傍観者たち
7月31日 1040時 ポルトガル リスボン
そこら中でサイレンが鳴り響いている。周囲は煙に包まれ、ガラスや金属片、コンクリートの破片などが地面に散乱していた。血を流す人が道路にうずくまり、千切れた腕や脚が転がっているのがわかる。
救急隊員や警察官は、まずはトリアージをすることにした。軽傷者は急ごしらえの救護所で手当てを行い、重傷者は救急車で運ぶことになった。
「まずは道路を封鎖して、マスコミ連中をこの場から遠ざけろ!それと、報道ヘリを近づけさせるな!奴らは救助活動の邪魔にしかならんからな!」
「おーい、手伝ってくれ!この人を担架に乗せて、救急車に運び込むんだ!」
「そうだな、仮の救護所を近くの公園に設置しろ。軽傷者はそこで応急手当をしろ。そうじゃないとパンクしちまう!」
警察が設置した封鎖線の外側では、スマホを持った野次馬やマスコミ連中が詰めかけていた。だが、テロリストはそういった連中を狙って、時間差で爆弾を爆発させたり、化学兵器をばら撒いたりすることもある。そのため、警官たちは神経を尖らせていた。
7月31日 1043時 ポルトガル リスボン 警察署
「こいつはまた。プラスチック爆弾かな?」
マグヌス・リピダルはテレビを眺めて言った。どうやら、ヘリからの生中継の映像のようで、爆発現場からは未だに黒煙が立ち上っている。どうやら、何か可燃物に引火しているようだ。
「それにしても、何処に仕掛けたんだ?車では無さそうだ」
ジョン・トラヴィスはコーヒーを一口啜り、ミルクを垂らした。とりあえずは、自分たちが出ていくことは無さそうだ。アテネで起きた時は、この後でテロリストがカラシニコフ小銃を撃ちまくって大暴れしていたが、ここではそういう事はしていないようだ。
「問題は、他に爆弾を仕掛けられていたり、化学物質を撒かれる可能性があることだ」
「それに、犯人はとっくのとうに高跳びしているだろ。起爆装置に携帯電話を使っていれば、犯人がケープタウンにいようが、ブエノスアイレスにいようが、南極にいようが短縮ダイアルををポチッとすればドカーンだ。奴は今頃、衛星中継でこれを見ているだろうよ」
マルコ・ファルコーネは4杯目のコーヒーをカップに入れ、その中に砂糖とミルクを追加してスプーンでかき回した。
「言えてる」
柿崎一郎はキャラメルを口の中に放り込み、タブレット端末を操作し始めた。テーブルの上には新聞が置かれているが、ポルトガル語が読めないので全く手を伸ばす気にもなれない。
「それで、俺たちはどうすればいい?この後、テロ事件の捜査に協力するのか?犯人を制圧することならできるが、証拠品を集めて犯人像を特定するという訓練は受けていないぞ」
ジョン・トラヴィスはそう言って腕組みをし、壁に背中を預けた。
「さて、まずは町を封鎖かな。そして、犯行声明が出るかどうかを見極める必要があるな」
署内では電話が鳴りっぱなしだった。だが、警察官たちはそれらを取ることは無く、慌ただしく走り回っている。電話を受けるオペレーターはパンク寸前になっていた。
「いいか!暫く電話の受け付けはストップしろ!とにかく、さっきの爆弾事件への対応を最優先でやれ!それと、GOEを出動させて、警戒に当たらせろ!第二、第三の爆弾が時間差で爆破させられるかもしれん!爆発物処理班を出動させて、町中を虱潰しにするんだ!それと、現場にマスコミ連中を一切入れさせるな!ひと段落するまで、記者会見は無しだ!それと、町の各所に検問を設置しろ!公共交通機関もストップだ!」
「まずは現場の状況を確認するんだ!封鎖は終わったか!?」
ハワード・トリプトンはスマホでユーロセキュリティ・インターナショナル社のメッセージサイトを開き、署内で耳をそばだてて手に入れた情報を書き込んでいた。このサイトは、柿崎一郎が提案したもので、日本の掲示板サイトと仕組みがよく似ているが、ユーロセキュリティ社のIDとパスワードが2つ必要なため、誰でも簡単にアクセスできるものではない。
さて、今後の行動指針がどうなるかはポルトガル警察とユーロセキュリティ社の方針次第だ。問題は、こうした事件の捜査に協力する権限が無いということだ。
7月31日 1047時 西サハラ某所
ジョン・ムゲンベはタブレットPCでニュース番組を眺めていた。ずっとポルトガルで発生したテロ事件の様子を伝えている。どうやら、今回の攻撃は上手くいったようだ。さて、イベリア半島にいる工作員を呼び戻さねばならない。勿論、通常の手順で出国させるのではなく、数回に分け、数日に渡ってクルーザーやビジネスジェットを使い、西アジアと東南アジアを経由してアフリカに戻ることになっている。
さて、次の作戦も実行に取り掛からねばならない。自分の作戦が成功しているおかげで、ヨーロッパの経済がガタガタになりつつある。テロ事件を恐れて観光客は忌避しつつあるのと、ビジネスマンがヨーロッパとの企業の直接の取引を停止したり延期したりしているせいだ。そう考えると、この作戦は成功しているとも言える。
このキャンプは地元の遊牧民が使っているものと同じテントを利用していた。遊牧民に偽装して行動するため、羊を数十頭程度引き連れている。まあ、その辺に生えている草を食べさせておけばいいし、羊の肉は食料にもなる。
そろそろ衛星が通過する時間だ。外にいる部下たちは武器類をテントやトラックの中に隠し、羊の世話をしているかのように振る舞い始めた。この衛星が通過するのは20分程度。その間、テロリストたちは行動を偽装していた。
衛星が通過する時間が過ぎると、テロリストたちは行動を開始した。銃をトラックに積み込み、ガソリンを補給する。素早くキャンプを畳み、移動するのだ。車で移動するグループと、羊を連れながら、馬で移動するグループに分かれて、次の目的地を目指すのだ。
「ボス、次の目的地は昨日のミーティングで言っていた場所で間違えないですか?」
「ああ、そうだ。気を付けろよ。間違っても、モロッコの国内に入らないようにしろ。あの辺りはアメリカ軍やドイツ軍、フランス軍の無人機がうようよしている。下手に行動すればミサイルが飛んで来るから注意せねばならんな」
「わかりました。では、この後、ソマリアで会いましょう」
「そうだな」
ムゲンベは部下を連れて荒れ地の真ん中にいた。やがて、南の方から小さな機影が現れた。それはDHC-6-400ツインオッターだ。ムゲンベたちはそれに乗り込むと、飛行機は荒れ地を短く滑走してから飛翔した。この後、アルジェリア、リビア、チャド、スーダン、エチオピアを経由してソマリアを目指す。
小さな飛行機は静かにターボプロップの音を立てながら空を飛んでいく。トランスポンダーのナンバーは偽装しており、簡単に見つからないようないなっている。まあ、アフリカで早期警戒機を持っているのは、エジプト空軍だけだ。おまけに、経由する国の早期警戒レーダーなんて旧式で、ある程度低く飛んでしまえばあっという間にレーダーは見逃してしまうだろう。どうせ間抜けな西側の連中はこっちを見つけることは難しいだろう。だが、ほんのちょっとした油断が命取りとなるため、これまで通り慎重に行動することに越したことは無い。これから目立つ行動は、暫くは避けるべきだろう。




