最後の肉まん
イラスト:ゆる様
袋いっぱいの肉まんをもらってしまった。
肉まん好きの太った男が知り合いにいるが、こんな時に限って近くにいない。どうしようかしら、とりん子は袋を抱えて歩く。蒸したての、あつあつの肉まんだ。
袋は重かった。りん子は持つ手を何度も変え、ふうふう言いながら歩いた。額から汗が流れる。
「肉まんは好きだけど、こんなにあっても……」
りん子は汗を拭き、袖をまくり上げた。今日は三十度近くになるらしい。強い日射しの向こう側に、雨の予兆が浮かんでいる。
気温のせいか湿度のせいか、足が重くてなかなか進まない。そうだ、肉まんのせいだ。りん子は立ち止まり、袋を開けた。
「もういいわ。食べちゃう」
手を入れようとすると、押し返すように湯気が噴き出した。湯気は丸い形になり、ぷかりと宙に浮かんだ。
「何これ、クラゲ?」
それは肉まんだった。ゆっくり回転しながら気球のように膨らみ、空へ上っていく。袋の口からもう一つ、さらに一つ、肉まんが飛び出した。
「ちょっと、待ちなさい!」
りん子は袋を閉じようとしたが、肉まんは止まらない。押し込もうとしても、熱くて太刀打ちできなかった。たけのことタマネギのにおいを漂わせ、次々と浮かんでいく。五個、六個、七個。
「こんなに入ってたのね」
大きく膨らんだ肉まんは、風に乗ってゆらゆらと飛ぶ。ぶつかってくっつき合い、さらに大きな肉まんになる。りん子は呆れて見ていたが、最後の一つが袋を飛び出そうとするのに気づき、慌てて押さえつけた。
ぽよん、ぽよんと肉まんはくっつき、あっという間に一つになった。そして、巨大な傘のようにりん子の頭上に浮かんだ。ちょうどその時、日が陰り、厚みを増した雲から雨粒が落ち始めた。
りん子は袋の口をしっかり握り、上を見た。直径数メートルにも及ぶ肉まんのおかげで、雨はりん子のところまで届かなかった。
試しに歩いてみると、頭上の肉まんもふわふわとついてきた。走り出すと、雨の中を泳ぐように追いかけてくる。
りん子は楽しくなり、スキップをしたり、ジグザグに走ったりした。肉まんの傘は、いくら濡れても壊れず、ぷるぷると水を弾いた。
「これからは傘を持ち歩かなくてもいいのね。勝手についてきてくれるんだもの」
冷めないうちに、一つ残った肉まんを食べてしまおう。そう思った時、後ろから呼ぶ声がした。
「おーい。俺も入れてくれ」
雨に濡れながら走ってくるのは、カワウソだった。りん子は溜め息をつく。本当に目ざといんだから。
「あんたは濡れても平気でしょ」
「いい傘だな。うん、実にいい」
カワウソは全身を振って水を切り、鼻をひくひくさせた。初めは頭上の肉まん傘を見ていたが、徐々にりん子の持っている袋へと視線を移し、舌なめずりをする。
「もう、さっき来てくれればたくさんあったのに」
りん子は渋々、肉まんを半分に割った。ほんわりと湯気が立ち、小さな肉まんの形になり、ゆらゆらと上っていった。
あち、あち、と言いながら、カワウソは肉まんにかぶりついた。
「これ、どこで買ったんだ」
「もらったのよ」
「誰に」
「誰だったかしら」
りん子は頭上を見た。肉まん傘の弾く雨が、七色に光っては宙に消えていく。言葉を交わしているようにも、歌を奏でているようにも見えた。
あなたは誰 思い出せない
水の影 花のささやき
それは ひらがな四文字で
それとも 漢字で十五文字
まるくて みどりで さんかくで
星のように いなくなる
「水の精霊だ」
カワウソは言った。
「水の精霊が、お前にくれたんだ」
「どういうこと?」
「どうだっていい。覚えていてもいなくても、そういうもんさ」
りん子は頭をひねった。カワウソというのは、時々わけのわからないことを言う。カワウソだから仕方ないか、と思い、最後の一片を口に放り込んだ。
雨が弱まるにつれて、肉まん傘は少しずつ輪郭を失っていく。たけのこのにおいと水滴の残る空気の中を、りん子とカワウソは歩いていった。