突入
10月15日 0200時 ドイツ レーオンベルグ郊外
普通ならば、人間がすっかり寝静まる時間。日本人の柿崎一郎と山本肇に言わせると『草木も眠る丑三つ時』と呼ばれる時間帯。"ブラックスコーピオン"のメンバーとユーロセキュリティ社の情報部、そして地元警官の動きが慌ただしくなった。
"ブラックスコーピオン"のメンバーは、既にガスマスクと真っ黒なヘルメットにバラクラヴァ帽、真っ黒なアサルトスーツと頑丈なボディアーマー、ブーツを身に着けている。武器は接近戦になることを考慮して、フラッシュライトとサプレッサーが付いたヘッケラー&コッホUMP-9とサプレッサー付きのワルサーPPQだ。突入部隊に加わらない、シャルル・ポワンカレとオリヴァー・ケラーマンはそれぞれ、サプレッサーと狙撃用スコープが付いたサコーTRG-42とヘッケラー&コッホG3A3を持って狙撃陣地へ向かった。
監視役をしているユーロセキュリティ社の狙撃手は、半分に割った小さなカフェインの錠剤を僅かな水で飲み下した。当然ながら、過度にこれを服用するとカフェイン中毒を引き起こす恐れがあるため、服用の方法は厳しく定められている。その昔、ベトナム戦争や湾岸戦争の頃、各国軍の狙撃手は緊張をほぐすために精神安定剤を飲んだり、マリファナや覚せい剤、更にはコカインにまで手を出す者までいたという。
当然ながら、ユーロセキュリティ社では、後者3つや、それに類する薬物を使うのはご法度だ。もし、見つかった場合は、懲戒解雇と警察への通報は免れない。
狙撃手は、特殊現場要員がゆっくりとターゲットに近づくのを確認した。もし、ここで武器を持ったテロリストが家屋から出てきた場合、即座に頭をぶち抜いて排除するよう命令も受けている。
特殊現場要員は、列を成してドアの左右の壁に張り付いた。今回は隠密性を重視するため、スタングレネードは投げ込まない。時間を考えると、先程、この家の中に流し込んだ催眠ガスは、まだ強烈な効力を発揮したまま屋内の空間を漂っているはずだ。
αチームは正面のドアから、βチームは裏口から突入する。トリプトンと柿崎はドアの左右に張り付き、いつでも準備完了の体勢になった。
「α、準備完了」
『β、準備完了』
無線機からピーター・スチュアートの声が聞こえた。実行の時だ。
「こちらαリーダー、突入開始せよ」
10月15日 0201時 ドイツ レーオンベルグ郊外
音も無くドアが開き、サブマシンガンを持った黒ずくめの集団が屋内に入ってきた。床には無造作にピザの空き箱やスナック菓子の袋、ペットボトルなどが転がっている。トリプトンは暗視ゴーグルで確認した、床に投げ捨てられているたばこの吸い殻を見て顔をしかめた。こいつら、火事になったらどうするつもりでいたのか。
やがて、トリプトンはテーブルの上に置かれている、AK-74とウージ、RPG-7、ブローニングハイパワーとその弾薬、セムテックス、信管、リモコン式の起爆装置を確認した。ここにいるのは、どう考えてもまともな一般市民とは思えない。
やがて、部屋の奥から鼾が聞こえてきた。トリプトンと柿崎は、忍び足でその鼾の主の方へ向かう。
鼾をかいていたのは、大柄なアフリカ系の男だった。そいつは肩からスリングでAK-74を吊り下げ、右手にビールの瓶を持っている。トリプトンはそっと男に近づき、武器を取り上げた後、うつ伏せの体勢で両手両足を強硬度結束バンドで縛り上げた。
裏口から侵入したブルース・パーカーは、扉を開けると同時に、椅子に座ったまま眠る、AKを持つ人物を確認した。素早く銃を没収し、そいつの両手両足を結束バンドで縛り、床に転がす。
まずは、屋内の人物を全て拘束し、動けなくするのが先決だ。銃は基本的に、何処かが壊れているとかでもない限り、自分から弾を吐き出すことはできない。それができるのは、人間が引き金を引くからだ。当然ながら、武器を持って起きている人間がいた場合、そいつには永久に眠ってもらうことになる。
容疑者はもう一人いた。そいつはトイレのドアの前で、大の字になって倒れていた、金髪の若者だ。パーカーには、そいつが酔っぱらって寝ているのか、それともガスの効果で気絶しているのかはわからなかった。そいつは、腰のベルトに自動拳銃を差している。
武器を持っている以上、そいつは脅威とみなさねばならない。パーカーはプラスチック手錠を取り出し、そいつの手首と足首を縛って完全に動けないようにした。プラスチック手錠は、太くて大きな輪ゴムのようなものだが、見た目とは裏腹にかなり強固で、これで縛られると、刃物で切ってもらう以外、解放される手段は無い。パーカーの後から続く傭兵たちは、縛られたそいつを廊下に放置したまま家の中の捜索を続けた。
ガスマスクを使っている上に、かなり暗く、視界が悪い。トリプトンはフラッシュライトで前方を照らしつつ、ゆっくりと進んだ。このフラッシュライトはかなり強烈な光を放つので、大抵の人間ならば、この光を直接目に照射されたら、一瞬、怯んで動けなくなるレベルだ。
確かに、戦術的には、暗い屋内でライトを使うのは、こちらの居場所を教えてしまうようなものだが、家の中に充満する麻酔ガスで容疑者がぐっすり眠っている場合は無関係だ。
廊下の先にある部屋に、容疑者が一人、仰向けになって眠っていた。タンクトップとジーンズといういで立ちで、上半身全体に入れ墨が掘られている。トリプトンが近づいて確認すると、そいつは肩からスリングでAK-47か56式歩槍と思しき小銃を吊り下げ、ズボンの前にワルサーP99を差している。そいつが悪者であることは明らかなので、トリプトンは熟睡しているそいつから銃を取り上げ、プラスチック手錠で両手両足を縛る。
制圧済みの部屋の扉には、蛍光ペイントで印を付けておいた。こうしておけば、βチームが制圧済みだということ知り、二度手間にならずに済むし、自分たちもどの部屋が捜索されていないかどうかを簡単に判別することができる。
ブルース・パーカーは階段をゆっくりと昇って行った。音を立てずに、空き巣の如き忍び足で進んでいく。
階段は待ち伏せにはうってつけの場所で、昇っていくにはかなりのリスクがつきまとう。しかし、2階にも催眠ガスがしっかり回っているせいか、物音を聞きつけて起きて来る人間はいない。階段を登りきると、廊下が真っすぐ伸びていて、すぐ右側に扉があった。
パーカーはそっとその扉を開けた。中は無人で、その代わり、AKやRPG、更にはPKMなどの武器が並べられている。
「こいつはまた・・・・」
パーカーは並べられた武器を眺めて言った。これらの武器を使った襲撃テロが起きたら、間違いなくかなりの犠牲者が出るだろう。他の箱を開けてみると、信管やリモコン装置、ダイナマイトかANFOと思しき爆薬が収められている。
「こりゃ大変だ。押収するにも、かなり時間がかかるぞ」
ピーター・スチュアートが低い声で言う。
「ハワード、パーカーだ。物凄い数の銃や爆薬を見つけた。俺たちは2階を抑えるから、お前らが1階の制圧をやってくれ」
ややあって、トリプトンから返事が届く。
『了解した。今のところ、タンゴを4人拘束して、床に転がしている』
「こっちは1人拘束した。以上」
ジョン・トラヴィスとマルコ・ファルコーネは、2階の武器が置かれている部屋とは別の部屋の中へそっと侵入した。ビールやウィスキーの瓶と共に、男が1人、床に転がっている。そいつはぐうぐう眠りながら、右手でウージを握っていた。トラヴィスがそいつからサブマシンガンを没収し、プラスチック手錠で両手両足を縛って動けなくする。他にこの部屋に人間はいなかった。
トラヴィスとファルコーネは、制圧したことを示す特殊な蛍光シールを部屋の扉と入り口の辺りに貼り付けた。これで、この家屋の全てを制圧したことになる。
「こちらβ。2階の制圧完了。繰り返す、2階の制圧を完了」
『α了解。こっちも1階の制圧を完了した。地元警察を呼んで、武器の押収と容疑者の移送を頼もう』
10月15日 0318時 ドイツ レーオンベルグ郊外
警察が容疑者の移送のために護送車を寄越してきたのは、1時間以上も経ってからだった。容疑者はその間に目を覚ましたが、既に両手両足を拘束され、完全に動けなくなっていた。そいつらは、スワヒリ語で何やら罵り言葉を吐いていたが、警官はそいつを無視して護送車に乗っけた。
「さて、やっと撤収か」
トリプトンは目を擦り、銃に安全装置をかけ、弾倉を取り外して薬室から弾を抜いてから言った。
「こいつは超過勤務だぞ。2日は休みにしてもらわんと、割に合わん」
パーカーは文句を垂れた。
「ハワード、ボスから伝言だ。2時間以内に向かえのヘリを寄越すだと。で、帰ったら、俺たちは即、2日間の休暇に入って良いだと」
スマホで通話していた柿崎がトリプトンに話しかけた。
「でないと困る。こんな状態で射撃訓練なんてやったら、間違って射撃レーンの隣の奴どころか、自分の脚を撃ちかねない」
「言えてる。それじゃ、とっとと帰ろうや」
「ああ。シャワーを浴びて、飯を食って、たっぷりと眠ろう」




