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不楽は選択する

 ルーミア・セルヴィアソンは吸血鬼である。

 四百年ほど前、『始祖』を名乗る吸血鬼に血を吸われて以来、日の光から逃げるように闇夜で生き続けるようになった奇っ怪なるもの。

 背は低い。

 まだ年端もいかない幼い子供のような風貌をしている。

 四百年もの間、まるで時が止まってしまったかのように、子供のまま存在し続けている。

 ネーミングセンスがない。

 嫌いなものは驕る人。陰陽師。空気の読めないやつ。ドリアン。トマトジュース。汚いもの。

 好きなものは平伏す人。自分の立場を理解できてるやつ。マンゴー。寿司。綺麗なもの。

 色んなことを知っている。

 四百年間、暇を潰すようにして積み上げてきた知識は『百識の吸血鬼』と呼ばれるようになるほど膨大だ。

 百識の吸血鬼。

 なんだか百獣の王みたいでかっこいい。とルーミアは気に入っている。

 百獣、百識。百の獣。百の知識。

 百は̪ってはいるけれど、千はらない。

 だから、彼女が識らないことだって、実はたくさんある。

 忘れてしまったことだって、忘れてしまうぐらいたくさんある。

 太陽の光の温かさもすっかり忘れてしまったし、人間関係についても識らないことの方が多い。

 銀色の髪に、赤い目をしている。

 ルビーのように美しく、彼女の中身を表すように赤々としているその目は人を惑わし、誑かし、平伏させる。

 意識を支配して、感情を支配する。

 心を操り、支配する。

 ゆえに彼女は、人を識らない。

 自分に向けられる感情も識らない。

 恋だって――知らない。


 エミーラ・ランプティは人間である。

 五年ほど、美しい田園風景が広がる村の一角で育ってきた純真な人間である。

 背は低い。

 ルーミアよりも低い。

 明るめの茶色い髪を、背中で一本にまとめている。くりっとした大きな黒い目に、鼻の辺りには点々とそばかすがついている。

 純朴な田舎娘。といった感じの風貌である。

 犬を飼っている。名前は『ゴールデン』。ラブラドールレトリーバーだ。

 嫌いなものは虫。近所の男の子。とうがらし。ペペロンチーノの上にのってる赤いやつ。麦畑を荒らす動物。槍。

 好きなものはゴールデン、スパゲッティ、パパとママ、クッキー、飴。

 色んなことを知らない。

 まだ家の周りのことしか知らない。

 遠く遠くにある山の向こうにはなにがあるのかも分からない。時々、夕暮れでもないのに山の向こうの空が朱に染まる理由も、分からない。

 けれど、これから色々なことを知っていくことになるだろう。

 人間五十年。

 彼女の生きていた時代の寿命は今と比べれば短い方ではあるけれど、それでも色々なことを知るには充分すぎる時間だ。

 太陽の暖かさも忘れれないぐらい味わえたし、人間関係もたくさん築けただろうし、恋だって、知れたはずだ。

 人間、エミーラと。吸血鬼、ルーミアは同じ存在である。

 エミーラが死んだ後がルーミアであり。

 ルーミアが死ぬまえがエミーラである。

 だから、同じ存在ではあるけれど、別人である。

 だから、別人ではあるけれど、どちらもが存在することはできない。


「どちらかを選べ」

 そんな彼女――エミーラを肩車している不楽は、女の言ったことを反芻した。

 それは困惑からの一言というよりは、確認による一言に近い。

 困惑なんて――心が揺れ動くなんて、不楽には一番似合わない。


「そうだよ」

 一枚の布で全身を覆うようにしている女は、片手でペットボトルのフタの辺りを二本の指で挟み込むようにして持ちながら不敵に笑った。

 建物と建物の間は、太陽の光が入ることなく、薄暗くてじめじめしている。

 そんなところでボロ布一枚敷いて座っている彼女の顔は見えづらかったけれど、確かに笑っていた。


「人間か吸血鬼か。昼か夜か。限定か永久とわか。この先その子がどう死んでいくかを、きみに選ばせてあげるって言ってんの、死体くん」

 不楽は頭の上にいるエミーラを一瞥してから、少し考えこむように手をあごに添えた。


「…………」

 そんな中、ロッヅは困惑していた。

 心が揺れ動いていた。

 あの、飲むと若返る水をロッヅに売ったのは、目の前にいる女である。正確に言えばこの女と同じ匂いの老婆だけれども。


「それも私だよ。狼の少年。婆の姿も今の若々しい私も、私さ」

 まるで心でも読んだかのように女は言った。

 困惑して俯いていたロッヅが顔をあげると、胸の前に手を添えてにやりと笑う女の顔が目に入った。

 ロッヅは顔をしかめる。

 やっぱり、おかしい。

 女の言い草からして、ロッヅに水を買うように誘導したのはルーミアに飲ませるためだろう。

 どうしてルーミア本人をそそのかすのではなくて、ロッヅに買わせるなんて遠回しな行動をとったのかは、ロッヅ本人がバカだから分からないけれど、結果だけを見るならばルーミアに水を飲ませることは成功している。

 若返らせることに成功している。

 それなのに、老化の水を飲ませてもとに戻る選択肢もわざわざ用意して、ロッヅたちの前に姿を現した。

 自分の達成した目標を帳消しにしてもいい。と言っている。

 それはまるで、ゲームのクリアデータを消すような手軽さで。

 ただ、女の行動はまるで『クリアデータを消すために、クリアデータをつくった』と言っているようなものだ。

 訳が分からない。意味が分からない。

 なにがしたいのか、さっぱり分からない。


「ねえ、ロッヅ」

「んあ、な、なんだ?」

 珍しく、天変地異の前触れのように考え込んでいたロッヅは、不楽に話しかけられて考えるのをやめた。

 せっかくバカなりに考えていたのに。

 もったいない。


「太陽の日を浴びれるのと浴びれないの、どっちが『良い』のかな」

「…………」

 ああ、そうだ。

 分からないと言えばもう一つ分からないことがあった。

 ルーミアのことを吸血鬼ちゃん。

 不楽のことを死体くん。

 ロッヅのことを狼の少年。

 と、彼らの正体について看破しているはずの女が、どうして不楽・・に選ばせているのかさっぱり分からなかった。

 確かに不楽ならば選べない。ということはないだろう。

 苦悩なんてすることなく、どちらかを選択するだろう。

 心情の挟む隙間もなく、『AとBのどっちがいい?』で決めてくれる。

 エミーラとルーミア。

 同じ存在であるけれど、別人である二人。

 どちらかを選択するということは、どちらかが消えるということ。

 それをしっかりと理解したうえで、よどみなく、迷いなく、選択するだろう。

 ゲームデータのように、人の存在さえ、扱えるのだろう。

 本当に、それでいいのだろうか。そんな風に決めていいのだろうか。


「……な、なあフラ――」

「ねえ」

 ロッヅが言おうとした言葉に覆いかぶさるように、不楽は声をあげた。

 ロッヅの声に気づいて、不楽は一度だけ彼の方を見た。ロッヅは出鼻をくじかれて、固まっていた。

 不楽はロッヅから視線を外す。笑っている女が「ん?」と笑いながら首を傾げた。


「どうしてこの状態に持って来たかったのか、教えてもらえるかな」


「この状態?」

「人間か人外かの二者択一の状態」

 この状態。二者択一。

 若返らせるのが目的ではなく。

 ルーミアを人間に戻すことが目的。

 戻して、どちらで生きて死ぬかを選ばせるのが目的。

 そう考えれば、彼女の行動のおかしなところは解消される。

 若返りの水は、目的ではなく、手段だった。

 

「二者択一ね。まるでテストの問題を解くみたいに人の人生を決めるつもりなのかな、死体くん」

 そんな表現をするのはまあきみぐらいだろうね。と女はおかしそうに言った。不楽は笑わなかった。

 そんな不楽をみて、女はつまらなそうに笑うのをやめて口を尖らせた。


「死体くんと話すのは面白くないね。どうしてこんなのを好きになったのかなあ、あの子は」

 悩ましげに女は腕を組んでから、組んだまま手のひらをちょいちょいと動かした。こっちに来い。と言っているようだった。不楽はエミーラの足をしっかりと固定してから女の方に近づいた。

 太陽の光は建物によって遮られて、太陽の暖かさは消えてじめじめとした冷たさが不楽とエミーラの体を包んだ。

 臭い、とエミーラがボソリと呟いた。確かに奥の方には生ゴミが入っていると思われるゴミ袋が何個も積み重なっていた。

 不楽が近づいてきたのを確認した女は、ボロ布の上から立ち上がった。不楽は顔を上に向けた。女はエミーラの顔の横に自分の顔を近づける。


「私だってね、きみを吸血鬼にしたことには後悔してるんだよ」

 例え、そうしてくれってきみに頼まれたからとはいえ。

 そうする為に創られたからとはいえ、ね?

 エミーラが女の顔を見た。

 女はニヤリと口元を歪める。白い牙がかすかに見えたような気がした。

 エミーラが女の顔に触れようとして、女は体を少し後ろに下げてよける。


「それで、どうする。二者択一の答えは?」

 女は不敵に笑った。不楽は考えるように空を仰いでから、女の方に手を伸ばした。


「その水。ちょうだい」

「どうして」

「ルーミアさんならきっとこう言うから『あんたの好き勝手な理由で私の人生を狂わされてたまるか』」

 無表情なまま、声マネをするわけでもなく、口調をマネただけのモノマネを聞いて、女はぽかん。と口を開いて堪えきれないように笑いだした。突然のことに、不楽は意味も分からず首を傾げた。


「なるほどね。こういう所が面白くてあの子はきみのことが好きになったんだ」

「ふりゃくは好きな人がいるの?」

 エミーラが不楽の額をぺちぺち叩きながら言った。顔を見てみると、頬を膨らませていた。

「いるよ。大事な人がいる」

「ふぅん……」

 つまらなそうにエーミラは口を尖らせた。その意味がさっぱり分からなくて、不楽は女の方に視線を戻した。

 女の姿はなくなっていた。

 一枚の布だけがボロ布の上に落ちていて、それをかき分けてみると老化の水が入ったペットボトルが置いてあった。不楽はそれを手にとると、頭の上にいるエミーラに手渡した。


「クッキー食べていたからノド乾いたでしょ」

「ありがとうふりゃく!」

 エミーラはそれを受け取るとロッヅが「あっ」と声をあげるよりも先に、中身をぐいっと飲み干した。

 変化はすぐに起きた。

 一本にまとめられていた明るめの茶髪が、じわじわと変色していく――脱色していく。 

 いや、それは白ではない。月の淡い光に映えそうな美しい銀色だ。

 肩甲骨の辺りまで伸びていた髪は、腰の辺りまでさらに伸びる。

 鼻にあったそばかすは薄らいで、消えていく。適度に日を浴びて少し焼けていた肌がどんどん薄くなっていく。まるで四百年日差しを浴びていないかのような白磁の肌に変わっていく。

 くりっとした黒い目に血がにじんでいく。よどんでいく。黒と赤の絵の具を水の中でかき混ぜるようにぐちゃぐちゃになって、血よりも赤い、ルビーのような瞳が何度か瞬いた。


「ん?」

 エミーラ――ルーミアは眉をひそめた。なんだか見覚えのない景色が目の前に広がっていたからだ。生ゴミが転がっている路地裏なんて、潔癖症のルーミアがまず自分から入るような場所ではないし、なによりいつもよりも視線が高いからだ。


「おはよう、ルーミアさん」

「おはよう……?」

 いや、どうして今おはようなんだ? みたいなツッコミはなかった。

 なんだか色々と疑問に感じているような声色であった。自分よりも背の高い不楽の声が下から――しかも足元からしたことに疑問を感じたのかもしれない。それか、思いの外バランスの悪い今の状況に困惑しているのかもしれない。

 肩車というのは、意外と上に座る人の協力も必要不可欠なのである。バランスをとるために体を揺らしながら、ルーミアは下を見た。不楽も見上げる。視線があった。人を誑かして惑わせる赤色の瞳は、自分の置かれている状況を映していた。


「ひゃうっ!?」

 ルーミアが変な声をあげながら体を大きくのけぞらせた。

「あ、そっちは」

 不楽が危機感もなにも感じられないいつもの声色で注意を促せたが、極度の混乱状態に陥っているらしいルーミアは自分の背後に一体なにがあるのかも確認できていないようだった。

 大きくのけぞって、ルーミアは見た。

 忌々しくて、もうすっかり暖かさを忘れてしまったものを見た。


「ぐ、うううううううううううううううっ!!」

 大きくのけぞったルーミアの方から苦痛と力む音が同居しているような声が聞こえてきた。不楽は頭を両手でがっしりと掴まれた。皮膚の内側にまで指がつっこむほど力が込められている。ふわり、と不楽の両足は地面から離れる。

 今の状況を傍から見たらどんな状況だったのだろうか。

 まるでシャチホコのように体をそらして空中で回転しているキャミソールを着た銀髪の少女に、それに振り回されるように宙を舞う不摂生の極みといった感じの痩躯の青年。笑いよりも先に、口元がひくついてしまいそうな光景であることは確かだろう。

 ぐるり、と視界が一回転する。

 体に浮遊感を感じる。

 ゴミ袋が、空が、街が、地面が、じゅんぐりに視界に現れてはすぐに消えていく。

 体に衝撃がはしった。地面に叩きつけられたのだと理解した。

 いや、地面に叩きつけられてはいない。確かに脚や腕は地面にぶつかってはいるけれど、それだけだ。体と地面の間には空間があって、そこに息も絶え絶えなルーミアが縮こまって入っていた。


「どうして私はこんなところにいるのよ!」

 両目は少し焼けていた。しゅうしゅうと音がして、白煙がたっている。

 少しずつ再生はしているが、太陽の光でうけたダメージだ。回復には少し時間がかかるだろう。

 血があれば再生速度は速まるのだが、残念なことに手元にいるのは血の流れていない不楽だけだ。さすが対吸血鬼として創られたと言うべきか。こういう時に限ってとことん役にたたない。まったく厄介この上ないやつである。


「肩車して連れてきたんだよ」

「日傘もなしに? こんな日中に? 私覚えがないんだけど」

「ああ、その時は違ったからかな」

「違った?」

「覚えてない?」

「まったく。さっきまでの記憶なんてなに一つ」

「昔のことは?」

「昔のこと? 昔のことなんて、私もうなにも覚えてないんだけど……」

 と、そこで。

 ルーミアが考え込むように目を細めた。目からたっていた白煙が細くなる。


「なんだか、妙に鮮明に覚えてることがあるわ。ついさっきのことみたいに」

「へえ」

「知らないところにいたわ。いつも遊んでいる麦畑が近くになくて、代わりに見たことないようなデカい建物がたくさんあったわ。パ……両親の姿も見えなくて、代わりに知らない男がいたわ。そう、ちょうどあなたみたいな──」

 白煙が消えた。目の再生が終わったようだった。ルーミアの赤色の目は丸くなっていた。呆けてポカンと口をあけている。

 その目には、不楽の顔が映っている。

 不楽が一度またたく間に、ルーミアの白磁のような肌が赤く染まっていた。


「どうかしたのルーミアさん」

「な、なんでもないわ! 別に! は、はやく日陰に移動しなさい!」

「了解」

 不楽は欠如の感覚がなくなっていることに気がつきながら、頷いた。

 血の契約に基づいて、彼女の命令に従う。


 そのまま立ち上がればルーミアを太陽の下に晒してしまうことになる。

 だから不楽は中腰で立ち上がりながら、ルーミアの腰回りに腕を回して持ち上げた。

 体勢としては、上半身でルーミアを日差しから隠す傘にしている状態だ。ルーミアの手足がぷらーんと垂れ下がっていて、なんだかぬいぐるみを体で隠しながら運んでいるようだった。


「日陰まで移動したら引っぱたく」

「どうして?」

「どうしても」

「ふうん」

「あ、そっちはイヤ。生ゴミの臭いがするし、そのボロ布にはなんか触りたくない」

 汚いとか不潔とか。そういうことじゃあなくて。

 ルーミアはさっきまで女が座っていたボロ布と着ていた布を見て、なんだかイヤなものを見るかのように顔をしかめた。

 人が着たものは触りたくないのだろうか。

 不楽はそんなことを考えながら、きびすを返して近くにある日陰まで移動することにした。

 そんな不楽の顔を、ルーミアは首を捻って若干苦しそうな顔で一瞥すると、ぷらーんと垂らしていた手で不楽の顔に触れた。不楽は気にも留めずに歩く。


「やっぱり冷たいわね、あなたの体」

「ルーミアさんはあったかいね」

「そりゃあ、あなたと比べれば誰だってあたたかいわよ」

 不楽は口元を少しだけ緩めた。けれど、それはルーミアの手のひらに隠れて誰も気づくことはなかった。

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