SECT.2 新シイ武器
部屋を出てすぐ、黒髪のレメゲトンが追ってきた。
「アレイさん」
「どうした」
「あのね、実はね……王都の城下町まで一緒に買いに行った小太刀があったじゃん」
「それが?」
「ずっと使ってたらぼろぼろになっちゃって……」
くそガキがそう言いながら鞘から抜いた小太刀は刃こぼれしてもうろくに切れはしないだろう状態になっていた。それだけでなく峰の方からひびも入っている。
いったいどうやって使えばこういう状態になるんだ。
武器の手入れも教えなくてはならない。そう思って大きなため息をついた。
この状態で戦闘すればいつ刀身が折れるか分からない。そうなれば生命に危機が及ぶ。
「どうしてこんなになるまで放っておいたんだ。武器はこまめに手入れしろ。小さな亀裂が戦闘では致命傷を招く事もあるんだ。コインと同じだ。お前の命を預かるものだ。もっと気を配れ、このくそガキ」
一気にそこまで言うと、ガキは素直にうなだれた。
「ごめんなさい」
「……まあいい。いい機会だ、戦場に出る前にお前の武器を作ってもらえるかサブノックに頼んでみよう」
悪魔耐性とそれなりの腕を持つ者は既に大方『覚醒』のメンバーになってしまったそのため、ここのところ武器を求めてサブノックを呼び出す機会が減っていた。
何ヶ月もの訓練でどれほどの腕になったかは分からないが、こいつならすぐに武器を作ってもらえるだろう。
「ほんと?」
「ああ……これからお前は軍の前で紹介されるのだったな。その後だ」
「アレイさんも一緒に行くんでしょ?」
「一応出席する事になっている」
「んじゃ、一緒に行こう!」
そう言うとガキはぱっと自分の手をとった。
温かい感触にどきりとする。
「やめろ、恥ずかしい。ガキじゃないんだ」
「いつもガキって言うくせに」
「お前は自分の見た目を気にしなさ過ぎなんだ!」
こんなところを『覚醒』のメンバーにでも見られたら何を言われるかわからない。
しかし、嬉しそうなガキの様子を見ると振り払う気にはなれなかった。
仕方がない。
そう思いながらも人に触れられることに喜びと驚きを感じていた。
悪魔の血を持つ自分にとって、このガキは躊躇なく触れる事が出来る数少ない人間の一人だった。もしかすると、自分の中の悪魔を受け入れられるのは世界中でこの少女だけなのかもしれない。
いつだったかねえさんが言っていた言葉をやっと微かに理解した。
――あの子を絶対に離しちゃだめよ。ラックにはあなたしかいないし、あなたにはラックしかいないんだから
しばらくはそのまま歩いていたのだが、向こうからフェルメイがやってくるのが見えて慌てて手を振り解いた。
見られただろうか?
フェルメイはいつもの笑顔でにこりとガキにも笑いかけた。
「ウォル先輩、そちらが新しいレメゲトンの方ですか?」
「ああ。これから軍の前でお披露目がある」
そう言うとフェルメイは軽く頭を下げて挨拶した。
「初めまして。私はフェルメイ=バグノルドと申します。炎妖玉騎士団アルマンディン部隊長と対 幻想部隊『覚醒』の副隊長を兼任しています」
「初めまして。レメゲトンのラック=グリフィスです」
ガキも笑顔で答え、手を差し出した。
フェルメイは形式に沿ってその手をとり、甲に尊敬の口付けを落とす。
「どうぞよろしくお願いします。ミス・グリフィス」
するとガキは驚いたように目を見開いた。
そうだった。3年間カトランジェという田舎の街で育ったくそガキにマナーも何もないのだ。
軽くため息をついて教えてやる。
「手の甲への口付けは敬意を表す。そのうち必要になるかも知れん、覚えておいた方がいい」
「ああ、そうなんだ。おれは握手しようと思ったんだけど」
握手を交わすのは互いに武道を心得ている場合だ。もともと武器を持っていない事を示すために行う挨拶だから、女性のレメゲトンと騎士団の部隊長の間で交わされるのは不適切だ。
もしここが戦場で、このガキがフェルメイより上位の騎士だったならば話は別だが。
武器の手入れといい、まだまだ教えなくてはいけない事が多いようだ。
「俺やねえさんがいる前ではフォローしてやるから構わんが、一人でいる時は身分の上下に気をつけろ。レメゲトンが下手な事をすれば問題になる」
「面倒なんだね」
そんなやりとりを、フェルメイは驚いたように見ている。
当たり前だ。誰も名門グリフィス家の末裔であるレメゲトン、それも見た目だけなら絶世の美女とも呼ばれることになるだろうこの少女の口からでるにはあまりにも不自然な言葉だからだ。
だが、フェルメイなら性格上このようなくそガキのいい教育係になってくれそうだった。
「フェルメイ、公式の場以外でこいつに敬意を払う必要はない。見た目はこうだが、分かるとおり中身はガキだ。王都で貴族として育ったわけでもないから礼儀もない。その上鳥頭の阿呆だから苦労する事になると思うが、よろしく頼む」
「またガキって言った!」
むっとしたように唇を尖らせる表情は、見た目と年に合わない。
口で言うのが面倒になって考えるより先に手が出てしまった。額に手のひらが軽く当たって、思った以上にいい音がした。
ああ、しまった。阿呆面を見ながらずっと我慢していたのだが……とうとう叩いてしまった。
一瞬何が起きたか分からずに呆けたガキは、隣にいた俺に額を軽く叩かれたのだと気づいて憤然と抗議した。
「えええ?! アレイさん今、叩いた? おれのことぶった?」
「黙れ、うるさい、このくそガキ」
余計面倒な事になってしまった。
「ねえちゃんに言いつけてやる!」
「勝手にしろ。余計な事言ってないで行くぞ。遅れる」
「もう!」
またも唇を尖らせたガキを放置してさっさと歩き出した。
フェルメイが微妙な表情をしていたのは見なかった振りをした。自分がこのくそガキをこんな風に扱っているのはどうせすぐばれる事だ。
不敬などといわれる前に、早めにわかってもらう必要があった。
新たなレメゲトンの到着が宣言される場となる中央広場にはすでにねえさんもアリギエリ女爵も到着していた。
というか最近この二人はなぜか異様に親しくなっている気がする。一体何があったのだろうか。
裏の建物の中からひそかに広場をのぞくと、千を越す兵が既に集まっていた。
「シェフィールド公爵家のようにバルコニーでもあったらよかったのだけれど、残念ながらカシオにはそんなものないのよね」
ねえさんはにこりと笑った。
「ラック、あなた飛べるかしら?」
「んー、わかんない。アガレスさんに聞いてみるよ」
そう言ったガキはアガレスを呼び出した。
堕天のアガレスは人間には友好的だ。それもこのくそガキへの知識伝達者の役も担っている。
現れた金目の鷹としばらく会話を交わしたくそガキは、何の予告もなく宙に浮いた。
「飛べたよ」
「……」
あまりにあっけない結果に、周囲のレメゲトン3人は思わず脱力した。
「じゃあ行きましょうか」
ねえさんもデカラビアの加護を受け、漆黒の翼を大きく広げた。
「うわあ! すげえ! ねえちゃんかっこいい!」
「ふふ、ありがと、ラック」
同じようにアリギエリ女爵の背に触れてデカラビアの加護を渡すと、ふわりと宙に浮いた。
自分も行かなくては。
「ハルファス」
いつものように名を呼び、加護を受ける。
飛び立とうとすると、まじまじと見つめる漆黒の瞳に気づいた。
「何だ?」
まだまだ中身が子供だったグリフィス家の末裔は、さも嬉しそうに破顔した。
「なにソレ、かわいい!」
何を言っているんだと思ったが、ガキの視線の先にあるものに気づいて思わず表情が引きつった。
一瞬で間合いをつめて耳元に手を伸ばしてくる。
そんな事にアガレスの加護を使うのは卑怯だろう!
「うわ、柔らかい!」
「やめろ! ……殴るぞ!」
こちらもハルファスの加護を受けている。二人とも悪魔の加護を受けた状態で下手に抵抗すれば大惨事だ。
動けないでいると、上からねえさんの声が降ってきた。
「今はやめなさい、ラック。きっと後から存分に触らせてくれるわ」
「はあい」
そんなわけないだろう!と叫びたかったが、外の広場に聞こえては元も子もないので我慢した。
このくそガキの前でハルファスを召還するのはやめよう。
心に固くそう誓った。




