少年VS老ハンター
「史上最強の妖怪?」
「最強クラス、らしい」
美猫の疑問に、スマホを見ながら葉樺が答える。放課後、部活も終わったので校門で合流して、最寄り駅に向かう途中に、妖怪ハンター組合から来た連絡メールを読んでいるのだ。美猫にも同じメールが来ているはずなのだが、ちょうどスマホのバッテリーが切れていたのである。
「それが復活したっていうの?」
「妖怪レーダーに、関東地方でかなり強い妖気が感知されたらしい。妖気の反応が大きすぎて、細かい場所を絞り切れていない上、移動しているようだから、全妖怪ハンターに警報が出たんだ」
「ありゃりゃ」
「それだけ妖気がデカけりゃ、近づいてくれば気配だけで分かるだろうが…美猫も注意してろよ」
「ん~、了解。だけど、キー君なら髪の毛1本おっ立てたら探せるんじゃニャい?」
「…週末の予定、映画のあとのウィンドウショッピング中止してウチに来てマタタビでもいいんだが?」
「ニャニャ!? 冗談よ、じょーだん!!」
例によって葉樺の嫌うネタでからかおうとした美猫だったが、すぐに反撃されて即座に誤魔化す。
「それで、妖気値はどのくらいなのかニャ?」
「概算1000万クラス、らしい」
「ニャ!?」
誤魔化すために妖怪の強さの目安となる妖気値を聞いた美猫だったが、葉樺の答えを聞いて絶句する。
「この前の酒呑童子でも800万。今までの相手で一番強かったのは西洋妖怪のドラキュラ伯爵で960万だったか」
「あの時はボロボロにされたニャ~」
葉樺の言葉を聞いて、その時のことを思い出した美猫が顔をしかめる。カップル成立直前に戦った相手で、さすがに超メジャー妖怪だけあって危うく殺される所だったのである。先輩ハンターの助けもあって、何とか倒すことはできたが、もう二度と戦いたくない相手なのだ…まあ、そのおかげですれ違いを解消してカップル成立できたのではあるが。
だが、その後も戦闘経験を積んだ二人の戦闘能力は、わずか半年とはいえ相当に上がっている。今なら1000万クラスの相手でも戦えないことはないだろう。
「それにしても1000万クラスの妖怪っていうと、相当メジャーなヤツか、そうでなきゃ、それこそ1000万人殺してるような現象のはずだが、一体何だろうな…」
「はニャ? ドラキュラ伯爵とか、酒呑童子とか、確かに有名だけど、何でメジャーだと妖気が強くニャるの?」
葉樺がつぶやいた言葉に疑問を抱いたらしい美猫が尋ねる。
「妖怪ってのは、人の念が集まって生まれる超常の存在だってのは分かってるよな。だから、それが『恐ろしいモノ』『怪物』と思っている人間が多いほど、妖気は強くなるんだ」
「ああ、ニャるほど。それで有名な方が強いんだ」
「そうさ。例えば、今まで一番の強敵だったドラキュラ伯爵なんてのは、ブラム・ストーカーの小説と、そのモデルになったヴラド大公が組み合わさって生まれた妖怪だが、モデルのヴラド大公は15世紀の人物だけど、小説の方は19世紀末だから、実はまだ生まれて100年ちょいしかたってない若い妖怪なんだな。でも、超メジャーだから若くても960万も妖気があるし、倒されてもすぐに復活するんだ」
「ああ、それでよくドラキュラ伯爵って復活するのね。そっか、酒呑童子も節分でみんなが『鬼』を意識したから、あの時期に復活したんだ」
納得した美猫だったが、ふと思いついたことがあったので、その疑問を口にする。
「あれ、でも若いって言ったら『口さけ女』とか『トイレの花子さん』とか、もっと若いのもいるじゃニャい」
「そう、古くからいる妖怪だけじゃなくて、口さけ女とか花子さんみたいに新しく生まれた噂話みたいなものも、圧倒的な量が集積すれば妖怪になる。あと、ドラキュラ伯爵が小説や劇による人気で妖怪としての存在を確立したみたいに、メディアの影響も大きい。花子さんなんか実体化はけっこう前からしてたが、パワーアップしたのは90年代に映画ができてからだな。だから、きっと近い将来に『テレビから出てくる髪の長い女』は妖怪として実体化するぞ」
「ありそうだニャー」
「それどころか、お前が猫又憑きになったのだって、きっとテレビやゲームのせいだぞ」
「ニャんですと!?」
「ほら、ちょっと前に大ヒットして今でも人気の『妖怪が見えるようになる時計』のゲームやアニメのメインマスコットの『オレンジ色の猫』いるだろ。アレのせいで『猫の妖怪』に対する子供たちのイメージが強まって、連鎖的に猫系妖怪全般が復活してるんだ。お前にはもともと遺伝的に猫又憑きの血が流れてたんだろうけど、今それが復活したのは、間違いなくあのゲームやアニメのせいだぜ」
「うニャー! そうだったんだ…」
「そうさ。だから、古い妖怪がメディアに取り上げられたせいで復活することだって、よくある。将門公なんか、御霊として祀られてたから妖怪としての復活は長いことしてなかったのに、80年代に将門公の怨霊がメインテーマの小説や映画が作られたせいで復活して暴れたことがあったらしいからな」
「んじゃ、信長ニャんかも…」
「最近の『魔王』扱いからすると、突然妖怪として実体化する可能性があるな」
「ふーん、そっかあ…そっちは分かったけど、1000万人殺したって方は?」
「多くの人を殺した『現象』はそれだけ人の怨念を集めやすい。それで妖怪化するんだ。例えば『黒死病』とか『天然痘』みたいな伝染病な。アイヌの疫病神『パコロカムイ』は天然痘への人々の恐れが妖怪化したモンらしいぞ」
「ああ、ニャるほど!」
「今は、どっちも細菌やウイルスによるものだと分かっている人が多いから、逆に妖怪として復活する可能性は低いけどな。天然痘は存在自体が絶滅宣言出されてるし」
「そっかあ…それにしても、今1000万クラスの妖怪として実体化とか復活するのって、一体ニャんだろうね?」
「分かんねえが、とにかく目の前に出てきたら倒すだけだろ。ほかのハンターも何人も動いてるだろうから、誰かが倒してくれる可能性も高いしな」
そんな話をしながら歩いていると、駅の近く、人通りの多い所に来たので、妖怪がらみではない他人に聞かれてもいいような無難な話題に切り替える。
やがて、駅のホームに着いたので電車を待つ。それぞれの家の最寄り駅は同じ方向なので、途中までは一緒に帰れる。
「何だ?」
突然、背筋にゾワッと悪寒が走った葉樺が、思わずその気配を感じた方角を見やる。その視線の先には、ブレーキをかけて減速しながらホームに入ってくる電車の姿があった。
「何よ、これ!?」
一瞬遅れてそれに気付いた美猫も叫ぶ。
「妖気だ。それも、かなり強い」
他人に聞こえないよう、小声でささやく葉樺。その強力な妖気を感じて、葉樺の髪の毛が逆立つ。
普段の美猫なら「やっぱり髪の毛がレーダーなんだ」くらい言うのだが、実は美猫の髪の毛も妖気にあてられて逆立っている。それ以上に、うかつに言葉を発せないくらいの超強力な妖気が電車から発されているのだ。
電車が停止し、圧搾空気の音と共にドアが開く。
「妖魔結界!」
その瞬間、葉樺が叫ぶと世界の色が変わる。わずかに夕焼けの赤が残っていたものの、ほぼ紺と黒に塗りつぶされていた空が、一気に毒々しい赤色に変わったのだ。
それと同時に、周囲にあふれていた帰宅ラッシュの人々が一瞬にして消え去り、駅のホームは葉樺たちを除いて無人になる。
通常空間とは切り離された、妖気を持つ者のみが動ける空間、妖魔結界。それを展開することで、一般人が妖怪を認識することや、逆に妖怪に害されることを防ぎ、思う存分に戦えるようにするのだ。
「妖斬刀!」
続けて葉樺が叫ぶと、その顔の右半分にかかっていた髪が、一瞬風にあおられたかのようになびき、隠されていた右目が露わになる。その瞳が深紅に変じると同時に、その瞳と向き合うように空中に不気味な目玉のついた白木の鞘の日本刀が出現する。
妖斬刀は、その名の通り妖気を斬って霧散させることができる刀なのだが、斬った妖気を吸収する能力もあり、使い手は刀に蓄えられた妖気を自分のものとして扱うことができる。
葉樺の家は、この刀を受け継ぐことで先祖代々妖怪退治人を続けてきたのだ。もっとも、葉樺の父親である裕次郎のように、死後にその意識を刀に宿らせたような例は初めてなのだが。
美猫が猫又憑きとして目覚めたばかりのときに、発現したてにも関わらず強すぎてコントロールが効かなくなっていた彼女の妖気の一部を削ってコントロールできるようにしたのも、この刀の能力である。
葉樺は、その刀を掴むと一息に抜き去って鞘を放り捨てる。横にいる美猫も、葉樺が妖斬刀を呼び出している間に猫又モードになって中腰に構え、戦闘態勢を整えている。
「オイ、乱暴に扱うな!」
「非常事態だ! この妖気が分からないのか!?」
文句を言う妖斬刀を一蹴すると、葉樺は刀を構えて油断なく周囲を警戒しつつ、妖気を発する源である電車の方を見やる。
その瞬間、電車の中から飛びだしてきた人影が葉樺を襲う!
振るわれた杖を咄嗟に妖斬刀で受け止めながら相手を確認した葉樺は、そこで驚愕した。
「小名木の爺さん!?」
「ウソ、おじいちゃんなの!?」
知り合いだったのである。美猫もナをニャに変えるのを忘れるほど驚いている。
少し小柄ながら鍛えられた体を品のよいスーツに包んだ初老の男の名は小名木仁次郎。葉樺の祖父、勘寿郎の後輩にあたる大ベテランの妖怪ハンターであり、葉樺や美猫にとっては妖怪ハンターとしてのイロハを教えてくれた師匠の一人なのだ。いわゆる団塊の世代であり、表向きの仕事では定年を迎えているが、妖怪ハンターとしてはまだまだ現役で活躍できる力を持っている。
気さくな人柄であり、葉樺も美猫も実の祖父のように慕っているので「爺さん」とか「おじいちゃん」と呼んでいるのだが、実は本人は頭頂部がすっかり寂しくなってしまって実年齢よりも年寄りに見られるのを気にしていたりする。
だが、今の小名木の様子は明らかにおかしい。目が血走り、顔はひきつっている。愛用の杖は、葉樺の妖斬刀と同じく妖怪に対抗できる武器なのだが、それを葉樺に向けることを疑っていないようなのだ。
「どうしたんだよ、一体!?」
「ジコヒハンせよ!」
「「は?」」
葉樺の問いに対して答えた小名木だったが、その言葉の意味が分からず、葉樺も美猫も困惑する。
「ジコヒハンせぬブルジョワジーはソウカツする!!」
そう叫んで杖を縦横無尽に振るってくる小名木。それを必死に受け止めながら後退する葉樺。普通なら美猫が相手を攻撃して助けるのだが、相手が小名木なので躊躇して攻撃できないでいるのだ。
「何言ってるのかサッパリ分からないが、妖怪に洗脳されてることは間違いないな!」
「おじいちゃんほどのハンターを洗脳するニャんて…でも、やるしかニャいか!」
どうやって洗脳されたのかは分からないが、今は完全に敵意を持って襲いかかってきている以上、敵として対処するより他に方法はない。そう覚悟を決めれば対処は簡単である。美猫も、いつもの調子が戻ってきたようだ。
「こっちよ、おじいちゃん!」
挑発しながら横合いから美猫が跳び蹴りをしかけるが、これはもとより葉樺と引き離すための攻撃でしかない。
とっさに飛び退る小名木。そのわずかな隙で十分。
「妖気退散!」
妖魔刀を空振りしながら叫ぶ葉樺。振ると同時に刀身から緑の光がほとばしり、小名木を撃つ。
「うぐぁ、何とハンドウテキなっ!」
そう叫んだ小名木だったが、次の瞬間には体から妖気が抜け、力を失ってクタクタっとホームに倒れ込む。頭を打たないよう、慌てて美猫が飛びついて支え、そっとホームに下ろす。
「大丈夫、気を失っただけだニャ」
「よし。だけど、まだ洗脳が解けたかどうかは確実じゃないから、そのまま寝かせとけ」
様子を見ていた美猫が言うのに答えながら、葉樺は警戒を緩めない。大元の巨大な妖気が、まだ電車の中から感じられるからだ。
「それにしても何ニャんだろうね、今回の妖怪は?」
「人の記憶…郷愁や心理的外傷を利用して洗脳するようなタイプかもしれんぞ」
小名木を下ろして、自分も警戒態勢に戻った美猫がつぶやいたのに対して、さきほどからまったく話していなかった妖斬刀が答えた。
「郷愁や心理的外傷?」
「さっきの小名木さんの変な言葉な。アレは1960年代後半から70年代初頭の頃の学生運動の言葉なんだ」
「学生運動?」
「大学紛争とか、あさま山荘事件とか…知るわけもないか。オレだって物心つくかつかないかの頃なんだからな。テレビで見たあさま山荘の鉄球だけは印象に残ってるが」
「あ、ドキュメンタリー番組かニャんかで見たことある!」
「それさ。小名木さんは全共闘世代…つまり大学紛争とかに、ちょうど参加していたんだ。昔、ちょろっと聞いたことがある」
裕次郎にとっても小名木は妖怪ハンターの先輩にあたり、生前は何度も組んで妖怪退治をしていたのだ。その折りに昔話を聞いていたのである。
「なるほど、その頃の記憶を利用して洗脳された可能性があるのか…」
「嫌らしい妖怪だニャ」
軽く顔をしかめる美猫。まだ郷愁を抱くような年ではないが、軽い心理的外傷になるような記憶のひとつやふたつはあるのだ。
だが、美猫がそうつぶやいた次の瞬間…
「そう毛嫌いしないで欲しいな」
まだ声変わりしていない子供の声と共に、ドアが開いた状態の乗車口の奥から妖しい赤色の光がほとばしった!