侵入者
8月22日 1033時 スペイン アルへラシス
スペインでは、ここ数日、夏らしいカラっとした天気が続いていた。そして、スペインでありながらイギリス領の隣町であるここでは、毎日、モロッコからやって来る船が、更には空港に着陸する飛行機が観光客やビジネスマンなどを吐き出していた。
スペイン当局は、つい先月、隣国のポルトガルで大規模テロが発生したこともあり、神経を尖らせていた。ここで警備をしている国境警備隊員や警察官はヘッケラー&コッホのG36自動小銃やMP5短機関銃、USP自動拳銃で武装し、怪しげな人物に目を光らせている。
当局の係官がモロッコからやって来た男のパスポートををチェックしていた。そいつは、30代後半程で、口髭を蓄え、黒い目をしている。パスポートにはイタリアの他、トルコ、モロッコ、チュニジアといった国々のビザがスタンプされているのがわかる。
「今回は何の御用で?」
「ビジネスです。私は石油関係の会社に勤めておりまして、最近、アフリカで見つかった油田の開発の監督をしていたんです。しかし、一時的にこっちの本社でどうしてもやらねばならぬことができたんで、戻って来たんですよ」
「わかりました。滞在期間はどれくらいになります?」
「本社での事務仕事がだいぶあるという話なので、2週間程度ですね。それ以上延びる予定は無いです」
「そうですか。スペインへようこそ」
税関職員は男のパスポートに査証を押した。
8月22日 0947時 ドイツ ユーロセキュリティ・インターナショナル社
夏の暑い日差しの下、真っ黒なアサルトスーツと防弾チョッキ、ヘルメットを身に着け、FN-SCAR-Lをスリングで肩から下げた男がペットボトルの中身を一口、喉に流し来んだ。
この気候では、真っ黒な戦闘服や防弾チョッキが熱を吸収し、あっという間に身体を蒸し焼きにしていく。確かに、この社屋が立てられているのは郊外で、一番近くのスーパーマーケットや複合娯楽施設まで行くのに、車で30分は走らねばならない程周囲には何もない場所だ。しかしながら、ジョン・トーマス・デンプシーがこんな辺鄙な場所に社屋を建設したのは、非常に単純な訳がある。敵が襲撃してきても、周囲を見渡すことができる環境ゆえ、こちらに接近してくる不審な車両や航空機、不審者を簡単に目視で見つけることができるからだ。
甲高い声を上げて、トンビが一羽、社屋の上を旋回し始めた。あれがマガモだったら、レミントン870にバードショットを装填して撃って、夕食にするのにな、と柿崎一郎はそんな飛んでいるトンビを眺めながら思った。彼は防弾チョキ、野球帽、チノパンにスニーカー、サングラスという軽装だが、腰回りにマガジンパウチを付け、レッグホルスターにはグロック19を入れ、肩からスリングでHK416アサルトライフルを下げている。
今日の午前のスケジュールはがら空きだったため、柿崎は警備も兼ねて、武装して社屋の中をふらふらと歩くことにしたのだ。
夏も終わりの時期に差し掛かってはいるが、まだ気温は30度を軽く超える日が続き、クーラーが効いた部屋の中で、キンキンに冷えた緑茶を飲んでアイスクリームを食べる毎日が続いている。しかし、アイスクリームを食べ過ぎると、その分のカロリーを消費するために、炎天下の中、アスレチックコースを走るというペナルティが待っている。
「よう、イチロー、こんなところで何をしているんだ?」
柿崎が声がした方を見ると、自分と同じように軽装でありながらアサルトライフルと拳銃で武装したマグヌス・リピダルが話しかけてきた。
「暇だからフラフラ散歩をしていただけさ。シュトゥットガルトに行こうにも、車でかなり走らなきゃならんからな」
「確かにな。買い物には不便な場所だが、こんな辺鄙な場所に襲撃に来ようとする酔狂な奴なんてほとんどいやしないからな。それに、ここは要塞みたいな場所だ。そうだな、俺がここを攻撃するなら、まずはアパッチ攻撃ヘリとリーパー無人機からヘルファイアミサイルで対空火器を片づけて、それからM1A2エイブラムズ戦車を先頭にして歩兵部隊を突っ込ませるな。ヘリボーン部隊を展開させるために、ブラックホークやオスプレイも必要になるな。問題は、こっちは地対空兵器をたっぷり用意しているというところだ」
敷地内の道路を、運送会社のトラックが走ってきて、所定の貨物エリアに停車した。トラックは重武装した警備員によって、シャーシの下まで鏡を使って丹念に調べられ、別の警備員が事前に運送会社から提出された積み荷の目録と積み荷の中身を照会していた。トラックの運転手は初めてここにやって来たのか、HK416を持つ重武装の警備員を見て目を白黒させていた。柿崎が近くの櫓から狙撃手が、PSG-1狙撃ライフルでトラックの運転手に狙いを付けていることに気づいたが、わざわざその事を運転手に教えようとは思わなかった。
ユーロセキュリティ・インターナショナルのボスであるジョン・トーマス・デンプシーは固い椅子に座り、机の上のPCのモニターを眺めていた。
世界中に派遣している警備グループから毎日送られてくるレポートに目を通し、それを情報部に転送して精査するよう指示を出す。
それが、デンプシーの日課だ。しかしながら、ここ数週間はヨーロッパやアフリカで吹き荒れていたはずのテロの暴風が、まるで平穏な日常を取り戻したかのように止んでいる。
しかしながら、デンプシーはこの静けさを、むしろ不気味に感じていた。ジョン・ムゲンベは、こんな生易しい人間では無い。非常に残忍で、狡猾かつ慎重な人間だ。
3年前、南アフリカ軍の情報部が、ムゲンベの組織に諜報員を送り込むことに成功したことがあった。そいつは2年間、身分を隠して、南アフリカ軍にムゲンベの組織について貴重な情報を送り続けていた。
だが、そいつは、ほんの些細なミスから、自分がスパイであることをムゲンベに知られてしまった。
ムゲンベは、まずはそいつを拷問することは無かった。その代わり、潜入捜査官の家族と親族を拉致し、まずは彼の5才の娘を、文字通り手の小指の第一関節からバラバラに切り刻む様子をインターネットの生中継で見せることから始めた。
遂に、そいつは口を割ってしまったが、最終的には、諜報員とその家族は皆殺しにされた上、南アフリカを始め、アフリカ諸国やヨーロッパ諸国はテロ組織に潜入させたスパイに対して撤収し、本国に帰国せよとの指示を下さざるを得ない状況に追い込まれた。拷問された諜報員が、他のスパイの存在を漏らしてしまったからだ。
オフィスのドアをノックする音の直後、そのドアが開き、カート・ロックが右手にA4サイズの紙の束を持って現れた。
「何か見つけたか?」デンプシーがロックに訊く。
「大したものでは無さそうです。しかし、アラビア語とスワヒリ語、アフリカーンス語の通信を拾いました。内容ですが、ヨーロッパにチームを送り込んだとかいう内容です。抽象的過ぎますが、内容的には見逃せません。奴らがまた良からぬことを企んでいるのは明白です」
ロックはデンプシーにプリントアウトを差し出す。
「ああ、こいつは間違いないな。諜報チームを可能な限りヨーロッパ各地に派遣してくれ。どんな些細な情報も見逃すな。爆弾が炸裂するか、毒ガスやウィルスが撒かれるか、それともテロリストがカラシニコフを街中で乱射して回るかわからんが、何かをしようとしているはずだ。何をしようとしているか、今はそれについては気にしないでいい。問題は、いつ、どこで奴らがやらかそうとしているのか。それだけだ」




