下準備
5月19日 1146時 ギリシャ アハルネス
2機の軍用ヘリがヘリポートに着陸した。このヘリポートは、政府専用の施設で、警察、消防、沿岸警備隊、そして軍が利用するもので、着陸帯が8ヶ所。格納庫も4つある。常駐している機体は無いが、必要に応じて、ヘリが飛来するようになっている。ここからは高速鉄道で移動するとメノウノスは言った。
「生憎、アテネには、このような大型ヘリを運用できるヘリポートは限られていまして。非常時には、警察庁のヘリポートを使えるように手配しています。また、軍の基地も自由に使用できるように手配しています」
HH-60Gのローターが止まりきらないうちにニコ・メノウノスと"民間"特殊部隊員たちは降機した。"ブラックスコーピオン"のメンバーは私服姿だが、大きなリュックサックを背負っている。
「ここからは、警察の車両でアテネへ移動します。ヘリクルーの皆さんは、ここで待機でしたよね?」
メノウノスがブルース・パーカーに話しかける。
「ええ。いざとなったら、いつでも飛べるよう、準備しておきます。我々は、ヘリボンでの作戦を基本としております」
まずは、警察署でブリーフィングをした後、"ブラックスコーピオン"のメンバーとメノウノスは市街地のパトロールをすることになっていた。
ギリシャ警察が用意した車両は、対テロ部隊であるEKMが使用している防弾車両だった。少し大型のバンのようなその車両は、全てのガラスが防弾仕様になっており、更にはRPG対策なのか、車両の周囲にケージ装甲が追加されていた。
「おお、まさかこんないかつい車に乗るとは」
マルコ・ファルコーネがその車の後部に乗り込みながら言った。後部座席は対面式で、10人が乗れるようになっている。中には、連発の催涙ガス弾やゴム弾など、非致死性弾を発射する6連ランチャーとモスバーグ500ショットガン、防弾盾が装備されている。
「これは、最近になって導入されたばかりの車です。ここ最近のテロ事件を受けて、議会も警察や軍に多くの予算を流してくれるようになりました」
運転手が答えた。彼は、勿論、EKMの隊員だ。冬の終わりから、ヨーロッパでのテロ事件の件数はうなぎ登りであった。それにあわせるように、アジア、アフリカ、南北アメリカからの観光客の数はどんどん右肩下がりになり、欧州の観光産業に大きな打撃を与えていた。ホテルや航空便のキャンセルが相次ぎ、大手も含め、旅行代理店は大きな損害を被っている。
「全員乗りましたか?それでは、出発します」
5月19日 1154時 ギリシャ アテネ
アテネの宿泊施設としては、勿論、大手旅行代理店や航空会社のホテルが一般的だが、ウィークリーアパートも多い。これらは、旅行中の生活に関わる全てを自分でこなす必要があるが、家具や家電も揃っており、ホテルよりも安く宿泊できるため、観光客には人気が高い。そのアパートの一室に、宿泊している一団がいた。彼らは、4、5人ずつまとまったグループに分かれ、複数のアパートの部屋を借りていた。
アパートの一室で、男はパソコンを起動し、メールをチェックした。特に新しいメッセージは無し。彼らは、攻撃準備を整え、後はボスであるファリド・アル=ファジルの命令一つで攻撃を行うだけであった。
男は、数枚の写真を広げた。そこが今回の攻撃のターゲットだ。アテネでは、数日後にヨーロッパ、アフリカ、中東の財界の重鎮や政府関係者が集う国際フォーラムが予定されている。そこを攻撃すれば、ヨーロッパに対してかなりの打撃を与えることができる。だが、ここ2ヶ月程のヨーロッパに対するテロ攻撃が続発したことから、警備は非常に厳重になっていた。昨日、観光客を装って何気なく市内の様子を偵察して回ったが、重武装の警察の機動隊員を多く見かけた。攻撃を実行に移すとなると、慎重に事を運ばねばならない。
5月19日 1213時 ギリシャ アテネ
一人の観光客が一眼レフカメラで街の様子を撮影していた。アテネでは何の変哲もない、いつもの光景であるため、誰一人その観光客の行動に注意を払わなかった。
その観光客の正体は、テロリストの一味であった。警察官に万が一、職務質問を受けた時に備え、武器はアパートに置いてきた。テロリストはできるだけ多くの犠牲者を出せるよう、特に人通りの多い場所、時間を調べていた。今は昼食時なのか、オフィスビルから多くの人が一斉に出てきて、レストラン街へと向かっていた。テロリストは、風景写真を撮る振りをしつつ、そこに警官はいるのか、街中をパトロールするパトカーや白バイはだいたい何時頃、どこを通るのかを記録していった。やがて、通りを警察の装甲バンが通っていった。恐らく、警察の特殊部隊が使うものだろう。それが定期的にここを通るとなると、厄介な事になる。男は、その車両を街の風景と絡めて撮ると、通った時間を確認した。
観光客を装ったテロリストは、アテネ考古学博物館のチケットを買い、中の見学をする振りをしつつ、セキュリティの状況を確かめた。特に荷物検査は行われず、金属探知機も設置されていなかった。警備員はいるものの、非武装で警棒や催涙スプレーすら持っていないようだ。これが大英博物館やルーブル美術館であったなら、拳銃を持った警察官や国家憲兵隊の隊員が複数名、警備をしているはずだが、ギリシャではそうでは無いようだ。平日であることもあり、来場者はまばらで、時折、社会科見学のためなのか、教師に率いられた子供の集団を見かけた程度だった。そこで、テロリストは攻撃するのなら、街に人が多く出歩く休日が良いという結論に至った。




