SECT.28 廻ル季節
何日かしてベッドから起きだしたが、ほぼ監禁状態で無理やり休まされたために戦況は全く分からない。
左腰の傷は痛んだが歩けない事はなかった。戦闘は思うように出来ないかもしれないが日常生活に支障はないだろう。当たる寸前自分の勘がかろうじて働いたのか、急所は外れていた。
不幸中の幸いだ。
とりあえず総指揮官のフォルス団長に謝罪をし、戦況を聞くためにいつもの会議が行われる円卓の間に向かう事にした。
「おおウォル、もう平気なのか?」
「はい、おかげさまで」
そこにいたのはフォルス団長とフェルメイだけだった。
「会議は今終了したところです。ウォル先輩がホドを撃破したお陰でセフィロトが動く気配はありませんでした。このまま動きがなければ一気にカーバンクルまで攻め入る考えも出ています」
「ホドはまだ加護を失ったわけではない。おそらくまた幻想兵が襲ってくるだろう」
薄れゆく意識の中で使った狂風鷲だ。ゲブラもいたあの場でホドを仕留められたとは考えにくかった。
眼鏡をかけた少年のような風貌のホド。あの15に満たない少年が2000もの幻想兵を操っていると考えると恐ろしい限りだった。
戦場でやる気なく見えたゲブラは、もしかするとホドの護衛のためだけにいたのかもしれない。それなら自分たちがホドと邂逅してすぐに現れたのも納得がいくし、戦場であからさまに働いていなかったとしても上司から文句を言われる事はそれほどないだろう。
いずれにせよホドに手傷を負わせたことでいくらか軍に余裕を与える時間を作る事が出来た。
「後で他の『覚醒』のメンバーにも顔を見せてあげてください。すごく心配していますから」
「ああ、すまない」
戦場に出る前に言っていた事が本当になってしまって、なんともバツの悪い思いだった。
しかし、くそガキにだけは言わないでいてもらおう。心優しいあいつは絶対に他人の傷まで自身のもののように受け取って心痛めるに決まっているんだ。
ふと窓を見ると、秋の深まった空が広がっていた。
あいつは元気にしているだろうか。
――会いたい
今も漆黒星騎士団で稽古しているのだろうか。風邪はひいていないだろうか。ねえさんと離れて恋しくて泣いていないだろうか。
俺のことを少しは思い出してくれているだろうか。
そんなくだらないことを考えてしまって、自嘲気味に笑った。
グリモワール国の秋は短い。
もうしばらくすれば雪が降り始めるだろう。そうすれば戦闘はこれまでほど激しく行われないだろう。
その前にカーバンクルまで防衛ラインを戻したかったが、来年に持越しかもしれない。
長い冬を越えれば春だ。
その頃には、あのくそガキも合流して3人態勢で戦闘に臨む事が出来るだろうか。
最近特に肌寒くなってきた季節を感じながら、一人ぼんやりとそんな事を考えていた。
予想通り、初雪が降る前にまた幻想兵を含んだ軍隊が攻め入ってきた。
が、ホドの方もダメージから回復しきっていないようで数はこれまでの比でないほどに少なかった。一般兵がふえており、ようやくこちらも『覚醒』に頼りきりの戦闘スタイルを脱する事が出来た。
もちろんそれは本格的な冬に入る前までの話だった。
雪が降り、幻想たちが振り撒いていった赤い羽根が隠れるようになる頃、セフィロト国の攻撃はぱたりと止んだ。
その隙にカーバンクルへ攻め入ろう、と輝光石騎士団長のヴァルディス卿は主張したが、兵の疲労度と備蓄食料などの問題を考えると、春まで待つのが得策だった。
おそらくセフィロト国側も同じことを考えているのだろうが、自然界がもたらす季節変化にはさすがに反抗できない。
凍えるような冬には春のために力を蓄え、作戦を練るしかなかった。
そして、静まり返ったトロメオで年を越した。
その平穏も長くは続かなかった。
この冬最後の雪が平原を白く染め上げる頃、とうとうセフィロト国から鬨の声が上がったのだ。敵の軍勢とこちらの軍勢の数はほぼ同じ。
幻想兵が混じっているのかどうか分からないほどに人数が膨れ上がっている――紛れ込んで一般兵を襲う危険性があったため、今や50人にまで増えた『覚醒』のメンバーを二人一組で部隊に組み込んであった。
そして、ねえさんと自分は二人だけで空から急襲する。
地上部隊の作戦は全面的に3人の騎士団長に委任してあったため、心配する事はない。
セフィラのみを相手にするつもりだった。
ねえさんは相変わらず、雪の降る中だというのにメフィストフェレスの印を露にした機動性に富む格好をしている。
見ているだけで寒い。
そう思って視線を逸らすと、ねえさんに睨まれた。
さすがにタンクトップではなく袖のあるものを着ており、マントも冬仕様だったが、なぜ腹を隠さないのか。
「挑発するために決まってるでしょ」
「挑発?」
「メフィストフェレスの印が見えていた方が向こうも狙ってくれるんじゃないかと思って」
たったそれだけの理由で?!
「風邪をひいても知らんぞ」
「ふふ、ご心配ありがとう」
ねえさんは楽しそうに笑うと、デカラビアの加護を受けて雪の舞う空に飛び立った。
ハルファスを呼び出してすぐに後を追う。
目の前には白地に金の旗印も神々しいセフィロト軍が迫っていた。
この雪を過ぎれば一気に暖かくなるだろう。
春ももうすぐだ。
ゼデキヤ王からは、春にグリフィス家の末裔を戦場に投入する旨が届いていた。
それはどこか楽しみでもあり、心苦しくもある。
こんな場所ではあいつの優しい心はつぶれてしまうかもしれない。戦って相手の命を奪うことにあいつが耐えられるとは思えなかった。
綺麗な、無垢な心のままでいて欲しい。それは我侭かもしれないが全身全霊を賭けて願う事だった。
ここへ来てから殺戮を繰り返してきた。
悪魔の力を使い、サブノックの剣を振るい、軍を指揮することで敵国の人間の命を奪ってきた。
それを悔やむ事はない。そうしなければグリモワール国の兵が傷つき、命を落とす事になる。自分はグリモワール国を選んだのだから。
心に刻まれた無数の傷はもう二度と癒えることなどないだろう。
何度も血を流した手からその染みが消える事などないだろう。
それでも自分は大切な方を選び、守ろうと決めた。
揺らいではいけない。
迷ってはいけない。
ずっと、心の中で繰り返す。




