定期経理報告
11月5日 1011時 ドイツ シュトゥットガルト郊外
ユーロセキュリティ社の訓練施設に、特殊現場班こと"ブラックスコーピオン"のメンバーと戦術教育班の人員が集まっていた。
今日も変わり映えの無い、近接戦闘訓練が始まる。ハワード・トリプトン以下、特殊現場班はFN-SCAR-L自動小銃をスリングで肩から吊り下げ、タクティカルベストのチェストホルスターにはグロック19半自動拳銃を入れている。レッグホルスターにも同じ拳銃が入っていて、更には擬製のM26破砕手榴弾も装備に加えられていた。
「よし、今日の訓練はテロリストのアジトの制圧を想定している。中にいるのは全部悪人どもだ。だから、気兼ねなく銃をぶっ放して、手榴弾を投げ込んで構わん。但し、味方を撃つなよ。今日、使う銃に入っているのは、蝋の塊でできた訓練用の減装弾じゃないで、本物のフルメタルジャケット弾だからな」
戦術教官のクリス・キャプランが今日の訓練の注意点を説明した。当然ながら、訓練に参加する特殊現場要員たちはレベルⅣのボディアーマーと、同レベルの防弾ヘルメットを身に着けているが、保護されているのは頭部と胸部、そして鼠径部だけだ。それ以外の部分に被弾した場合、特に首、そして大腿動脈に被弾した場合、致命傷は避けられない。当然ながら、事故に備え、医師免許を持った人間を含む救護班が、その場で外科手術ができる道具を用意して待機しているが、実弾を使う危険極まりない訓練であることには変わりは無い。だから、キャプランの説明を聞く特殊現場要員たちの目は、真剣そのものだ。
「今日は、部屋の間取りやターゲットの人数といった事前情報は無しだ。突入したら、適宜、自分が最適と考えられる行動をしてくれ。だが、そんなのはいつもの事だろう。特に、海外で悪人どものアジトに踏み込んで、ぶちかますことになった時はな」
キャプランは訓練施設に建てられた、小さな仮設住宅を指さした。二階建てで、外部に二階部分に入るための階段があることだけはわかる。
「ま、いつものことだな。さて、まずは、偵察からだが・・・・・」ハワード・トリプトンは肩をすくめ、メンバーを集めて、この状況をどう料理するのか意見を求め始めた。
特殊現場要員たちが戦術訓練をしている時、司令官兼CEOのジョン・トーマス・デンプシーは、オフィスで先月の売上と、差っ引かれた法人税等々の説明を受けていた。ユーロセキュリティ社自体はドイツに拠点を置いているが、実は、書類上の登記先はリヒテンシュタインの首都ファドゥーツとなっている。そのため、法人税を非常に安く抑えることができている。
多くの企業が、リヒテンシュタインに登記しているのは書類上のみなのに対して、ユーロセキュリティ社はそこに小さなオフィスを構え、警備員と文民事務職員数名がそこに常駐することで、ペーパーカンパニーだと指摘されることを巧妙に避けている。それが、ユーロセキュリティ社の『支社』の一つだ
その『支社』は、かつてはケイマン諸島にあったが、当局の締め付けが厳しくなってきたことで閉鎖し、所謂『非協力的タックスヘイブン』に登記先を変えることを検討し、白羽の矢が立ったのが『非協力的タックスヘイブン』であり、かつ、本部機能があるドイツに近いという条件を満たしたリヒテンシュタインだった。
ユーロセキュリティ社は、シュトゥットガルトにある本部と、登記するためだけに置いているリヒテンシュタインの事務所、他にトルコのインジルリクとスペインのマラガに作戦拠点のための『支部』を構えている。これらは二ヵ所の『支部』には作戦支援班と事務職員、武装警備員がいて、オフィスとヘリポート、格納庫、装甲車両、武器弾薬などを保管する倉庫が置かれている。
「・・・・・・以上、これが『表向き』の売り上げです。先月は諸経費を差し引いて8530万ユーロの黒字です」
デンプシーに説明をしているのは、ハンナ・バラックという名の文民職員だ。彼女はユーロセキュリティ・インターナショナル社の表と裏、両方の顔を知る数少ない人間の一人である。
「よし、それでは我々の『裏予算』の話に移ろうか」
「はい、ジョン。まずですが、パレスチナの過激派の口座をハッキングして得た7000万ユーロ。これは、ご指示の通り、それぞれ分散させて株や証券に変えました。全て私たちと取り引きがある武器のメーカーのものです」
「よろしい」
「まだロシアの富豪のオンライン口座から奪った1億4500万ユーロが宙に浮いていますが、どうされますか?」
「それはオフショアのペーパーカンパニーをマトリョーシカ式に新たに作って、表向きはそのペーパーカンパニーの資本金とするべきか、不動産取り引きで洗うか、どう処理するのが最適解なのか経理部の『裏予算』担当班で結論を出してもらいたい。私はそれに従うことにする。その手のやり口は、彼らの方が私よりもずっと上手いからな」
「ええ、私もそれが一番良いと思います」
ユーロセキュリティ社には、資金洗浄やペーパーカンパニーの創設、その他、違法スレスレの資金の動かしかたのプロを集めた部署がある。それが、経理部の『裏予算』担当班だ。当然ながら、その資金の出所自体が真っ黒だ。テロ組織や犯罪シンジゲートから強奪した、表に出せないカネを扱っているのだから。
「それで、他に要件はあるかな?」
「今日のところは以上です。これから情報部との会議がありますので」
「わかった。じゃあ、戻ってくれ」
バラックはデンプシーのオフィスから出ようと、扉を開きかけてから、何かを思い出したように振り返った。
「ボス、忘れていました。ピアースから伝言があります」
ピアースとは、経理部長であるピアース・オライリーのことだ。
「何かな?」
「年なんだから、無理はするな、ですって」
デンプシーはかぶりを振った。やれやれ、だが、自分が現場要員や警備員に混ざってランニングや射撃、格闘技、さらにはアスレチックコースやCQBトレーニングハウスの走破までを毎週のようにやっているのを、ここの職員たちにすっかり知られてしまったようだ。
「わかったよ。だが、現役だった頃の癖はなかなか抜けなくてね」
デンプシーは、オーダーメイドのスーツの上着をめくり上げ、ショルダーホルスターに入っているワルサーPDP半自動拳銃をバラックにちらりと見せた。
「私も今度、それの使い方を習った方が良いのでしょうか」
バラックは、やや刺がある口調でデンプシーの拳銃を見ながら言った。
「ここには、銃に詳しい奴らがごまんといるからな。なんなら、教育訓練班に申請したらどうだ?護身用の格闘術と射撃の訓練なら、いつだって受けられるはずだぞ」
「少し考えておきましょうか。何かと物騒になってきていますし」
11月5日 同時刻 ドイツ国防省
ゲオルギー・シュタインホフ国防大臣は、自分のオフィスでニュースサイトと新聞に交互に目を通しつつ、コーヒーを啜った。
今日は、と、言うより、今のところは厄介事が起きていないようだ。イギリス陸軍のSASとフランス陸軍の第2外人空挺部隊、フランス海軍のコマンドー・フィジリエとKSKの合同演習が、今日からドイツ国内の陸軍演習場で始まるということ以外に、目立った報告は上がっていない。
新聞を眺めていると『ロシアのネットバンクにサイバー攻撃か 3人の顧客が合わせて1億4500万ユーロを奪われる』という記事が目に止まった。
どうやら、この犯人と見られる人物はかなり巧妙な手口を使って侵入した痕跡を消しており、まるでネットバンクでサーバーエラーが起きたかのように、忽然とお金が口座から消えていたらしい。実行犯は、極めて巧妙な手口でカネを奪ったようだ。だが、カネを奪われた人物は、国外の反欧米を掲げる過激派のスポンサーの一人だという記事を見つけた。
シュタインホフはその資金強奪犯が何者なのか、予想はついた。しかし、それについて他人に言及するのはやめにしておく、と決めた。
こういうことをするのは、シュトゥットガルトの外れのひと気の無い更地に本拠地を構える、あいつらしかいないからだ。あいつらがヨーロッパの安全を守ることに貢献している限り、ユーロセキュリティ・インターナショナル社は自由にさせてやろう、とシュタインホフは心に決めた。




