SECT.1 第二回戦
草原の雪が溶け、春がやってきた。トロメオの周囲は今も赤い羽根で彩られているのだろうか。
カシオの周辺では色とりどりの花がその顔を見せ始めていた。誰もが心躍らすはずの春の訪れは、セフィロト軍とグリモワール軍の緊迫した睨み合いに慄くように静かに訪れた。
戦争の始まりから9ヶ月目、グライアル草原では新たな戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。
グリモワール国軍の最重要任務は東の都トロメオの奪還。
騎士団長とレメゲトンが会議を行う場所とは別に、カシオ中心部にある屋敷がレメゲトン用としてあてがわれている。元の持ち主がダイニングとして使っていた部屋を会議用とし、空いた部屋を一人ずつに割り当てて使っていた。
炊事などは自分たちで賄えるのだが、レメゲトンにそんな事はさせられないという周囲に押され毎日若い騎士団員が通ってくるのだった。
食事を終えてそのままレメゲトンの会議を開く。
くそガキと翠光玉騎士団員200名と追加の一般兵を加えたグリモワール軍は一気にトロメオを奪還する姿勢を既に打ち出していた。
城塞都市ではないカシオで防衛線を張るメリットはない。
早急にトロメオの奪還が必要だった。
まずは全く戦況を理解していないくそガキに対し簡単に説明を施した。
「現在戦闘に出ているのはあの手品師ゲブラ、死霊遣いホド、それに最近出てきたセフィラの長ケテルだ」
「ゲブラは峻厳の天使カマエル、ホドは栄光の天使ラファエルを、ケテルは王冠の天使メタトロンを召還します。3天使とも非常に高い能力を有していますが、中でも長のケテルは飛びぬけています」
アリギエリ女爵が情報を追加する。
このくそガキが突然出てきた長い名前をすべて覚えられると思いはしなかったが、どうやら口の中でぶつぶつ繰り返しながら覚える努力はしているようだ。
「今回のトロメオ陥落もほぼケテル一人の力で成し遂げたようなものよ。あいつ……本当に腹立たしい!」
ねえさんはどん、と机を叩いた。
気持ちは分からなくもないが、心臓に悪いからやめて欲しい。
がたがたと窓まで揺れる衝撃に、給仕係で来ていた若い騎士も含めてその場にいた全員が硬直した。
「あら、ごめんなさい。驚かすつもりはなかったのよ」
肩をすくめたねえさんだったが、ぴりぴりとした空気は纏ったままだ。
くそガキは恐る恐る口を開いた。
「2人は力を剥がしたって言ったよね。んで、いま戦闘に出てるのが3人、ていうことはまだ5人も残ってるんだ」
「そうだ。だが温厚な慈悲の天使ツァドキエルを守護に持つケセドが戦場に出てくるとは考えにくい。戦闘能力的にはネツァクも出て込んだろう。基礎の天使ガブリエルを使役するイェソドは不明だ。まだ幼い少女だという噂もある。総指揮を執るマルクトも戦闘に参加しないと見て、残りは……」
あの銀髪のセフィラ。異常にこのくそガキに執着し、命を狙うセフィラ第6番目ティファレトの双子。
このガキがずっと会いたい会いたいと繰り替えす相手――
「あのヒトだね。ミカエルさんを召還する銀髪のヒト」
自然に言おうとした努力は認めるが、ガキの声は微かに震えていた。
今でも会いたいと思っているのか。
そう聞きそうになったがぐっとこらえた。
「王都ユダへの乱入後拘束されているらしいが、いつ戦場に出てくるか分からん。用心に越した事はない」
「うん」
素直に頷いたガキの肩で見ないうちに長くのびた黒髪が揺れる。
大人びた表情にどきりとした。
「他の天使が戦場に出ることはないと仮定して、残りはゲブラ、死霊遣いホド、セフィラの長ケテルの3人を倒せばいい」
「ラックを入れて3人、ようやく1対1で対応できそうね。ケテルはアレイに任せるわ。あいつを倒せる可能性があるとしたらあなただけよ」
目に見えない光の矢を使うケテルの攻撃はもともと戦闘に特化しているわけではないねえさんや戦闘経験の浅いくそガキでは避けられないだろう。
最も、避けられたところで自分の攻撃がケテルに通用するかは分からなかったが、やるしかなかった。
ねえさんの言うとおり、倒せるとすれば可能性は自分にしかない。
「分かっている。前回は軍の事があって退いたが、今度は完全に叩き潰してやる」
ねえさんもそれが分かっているのだろう。
ほんの一瞬だけ金の瞳の中の意思が揺らいだのを見逃さなかった。
「死霊遣いは私が引き受けるわ。大人数を相手にするのは得意だから邪魔さえ入らなければあんな奴敵じゃない」
確かに多人数戦闘はデカラビアとバシンの加護があるねえさんが適任だろう。
自分がケテルを、ねえさんがホドを。
残りのゲブラは……
「できるわね、ラック」
「うん」
黄金獅子の末裔は強い意思を込めた瞳をしていた。
以前戦闘したときは手を抜かれていたとはいえフラウロスを初めて使う状態で一撃をいれている。剣技をマスターした今、倒せなくとも足止めが出来る可能性は高かった。
何よりゲブラはこのくそガキを気に入っている帰来がある。
当てには出来なかったが、殺すことはしないのではないかという疑心が片隅にないわけではなかった。
「あいつはおそらく見たことのない剣術を使ってくるだろう。千里眼を使えればいいのだが、堕天のアガレスは召還できない。あいつの召還するカマエルとお前の使うフラウロスが同等だとしたら、あとはお前自身の力が重要になってくるだろう」
「無茶はしちゃだめよ。負けそうだと思ったらすぐに言うこと! 王都で一人レラージュと戦った時とは違ってここには私も、アレイだっているんだから」
そう、そのために近くにいるのだ。
どこにいても助けに行けるように。
「うん、分かった」
「何より、戦場で私たちレメゲトンの使命は一つ。一般兵をセフィラとの戦闘に巻き込まない事よ。天使を召還した状態のセフィラと互角に戦闘できる単騎兵はいない。いるとしても騎士団長クラスでサブノックの武器を持つ『覚醒』という部隊のトップメンバー数名だけ。でも、私たちは悪魔を召還することでセフィラを押し留める事が出来るわ」
「普通の兵士さんには手を出さずに、セフィラのヒトだけ相手にしたらいいんだね」
「そうよ」
ねえさんはどこか悲しげに微笑んだ。
その気持ちは言葉にしなくとも伝わってきた。
自分が大切に育てた子が戦場で敵と戦うという。守るためといいながらも血を流す事になるだろう事実――戦争なんかなかったらよかったのに。
それでもねえさんはその感情を振り切ってガキを諭した。
「最初の目的はトロメオの奪還。それ以上はまだ何も考えなくていいわ」
その瞳に悲痛な色を映しながら。
愛しい子が戦場に出ることに傷つき心の涙を流しながら――




