SECT.3 告白
ここのところ、カシオに到着してすぐに見つけた町外れの剣術道場だった場所を稽古に使っていた。
その場所を使ってサブノックを呼び出してくそガキと引き合わせると、黄金獅子の末裔は思ったとおりあっさりと悪魔の承諾を得ることができた。
アガレスとフラウロスのコイン、グラシャ・ラボラスの左腕、マルコシアスとクローセルの羽根――そしてサブノックの武器。
こいつは一体何人の悪魔の加護を受ければ済むのだろうか。
その上ねえさんに口に出すなといわれたが、額に魔界の王リュシフェルの印を刻んでいる可能性もある。
道場から寝泊りする屋敷へ帰る途中、くそガキは途切れることなく王都での生活を嬉しそうに報告していた。学校へ通った記憶のないこいつにとって同い年の少年少女と過ごすのはいい経験になったようだ。
ヴィッキーと言う女性騎士にはかなり懐いていたようで、何度も何度も名前が出てきた。
王都でどれだけ満たされた生活をし、充実した日々の中で稽古に励んでいたのかがよく分かる。
ところがガキは、唐突に信じられないことを言い出した。
「朝起きたら首のコインがなくなっててさー」
一瞬何を言っているのか理解できなかった。
聞き返すことも出来ず眉を寄せると、ガキはへらへらと笑いながらコイン喪失と捜索の話を始めた。
どうやら貴族出身の娘が、平民と結ばれたいがためにレメゲトンの地位を狙いコインを盗んだというのがおおまかなあらすじらしかった。
事件解決まで話し終えると、ガキはポツリと呟いた。
「ねえ、アレイさん。レメゲトンってさ、やっぱすごいの? みんながなりたいって憧れるくらい?」
「そうだな、事実上王に次ぐ位だからな」
それでも、自分は願ったわけではなかったしできることなら悪魔の気を持つ体など欲しくはなかった。
大切な家族を死に追いやったのは紛れもない自分なのだ。
「おれやっぱりまだよくわかんないよ」
悲しそうに目を伏せた少女はポツリと呟いた。
「でもおれはもうヒトに触れないよ。きっと……迷惑かけちゃう。だっておれは生きている限り悪魔の気を発し続けるんだから」
その言葉にはっとした。
自分が負った枷と同じだったから――
グラシャ・ラボラスのコインが埋め込まれた左手を持ったこのくそガキと、悪魔の血を受け継いだがためにヒトに触れられぬ自分は、同じ心の痛みを抱えている。
コインの埋め込まれた左手を震えるほど強く握り締め、グリフィス家の末裔は立ち止まった。
つられるように足を止める。
夜の冷やりとした空気の中に二人並んで外には出せぬ心の痛みを抱えていた。
同じ痛みを負っている。
とても不謹慎な事に急に距離が近づいた気がした。
これから生きていく先、悪魔の気を持った事で何度も何度も傷つくだろう。人に触れられぬ事で寂しさを一人抱える日もあるだろう。
その痛みを互いに癒す事はできないのだろうか。
震える左手にそっと手を添えた。
見上げてきた漆黒の瞳は今にも泣きそうだった。
「アレイさん。もしかしてアレイさんも――」
自分の中の痛みにも気づかれてしまったようだ。
それでも、口に出さなくていい。言葉にしても仕方のないことだ。また、互いに傷つけあってしまうだけだろうから。
その先の言葉を阻むように、桃色の唇にそっと人差し指を当てた。
口を噤んだくそガキの手を引いて、もう一度夜の街を歩き出した。
コインの埋め込まれた手を引きながら、ほんの少し満たされた自分に罪悪感を覚えていた。
この左手があることで傷ついた少女を見ていくらか癒されてしまったからだ。人の傷を見て癒されるような事、あってはならないのに。
すると少女は、唐突に口を開いた。
「傍にいて、いい?」
何の脈絡もないその言葉に驚いて振り向くと、なぜか泣きそうな顔をしたガキの瞳が真直ぐにこちらを向いていた。
「おれはアレイさんに傍にいて欲しいよ。隣で戦いたいよ」
それは今までと少し違う言葉だった。
これまでは一方的に「傍にいて欲しい」と求めていた少女が初めて隣にいたいと言ったのだ。
どういうことだろう。
「おれはあなたの隣にいていいのかな……?」
上目遣いに求める視線は熱に浮かされたように浮かび上がった。
この言葉は知っている。
自分がずっと心の中で飲み込んできた言葉だった。
まさか――
「ラック」
名を呼ぶと、少女は何かを希うようにつないだ手を握り締めた。
「俺はお前の父親にはなれない」
もしこれまでと同じ感情だとしたら、自分はそれに耐えられない。
自分と同じ感情を返して欲しいという欲望はもう留められないところまできていた。
「もしそれを望むなら隣にいてやることは出来ない」
きっと自分の心が耐え切れずにまた深い傷を負ってしまうから。
傷つきたくないと思うくらいは許してもらえるだろうか。それともこんな問い自体が卑怯なのだろうか。
ところが少女は首を横に振った。
「違うよ」
背まである黒髪がさらさらと揺れて象牙色の頬にかかる。
その頬にはほんの少し紅が差していた。
「傍にいて欲しいと思うのも触れて欲しいと思うのも……こんなにもワガママを言うのはアレイさんだけだよ」
それはどういう意味だろう。
ねえさんに向ける感情とは別に、もっと深い感情を自分に向けてくれているというのだろうか。
そう遠くない未来、あなたの気持ちを理解するようになるはずよ、と言ったねえさんの言葉がよみがえる。
本当にそうなのか?
期待してもいいのか?
ひどく動揺した。ずっと望んでいたことだったのに
「もし違うと言うのなら」
俺は。
迷うことなく――
「どうしたの?」
突然言葉を切った自分に、不思議そうな声がかかる。
まったく、どうしてくれよう。
「続きは、また今度だ」
「え?」
「邪魔が入った」
予測したとおりの声が夜の街並みに響き渡る。
「ウォル先輩っ!」
同時に後ろから重圧がかかって、首の回りに腕が回された。
癖のある茶髪が首に当たってくすぐったい。
「離れろ、ルーパス」
もしかすると結ばれていたかもしれない瞬間を邪魔されて、思った以上に苛々していた。
手加減なしでその体を弾き飛ばして大きなため息をついた。
「邪魔しやがって」
「邪魔でした?」
「当たり前だ!」
本当にもう苛々する。
何故このタイミングで現れるんだ。
対してくそガキは突然乱入した炎妖玉騎士団の少年に驚き、目をぱちくりしていた。
「ねえ、アレイさん。このヒト、誰?」
「こいつは対 幻想部隊『覚醒』のメンバーの一人、ルーパスだ」
ルーパスはなぜかその猟犬のような目でくそガキをきっと睨みつけた。
「ウォル先輩は渡さん!」
さっきの会話を聞いていたのか?まさかそれを感知して邪魔しにきたのか?
だとしたら一度本気で怒る必要がありそうだ。
「ウォル先輩ってアレイさんのこと? 渡さんって、別にアレイさんはお前のものじゃないんだろ?」
「うるさい! これ誰なんすか。騎士にも見えないし、やたら先輩になれなれしいし……」
ああ、そうか。
このくそガキの肩書きを知っていたらこんな事にはならなかっただろうか。
「お前は今日のお披露目にいなかったのか? こいつは新しくレメゲトンとしてやってきたラック=グリフィスだ」
そう告げると、ルーパスは真っ青になった。
レメゲトン就任以前からの知り合いである自分は別にしても、グリフィス家の末裔に対してこの態度をとればそれなりの処分は免れない……普通ならば。
「不敬罪は勘弁してやる。どうせこのくそガキもそんな事など気にしていない」
「えと、ルーパスだっけ? おれはラック。よろしくな!」
ガキはにこりと笑ったが、ルーパスはすごい勢いで膝をついて頭を下げた。
「失礼しました! ご無礼をお許しください!」
あからさまに困っているくそガキが目で助けを求めてきたが、答えられずにもう一度大きくため息をついた。
どうやってこのくそガキの中身を伝え、この大げさな畏敬を解くか……非常に難解な問いだった。




