狩りの前
7月9日 0934時 ドイツ ユーロセキュリティ・インターナショナル社
カラッとした日差しの中、敷地へ次々と徒歩で、自転車で、更には車で、職員たちがやって来た。そんな見知った顔の彼らであっても、自動小銃と拳銃、コンバットナイフ、テーザー銃、催涙スプレーで武装した警備員は、いつもの手順でIDを確認し、網膜スキャン、指紋認証を受けさせ、敷地の中へ向かえ入れる。そして、出社した職員のうち、現場要員と警備員たちは武器保管庫へ向かい、自動小銃や散弾銃と弾薬を受け取ってそれぞれの持ち場へと歩いていった。
ハワード・トリプトンは武器庫でFN-SCAR-Mk16と予備弾倉を受け取った。胸のホルスターにはスミス&ウェッソンのM&P9拳銃、レッグホルスターにはスプリングフィールドXDM拳銃が収められ、腰のパウチには予備弾倉、チェストリグにはスモークグレネードとフラッシュバンが収められている。武器庫には、銃器や弾薬類の他、対戦車兵器や携行式地対空ミサイル、果ては対戦車地雷や迫撃砲も保管されている。
トリプトンは、武器を持ったまま、まずは情報部の建物へ向かった。
情報部は、正門から入って敷地内のメインストリートを500m程真っ直ぐ進み、十字路を右に曲がってから突き当たりまで真っ直ぐ進んだ場所にある。途中、同じ場所へ向かっている山本肇に出会った。
「おはよう、ハワード」
「よぉ、調子はどうだ?」
「まずまずってとこだな。それにしても、急に静かになったな。テロリスト連中も夏バテしてんのか?」
山本は冗談めかして言ったが、勿論、本気でそんなことを思っている訳では無かった。
「まあ、こっちはこっちで"猟犬"を放ったからな。奴らは鼻が利く。何かあれば、即座に吠えて知らせるだろう」
トリプトンが言った"猟犬"とは、ユーロセキュリティ・インターナショナルの情報収集班のことだ。彼らは、モサドやMI6、更にはCIAの現場工作員の中でも特殊な部門に所属したことがある連中だ。現役時代は、決して表沙汰にならないような『特殊任務』に従事していたこともあり、部隊としてどころか、個人としても、存在自体していないとされていた者たちばかりだ。
「さて、こっちは網を用意した。後は、何が引っかかるか次第だな」
7月9日 1002時 ソマリア モガディシュ
ジョン・ムゲンベは、側近の一人が運転するトラックの助手席に座っていた。ソマリアは、もう30年近くも無政府状態が続いている状態だ。経済構造は完全に破壊され、"国民"の大半は、農業か漁業を除いたら、海賊か武器、薬物などの闇市場の取り引きで生計を立てている。1990年代から始まった内戦は続いており、全く出口が見える様子は無い。最初のうちは、アメリカ軍を中心とした国連軍が派遣されたため、下火になったかのように見えたが、最終的には、国連軍は匙を投げて、撤退した。その結果、ソマリアという国は、完全に破壊された。そして、国民は、沿岸を通過する商船などを襲い、物資を略奪したり、人質を取って身代金を要求したりする他、生活を続ける手立てが無くなった。しかし、今は、アメリカ軍を始めとする国連海賊対策軍がジプチやオマーンに派遣され、鎮圧に乗り出している。
ムゲンベは、この状況を作り出したのは、国連軍や西側の方だと考えていた。奴らが余計なことをしなければ、アフリカは貧困などから抜け出し、もっと発展することができる。しかしながら、エジプトや南アフリカ、ケニアなどは、例外だ。あれらの国は、金儲けのために、大規模に海外資本を導入した。言ってしまえば、欧米諸国などに、魂を売り渡したのだ。だが、このことを考えるのは、また後で良い。次の作戦に集中せねばならない。
7月9日 1014時 ドイツ ユーロセキュリティ・インターナショナル社
カート・ロックは、情報部の自分のデスクに座り、キーボードを叩いていた。つい先日、アフリカと中東に派遣された警備班に、再びポータブル情報収集装置を持たせたばかりだ。PCの画面には、そのうちの幾つかが稼働状態にあり、傍受した無線通信や電話通話の内容を文字に起こしている。が、どれもこれも、どうでもいいような日常会話や一般市民の下らないおしゃべりばかりだ。
ロックは、目を擦り、背もたれに背中を預けた。情報部は、非常に退屈な場所だ。そこには、秘密兵器を開発する怪しげな博士も、仕事の度に美女と冒険を繰り返すハンサムでプレイボーイなスーパースパイもいない。いるのは、現場に出かけている警備部隊から報告を受け、その情報を精査する分析家たちだけだ。自分たちは、銃を撃ったり、格闘でテロリストをねじ伏せる訓練は受けていない。だが、獲物がどこにいるのかを知らせ、これからの行動指針を決めるという重要な役目を担っている。だから、ロックは、この仕事を退屈だと感じたことは、一度も無かった。




