SECT.26 ホド
戦場に彼を呼び出すのは初めてだった。
ゆらりと空間が揺らめいて武器の悪魔が姿を現した。ここのところ毎晩呼び出しているのだ。もうかなり見慣れた姿になっていた。
獣の頭部を象った兜、くすんだ青のマント。
「何用だ」
口調が少し不機嫌に聞こえるのは気のせいだと思いたい。
「お力添え願います。武器でなく、あなたの剣の腕を」
ここは遜るべきではない。
そう思ってまっすぐにサブノックを見てそう言った。
「何を目指す」
「同胞の無事と、領土の奪還を」
「ハルファスだけでは足りぬか」
「セフィラ第8番目ホドを発見し我が軍に勝利を願います」
「ラファエルか」
サブノックはそういった後しばらくの間佇んだ。
一体何を考え、どんな結論を導くのか分からなかったが、待つことしか出来なかった。
足元では今も『覚醒』が道を切り開き、それに続いてまさに破竹の勢いで突き進むグリモワール軍の姿がある。
彼らは強い。騎士団の中から選りすぐられた人材、それもサブノックの武器を与えられた面々だ。
「傷つく覚悟はあるか クロウリーの若造」
「あります」
サブノックの剣は傷を腐らせるという。すなわち敵兵の命を悪魔の力で奪うということだ。
そうすれば自分は心に傷を刻むという事をサブノックはお見通しなのだろう。その上で、力を借りる覚悟はあるか、と――
「ひひ! こいつは強いぞ! これなら俺は柱に納得してやる!」
「柱……?」
またハルファスはよく分からない言葉を使う。
「お前には聞いておらん 黙れ ハルファス」
「お前こそ斬るぞ!」
言葉こそ荒かったが、二人の間に険悪な空気はなかった。
嫌いじゃないと言ったハルファスの言葉は嘘ではなかったらしい。
「仕方あるまい」
まるでマルコシアスが言うような台詞を吐いて、サブノックは腰に差していた剣を抜いた。
それだけで剣の持つ禍々しいオーラが辺りを侵食した。
自分はずいぶんと頼りになる助っ人を手に入れる事が出来たようだ。
「若造 代わりに あの傀儡どもを 消してやろう」
「ありがとうございます」
「ひひ! 俺はラファエルの方に行くぞ!」
「お前が懐くとは 珍しいな ハルファス」
「ひゃは!」
ハルファスは甲高く笑っただけだった。
本当にそうだ。なぜハルファスはこれほど自分に従順なのだろう。それはずっと不思議に思っていることだったが聞けずにいた。ハルファスがまじめに答えるはずはない。
「ではサブノック、お願いします」
「日暮れまで それ以降は 帰る」
サブノックはそういい残して戦場に降下していった。
「行くか! ラファエルだ!」
サブノックを見送ったハルファスは当たり前のように言い放った。
「まさか、ラファエルがどこにいるのか分かるというのか?」
「当たり前! 当たり前! 俺は風! ラファエルも風!」
要するに属性が同じとでも言うのだろうか。
それを知っていたらこれほど苦労する事はなかったのに!
いや、いまさら文句を言っても仕方がない。この悪魔が聞いたことしか答えないし、頼んだ以上の事はやってくれないのはわかっていたはずだ。
逆に言えばこの上ないほどに忠実なのだが。
扱いづらい……
ホドを見つけて喜ぶべきはずなのに、なぜかどっと疲れが出てきてしまった。
戦場の上空を飛び回るねえさんと合流し、ハルファスの示す方向へ向かった。
こっちだ、と言ったハルファスはどんどん高度の高い方へと向かっていく。
トロメオが遠ざかる。秋の空が近づいてくる。相当な速度で上空へと向かう。大きな雲が行く手を阻んでいる。
と、思ったが、白い雲に染みのようなものが見えた。
あれは、もしかすると。
近づくにつれて人影だという事がはっきりしてきた。
白い神官服。
「ホド……!」
押し殺した声に怒りが混じる。
あいつが。あの人影が幻想兵を作り出している張本人。多くの一般兵を死に追いやり、グリモワール軍に多大な被害をもたらしたセフィラ第8番目ホド。
どうやら相手もこちらに気づいたようだ。
住んだ青空に浮かぶ雲をバックに、とうとう現況と対面した。
「やっと会えたわね、ホド」
「……見つかっちまったか」
第一印象としては意外、の一言に尽きた。
年はおそらく15に満たないだろう少年だった。大きな羽根に埋もれるように両手足を小さく折りたたんで空に浮いている。大きなフレームの眼鏡は今にもずり落ちそうで、その奥にのぞく鳶色の瞳を不機嫌そうにこちらに向けていた。
同年代の少年と比べても小柄な方だろう。とても2000以上の幻想を操っているセフィラには思えなかった。
「ラファエルだ! 見つけた! 見つけた!」
しかし、背の翼は本物だ。
そしてこれまで発見できなかったのはずっと上空から全てを見下ろしていたせいなのだろう。もしかするとねえさんがメフィストフェレスを召還した時も上空から見下ろしていたかもしれない。
見たところ武器のようなものは所有していないが、ザフィケルのように幻覚を使うのか、コクマのような拳闘士なのか。
いずれにせよ天使の印を探さねばならないだろう。
「幻想たちをとめてもらうわよ」
ねえさんはにこりと笑う。
するとホドはどこからか大量の赤い羽根を取り出して空に撒き散らした。青空に赤い霧が舞い、それは徐々に形作っていく。
「悪趣味な人形ね」
その姿を見てねえさんは頬を引きつらせる。
ホドは翼に包まったまま顔も上げずにぼそりと言った。
「こいつは強いぞ。お前らなんか一瞬でやっつけるかもな」
目の前に浮かんだのは手品師の姿。
幻想とはいえ会いたくない相手だった。
「幻想は飛べないものだとばかり思っていたわ」
「こいつは特別仕様だ。羽根も血もいっぱい使ったから強いんだ」
なるほど。普段相手にしている羽根一枚から出来た幻想兵にそれほどの強さは与えられないらしい。
「お前らの血も欲しいな」
初めてホドが顔を上げた。
血が欲しい、などと年若い少年が口にするのはひどく不気味だった。背筋がぞわりとする。
しかし、ねえさんは2000の幻想兵を操りながら相手に出来るようなレメゲトンではない。手こずる事はまずないだろう。
と、思っていたら聞きなれた声が後ろから響いた。
「ふふ、ホドにだけは手を出していただくと困るんですよ、クロウリー伯爵」
はっと振り向くとそこには本物の手品師の姿があった。




