帰還
3月21日 ドイツ ユーロセキュリティ・インターナショナル社 0154時
ジョン・トーマス・デンプシーは情報部のメンバー4人から、オランダの状況について説明を受けていた。アントワープの市街地でクラスター爆弾と思しきもの―――それは、道端に駐車していたトラックの荷台に、布を被せた状態で置いてあった―――が爆発。親爆弾の破裂と、ばら撒かれた小爆弾の爆発によって、すぐ近くの歩道を歩いていた、約150人が死亡。600人以上が重軽傷を負った―――もっとも、正確な被害者の人数は、オランダ当局も把握しきれていない。そして、更に深刻なのが、ハーグでの―――VXガスによる―――神経剤テロの方だ。既にオランダ陸軍の対NBC兵器防護部隊が事態の収集を図るため出動したが、まだ沈静化には程遠い状況だ。それに、つい先日、マルタでマスタードガスによるテロが発生したばかりというのもまた、ヨーロッパ諸国の緊張を高めることとなった。しかし、このテロには、誰が見てもおかしな点があった。
それは、深夜に攻撃が行われたこと。より多くの犠牲者を出したいのなら、人通りが多い、昼間にする方が効果がある。だが、神経剤ならば、建物の換気口から侵入してくるため、一定の効果があると言える。
「既に、神経剤による死者が出ています。軍と警察が出動し、市民には決して外出せず、また、換気口や窓をしっかりと閉め、完全に塞ぐよう呼びかけています」
カート・ロックがタブレット端末で情報を確認しながら、ボスに報告する。スクリーンには、現地のニュース映像が流れているが、警察や軍からマスコミ関係者も外出を禁じられているのか、スタジオからの映像のみが放送されている。
「技術部に対NBC装備を用意させよう。フォックスは用意できるのか?」
「必要とあれば、いつでも。しかし、本部を守るために、数台は残しておく必要があります」
「うむ。翌朝には、被害の状況もわかってくるだろうが、とにかく、情報を集めてくれ」
この会社の敷地内では、既に物々しい警備が始まっていた。ガスマスクとNBC防護服に身を包み、FN-F2000を持った警備員は増員され、監視塔に陣取るスナイパーは、暗視スコープ付きのステアーHi-50を持たされた。30分毎の定期連絡は15分毎に短縮され、いざというときの、職員の緊急退避の手順の確認も行われた。アフリカでの油田襲撃は、もしかしたら、この攻撃から目を逸らさせるための、敵の陽動なのか?または、2つの事件は、全く別の組織によるものなのか?様々な話が社内で流れたが、誰の考えも、仮定の域を出ることはなかった。
3月21日 地中海上空 フランス空軍 A330機内 0211時
柿崎は機内Wi-Fiを使って、タブレットでニュースサイトを見ながら、情報を集めていた。周りを見てみると、食事を取る者、読書に集中する者、眠る者と、チームメイトは、皆、それぞれ違うことをして過ごしている。リラックスできる時はリラックスする。食べ物や水は、飲み食いできる時に胃袋に入れておく。眠れる時は眠っておく。特殊部隊員の選抜過程ではそうもいかないが、それらはいつ何時、有事となって出動することになるかわからない軍人の鉄則である。彼はペットボトルの蓋を開け、気の抜けたコーラを一口飲み、ドイツ軍レーションのラミネートパックから、食べかけのシチューをスプーンで掬って食べた。
「さっき、ボスから連絡があった。酷いもんだぜ、全く。爆弾で吹っ飛ばされるわ、毒ガスが撒き散らされるわ。余りにも酷すぎる」
トリプトンが、柿崎の隣に座って言った。化学兵器を使用したテロ攻撃は、もう20年以上前に東京で発生して以来だ。それ以降、長年、多くの国が、BC兵器を利用したテロ攻撃の対処法を研究してきたが、いざ、実際に起きてみると、対処に当っている軍、警察、消防の混乱は相当なもので、特に市民の間にはパニックが広がりつつあるという。
「まさか、基地が神経剤に汚染されて、降りられないなんてことは無いよな」
「まさか。これから向かうのは、軍の基地だぞ。そんなに簡単にテロ攻撃をされてたまるかよ」
「それもそうだな。ところで、どこに向かっているんだ?」
「ラムシュタイン基地だ。そこからは陸路になるが・・・・・、装備はしっかり用意して貰えているだろうか」
「そうじゃないと困る。毒ガスを浴びて、あの世行きなんてたまったものじゃないからな。アウシュビッツとイラクのクルド毒ガス攻撃の資料、見たことあるか?」
「本で読んだことなら。ああいう目には遭いたくないな」
「そういうことだ。だが、今、同じことが、オランダで起きてしまっているんだ。しかも、ハーグでの、マスコミも注目していた、戦争犯罪での裁判でだ。これは、当事国の和平協定反対派の仕業か、それとも、今までヨーロッパを攻撃してきた奴らなのか、調べる必要があるな・・・・・」




