいていたので、わたしは別段気に止めずにホースを手繰る。


「はぁ?花壇にトマト−−−−って、おい!あのときのじゃ!?」


 わたしはその会話に目を瞬き、少し高い位置にある一階の窓辺を見上げた。

 

「えっ?あの!?−−−−おーい!駈!ちょっと来いよ!」


 男子生徒が教室の方へと誰かを呼び、手招きをしている様子が覗けた。

 

「−−−−何だよ?」


 窓辺に向かってきた男子生徒の声に、わたしの心臓がばくんと跳ねた。


「あれって、お前が落としたトマトが育ったんじゃね?」


「……は?」


 窓から身を乗り出して花壇へと目を凝らす彼の姿に、わたしの心は完全に射貫かれた。

 日の光で茶色がかった髪も、驚きを浮かべた表情も、窓についた骨張る手も何もかも。

 それに、その声もーーーー。


「あのときの、ミニトマト……?」


 彼の茫然としたつぶやきに、わたしは脇から返事をした。


「そうです!あのときのミニトマトです!」


 すぐ傍にわたしがいるとは思っていなかったのか、こちらに視線を移した彼が瞠目する。

 わたしの声は、彼の周りにいる友人たちの注目も集めてしまった。

 頭が沸騰する。顔が熱い。目眩がしそう。

 だけど、玉砕覚悟でわたしは真っ直ぐ彼へと告げた。


「ミニトマトが降ってきたときからずっと、あなたのことが頭から離れませんでした!−−−−す、好きです!付き合ってください!」


 ぽかんとしていた彼は、言葉が沁みてくると顔を染めてたじろいだ。

 わたしの一世一代の告白。

 逃げてしまいたいのを我慢して、わたしは俯き返事を待った。

 麻凛の祈る姿が視界に映り、彼の友人たちの急かす声で一層緊張が増していく。

 わたしは手汗のにじむ両手で、スカートを握り締めた。

 心臓は破裂寸前。呼吸が乱れて息苦しい。

 だめなら、そうと早く言って−−−−。


「え、と……」


 困惑した声音が下りてきて、体が強張った。

 あのミニトマトのように育ったこの気持ちは、彼には迷惑なものだったのかもしれない。

 涙がにじみかけ、きゅっと瞼を閉ざした。

 

「……何て言えばいいかわからないんだけど……。ーーーーよろしく?」


「…………えっ?」


 顔を上げたわたしが見たのは、友人たちに揉みくちゃにされてむっとしている彼の姿だった。

 今、よろしくと言ったような……。

 聞き間違いでは……ない?


「え、あの、よろしくって……」


 彼へと一歩踏み出したその刹那、わたしの背後に恐ろしげな影が差した。


「なるほど。お前たちが、屋上事件の犯人という訳か」


 関口先生の不穏な空気と怒気を抑えた声色に、彼らは一瞬で戦慄した。


「せ、先生……?」

「そ、れは……」

「これには訳が……」

「そうそう……」

「ちょっとした冗談と言いますか……」

 

 彼の友人たちは目配せをして、せーので彼の背中を押して先生へと突き出した。


「「こいつが主犯です!」」


「なっ……!ふざけるなよ……!」


「一番得をした駈が罪を償うべきだ!」

「そうだそうだ」

「一人だけ幸せになった罰だ」


 醜い罪の擦りつけ合いに、先生の血管が切れる音がした。


「馬鹿者!!お前たち全員同罪だ!!!」


 凄まじい剣幕で、彼らを捕らえに駆け出した先生。そして逃げ惑う彼ら。

 置き去りにされたわたしは、窓の向こうの捕獲劇を、麻凛と二人で笑いながら眺めたのだった。




            ♢




 生徒指導室でこってり絞られた彼は、ふてくされていた。

 そして花壇のミニトマトをもぐと、あっという間に口の中へと入れてしまった。


「あ……」


「このミニトマトのせいで怒られから、仕返しだ」


「先輩なのに、子供っぽい……」


「……幻滅した?」


「してません」


 きっぱりと否定したわたしに、彼は周囲に視線を巡らせてから、素早く顔を寄せてきた。


 

 かすかに触れた唇からは、ミニトマトの甘い味がしたーーーー。



トマトの苗って小さくてもトマトの匂いがしますよね。昔市販のトマトの種を庭に蒔いたら、芽を出しました。

ちなみに丸ごと埋めたミニトマトから、芽が出るのかは不明です。


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