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LOST COIN -tail-  作者: 早村友裕
第三章 PAST DESIRE
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SECT.20 コクマ

「茶番? それはこっちの台詞だよファウスト女伯爵。ホド様の加護があれば負けることはないのさ」

「その口を閉じなさいといったのよ、コクマ。もうあなたの顔も見たくないわ」

 ため息をつかんばかりの勢いでねえさんが言い放つ。

 目が据わっている。

 これまでセフィラや幻想フラウスたちを相手にしてきた時とは雰囲気が全く違っていた――まさしくねえさんはキレ(・・)ていた。

 我慢を重ねていた感情が一度に爆発したかのように、それも内側に全て収束してしまったかのように凄まじいオーラが内面から迸っている。

「あなたたちの国では別れる時何ていうのかしら?」

「古代語かい? V-A-L-E……ウァレ、と言うよ。お元気でという意味もある」

「そう」

 ねえさんはにこりと微笑んだ。

 最後に向ける微笑だった。

「ウァレ、コクマ」

 ねえさんの細く長い指がセフィラに向けられた。

 自分は何も出来ずただそこにいた。ハルファスも珍しく黙り込んで成り行きを見守っている。

 派手な立ち回りで民衆の注目を集めるクロウリー家。伝説の名をほしいままにして絶対的な支持の揺るがないグリフィス家。決して表舞台には出ず、だがしかし最高位の悪魔メフィストフェレスを使役してグリモワール王国を影から支えてきたファウスト家。

 代々レメゲトンをつとめてきた3つの公爵家はそれぞれの形でずっとグリモワール王家を守ってきたのだ。

 ごくりと唾を飲んだ。

 これからのことは見なかったことにしてくれるかしら、と言ったねえさんの言葉をようやく理解した。

 時が停止した今、自分は唯一の目撃者となるのだ。

「ふふ、まずは印がどこにあるのかを探さないとね」

 ねえさんはセフィラに向けた指を軽く振った。

 それだけで二人ともピクリとも動かなくなる――まるでそこだけ時が止まったかのように。

「コクマは上半身になかったわよね。足のほうかしら?」

 ねえさんは躊躇なくコクマに近づいていき、どこからか取り出したナイフを閃かせた。

 皮膚は全く傷つかず、一瞬で神官服のみが切り裂かれた。

 現れたコクマの大腿を見てねえさんはにこりと微笑む。

「そう、ここにあったの」

 もし少しでも時が動いたならば、確実にこの場を離れるか、そうでなくとも表情は歪むか青ざめるかしていただろう。

 しかし、それすらも許さないメフィストフェレスの時の支配は絶対だった。なすがまま、されるがままにコクマは天使の印を晒してしまっていた。

「印を失ったセフィラはどうなるのかしら? 就任する時に記憶を消すといっていたわね。セフィラになる以前の記憶が戻るのかしら。それとも再び白紙に戻るのかしら」

 妖艶に微笑んだねえさんはコクマの印に細い指で触れた。

 触れそうなくらいに顔を寄せ、耳元で囁く。男を奈落へ誘う甘美な響きは酒のように中毒性を持ち、酔わせ狂わせる。

 脳髄からしびれるような甘い誘い。

「次に会うときはどんな姿になっているか楽しみね。もう少しいい男になったらお相手するわ」

 メフィストフェレスの加護を受けたねえさんは、分かれの台詞を甘く囁いて軽くコクマの顎をなぜた。

 艶美な仕草にどきりとする。

 そこにいるのはレメゲトンの長ファウスト女伯爵でもくそガキの育て親ミーナでもない、ただメフィアと言う名を持つ女性だった――世界中の男を狂わせる事が出来る極上の美女。

「G-O-O-D B-Y-E」

 それはグリモワール国の古代語で、『さようなら』。

 コクマの大腿に触れたねえさんの指が薄く光を放ち、天使の印を消し去ってしまった。

 それでもコクマはピクリともしない。

 しかし、背の翼は完全に消失した。

「……!」

 ほんの一瞬の出来事だ。

 ねえさんがメフィストフェレスを召還して、時を止めた。ただそれだけでこれまで苦戦していたコクマからあっさりと天使の加護を引き剥がしたのだ。



 あまりの出来事に呆然としていた。思考がうまく働かない。体もうまく動かない。ハルファスも声を漏らさずじっとしていた。

 ところが、そこに初めて聞く声が響いた。

「コクマ」

 鈴のなるように愛らしい声。

 呆けたように放たれたそれは幼い少女のものだった。

 その声の主に向かってねえさんが微笑む。

「時の支配を破るなんて、やっぱりコクマよりあなたの方が強いのね……」

 その先にあるのは神官服に埋もれて空に浮かんだ少女の姿だ。

「ビナー」

 半分閉じた瞼はこれまでと変わらなかったが、愛らしい唇が微かに動いていた。

 ほんの少し首を傾げているのが小さな悲しみの芽生えを感じさせた。

「それでも私の敵じゃないわ。怪我しないよう大人しくなさい、ビナー。いい子ね。分かるでしょう?」

 記憶を剥ぎ取られた代わりに天使の加護を穿たれた彼女に、グリフィスの末裔を投影していたのかもしれない。ねえさんは幼い子に語りかけるような口調になった。

 しかしビナーの名を授かった少女は答えることなく隣で時を止めた男性の名を呼び続けた。

「コクマ……コクマ」

 確認するように、返事を待つように繰り返し名を呼ぶ少女の背後に理解の天使ザフィケルが出現した。慈愛に満ちたその天使はビナーを守るように大きな羽根で包み込んだ。

「ザフィケル。コクマも一緒に」

 既にねえさんによって知恵の天使ラジエルの加護を失ってしまったコクマはもはやコクマではない。閉ざされた時の中で硬直し、空に浮くのは名も持たぬ一人の人間だ。

 それでも少女はコクマと呼び、共に帰ろうとしている。

 加護を失った元セフィラの居場所などセフィロト国には存在しないだろうに。連れ帰っても処分が待っているだけだろうに……

 胸が痛んだ。

 また自分は要らぬ傷を心に負ったようだった。

 が、その時、ザフィケルから光が放たれた。

 強烈な光線に一瞬目がくらんで思わず目を閉じた。


 しばらくしておそるおそる目を開いたとき、広がっていたのは信じられない光景だった。

「なっ……! そんなばかな!」

 目を疑った。

 なぜならこれまで戦場だった場所が突如として薄汚い街の片隅へと変化していたのだから。

 空を隠すように両側に立ち並ぶレンガ造りの建物。馬一頭が通ればいっぱいになってしまうような狭い道。その道の両端にはみすぼらしい布を体に巻いた人々が建物の壁に寄りかかっている。

 隣にいたはずのねえさんはおらず、またコクマとビナーの姿もなかった。背後にいたはずのハルファスの姿もない。

 太陽の光が届かないために薄暗く陰気くさいその場所に自分は一人佇んでいた。

「ここは……」

 記憶の片隅が刺激された。

 微かだが覚えている。

 懐かしい名前が想起する。

 ふと自分の手を見ると、剣を握っていた形跡のない綺麗で小さな手があった。手首のコインも消失している。

 ぼろのような服を纏い、裸足の足は土で汚れていた。

「王都ユダ城下の裏街通りじゃないか……」

 そう、自分が5歳まで育てられた場所だった。

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