戦場の観光地-1
4月1日 1708時 モナコ公国
あたりは薄暗くなり、空は既に藍色に染まっていた。市民たちは仕事を終え、家路を急ぐ頃だが、観光に来た金持ちたちは、この時間からがこの国での滞在の楽しみの本番である。豪華なリムジンが何台もカジノの駐車場へ入っていき、立派なタキシードやドレスに身を包んだ金持ちたちが、何百万ユーロも使う遊びに興じ、酒を飲む。そんな中をかき分けるようにして、やや庶民的な格好をして、買い物袋を抱え、大きなリュクサックを背負った屈強な男が3人、歩いていた。この場にに使わないこの3人組を彼らはまるで虫でも見るような眼差しを向けた。男たちは、あまり顔を見られないよう、帽子やパーカーのフードをやや深めに被り、早足でその場から去っていった。
柿崎一郎は隠れ家のドアをノックして、暫く待った。チェーンをかけられたままドアが開き、ピーター・スチュアートが外の様子を見てから、チェーンを外し、ドアを開いた。
「今日の夕食は何だい?」
デイヴィッド・ネタニヤフが柿崎の後ろからついて部屋に入るなり言った。
「ピザとローストチキン、それとシーザーサラダだな」
マルコ・ファルコーネが丁度、トッピングを終えたピザ生地を熱したオーブンの中へ入れている所だった。その直径は、ざっと40cmはありそうな巨大なものだった。
「何か新しい情報は?」
柿崎がブルース・パーカーの方を見て言った。
「何も無いぜ。まるで手がかり無し。本部にも情報をよこせと突っついてみたが、何も無し。敵が動いているのかどうかもわからん」
「やれやれ。これでまた他にテロ攻撃が起きたら、それこそ二正面作戦になるんじゃないか?俺らだって万能じゃないんだぜ」
包丁でレタスやトマト、キュウリをザクザク切りながらシャルル・ポワンカレがぼやく。
「明日になったら、また交代で観光しながら見回りだな。ところで、ビールは?」
ジョン・トラヴィスがハワード・トリプトンの方を見て言った。
「残念ながら、いつ、テロが起きるかわからないから、暫く禁酒だ。すまんが、我慢してくれ」
「おいおい、そりゃ無いぜ」
4月1日 1714時 モナコ公国
"ブラックスコーピオン"のメンバーが潜伏しているアパートから3ブロック程離れた所にあるアパートに、5人の男が入っていった。彼らは部屋に入るなり、私服から身綺麗なスーツやタキシードに着替えた。そして、クローゼットを開けて、中からかなり大きなスーツケースを引っ張り出した。男のうち、一人がそれを開けると、中にはAK-74SU、Vz-61スコーピオンなどの自動火器、Cz-75自動拳銃と弾薬が入っていた。彼らは銃を1挺ずつ点検し、不具合が無いことを確認すると、各々が持っているやや大きめのブリーフケースに装填済みの弾倉と一緒に入れた。
「ああ。計画通りだ。このまま作戦は実行だな。ああ・・・・・・わかった。指示があるまで計画通りに待機する」
武装した男たちはアパートを出ると、5日間の日程で借りているワゴンへ乗り込んだ。目的地に到着するまで、彼らは全く話す事無く法定速度で車を走らせた。余計な事して他人の注意を引くような真似だけは、絶対に避けねばならない。この作戦の第一段階に入るまでは。
4月1日 1742時 モナコ公国
「流石だなマルコ。お前がまともな飯を作れる奴で良かったよ」
マグヌス・リピダルがローストチキンの切れ端を咀嚼しながらファルコーネの方を見て言った。その隣の席で、柿崎一郎がピザを4つ折りにして齧りついている。
「しかし、イタリア人はピザを切り分けたりしないのか。こんなデカいものを」
ブルース・パーカーは目の前に置かれた、巨大なピザを見て、顔を顰めた。それは、直径は大きいものの、生地はやや薄い。
「これだからアメリカ人は。いいか、イタリアじゃピザを切り分けたりしないんだ。一人で1枚丸々食べるものなんだぞ」
「ワインが欲しいところだが・・・・・・仕方が無いな。シュトゥットガルトに帰る飛行機に乗るまでは勤務扱いだからな」
ポワンカレがミネラルウォーターをコップに注ぎながら言う。
「まあ、いつテロが起きても出動できるようにしておかないと。いざという時に、酔っ払った状態になっていないようにしないとな」
「それにしても、賑やかだな。見てみろ」
ピザの切れ端を持った山本肇はアパートの窓から、通りの様子を見下ろした。暗くなり始めた通りには何台ものリムジンが行き交い、派手な格好をした人々が歩道を歩いている。
「ここが静かになるのは、冬の間の観光シーズンが終わった時だってさ。寧ろ、そういう静かな時に行きたいね」
ジョン・トラヴィスはラップトップのキーボードを右手で叩きながら、左手でチキンの切れ端をつまみ、口へ運んでいく。本部からは、新しい情報は無し。ニュース・タイムラインも見てみたが、別段、変わったことはヨーロッパや中東、北アフリカあたりでは起きていないようだ。
「さぁて。これからどうする?ポーカーか?チェスか?」
「ううむ」
山本の言葉にトリプトンはただ唸るだけだった。
4月1日 1756時 モナコ公国
ムハンマド・アル=ディン・サビクは部下を引き連れてカジノ・ド・モンテカルロへと入っていった。彼は、これから2000時まではポーカーを楽しみ、その後は隣接している歌劇場でオペラを観劇する予定でいた。それ程モナコに長く滞在できるわけではないので、今のうちにゆっくり楽しまねばならない。彼は最低限のボディガードと秘書だけを連れているところだった。
そのカジノの近くの駐車場に4両のステーション・ワゴンが続いて駐車してきた。中からは、ブリーフケースを持ったタキシードを着た男たちが降りてきた。だが、彼らはここで遊んでいる金持ち連中に比べたら、妙に背が高く、体格もがっしりしていた。




