SECT.30 絶望ノ再会
どうして。どうしてこんな事になった?
目の前には大量の死体が転がっている。肩に刻まれた紋章は黒い翼の獅子が象る印――グリモワール王家の紋章だった。
何が起きたのか全く理解できなかった。
累々と横たわる人間だった塊。トロメオのメインストリートは真っ赤に染まっていて、地面はところどころ抉れている。死体は焦げた後があったが、炎で焼けたわけではなさそうだ。皮膚が溶けるように焦げている。
街並みの壁もほぼ破壊されており、どれも丸く焼け焦げた穴が開いていた。
生きている人間を探してメインストリートを駆けていくと、その中でたった一つ人影があった。
目の前に広がる惨劇に呆然としながら、その中に一人佇む影を睨みつけた。
「そんな顔をしないでくださいよ、クロウリー伯爵。ゲブラに叱られてしまいます」
「ケテル……貴様何をした……?」
扉を破られたトロメオのメインストリートはグリモワール兵の死体で埋められていた。
空から襲来したホドとゲブラの二人を相手にしていたのだが、瞬く間にセフィロト軍が侵攻し始めたのを見て二人をねえさんに任せ、軍の援護に空から降りてきたのだが……
地面に降り立った時には既にこの状態だった。
この分ではすでにセフィロト軍はシェフィールド侯爵の屋敷を制圧している事だろう。
城外にいたグリモワール軍はすでに退き始めているはずだ。
「私は何もしていませんよ。メタトロンを召還した以外はね」
ぞわり、と全身総毛立つ。
何かが来るのを察知して地を蹴った。
その瞬間自分がいた地面が抉れた。
「ひゃは! 光の力か! やべえぞ! やべえぞ!」
「光?」
「俺たちと反対の力だ! 光は強いからな! それを束にすると破壊できるんだ!」
ハルファスの説明は相変わらずよく分からないが、どうやらメタトロンは光の力を破壊に使うらしい。
「よく避けましたね。流石です」
ケテルがぱちぱち、と拍手する。
バカにされているとしか思えないが、自分でもよく避けたと思う。目には一切映らなかった。ただ、これまでの戦闘経験と勘が危険だと叫んでいた。
心臓が早い。
「ひひ! お前でよかったな! あの女だったら直撃だったぞ!」
常に前線にたってきた自分が命の危険に陥った事は一度や二度ではない。
その中で培ってきた勘が役に立ったようだ。
おそらくこれは良く見れば見えるというレベルのものではない。何もかもを超越した速度で飛んでくる光の矢だ。
周囲の街の破壊具合から考えて、これがグリモワール軍を殲滅させた原因だという事は容易に分かった。
見えない速さで襲ってくる光の矢があれば、何千ものグリモワール軍を蹴散らすのにそう時間はかからなかっただろう。
「アレイ!」
メゾソプラノが響き渡った。
はっとして見上げると、ねえさんがこちらを見下ろしていた。
「一旦退くわよ! ここまで制圧されたら……私たちの力じゃもうどうしようもないわ!」
「あ、ああ」
ケテルはにやりと笑ったが、それ以上追ってくる事はなかった。
信じられない出来事だった。
セフィロトの総力攻撃が始まってからわずか2日、城塞都市トロメオはケテル一人の前にあっけなく陥落したのだった。
「一体何が起きたんですか、カルカリアス卿!」
グリモワール軍はトロメオから少し離れたところにある都市カインまで退いた。
被害は甚大だった。トロメオ城内にいた兵の半数近くを失い、堀の外にいた兵への被害も大きい。『覚醒』の人数も半分近くに減っていた。
陣頭指揮を執っていたフォルス騎士団長とフェルメイも重傷を負い、かろうじて軽症ですんだカルカリアス卿の指示で兵が撤退したのだった。
「私にも……何も分からないのだ」
カルカリアス卿の話によると、最初は軍のみで押していたのだが、突如として現れたセフィラが圧倒的な力で軍を弾き飛ばしたのだという。
「光の束のようなものを浴びると、みな溶ける様に皮膚が焼けて……」
自分が見た死体と一緒だ。
光の束と呼ぶのは自分が受けそうになった光の矢と同じものだろう。
「本当に一瞬の出来事だった。あの白い神官服が――」
カルカリアス卿が頭を押さえた。
すべてケテルか。
ぎりり、と唇をかみ締めた。
「失礼します」
そこへアリギエリ女爵が現れた。
「ゼデキヤ王から書簡が届きました。レメゲトンのラック=グリフィス、翠光玉騎士団、そしてさらに一般兵があと数日ほどで到着するとのことです」
「!」
あいつが戦場に来る?
この最悪の状況で?
もう何から考えたらいいのか分からなくなった。
圧倒的なケテルの力、甚大な被害を受けたグリモワール軍、重症の総指揮官バーディア卿――問題が多すぎる。
ねえさんも沈鬱な顔をして唇をひき結んでいた。
それから数日、重症兵の手当てと砦としてのカシオの整備などに追われ、何を考えている暇もなかった。
重症だったフォルス騎士団長が歩き回っていた事はかなり驚きだったが、彼の回復力からすれば当然のことなのかもしれない。
そして一週間後、ようやく騎士団長とレメゲトンでの会議を開く事が出来た。
ここまでセフィロトの攻撃が無かったのは奇跡としか言いようが無いだろう。
シェフィールドの屋敷でしていたように円卓を囲んだが、あまりに悲惨な状況に誰一人口を開く事が出来なかった。
みなどうしたらいいのか全く分からないのだ。
多くの兵を失いトロメオを明け渡した今、軍全体が絶望に沈んでいた。
そこへ、ドアをノックする音が響く。
「グリフィス女爵が到着されました」
若い騎士の声に心臓が跳ね上がる。
扉が開いて入ってきたのは……美しく成長したグリフィス家の末裔の姿だった。
凛とした空気を纏う横顔は最後に見たときよりずっと大人びている。大きな漆黒の瞳の中の光も全く衰えておらず、肩甲骨の辺りまで伸びた黒髪が象牙色の頬にかかる。
体にぴったりとしたレメゲトンの正装のドレスが良く似合う女らしい体つきに成長していた。背も少し伸びただろうか。
本当にあのくそガキ……か?
雰囲気が全く違う。
そこにいるのは天真爛漫な少女ではなく、成熟する一歩手前まできた絶世の美女だった。
全員の視線を釘付けにしたグリフィス家の末裔はその場で膝をついた。
「ラック=グリフィス、ただいま到着しました」
自然な敬語が滑り出たその声は、紛れもなくあのくそガキのものだった。
が、どうにもあの頭と口が直結したくそガキと目の前にいる美女が結びつかない。
彼女は迷うことなく真紅の甲冑に身を包んだフォルス騎士団長の前に進み出た。
「ただいまより炎妖玉騎士団長、フォルス=L=バーディア卿の指揮下に入ります。よろしくお願いします」
そう言って深く礼をした彼女を呆然と見つめていると、振り向いた瞬間目が合ってにこりと微笑まれた。
その笑顔だけは変わっていなかった。




