朝の惨劇
7月31日 1033時 ポルトガル リスボン
街中のそこら中からパトカーや消防車、救急車のサイレンが鳴り響いていた。救急隊員や消防士、警察官が車から降りて、まずはけが人の救護、現場の封鎖を開始した。しかしながら、けが人の人数も多く、トリアージは困難を極めた。
そこら中からけが人のうめき声が聞こえてくる。地面にはガラスの破片や金属片、そして人間の肉片が飛び散り、血だまりが広がっている。正に地獄絵図と言ったところである。
「とにかく、軽傷者と重傷者を分けるんだ!病院の空きを確認しろ!」
「その人はもうダメだ!」
「その車を移動させろ!畜生!なんでこんなことに!」
指揮系統を上手く確立することができず、現場は大混乱に陥っていた。駆け付けた救急隊員も警察官も、このような事態に全く慣れていないため、その場しのぎ的な対応をせざるを得ない状況だ。
「軽傷の人はその場で手当てして済ませろ!重傷者を優先して救急車に乗せるんだ!」
「くそっ!とにかく、市内の病院に片っ端から連絡を入れて、受け入れてもらうしかない!」
「負傷者を一ヶ所に集めろ!それからトリアージして搬送するんだ!」
7月31日 1034時 ポルトガル リスボン上空
「こいつはまずい。爆弾か、これは?」
アラン・ベイカーがMH-60Lのキャビンから地上を見下ろした。まだ煙がもくもくと立ち上ってよく見えないが、多くの人々が道路に横たわり、上空からも血だまりが分かるほどの惨状だ。
「爆弾だけとは限らんぞ、もし、化学剤も混じっていたら、不用意に近づけばまずいことになる。ガスマスク用意していたか?」
「ああ、あるぜ。それで、どうするんだ、ジョージ。まずは通報しないとな」
「当然だ。さて、俺たちはなるべく邪魔にならない場所から監視するとしよう」
7月31日 1036時 ポルトガル リスボン 警察署
警察署では、電話が鳴りっぱなしだった。
「いいか!けが人の要請は全部消防に回せ!こっちはそれにいちいち対応している暇は無い!それから、今、出ている全ての警官に町を封鎖するように指示しろ!まだどこかに爆弾が仕掛けられている可能性も高い!爆発物処理班を出動させて、町中で爆弾が仕掛けられていそうな場所を捜索させろ!爆発物探知犬部隊も出動だ!」
ロドリゴ・ボルジェス警部は一通り指示を与えると、連絡をするのを辞めた。一人で無線のチャンネルを握り続けると、他の部署からの連絡ができなくなり、指揮系統の確立と意思疎通に支障をきたす。
「警部!消防と救急隊から応援要請です!」
「くそっ!まずは、搬送できる病院を探させろ!それと、現場を急いで封鎖するんだ!マスコミ連中が近づいてきたら、邪魔しかしないからな!」
7月31日 1037時 ドイツ シュトゥットガルト ユーロセキュリティ・インターナショナル社
まただ、とジョン・トーマス・デンプシーCEOはモニターの光景を眺めながら思った。チャンネルはポルトガルのテレビ局に合わせている。現場から遠く離れた場所から撮影しているらしく、リポーターは現場の様子はよく見えないと繰り返すばかりだ。
「ボス、これは・・・・」
一緒にモニターを眺めていたブレイン・コックスという男がデンプシーに話しかける。この男はカナダのJTF-2出身だ。
「ある程度は予想されていたことだ。それに・・・・・」
PCからアラート音が聞こえてきた。デンプシーがマウスを動かし、メッセージアプリを開く。
「こっちはビンゴか?どうやら・・・・・」
メッセージの内容は、UAEに展開していた班が強襲作戦を行い、軍の部隊と共に毒ガスの素材となる化学物質を押収したというものだ。それの送り先はギリシャだということが判明したのだ。
「これはまた。ムゲンベの奴のプレゼントか?こいつが予定通りに届け先に届いていたら、大変なことになっていたな」
「その通りです。奴は、完全に我々に戦争を仕掛けてきています。それも、普通とは違う方法で。そして、法的に軍や警察が奴らと同じルールで戦うことはできません。しかし、我々にはできます。奴らに不意打ちを食らわせ、密かにこの世から"消去"するのです。そのための我々です」
「さて、反撃の用意をしなければな」
「その通りです。しかし、いくら警戒したところで、今回のような事態は今後も起きてしまうでしょう。完全に予防するとこは、ほぼ不可能です。情報をしっかりと集め、精査し、そして奴らに先制攻撃を仕掛けない限りは」
「先制攻撃か・・・・・」
それこそ、このユーロセキュリティ・インターナショナル社に求められていることの一つだった。自分たちが存在している理由、それは軍や警察、情報機関が合法的に行うのが不可能なやり方でテロや凶悪犯罪などを未然に防止すること。そのような予兆があった場合、非合法に部隊を送り込み、テロリストを"除去"し、武器を奪い取る事。それが自分たちの使命だ。
「そうだな。後日、NATOのお偉いさんたちに打診してみよう。まずは、情報を集めねばならない」
「そうですね。しかし、今回は失敗でしたね。情報が流れておきながら、防ぐことができなかったのですから」
「まあ、現実はそんなもんだよ。我々だって何年も前に同じようなことを経験したさ。ブレイン、覚えているか?我々がこれを立ち上げた直後に発生した、マンチェスターでのテロ事件を」
「ええ。勿論です」
ユーロセキュリティ・インターナショナル社が駆け出しの警備会社として活動を始めた直後、マンチェスターで連続爆破テロが発生し、多数の犠牲者が出るという事があった。しかも、そのテロに関してはイギリスのMI6とMI5が事前に情報を掴んでおり、軍がSASやSBSの部隊を密かに国内に展開させ、捜査を行っていたのだ。
だが、情報部が掴んでいた情報は、ほんの氷山の一角だった。また、現場の諜報員が敵の行動を見誤ったこと、敵はスワヒリ語を主に使っていたのに、スワヒリ語の専門家が部隊にいなかったこと、そして、自分たちが調査していた連中が、イギリス国内でテロを引き起こそうとしていることに情報部の幹部連中が全く気付けなかったことが不幸な結果を招いた。MI6の工作員が、誤った情報に基づいて作戦の指示が出ていたことに気づき、本部に警告を送った時には、マンチェスター市内の各所で爆弾が炸裂し、多数の死傷者が出てしまった後だった。
この後が大変だった。MI6とMI5は議会で吊るし上げを食らい、作戦を担当した上級工作担当官や幹部クラスの連中の首が幾つも飛んだ。この二つの情報機関はこの事件を契機に、上級職員の約8割程が交代するという騒ぎにまでなったのだ。
「まずは、ハワードたちに何かしらの指示を出さねばならない。今後の捜査はポルトガルの担当になるだろう。ハワードには、ポルトガル警察の指示で動くように命令しておく。それと、必要なバックアップはすぐに行えるように準備しておいてくれ」
「了解です、ボス」
コックスが出ていくと、デンプシーは椅子から立ち上がりストレッチを始めた。最近はスーツ姿で勤務することが少なくなり、代わりにコンバットブーツ、アサルトスーツ、防弾チョッキー、タクティカルベスト、そしてワルサーP99を入れたレッグホルスターと予備弾倉を入れたマガジンパウチという恰好でいることが多くなった。
さて、彼らを呼び戻すか、それともポルトガルで作戦行動を続けさせるかが問題となってくる。だが、それを決めるのは自分たちでは無くポルトガル当局の方だ。




