SECT.23 遠キ知ラセ
手紙の内容は驚くべきものだった。
義兄上が団長を務める漆黒星騎士団に所属するの少年騎士が、新たなレメゲトンが就任した事。その少年が第14番目の悪魔レラージュとの契約に臨み、失敗して暴走した事。そして、あのくそガキがたった一人で悪魔の暴走という最悪の事態を収めたという一連の事件についての記述だった。
「新しいレメゲトン? 聞いていないぞ」
「一週間ほど前に王から直接の伝令が来ていました。ただ、お二人ともお疲れの様子だったので報告は避けていました」
「それは……すみません」
アリギエリ女爵の言葉に返す術はなかった。
確かにここのところの自分たちはそんな余裕などなかっただろう。余計な気を回させてしまったことが申し訳ないと思った。
「どんな人間なんです? その新しいレメゲトンは」
「今年騎士団試験に合格したライディーン=シンという少年騎士です。そのため部隊配属前の鴉に所属しますが、剣の腕はクラウド=フォーチュン騎士団長の折り紙つきと聞きます。ミス・グリフィスがその才能を見つけ出し、ゼデキヤ王に進言したとのことです」
「今年騎士団試験に合格と言うとまだ15か」
ねえさんがメフィストフェレスと契約したのも15の時だと言っていたな。
しかし契約に失敗し、ひいては暴走させるなど、まだまだ未熟な証拠だ。ゼデキヤ王の勘が鈍ったのだろうか?
手紙には、千里眼やフラウロスの炎、最近覚えた古体術の空手などを駆使して新しくレメゲトンになった少年の命を救った様子がまるで見てきたように克明に記されていた。どうやら義兄上も戦闘に参加したらしい。
読み終わった後には、驚きに声が出なかった。
第14番目の悪魔レラージュは『破壊の悪魔』という別称を持つ、戦闘を好み躊躇いなく人を傷つける恐ろしい悪魔だ。その強さは生半可なものではなかったはずだ。
それを収めたというのか?たった一人で?
確かに自分もねえさんも今は戦場にいて、王都で何が起きていてもどうする事もできない。王都に残留した中で唯一暴走した悪魔レラージュと張り合えるとしたらアガレスとフラウロスのコインを所有するあのくそガキだけだろう。
義兄上の手紙は、あのくそガキが順調に成長していることを讃え、戦場に出る日も近いだろう、という言葉で結んであった。
なんともいえない感情が胸中を駆け抜けた。
アリギエリ女爵は優しく微笑んだ。
「ミス・グリフィスはお元気そうですね。頼もしい限りです」
「……」
それと裏腹に、胸を裂くような痛みが襲った。
新しいレメゲトンの実力は分からないが、破壊の悪魔レラージュと戦闘して無事でいられるはずがない。
あいつはまたひどい怪我をしたんだろうか。銀髪のセフィラに連れ去られたときのように、ねえさんをセフィラから救出したときのように――
今すぐに王都へ飛んで帰りたい衝動にかられた。
あいつはまた泣いていないだろうか。辛い目に遭って肩を震わせていないだろうか。心に受けた傷を誰にも言えずに隠してやいないだろうか。
「大丈夫ですか、クロウリー伯爵。お顔色がすぐれないようですが」
「あ、ああ……」
心配をかけないようにと思ったが、きっと表情はこわばったままだったろう。
それでもアリギエリ女爵は何も聞かずにいてくれた。
どうして傍にいてやれないんだろう、と何度も繰り返した問いをもう一度繰り返す。
もう数回は読み返した手紙にもう一度視線を落とした。
アガレスの召還による身体能力の向上、フラウロスとの悪魔同時召還、剣技での応戦と炎による束縛、それに千里眼――グリフィス家の末裔は恐ろしいほどの速度で進化していく。
ほんのしばらく会わないだけで。
「ラックのことでも考えてるの、アレイ?」
突然部屋に響いたメゾソプラノにびくりとした。
ベッドを見下ろすと金目の猫がイジワルそうに微笑んでいた。
上体を起こすとストレートブロンドが頬にかかった。今まで気づかなかったがねえさんは少し痩せたようだ。顔色もかなり悪かった。
それでもいつものように微笑を浮かべるねえさん。
「あなたでも寂しそうな顔するのね。初めて見たわ」
その言葉には答えず、黙って義兄上からの手紙を渡した。
ねえさんは一瞬首を傾げたがすぐに読み始める。その表情は真剣そのものだった。
「新しいレメゲトン……ゼデキヤ王も思い切ったことをなさったわね。賭けにでも出たのかしら? 珍しい」
「今年騎士団試験に合格したばかりの少年騎士で、名は……ライディーン=シンとアリギエリ女爵が言っていた」
「ふうん。珍しい名前ね。異国生まれかしら?」
「詳しくは分からない。が、剣の腕はかなりのものらしい」
「あら、あなたと一緒ね」
「契約に失敗した挙句悪魔を暴走させるような15のガキと一緒にしないでくれ」
「ふふ、ごめんなさい」
ねえさんは楽しそうに笑った。もうずいぶん回復しているような振りをしているが、本当なら体を起こしているだけでも辛いはずだった。
でも、ねえさんは絶対にそんなところ見せようとしないし、見せたくないと思っているだろう。
せめてこの場を早く離れよう。
そう思ったのだが、ねえさんがどこか悲しげに呟いた言葉に思考が停止した。
「でも、心配ね。ひどい怪我してないかしら? 辛い事があって泣いてやいないかしら」
自分と同じだった。
「どうして私たちはあの子を放ってこんなところで戦っているのかしらね」
それは自分も聞きたいことだった。
王都なら戦場よりずっと安全だと思っていたが、それは間違いだったようだ。
守るためにはやはり傍にいる必要があるのだろう。どんな場所であろうと隣にいれば手を差し伸べてやれるし盾になってやる事もできる。
遠くはなれた今はそれが出来ない。
「こうやって遠くで祈る事しかできないなんて……」
ねえさんが自分の心の内を代弁してくれた。
それだけで心の中が軽くなったような気がした。
だから思わずこんな言葉を発していた。
「あのくそガキなら大丈夫だ。あいつは一度や二度挫けても、ちゃんと立ち上がれる。あいつは、強い、から」
そう、見守る側が切なくなるほどにあいつは強い。
勝手にグラシャ・ラボラスを呼び出してティファレトを退けた時も、知らないうちにゲブラを床に沈めるほど実力をつけていた時もそうだった。今回も誰もいなくともたった一人で破壊の悪魔レラージュに乗っ取られたレメゲトンの少年を助けてしまった。
迷っていたかと思えばいつの間にか道を見つけ出してしまう。弱そうな形をしておきながら誰よりも圧倒的な力を使役する。
鳥頭の阿呆のくせによく分からない場面で本来の鋭さを発揮する。
あいつははっきりと『強くなりたい』と言った。だから大丈夫だ。
ねえさんは驚いたように目を丸くして、しかし次の瞬間にははじけるような笑顔を見せた。
「ふふ、でもそれって少し寂しいのよね。本音を言うともうちょっと頼って欲しいのよ。ね、そうなんでしょ? アレイ」
「知らん!」
図星を疲れて思わず声を荒げてしまった。
ねえさんには何もかも見透かされているようで得体の知れない怖さがある。
「セフィロトもこの屋敷内にいる。若い騎士に見張りを頼んであるが、処分はフォルス団長に一任した。アリギエリ女爵によれば命に別状はないそうだ」
「そう、ありがとう」
ねえさんは金の瞳で笑う。
これ以上何か言われる前にさっさと退散することにしよう。立ち上がって部屋を後にした。
今晩もサブノックと会わねばならない。今日は誰の番だったろう?
玄関ホールで佇んでいると、フェルメイに連れられて見覚えのある姿が歩いてきた。
「ウォル先輩っ!」
猟犬のような瞳の元少年が抱きついてくる前に押し止めて、軽くため息をついた。
悲しそうな顔をした猟犬は見なかったことにする。
「フェルメイ。炎妖玉騎士団は人手不足なのか?」
「いえ、そういうわけでは……ルーパスはいまやリーダー候補の筆頭です。悪魔耐性もありますし、『覚醒』のメンバーとしては妥当な選出だと思ったのですが」
「へへ、オレけっこう強いんすよ!」
嬉しそうに笑うルーパスは、3年前から体格以外に変わったとは思えない。見上げていたのが同じ目線になって、勢いよく飛びつかれたらおそらく支えきれないだろう大きさになって、声のトーンが少しばかり低くなった。
しかし、中身はいまだに変わっていない。どんなに遠くにいても駆け寄ってくるし体格を無視して飛びつこうとするし……
だがフェルメイが選んだのなら確かだろうか?
「ルーパス、ウォル先輩を困らせるなよ?!」
「分かってますよ、部隊長。オレがウォル先輩を困らせるわけないじゃん」
既に困っているのだが。
とは言えない……言えない。
大きなため息をつくと、諦めてルーパスを第43番目の悪魔サブノックに会わせてみる事にした。




