SECT.27 油断
他のセフィラと違って背に翼を湛えてはいなかったが、加護を受けているのは炎のようなオーラが噴出している事からすぐにわかった。
「ひひひ! カマエルもきたか! 今度は逃げるなよ!」
ハルファスの甲高い声に頭が揺さぶられる。
さあどうしよう。と思ったがどうやらねえさんは本物の手品師を相手にする気はないようだ。そっちは何とかしなさい、とばかりにホドの作った幻想の方を向いたままだ。
仕方がない、とゲブラのほうに視点を移す。
「僕の方を選んでもらえるなんて光栄です、クロウリー伯爵」
黒いステッキをくるくると回す手品師ゲブラは、不気味な笑みを見せた。
どうにもこいつの視線は気色悪い。できれば戦いたくはないのだが、くそガキじゃあるまいしそんな我侭は言っていられない。
サブノックの剣を抜いてゲブラのほうに突きつけた。
「今日はちょっと本気でお相手しなくちゃまずいようですね」
ゲブラもステッキを真直ぐこちらに向けた。
初めてこいつの本気を目の当たりにするかもしれない。油断できない。こいつの実力は未だ計り知れないのだから。
背後ではねえさんが幻想のゲブラを相手にしている。
ホドが落ちるのは時間の問題だ。
「できればお前とは戦いたくなかったよ」
「そんな寂しいこといわないでください」
言いつつも間合いをつめるゲブラ。体格はそう変わらないから間合いも同じくらいだろう。
双方の突きの間合いすれすれで停止した。
少しでも動けばそれが契機になり打ち合いが始まるだろう。
息すらも潜めてゲブラの目を睨みつけた。
が、不意に背後に気配を感じて振り向く。
そこにいたのはナイフを閃かせた少年ホドの姿。
ねえさんは、と思ったがいつの間にか分裂して数の増えた幾人もの幻想兵に囲まれて身動きが取れない状態になっていた。
しまったと思ったときには遅く、腰に焼け付くような痛みが走った。
あまりの激痛に思わず仰け反る。
「ふふ、物騒なものは納めてください」
その隙を突かれ、ステッキで完全に剣を押さえ込まれてしまった。
間合いもつめられ、ゲブラの漆黒の瞳が迫る。
あろうことかゲブラの手が加護を持つ耳の羽根に触れた。
「愛らしい加護ですね。手触りも……申し分ない」
「く……」
最後の力でゲブラの腹を蹴り飛ばし、間合いを取った。
仕方ないが剣を納め、右手で痛みの元を探る。頭がくらくらしてきた。
触ってみると左腰にナイフが根元まで刺さっているのが確認できた。下手に抜いたら出血するかもしれない。触らない方がいいだろう。
「アレイ!」
ねえさんの悲鳴が響き渡る。
自業自得もいいところだ。
ホドの方はねえさんが相手しているから、と完全に意識をゲブラのみに集中していた。
「ひゃはは! やられたな! ばーか! ばーか!」
言い返せない言葉が惜しみなく頭上の悪魔から降ってくる。同時にゲブラに向かって無数のかまいたちが飛んだ。
が、ゲブラはそれをステッキから現れた炎の盾ですべて防いでしまった。
じわじわと血が滲み出してきているのが分かる。抜かなくても失血で意識を失うのは時間の問題だった。なんとかしなくてはいけない。
両手を広げてゲブラとホドにそれぞれ向けた。
「ひひ! そんなことしたらお前死ぬぞ!」
ハルファスの忠告も無視して両手に意識を集中する。
「狂風鷲!」
その空間の風が完全に自分の支配下に落ち、二人のセフィラを翻弄した。同じ場所にいるねえさんだけは傷つけないように……
痛みに耐えながら空間支配を行うのはかなりの精神力が必要だった。
かすんできた視界の中でホドを捉える。小柄な肢体はなす術なく豪風に弄ばれていた。
その方向にかまいたちを飛ばした。
風の舞う轟音にまぎれて微かな悲鳴が聞こえた気がした。
狂風鷲が真紅に染まる。
「……っ!」
これは自分の血か、それともホドの血か?
もう分からなくなっていたが、最後の意識の中でメゾソプラノの響きを聞いた。強い意思を持った声だ。
誰の声だろう。
それに導かれるように意識が浮上した。
「アレイ!」
覚醒と同時に痛みが意識を貫いた。
体が軽いのはバシンの重力調整のお陰だろうか。
「すぐにアリギエリ女爵がいらっしゃるからもう少し待ちなさい」
「ねえさん……」
金の瞳を見てほっとする自分がいる。
「ホドは?」
「さっき幻想兵が一瞬で全部消えたわ。戦場は大騒ぎよ。セフィロト軍はおとなしく退いていったみたい」
「そうか」
安心してもう一度目を閉じた。
「天使の印を傷つけたわけではない……一時的なホドの意識消失によるものだろう。奴はおそらくまた来る」
自分の息が荒いのは自覚していた。
なぜか震えるほどに寒気を感じていた。
「分かったわ、後でいい。話を聞かせて頂戴。今は――」
やさしいメゾソプラノに包まれて、もう一度意識が急降下した。
次に目を覚ましたときはベッドの上だった。
最初に目に入ったのは心配そうに覗き込むねえさんの顔。
「ああ、よかった」
起き上がろうとしたが体はそれを許さなかった。
「ここは……今は? 戦はどうなっている?」
「大丈夫、まだあなたが刺されてから数時間しか経っていないわ。傷を縫合したばかりなの、動いちゃ駄目よ」
傷……そうだ、ホドのナイフで刺されたのだった。
油断して背をやられるなど、剣士失格だ。
「ごめんなさい。私がホドを甘く見たせいで……」
幸いにも傷の痛みのおかげで意識ははっきりしていた。
「いや、やられたのは自業自得だ。ゲブラに集中しすぎて周囲に気を配る事を怠った俺の責任だ。ねえさんのせいじゃない」
そう言うとねえさんは泣きそうな顔で笑った。
「とにかくしばらくは戦場に出るのは禁止よ。新しく『覚醒』のメンバーを増やす事もね。そうね、一週間は動いちゃ駄目」
「ねえさん、それは」
「大丈夫、敵もホドをやられたらしばらくは動けないわよ」
ねえさんはそう言って微笑んだ。
そうして自分の頭を優しく撫でた――まるで幼い子供にするように。
「本当にごめんなさい」
「いや、今回は完全に俺一人の責任だ」
唇をかみ締めた。
もうずいぶん強くなったつもりだったのに、やはりまだまだ自分は未熟者だったようだ。
「次は絶対にゲブラもホドを仕留めてみせる」
「そうね、楽しみにしているわ」
ねえさんは金の瞳でにこりと微笑んだ。
その顔にも濃い疲労の色がある。
「ねえさんも休んでくれ。しばらくセフィロト軍が来ないのなら……」
「人の心配をせずにあなたは自分の回復だけ考えたらいいのよ」
レメゲトンの長はそう言うと立ち上がった。
颯爽とした後姿には何か強い決意が見え隠れしていた。




