作戦当日-3
5月23日 0854時 ファリロ・コースタルゾーン・オリンピック複合施設
"ブラックスコーピオン"のメンバーが、対策本部を設置しているこの施設に歩いて到着した。既に隣の広場に設置された臨時ヘリポートには、HH-60Gが駐機している。燃料の補給のためのタンクローリーも、既に待機している状態だ。
「よう、ハワード。時間どおりだな」
先に到着していたローレンス・ソマーズが、トリプトンたちを見つけて歩いてきた。
「ああ。状況は?」
「今の所、目立った動きは無し。警官と軍の兵士が、ゴミ箱だとか、物陰だとかに爆弾や神経剤を仕掛けられないように、虱潰しにしているよ。おまけに、周囲の道路は交通規制を敷いているから、あまり車も多く通れなくなっている。あと、敵がやって来るとしたら、空からか海からかのどっちかだな」
トリプトンは周囲を見回した。スタジアムの中心にあるグラウンドには、ノートパソコンが置かれた机がずらりと並び、観客席では警官や兵士がせわしなく行き来している。外のマリーナでは、海からのテロを警戒し、自動小銃で武装した警官が乗った高速艇が警備をしている。カルチャーセンターとオリンピック複合施設の入り口にはバリケードが設置され、自爆テロに備えている。
ニコ・メノウノス警部は、対策本部のモニターの前に立ち、テロリストのデータベースの顔写真と監視カメラから送られる映像を見比べ、合致する人物がいないかどうか確かめていた。件のジェームズ・ロッキードというテロリストが現れた気配は無いが、間違いなく、ここに現れるか、または、どこかここを監視できる場所に潜伏しているはずだ。ギリシャ警察は、密かにロッキードの足取りを追跡していたが、結局は捉えることができずにいた。また、入国管理局や港湾、空港のデータからはロッキードの仲間であるロバート・マカリスター、カン・ヒョンチョルが入国した痕跡は見つからなかった。と、言うことは、陸路か海路を使い、密入国した可能性がかなり高いだろう。部下たちには、容疑者の顔を徹底的に覚えさせ、見つけた場合は、密かに監視するよう指示していた。
5月23日 0903時 トロカンテロ駅
一人のアジア人が電車を降り、改札を出た。大きな荷物を背負っている以外には、首からカメラを下げ、サングラスをかけ、野球帽を被っているただの観光客にも見える。しかし、この男は、北朝鮮の元工作員、カン・チョンヒルだった。カンは、ギリシャに向かうクルーズ船の車庫に密かに乗り込み、装備を持ち込んでいた。客船が入港すると、まずは、他の乗客が降りていくのを待った。そして、水夫たちに見つからないよう注意しつつ船内を移動し、真夜中に下船した。これまで、韓国や日本、台湾、インドネシア、ベトナムなどに何度も密入国してきた元工作員からしてみたら、造作もないことだった。念の為、精巧に印刷された、韓国の偽造パスポートを持ち、偽造された観光ビザも持っている。ほかの仲間は、すでにこの場にいるはずだ。
今回の仕事の依頼主は、何故か、かなり払いが良かった。直接会った訳ではないが、名前からして、アフリカの出身だとカンは予測した。依頼主の話しぶりから判断すると、これは、数ある作戦のうちの一つに過ぎないような様子であったが、カンはそんなことは全く意に介さなかった。そもそも、この男は、既に政治信条などではなく、金で動く人間になっていた。
カンはスマホを取り出し、既に潜入している仲間にメッセージを送った。この男は指名手配されている身であることもあって、偽造パスポートすら使わない方法で各地を渡り歩いていた。すなわち、ヒッチハイクをしたり、密かに客船の貨物室、または車庫に忍び込む。陸路であれば、徒歩か、長距離バスを利用したり、更には、長距離トラックのコンテナに忍び込んだりもした。鬘や付け髭、カラーコンタクトレンズすら使って変装もした。そんな事を繰り返し、ギリシャに入国したのは、作戦決行当日となってしまった。
5月23日 0914時 ギリシャ市内
1台のステーション・ワゴンが大きな通りを南下していた。中には、AKを持った5人の男、更にはHJ-73対戦車ミサイルとRPO-A焼夷ロケットランチャーを乗せていた。攻撃は、フォトセッションの時間にあわせて行われる予定だ。この作戦が成功したら、ヨーロッパの大半の国の財相が消し飛ばされることになる。同じような武器を乗せたワゴンが、他に5台、カルチャーセンターに向かっていた。
5月23日 0923時 ファリロ・コースタルゾーン・オリンピック複合施設
柿崎一郎は時計を見た。今頃、会議は大詰めを向かえ、昼前には会談の締めくくりに、フォトセッションが、カルチャーセンターの入り口で行われるはずだ。柿崎はコーヒーを啜り、窓から外の様子を見た。報道陣がカメラの砲列を作り、そのすぐ前で、警官隊が規制線を張っている。ここで爆弾テロが起きたり、化学兵器が撒かれたりしたら、あっという間にマスコミの人間たちはその犠牲者になってしまうし、生物兵器が使われたら、もっと酷い事態を引き起こす事になる。生物兵器の恐ろしいところは、使われたことに気づかれることがない上に、テロが発覚するまでに数日から1週間程度の時間が掛かってしまい、その頃には二次感染で一気にウィルスや細菌が広がり、手遅れになっているケースが考えられるからだ。
「イチロー、お前はどう思う?」
マグヌス・リピダルが話しかけてきた。
「標的にするとしたら、第一ターゲットはVIPだろ。更に、一般市民も大勢巻き込めば、宣伝効果は抜群だ。これまでのテロとは比べ物にならないパニックになる」
「それを考えると、生物兵器は見た目のインパクトに欠けるな。どっちかと言ったら、自動火器の乱射か、爆弾を使ったほうが効果がある」
「NBC装備は?」
「もう用意してあるよ。小型のウィルス検知装置と化学剤検知装置も、会場付近数箇所に仕掛けておいた」
リピダルがタブレットを見せた。画面には、様々な種類の化学物質とウィルスのグラフが映っている。今の所、検知されたものは無い。
「そいつから目を離すなよ。敵が何をしてくるかわからないからな」




